2016年03月19日

見上げる空は同じ

ロケ地候補を探している最中に、色々なところにふらりと覗きに行ったり、検索している中で。
画像検索に、ああ、ここはいい!と思う場所があった。
ボロボロの長屋、戦後バラックのような見た目。
すぐに、そのサイトに飛んでみたら、それは、タイだった。
BLOGに掲載されたタイだ。

実は、そういうことがよくある。
タイや東南アジア・・・あとはオリンピックやワールドカップ開催が決まって、区画整理している国。
ブラジルや、北京なんかの、いわゆるスラムと呼ばれる地域の写真が掲載してある。
日本には少なくなっているスラム街、貧民窟は、世界にはまだまだある。
シンプルな海外旅行ツアーのプランには絶対に入っていない。
小犯罪も含めた犯罪の巣窟になっているからだ。

もちろん、日本にスラムがないとは言わない。
余り報道もされないけれど、実際にはある。
今またどんどん消えていっているけれど、あることにはある。
不法占拠だとか、朝鮮部落だとか、聞いたことがある人もいると思う。
それでも、世界中の国々に比べたら、スラムはとても少ない国だ。
新宿の思い出横丁で、深夜まで海外の旅行客が焼き鳥をつまむなんて。
他の国で考えたら、ちょっと信じられないような安全性なのだ。
ニューヨークにだってスラム街があってツアー客が入ってはいけない地区があるのだ。

日本で育ったおいらたちには、なんのことない普通の事のようにも思える。
でも、そうじゃない。
日本が異常だ。
スラムがほとんど存在しない国なんて、異常の事だ。

かつて東京が焼け野原だったとき、一面のバラック街だったことなんか想像も出来ない。

なんていうか。
もちろん、理由はやまほどある。
狭い国土という事もあるだろうし、貿易立国であるとか。
歴史で見ても、朝鮮戦争であるとか、田中角栄であるとか。
様々な要因が、この国を豊かにしていって、スラムを消していった。

おいらが思うのは、世界のレベルで、映画を製作したいんだということだ。
世界にはスラムが今もある。
世界にとっては、今の物語になるのかもしれない。
スラムの現状にリアリティがなければ、世界では通用しない。
でも逆を言えば、日本人よりもより強く響くのかもしれない。
そして、日本がスラムを脱していった理由をこの映画の中に探すかもしれない。
日本で映画を製作すればどうしても、国内の興行について考えなくてはいけない。
どうしたらヒット映画を創れるのかという要素が大事になってくる。
それがキャスティングからシナリオから、全てに影響を与えていく。
けれどこの映画は、日本での興業を考えないで製作できる。
だからその代わり、世界の視点をきちんと考えたいって思う。

スラムからは抜け出せない。

今まで映画で何度そのセリフを耳にしただろう。
海外の映画でスラム出身者が出てくれば、必ずと言う程、口にするセリフだ。
そして、やっぱり夢を見て。
そして、やっぱり前に進む。

今の日本にスラムはほぼない。
けれど、実際にはスラムに見えないだけで、それに近いスラムがある。
抜け出せない現状。心のスラム。
何が貧しくて何が豊かなのかはわからないけれど。
あの焼野原に山ほどいた浮浪児たちが、汗を流して、スラムから抜け出した日々は豊かだったのかもしれないなと思う。
たくさん無理もしただろうけれど。そのシワ寄せみたいなものが今たくさん残っているけれど。
スラム街だけじゃなくて、もっともっと心も豊かで、誰もが自由な世の中を目指していたんだと思う。

中野区で起きた殺人を「劇団員殺害」と報道する大手新聞、大手マスコミ。
なんで「女優殺人」じゃないんだろう?
もしくは、個人名でも中野区殺人事件でもいいと思う。
彼らの目で見ると「劇団員」っていうのは、役者ではないんだね。
役者ではなく「劇団員」っていう生き物。もしくは一つのカテゴリ。
まったく、なんにもわかっていない。やれやれだ。
恐らく彼らの頭の中で劇団員とは、芸能の世界のスラムなんだろうなぁ。
だから、この映画は、芸能の世界のスラムから抜け出す劇団員の話でもあるのかな?
おいらは、全然、逆のことを思っているんだけどね。


地球の裏側の人は何をこの作品で観るのかな?
狭い狭い日本の常識ではなくて、その視点をどうしても考えてしまう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 20:23| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月20日

街を創る

「この世の外へ~クラブ進駐軍」を観る。
今回の美術監督の杉本亮さんがかつて参加した阪本順治監督の作品だ。
杉本さんは最後のテロップで美術助手として名前が出てきた。
2004年の作品だからもう12年以上前の作品になる。
撮影日はそうなると、もっと前になるはずだ。
この作品も終戦直後で、その美術に参加していたから、ロケを探すなら参考になるかもしれないと教えてくれた。

おいらが手に入れたDVDには特典映像が付いていて、メイキングが入っていた。
メイキングで、終戦直後の街を作ることがこの作品の最初だと説明が入る。
まさにおいらが思っていたバラック小屋が並んでいた。
メイキングでは、埼玉県のある方の私有地との説明が入った。
映画をよく見ると、驚いたことに、コンクリートの電柱や、高圧鉄塔まで映り込んでいた。
え?終戦直後なのに、映っちゃっていいんだ・・・と驚いた。
でも、考えてみれば、いいのかもしれない。
もちろん、時代背景を考えればそこにあるはずのないものだ。
けれど、実際に映画を観た人でそれを気にした人なんかいないはずだ。
だって、気になるような場所にはないし、ピントが合っている場所は、やはり終戦直後のバラックなのだ。
もしかしたら、当時でも消そうと思えば消せたのかもしれない。
それでも、消したりはしたくなかったと監督がインタビューで答えていた。

それはちょっとした発見だったな。
やっぱり目立つのは、ディティール。
そこが終戦直後の街なのだという説得力は、看板であったり、浮浪児の顔にこびりつく泥であったり。
そういう細かい部分の方が、圧倒的に時代感を出していた。
寄りも引きも大事だけれど、絵を決めるのは、そういう部分なのかもしれない。
今まで気にしていたことがいくつかあるんだけれど、少しだけ気持ちは楽になった。

埼玉での撮影・・・。
そう。
もし、ロケ場所を都内近郊から関東近県まで広げるのならば、候補地が増える。
中には町ぐるみで映画撮影を誘致している自治体もあるのだ。
今も赤線や置屋が残る街で、既に、誰も済んでいない建物がたくさんある場所も見つけてある。
ただし、都内から移動すれば、時間はかかる。移動代もかかる。
泊りになれば宿泊費用がかかる。
自治体が完全に協力してくださって、集会所などで宿泊できれば変わってくるだろうけれど。
どこまで出来るのかはまったくわからない。

一つ。
朗報がある。
いよいよラインプロデューサーとの打ち合わせが近いという事だ。
先日書いた製作プロデューサーが既に連絡をしてくれている。
ラインプロデューサーはとてつもなく忙しい方だ。
次から次に撮影スケジュールが入る。
その撮影の全ての流れを見ているのがラインプロデューサーなのだ。
スタッフの手配、ロケ場所の手配、何から何までやるのだから、寝る暇もない。
信じられないようなスケジュールで、映画に携わっている。
有力なロケ場所候補をみつけたから、連絡メールをしたら、返信が来た。
この方が動き始めれば、いよいよ、製作会議と呼ぶに近いミーティングが始まる。

他にも実は朗報がある。
余り多くは書けないけれど。
某撮影の廃材を引き取ることが出来るかもしれない。
これが出来れば、セットの制作費が大きく浮く。
バラック小屋のメリットはここにある。
元々が廃材を組み合わせた建物がバラック小屋だ。
だから、廃材さえ手に入れられて、それを組み合わせたほうがリアルなバラックになるのだ。
1から材料を用意する何倍も速く、そして経費も削ることが出来る。
ありとあらゆる工夫とアイデアが集まり始めている。

12年前の杉本さん。20代だったはずだ。
今の齋藤さんよりは、年上かな?
どの映画にも思い入れがあると思うけれど、若い頃の作品はきっと学びながらだからより強い思いが残ってると思う。
美術助手と言う形で、終戦直後の街を作ったんだなぁと思うと。
今度は、美術監督として終戦直後の街を創るんだということに、とてもなんというか、しびれてくる。
あのマーケット、あのトタン、あのバラック。
今度は杉本さんが美術監督で、伊藤さんや齋藤さんや中條さんが助手なのかぁ。
なんというか、なんというかだ。
強い思いの残る作品にしなくちゃだ。
全ての関係者の。
そしていずれ、美術監督や映画監督になるかもしれないスタッフさんも中にはいるんだ。

街を創る。
なんて大々的なことまでは出来ないかもしれないけれど。
どうなるのかもわからないけれど。
自分の中のイメージが膨らんだ。
「肉体の門」とはやっぱりちょっとだけ違うんだよなぁ。
「麻雀放浪記」の最初のバラックとか。
「仁義なき戦い」の最初の闇市とか。
あのイメージが一番強かったのだけど、引き出しが増えた気分だ。

早く皆様に発表したいことがたくさんある。
中々、色々と伏せながらしか報告できないけれど。
確実に一歩一歩撮影に進んでいます。
場所だけではない。
観念としての街を創り始めています。

セブンガールズが映画化します。
本当に映画化するのです。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:19| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月21日

暑さ寒さも彼岸まで

シナリオは進む。
変わった部分だけでもまとめておかないとだ。
確実に、シナリオは進んでいる。
進んだ台本も、やはり、絵が思い浮かぶものだった。
場面をまとめて、登場人物の追加もまとめておこうと思う。

明けて今日はお彼岸だ。
親父に線香をあげよう。
親父が生きているうちに映画に出たかったなぁ。
もしそうなったら、なんて言っただろう。

春分の日から、昼夜の長さが逆転する。
正確にはそうじゃないらしいけれど。
古来から春分の日は天文学的に重要な日だった。
今も、記録に残らないほどの歴史があるような神社は、春分の日に境内にいると、丁度、鳥居の真ん中を太陽が昇るという。
山の上の神社は、古来より天文を確認する場でもあった証拠なのだそうだ。
暦や時間は、山の上の神社やお寺が知らせていた。

変わらない太陽と地球の関係。
公転と自転。
1000年前も100年前も、春分の日から、春がやってきた。
最近は、春分の日を過ぎてからも寒の戻りがあるから油断禁物だけどさ。
明確に明日から春だよ。ってお知らせは、なんとなく心が弾む。
街を歩けば、卒業式の格好を見かけるようになった。
後は、桜が舞うのを待つばかりだ。

彼岸。

簡単に言えば「向こう側」だ。
カノキシと訓読みした方がわかりやすいのかもしれない。
実際には、「向こう岸に渡った」ぐらいの意味まで含んでいると聞いたことがある。
もちろんそれは、観念的な例えで、一種の悟りを得るという意味だ。
昨日までとは違う世界に至ったということなのだろう。

「劇的なるもの」とはなんなのか?
多くの先人たちが、演劇で繰り返し探してきた。
日常は、ほんの簡単なキッカケで非日常にひっくり返る。
そのキッカケこそ、劇的なるものかもしれない。
それまで生きてきた世界がガラリと風景を変える。
自分の状況が変わるだけではなく。
もし、自分自身も変わるのであるとすれば。
その自分が変わることこそ、本当の「劇的なるもの」で、これこそ「彼岸」なのかもしれない。
「劇」とは、何かに至り変化するサマを見せるシステムなのだから。

思えば自分自身の生きてきた毎日の中で。
とても日常とは思えないような「劇的な」瞬間がいくつあっただろう?
自分自身の変化に至らなかったことも多いけれど。
自分自身の見える世界が確実に変わったことが何度あっただろう?
幾千年繰り返された星の営みの中で。
小さな悟りと小さな変化が、毎日どこかで起きている。


・・・10代のガキの頃。
好奇心ばかりが先行して。
大人たちがダメだという言葉も耳に入らず。
思いきって大人の世界に飛び込んだ。
そんな日の話をした。
織田さんは初めてLIVEに行った日の事を。
幸子は、初めてディスコに行った日の事を。
おいらは、高校生なのに、雀荘に一人で飛び込んだあの日の衝撃を。
物語の中で描かれる登場人物は、必ず、そんな一歩を踏む。
恋に夢中になって建物に忍び込むロミオのように。
夢中になって夢中になって、大きな一歩を踏み込む。
そして、劇の登場人物は自分の見ていた世界を広げていく。
パンチパーマに口髭のおじさんに囲まれて、麻雀牌を握りしめたあの日。
確かに、おいらはそれまでの自分から、ここからの自分に生まれ変わった。
ロミオの人生が変わってしまったように。
「劇的なるもの」は、今もすぐそこに転がっている。
セブンガールズには、いったいいくつの劇的な瞬間があるだろう。



春と秋に、彼岸がある。
季節の変わり目だ。
春は牡丹でぼたもち。秋は萩でオハギ。
季節が変わることは、もう、それ自体が劇的だ。
それまでの風景から、これからの風景に変化するのだから。

気付けば、花吹雪が舞う。
新入生の晴れ舞台だ。

花吹雪の下では、誰もが、物語の登場人物だ。最高の演出だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:05| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月22日

一か月

3月22日。
クラウドファンディング終了日から一か月が経過した。
もどかしくなるほどまだ映画製作企画は助走段階だ。
当たり前なのだけれど。
一歩一歩。
助走段階でも進んでいる。
いつか、助走が駆け足になって、いつか駆け足が全速前進になる。

昨日もロケ候補地のその1に向かう。
その裏にある集落的な場所もお借り出来たらなと思っているのだけれど、地主さんとまともに話せていない。
ご高齢なのに農業をやってらっしゃって、いつも畑に出ているから中々声をかけられない。
声をかけた時も、田舎の人で、基本的によそ者や面倒は持ち込まないでほしいという感じだ。
頑固なわけじゃなくて、保守的な感じ。
とても、素敵なおじいちゃんなのだけど・・・・。
だから、まめに顔を見せて、少しずつお願いできればなぁと思っている。

稽古後に、やっぱり、俺みたいなむさくるしいおっさんが一人で尋ねてお願いしてもダメなのかなぁと話した。
広田さんとかに一緒についてきてもらって、話してもらった方が良いのかもなぁなんて思ったのだ。
広田さんは、うちの親父なんかもそうだったけど、実にご高齢の方と話をするのが上手だ。
そしたら、たまたま時間が空いてるから、行こうかなぁと堀川が言い出す。
まぁ、遠いし、行っても会えないことの方が多いし、無理しないでいいよ。
本格的にお願いする時に、空いてたらくればいいよぐらいに言ってたら。

なんか、今日、本当に来た。
実は、どんな場所か自分の目で確かめたかったというのもあるらしい。
花粉対策の眼鏡にマスク。
じょ・・・女性だけど、それはそれで怪しいんじゃねぇの?と思いつつ。
駅まで迎えに行き、候補地まで向かう。
お彼岸だから、おはぎを買っていく。

現場に着くと、堀川は、あちらこちらを見て回る。
地主のおじいさんは、やはり今日も広大な畑に出ていた。
一人で、何か植えている。
手を止めさせるのもどうかと思うし、勝手に手伝うのもはばかれるし。
少し間を置こうかと、畑を離れる。
一番下にある、石の彫刻さんだけが、カンカンと石ノミをふるってた。
折角だから、話してみる?と堀川に聞いてみると、案外、平気な顔をしている。
初めて会う人と話せるんだなぁ、こいつは。とちょっと感心する。
役者をやってるような人間は、とても社交的か、とても内向的か、どっちかだ。
堀川は社交的な方みたいだ。

石屋さん(自分の事をそう呼んでいらっしゃった)は、作品製作途中の一服タイムだった。
おいらも話したけど、堀川がどんどん質問してる。
硬くて四角いはずの石が、流線型のなめらかなオブジェになっていく途中段階になってる。
これ、どうやるんですか?
ええええ。すごいです!
この間、おいらが話した時とは違う質問をしている。
一つの作品に半年かかったりするという。
大きな石を、半年かけて、石ノミで削っていく。
出来上がる作品は、オブジェで、何かの役に立つようなものではない。
そういう事を、もう何十年と続けている芸術家と堀川の会話。
聞いていて、ハラハラしたけれど、新鮮だった。
堀川がそこで何を感じて、自分がどう演劇と向き合ってきていたかに繋がるかはわからないけれど。
石屋さんも、少し嬉しそうだった。

その後、畑を見ると、まだおじいさんは農作業を続けていた。
何を植えているかはわからないけれど、もう3列目に入っていた。
諦めて、そのままお宅に向かった。
奥様がいらっしゃるからだ。
尻尾を振って犬がなく玄関で呼び鈴を鳴らすと、小さいおばあちゃんが更に小さく腰を曲げて来てくださった。

映画で土地の一部を利用させていただきたい旨をもう一度伝える。
おじいさん、その後、なんか言ってました?ダメだって?と、優しい笑顔で答えてくれる。
舞台のDVDを渡そうとすると、そういう機械が何もないんですよと言う。
買ってきたおはぎをお彼岸ですから・・・と手渡すと、いんですよ・・・なんて言ってくれる。
なんだか立っているのがつらいんじゃないかって心配すると。
立って止まっているとね。腰が曲がっているからちょっと辛いんですけどね。
畑にだって出てるんですよ。今日も草むしりをしようかと思ってたんです。
買い物なんか、バスに乗らないで歩いて行っちゃうんですよ。待つより早いかなって・・・。
そんな風に笑顔で話してくれる。
どこにも拒絶感なんかない。
笑顔で話した後、おはぎを受け取ってくれる。

ふと思うんだ。
オレオレ詐欺とかさ。
なんというか、物騒な世の中じゃない。
しらない人間が現れたら構えちゃうよね。
すぐに玄関を締めちゃうことだって出来ると思うんだ。
あんなふうに笑顔でおいらだったら話せるのかな?
不審者って思われないといいなって思ってたのがばかみたいに、話を聞いてくれたんだ。

撮影日が決まるまでに。
確実に候補地が増えればいいなと思っている。
あそこは、本当に素晴らしいロケーションだから、ぜひ候補地に加えたいなぁ。
時々、顔を出して。
いつか、農作業も手伝えたらなって思う。

梅はもう散っていたよ。

シナリオは進み。
候補地は増え。
そしてスタッフミーティングが始まる。
あれから一か月だ。

堀川が帰り、おいらは実家に向かう。
親父に線香を手向ける。
手を合わせて報告をする。お願いはしない。

春になったけど。
少し肌寒い。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:39| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月23日

舗装をはがすようなこと。

ロケ地はもちろん候補1の場所だけじゃなくて、他も探している。
ただ足を伸ばせる距離にはなかなか見つからない。
ロケーションサービスと言って、各地方自治体が映画撮影の誘致活動をしている。
遠すぎることがなければ、ロケーションサービスのロケ地一覧は見るようにしている。
もちろん、地方に行けば行くほど交通費や宿泊費がかさむため、中々上位にはいかない。
予算割が確定すれば、まだ色々と計算が立つのだけれど。

写真を確認する時に最初に見るのが舗装だ。
都心部だけではなく、今は本当にどこも舗装されている。
もちろん、終戦直後に舗装されていた場所がなかったわけではない。
いくら焼野原だと言っても、舗装されたアスファルトまで焼けるわけではない。
それでも終戦直後の写真を見ると、ほとんど舗装された道が写っていない。
占領軍基地回りと主要幹線道路ぐらいしかなかったんじゃないだろうか。
それに、真奈ちゃんが水たまりを覗く以上、やはり舗装されていると芝居が限られてしまう。

それにしても、驚くべきことだな。これは。
実際、自分が子供の頃を思い出すと、舗装されていない道なんか山ほどあった。
轍が道をボコボコにしてさ。
そこらじゅうに水たまりがあった。
真冬に氷が張るあの水たまりだ。
初夏にはどこからやってきたのかわからないけれど、アメンボがいた。
早春にはあちこちにたんぽぽが咲いていたり、ツクシンボが顔を出してた。
今の時期なら、ぺんぺん草を引っこ抜いて、ペンペンしながら家に帰った。
あの道はどこに行ったんだろう?

子供の頃に歩いた土の道をGoogleマップで確認してみたら。
当たり前のように舗装されてたよ。
それも、車が通れないような細い道まで舗装されていた。
あの幼稚園に向かう途中の小道も。銭湯の前も。用水沿いも。
四葉のクローバーもみつけられないじゃないか。あれじゃ。
立ち小便も出来ないよ。
粘土みたいな土だった。
雨を含んだ次の日は、ねばりのある土だった。
遊んだ原っぱさえ、舗装されたパーキングになってた。

今のアスファルトは昔の物から実は大きく大きく進化している。
轍がすり減らすことも少なくなったし、水はけまで良くなってる。
直線とカーブでは材料を変えている場合だってある。
工事中の場合は仮舗装で、スコップで掘れるような柔らかい舗装だってある。

雨が降った次の日のあのむせるような雨の匂い。
どうりで最近は薄くなっていたわけだ。
雪が解け始めると、雪と土が混ざって、ぐちゃぐちゃになってさあ。
本当に歩きづらかった。
生活がどんどん便利になってる。気付かないうちに。
暮らしやすくなってる。
発展してるんだ。
道路は国道以外は自治体の管理。
都内だけじゃなくて、地方もどんどん舗装が進んでいたんだなぁ。

個人宅の庭や、公園を除けば、ほとんどの土地に蓋をしたわけだ。
それはあの不便なぐちゃぐちゃの水たまりや、むせるような匂いや、たんぽぽの綿帽子に至るまで。
上から蓋をして隠したんだな。
日本はきっと気取ったんだよ。
本当は大昔からの島国でさ、土いじりしながら生きてきたんだけどさ。
先進国だ!アジアで一番だ!ってさ。
まるで、お化粧をするように、どんどん舗装したんだ。
おかげで外国人旅行者は、綺麗な国だって言ってくれるよ。
海を埋め立てて、コンクリートとアスファルトで、もう一度、この国を創ったんだ。



でも、何故だろう?
あのたんぽぽの花が恋しいのは。
あの水たまりが懐かしいのは。
土の匂いを思い出してしまうのは。

皆、自分を知ってる。
自分の理性と言う皮を一枚剥いだらどんな人間かわかってる。
本当は汚いところがあるところ。
どうしても治らない悪癖があるところ。
どうにも出来ない欲望や、どうしょうもないダメなところ。
本当言うと、バカだってわかってるところ。
自分だけがダメな人間なんじゃないかって不安になったりもする。
知っているから、時々、覗いてみたくなる。
誰かの本音や本質を知ってみたくなる。
自分だけじゃないんだって、確認したくなる。
政治家や、芸能人を吊し上げて、安心する。
取り繕った綺麗な顔を見ているだけじゃ、どうしても、不安になるから。
感情がむき出しになってしまうような場面を、物語で確認する。
エンターテイメントを体感して、自分の感情を揺さぶってみる。

個人でさえそうなのに。
国と言う単位で、都市と言う単位で、それが起きた。
明治の文明開化から、富国強兵を目指して、列車を走らせて、西洋館を建てまくった。
極東アジアに、世界標準の都市を建設していった。
それが大空襲で全て、引きはがされた。
焼夷弾に焼かれて、ただの土塊の街が、顔を出した。
でも、そうなったときに、本当にエネルギッシュに都市が動き始めた。
あっという間に廃材でバラックを建てて、闇市マーケットを創って。
ないはずの物を、田舎でもどこでもでかけて仕入れて売り飛ばした。
日本人の持つ本質みたいなものが一気に噴き出したのが、戦後というのは皮肉なんだろうか。

今、また日本は舗装されている。着飾っている。
大空襲はごめんだけれど、人はこの国の本質を求めている。知りたがっている。
かっこいいのが最優先みたいな世の中に、少しだけ辟易している。
「本当」を求めてる。

おいらたちがやることは舗装をはがすことだ。
取り繕っている何かをはがして、人間の瞬間を見せることだ。
何もなくなった街に、人間の本能がうずまく、パンパン宿を再現することだ。
かっこよさなんか、いらない。
かっこ悪さを見せられるすごさがあればいい。


そこにあるのは、ぐちゃぐちゃになった、粘土層の土塊かもしれない。
けれどどこかにきっと、

たんぽぽが咲いている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:30| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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