2018年10月14日

BEGINS

映画の上映が一旦終了すれば、ひどく寂しくなると思っていた。
最近のいい方であれば、ロスとでもいうのか。
けれど、そんな心配は無用だった。
すでに、あの娼婦たちは自分の胸の中にいるし、劇場に行けばそこにいるからだ。
本当にロスを感じるとすれば、舞台が終わってからなのかもしれない。

劇場には映画を観てくださった方が足を運んでくださる。
それも、1度ならず複数回という方もいらっしゃった。
セブンガールズの世界観を補強するようなこの物語。
多くの詩的な表現を多用した物語。

実際に演じられていく物語と。
演者たち一人一人の物語があって。
それが、やっぱり、当たり前だけれど映画と同じように進んでいる。
演者たちは助け合い、相手を気遣いながら、舞台裏を移動する。

立ちっぱなしの役者がいれば席を譲り、暗い中移動するときは道を開け、声を掛け合う。
登場順に舞台裏で並んでいれば、自分以外のいるはずの人間を確認する。
早替えが必要なら、それを助けるための人間が待機している。
舞台袖には、役者に必要なものをセッティングしておく。
ゴミが出ればまとめる人間がいて、片付ける人間がいる。
全員が役者であり、かつ、全員がこの公演のスタッフを兼ねている。

ある意味では必然なのかもしれない。
今や小劇場の公演も4000円台が普通になってきた。
様々な人の手を入れれば、当然予算が膨れ上がっていく。
自分たちはもう20年も前になる旗揚げ当初のチケット代を変更していない。
そうなれば、自分たちで出来ることをやっていくしかなくなる。
世の中の相場の変化は否応ないけれど、そこを耐えてきた。
受付も場内整理も、出演者がやっている劇団なんて、今や化石みたいなものだ。
それでも、そこで踏ん張っている。

満員御礼の劇場。
映画館のような固定席ではないから、なるべく多くの方が観劇できるようにしている。
さすがにもう完売かもなという数字になっても席を増設して対応している。
映画と同じように、一人でも多くの人に観て欲しいという思いは変わらないからだ。

その舞台もいよいよ最終日になる。
聞いている話だと、映画館で初めてセブンガールズを知って舞台に来てくださる方が多い日だ。
20年間応援してくださった皆様と、初めてのお客様が、作品を共有していく。
取っても豊かなことだなぁと思う。

舞台が全て終わったらどんなことを思うのだろう。
まるで想像も出来ない。
もちろん、演じ終わっても、そのあとまだまだ続く。
すくなくても、全ての部材を運び終えるまでは肉体的に忙しい。
事務レベルで言えば、いつ終わるのかもわからない。

ただただ目の前のお客様に届けるだけだ。
それが、自分たちが変わらずやってきたことなのだから。

20周年を迎えた公演のタイトルは「BEGINS of Sevengirls」
「はじまり」という意味。
これまでの歴史を持っていながら。
はじまりなんだよという、言葉で。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 09:13| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月15日

「終わりじゃねぇ、はじまりだ!」

劇団前方公演墳旗揚げ20周年記念公演「BEGINS of Sevengirls」が終演した。
昼夜の二回公演。小屋入りした瞬間から用意をして準備をして、気付けば昼公演で。
昼の公演が終わればもうその瞬間から夜の準備に入って。
そうこう言っているうちに、夜の公演が終わって、精算やバラシをしていく。
気付けば舞台は、解体され、更の劇場になっていた。

トラックがやって来てあっという間に荷が積まれていく。
あの壁も、あの電灯も、あのオルガンも、床さえも、トラックに積まれていく。
あっという間に満載になったトラックに乗り込んで、倉庫をはじめとした各地に運んでいく。
SNSにあがっている写真を見ると、良き打ち上げになっていそうな写真ばかり。
今回は移動距離が多すぎるから参加できないかもしれないなぁと思いながら移動を重ねた。

深夜遅くなってから、なんとか打ち上げに合流出来た。
わずかな時間でも、まぁ・・・すでに酔っているし残っているメンバーは少ないけれど・・・乾杯をした。
芝居の話、作品の話、いくつか重ねて、帰宅をした。

たくさんの感想があがっている。
たくさんの感謝が溢れている。
映画「セブンガールズ」と舞台「BEGINS of Sevengirls」の連続上演が終演したのだと実感する。

映画のパンフレットをパラパラとめくる。
写真のない見開きのページに辿り着く。
映画の中で出てきたセリフがいくつも折り重なっているページ。
このセリフは映画のセリフでありながら、自分たちの言葉にもなるダブルミーニングなセリフを主に白抜きにしてある。
「いつまで、そうやって生きていくの?」
・・・なんてセリフは、劇団を20年もやっていれば聞き飽きた言葉だ。
「僕では駄目な理由を教えてください」
・・・なんて言葉を、一体、いくつの現場で心の中で呟いただろう。
作品は作品でありながら、自分たちを写している鏡になっている。
「恥を知れ、恥を」
かつての娼婦も、現在の劇団員も、同じように白い目で見られることがあるのだ。

けれど、今、多くの出演者たちのコメントを観て欲しい。
どこまでも明るく、どこまでも力強く、どこまでも胸を張って。
多くの、たくさんの、皆様にお礼を口にしている。
あの娼婦たちと同じように。
そこで生きると覚悟している数多くのコメントを。

本当はこのページに記載したかったセリフがある。
「終わりじゃねぇ。はじまりだ!」
映画にも、今回の舞台にも、いや物販に並んでいた2015年版舞台DVDにさえ、ないセリフだ。
初演から3度目の再演までは残っていた最後の決め台詞だった。
4度目の再演で大幅に役数を減らした結果、なくなったセリフだ。

自分の演じる成瀬凛太朗には、初演時、最終的には仲間がいた。
久市組にいた山本と加美という二人のチンピラだ。
頭の切れる山本と、情にもろい加美。そして無鉄砲な成瀬。
3人は、ヤクザの抗争を誘発して女たちを守る。
そして、焼野原に立った3人は、商売でアメリカに喧嘩を売る決意をする。
全てが終わったと口にした仲間に、山本が大胆不敵に言い放つ。
「終わりじゃねぇ、はじまりだ!」
客席の間を3人は縫いながら歩いて、何を売るか相談しながら消えていく。
納豆とかどうかなぁ・・・なんて適当なことを口にしながら。

役数が減り、3人のプロフィールが一つになって、新しい成瀬像が出来上がった。
それが、今の成瀬凛太朗だ。
無鉄砲だけど、情に脆くて、頭も切れる。
より複雑で、掴みどころのない、ある意味ではわかりにくい人物になった。
かつて山本を演じたこともある自分にとって、今の成瀬は3人の人物の魂を同時に背負っている。
だから、自分の中に、台本にはなくても常に大事なセリフになった。
「終戦」に向かって。
「はじまりだ!」と叫び続ける男であろうと思った。

20周年。
20年をどんな歳月だったかと聞かれたら、いつも一生懸命だったとしか言えない。
大変だったとか、疲れたとか、楽しかったとか、なんだとかは結局ただの装飾で。
とにかく、自分の人生をきちんとここに立ち向かわせ続けただけだ。
その20年目の舞台のタイトルが、BEGINS。
「はじまり」だなんて。
まったく、どこまで走り続けたらいいんだか。

さあ。

はじめよう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 17:48| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月16日

本当のお礼

舞台打ち上げから帰宅して、泥のように眠っても午前中には目が覚めてしまう。
細々としたことをやり始めたけれど、気付けば、眠っていた。
一日中、そんなことを繰り返していたように思う。
やることは、まだまだあるのに。
重要なメールなどは、ちゃんと返していたから良かったけれど。
大阪、名古屋の準備もしていかなくちゃいけないし、PV編集もあるのだろうか?

つかの間の休息を・・・というメッセージがいくつか来たけれど。
完全な休息をとる暇は多分ない。
今日は寝たり起きたりしながらも、やっぱり起きている時間は何かをしなくちゃいけなかった。
多分、ポスターの追加発注がそろそろ必要になるはずだ。

SNSを観ると、関東での再上演を望む声がたくさんあがっている。
中には、自分から映画館にアプローチしてくださっている方々もいらっしゃる。
ああ、すごいことだなぁと感じる。
その声が届いているのかどうかもわからないのに。

自分なりに俯瞰で物事を考えると、映画館からどう見えているのかな?と思う部分はある。
ひょっとしたら、長く続けている劇団が映画を創って、そのファンたちが盛り上がっている・・と見えるかもしれない。
だとしたら、そのファンが観終われば、その後はそこまで話題にならないとか、動員できないとか、そう思われるかもしれない。
実際には、多くの映画ファンにも興味を持っていただいていて、更に見逃した方もたくさんいらっしゃる。
映画を観て、初めて舞台に足を運んでいただいて、観劇した上で再度映画を観たいと言ってくださっている方もいらっしゃる。
「セブンガールズ」には、自分は無限の可能性を感じている。
日本のどこで上映したって、徐々に噂が広がって、やがて満員の日が来る作品だと信じている。
だから、ある意味では劇団が製作したという事は、足かせになるんじゃないかと不安になったりする。
この作品は、誰が観たって伝わる作品だからだ。

劇団員の多くも、当然、いつも足を運んでくださっている方へのお礼を繰り返す。
そうやって、たくさんの皆様に愛されていたからこそ、この映画が出来上がったのだから。
いつもやっていることだし、いつものようにそれが繰り返される。
それはとってもとっても大事なことだ。
けれど、実は、応援してくださっている皆様への恩返しを本気で考えればお礼じゃないんじゃないかと思っている。
本当の恩返しは、もっともっとたくさんの人に映画を観ていただくこと。
劇団を知らないような人たちに興味を持っていただくこと。
身内感であるとか、閉じられたコミュニティになってしまうと、それが出来なくなっていく。

友人であれば、直接、話したりメールをしたりお礼を出来る。
SNSではそうじゃない、手の届かない人たちへメッセージを送ることが大事なことだ。
むしろ、ご来場して頂いた昔からのファンほど、パブリックなコメントをSNSに書いてくれている。
「デラ、良かったよー」なんていういつものコメントはほとんどない。
あるのは、セブンガールズの評であり、知っている全ての人に観て欲しいと呼びかけるコメントばかりだ。
そういうコメントに「ありがとねー」といつものようなコメントを付けそうになる自分をぐっと抑えたりする。
なんだ身内の映画評か・・・と思われたら、きっと絞り出すように書いてくださったコメントの説得力が落ちてしまう。
あえて、昔からのファンという場所を切り離して書いてくださっているコメントなのだから。
「これを読んで、観て欲しい」という、お客様の願いを感じるたびに、ただ感謝することしか出来ない。
余計なコメントを付けて、その思いを弱めたくない。

「カメラを止めるな!」を応援している方々を「感染者」と呼ぶらしい。
その感染者の方の中で、何人もの方が「セブンガールズ」を複数回鑑賞してくださっている。
低予算で、少ない撮影日数、自分たちで宣伝をしている等々、重なっている部分が多くある。
けれど、本当に重なっている部分があるとすれば、「作品に対する思い」なんじゃないか?と思っている。
「自分たちの作品」だと胸を張って。
必死に創った作品だということが、本当の共通項なんじゃないだろうか?
少なくても、感染者の皆様が本当に感動している部分は、「思い」なんだよなって思っている。
笑えるとか、低予算とか、そういう全てを越えて、「思い」以上に心に響くものなんかないのだ。

多分、その「思い」が届いた時に、関東での再上演が決まる。
身内が応援しているということではなく、純粋な作品愛こそ、ここから始まる新たなスタートになる。
「体温を感じる映画」と最初に評してくださったのは、奥山和由さんだった。
3Dを簡単に飛び越えてしまう、新しい映画の感触を感じる素晴らしい言葉を頂いた。
この体温が、もしも、全国に届けば。
誰だってやさしい気持ちを持っていることが、日本中に広がっていくんだ。
だって、体温を感じることほど、幸せなことなんかないんだから。

より広い世界へ。

そこに向かう心持を、持たなくちゃいけない。
閉じられていない、誰だって、気軽に足を運びたくなるような。
誰だって、体温を感じてしまうような。
そして、応援してくださっている皆様に応えられる唯一の解決策なのだから。

意識を閉じるな。
常識を超えていけ。

奇跡は起きる。
何度も目にしてきた。
足りない頭をフルに使うのだ。

だって、セブンガールズは、そうするべき作品なのだから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:30| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月17日

思いつく限り

映画が金曜に都内上映が終わり、舞台が日曜に終わったばかりなのに。
すでにどこか、ガールズロス感がある。
あの娼婦たちにもう一度会わなくてはいけない。
そういう思いが募ってくる。
自分は、ワンクリックで会えるというのに。

10/27からの大阪の上映に合わせて、登壇メンバーを確認していく。
都内から大阪に移動するのは、時間的にも金銭的にも簡単なことではない。
大きなキャパシティの上映予定であれば交通費や宿泊費も出る。
けれど、ミニシアターで限定一週間の1度の上映では、流石に予算的に交通費は出ない。
ちょっとした小旅行になってしまうから、移動費以外にも大きな負担になるはずだ。
だから、誰にも無理強いは出来ないし、たまたま用事が関西方面にあればとも思っていた。
行けるメンバーがいれば、うまく調整出来たらと。

けれど、想像以上に、行く!という回答が返ってきた。
もちろん、偶然関西方面にいるというメンバーもいる。
シンプルに行きたい!というメンバーもいた。

大阪という土地で上映するのは、自分たちにとってどんな上映になるのだろう?
勝手知ったる都内近郊であれば、いつもの劇団公演のお客様だっている。
もちろん、関西方面出身の役者もいるし、関西に知り合いがいる役者だっている。
かつてのお客様で今は関西在住の方だっている。
それにしたって、バックボーンとしては、都内近郊に比べて圧倒的に弱い。
いわば、作品の力が試される割合がぐっと上がることになる。
試写会や、東京の上演を通じて、大きな手応えを感じているけれど。
いわば、ホームからアウェイにでも行くかのような緊張感がある。

だから関西出身の俳優でもない限り、登壇しても自分を知ってくれている人は皆無に近い。
そういう場所にでも行きたいのは、やっぱり、一人でも多くの人が喜んでくれたらという思いがあるからだ。
同じ時間帯に2つの映画があったとして、イベントがある方を選ぶという事があるかもしれない。
もしかしたら、たった一つの挨拶でお客様が口コミを拡げてくださるかもしれない。
さて、どうなることやら。
全日程になることはなかなか難しいとは思うけれど、可能な限り、調整出来たら。
一度に大勢の登壇はスペースを考えれば難しいけれど、それも調整次第だと思う。

観ていただかないと、結局何も生まれないのは間違いがない。
観ていただいて、かつ評判が良くて、少しずつ少しずつ広がっていけばいいなぁと思うけれど。
観ていただかなければ、そもそもその評判すら、わからないままになってしまう。
バックボーンのない場所の皆様に、少しだけでも興味を持ってもらえるように。

自分の中で、まだぼんやりとだけれど、イメージが湧いてきた。
まずは、スケジュール期間中の登壇がわかったら。
出来ることがあるはずだ。
もちろん、新宿のようにポスターを貼らせてもらったりチラシを撒いたりは難しいとしても。
それ以外のことで出来ることが絶対にあるはずで。

大阪でも観てくれるといいなあ~と待っているだけでも本当は良いのかもしれない。
東京の評判を少しでもわかるように伝えるとか、それだけでも十分なのかもしれない。
でも他に出来ることがないのか、もう一度、考えてもいいのかもしれない。
シンプルに、Youtubeに上がっている動画を、FacebookやTwitterへアップロードするだけでもいいかもしれない。

今、考えていることは2つ。
思い付きかもしれないけれど。

きっと目の前の大阪を少しでも盛り上がるように考えることが。
その先に繋がるんだと信じるしかないのだ。

ここからだ。ここからだとつぶやきながら。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:47| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月18日

武装の下の生身

赤坂まで、坂崎愛出演の「また来てマチ子の、愛をもう止めないで」を観に行く。
困難なスケジュールの中、舞台を楽しんでいるように見えて頼もしかった。
自分もドラマの時に少しだけ出演していたから現場の空気をよく覚えているけれど。
その空気そのままの暖かさが舞台上に現出している作品だった。
現場の空気は、直接、作品のまとう空気になるんだなぁと改めて確信した。
前売券は完売だけれど、当日券が少しだけ出るとのこと。
お時間が空いている方はぜひに!

演出をしているのは映画監督の金井純一さんだった。
実は、舞台初演出。
見所はたくさんあるのだけれど、そこも見どころだよなぁと思っていて。
ああ、なるほどなぁ、ああ、そうくるかぁと、楽しめた。
映画では決してできない演出を随所に入れていた。

ここ数年だろうか。
映画監督が舞台演出をするという機会が増えたのは。
舞台演出家が初監督!というのは、意外に昔からあったように思える。
けれど、映画監督が舞台演出というのは、最近になってからなんじゃないだろうか?
大昔は、小劇場=劇団=演出家という図式があったからかもしれない。
今は劇団という集団は解体されて、プロデュース公演に限りなく近くなっている。
専属の役者の数は減り、例えば脚本、例えば演出家まで、外注されることも珍しくなくなった。
そんな状況が、多くの機会を生んでいるのかもしれない。
それは、とても良いことだと思う。
クロスジャンルで、様々な業種の人が、演劇や映画に関わっていく。
多分、時代そのものがそれを求めているし、ジャンルの垣根はどんどん低くなっている。

デビッド・宮原が監督をやってもまるでおかしくないということだ。
10年ほど前、映画監督を目指している人たちと呑む機会があったのだけれど。
とても肩が凝ってしまうような気持になったことを覚えている。
例えば、映画を毎日何本見ているとか、ゴダールについて一過言あるとか。
○○という映画本は絶対に読んでいなくちゃいけないとか。
そういう理論武装ががっつりとあったからだった。
映画監督をやるなら最低限、こういう知識が必要なんだと言われているようで、ちょっと息苦しかった。
うちの監督は実は映画に詳しい人なのだけれども、そうじゃなくても、やりづらい場所だろうなというイメージがあった。
実は、演劇も同じで、最低限シェイクスピアとチェーホフは読んでいなくちゃいけないとか。
演劇論であったり、演劇の歴史を知らないまま、演出なんかしようものなら、メタメタにされた。
自分は悔しいから死に物狂いで勉強したこともたくさんあるけれど、実際、息苦しいなぁと思っていた。
ちなみに、監督はむしろ演劇の方が詳しくない。映画は詳しいのに。

演劇で一番有名な台詞は?という質問があれば、間違いなく上がるセリフがある。
TO BE OR NOT TO BE
ハムレットに出てくるセリフだ。
なすべきか、なさざるべきかが、直訳だと思う。
けれど、日本の文学者はこのセリフを翻訳する際に、
「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。」
という超有名な台詞に翻訳をした。
このセリフをどうやってモノにするのかが、俳優たちの命題となった。
誰もがこのセリフを口にすることを夢見る時代が確かにあった。

セブンガールズでは、
「そのまま野垂れ死ぬか、生きるか、自分で決めな!」というセリフがある。
ハムレットを意識したかどうかは本人しか知らない。
けれど、物語の文脈から、偶然、作品理念が溢れたようなセリフと感じている。
それは、この作品では、そのどちらかを選ぶ場面がやってくるからだ。
そして、それは現代を生きる全ての人へのメッセージでもあると強く感じている。

今日、ダウンタウンの松本さんが、Twitterで発言をした。
その発言一つで、様々な意見がSNS上を飛び交っている。
そんな議論が生まれること自体がきっと素晴らしい事なんだよなぁと思う。
そこまで考えての発言じゃないかなぁって思っている。
【自殺する子供を一人でも減らすために「死んだら負け」をオレは言い続けるよ。】
言うと書いているけれど、別にコメンテーターではない。
芸人で、むしろ、笑いのネタをいじめの促進だと非難されることすらある立場。
だとすれば、きっと、自分は笑いの世界でそれを表現し続けるという事なんじゃないだろうか?
少なくても、松本人志さんの笑いで救われた人は、信じられないほどいるんじゃないかなぁと思う。
北野武さんや松本人志さんが映画監督をやったのはやっぱり理由がある。
常に「笑いを通じて」という意識を一つ持っているという事なんじゃないだろうか。
言うというのは、メッセージのことじゃないだろうか。

結局、映画も演劇もお笑いもジャンルでしかない。
表現手段の一つでしかない。
そこに垣根なんかあるわけがない。
どんなに理論武装を重ねたところで、それは手段でしかない。
表現するべき主題は、手段が変わったところで何一つブレることはない。

金井監督が初演出をした舞台から感じた暖かさ。
デビッド宮原が初監督をした舞台から感じた体温。
その面白さを考えながら帰宅した。

つまらない垣根なんか、全部、ぶち抜いていけばいい。
大事なことは、そこに常にあるのだから。

現代を生きている人が感じているメッセージは、常に現代の人に向かっている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:24| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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