サッカー日本代表、おめでとうございます!
ドイツの時、ショックだったし、オーストラリアがアジアに入った時もショックだったのに。
完勝だったことに、なんというか、驚いております。
試合後の、監督の話だけが気がかりだけれど・・・。
そして、試合に出なかった本田選手や香川選手を逆に注目したくなったという。
不思議なものだなぁ。
来年は、なんだか、目白押しになりそうだな。
スポーツや、現実に生まれるドラマには、創作物は勝てない。
そんなことを、作家たちは、口にする。
監督も最近、よく口にするようになった。
確かにそうなのだけれど。
そうなのだと思う反面、創作にしかない強みもあるなぁとも思う。
筋書きがあるかないかの違いではなくて。
計算されつくした感動と言うのだってあるのだから。
けれど、不思議だなぁと思うのは、感情移入だ。
創作物では、どこでどう感情移入になっていくのか、計算だってしているけれど。
不思議と、スポーツを観ていても、感情移入してしまう瞬間がある。
選手たちの表情であるとか、或いは、そのバックボーンを知ってだとか、過去の記憶だとか。
いつかのあの試合の悔しい場面を思い出して、選手と同じような気分になってしまう。
あれって、実はとっても不思議で、とっても大事なこと。
もちろん、放送するテレビ番組がアングルとして仕掛けているようなこともあるけれど。
そうじゃなく、試合を観ているうちにというのもある。
記憶に新しいのは、浅田真央選手のフィギュアだなあ。
あれは、世界中の人が、感情移入していた。
スポーツを見るときの感情移入って一体何なのだろう?
自分が、選手になった気分になって気持ちよくなってるとかでは決してないと思う。
もちろん、自分に出来ないことをしている選手に対する憧れもあるのだろうけれど。
もっとずっと等身大に感じてしまうような場面が、出てきたりする。
おいらが、芝居を教わった時に言われた言葉がある。
そもそも、人が人を見るという行為そのものが不自然だ。
そういう言葉だ。
見られている演者は、その非日常の中で芝居をしなくてはいけないし。
観ている観客は、その非日常な行為を通して、同時に自分をも観ている。
人が人を見るという行為は、そういう交換が起きている。
スポーツ選手もそうだ。
あれだけ大勢の人に観られているという状況は、不自然極まりない状態だ。
信じられないようなプレイ、華麗なプレイを観に行っているのに。
どこかの瞬間で、人間を観ている時間がやってくるという事なんだろうか。
人間を感じた瞬間に、交換が行われて、感情移入をしてしまう。
どんなに人間離れしたスーパープレイだとしても。
そのあとに、破顔して抱き合う姿には人間を観てしまう。
ああ、嬉しそうだななんて、客観的になれない。
なんだか、不思議と選手と同じようにテンションが上がる。
それはきっと、劇表現の基本でもあるはずだと思う。
おいらは、何を観ているのだろう?
スポーツを観ているんだろうか?
それとも、瞬間瞬間に見せてくれる人間を観ているのだろうか?
芝居なんかやっているからなのかな。
試合に出ていなかったベテラン選手たちを思う。
彼らは強い。
もう、いつの間にか、彼らと共に歩んだから、感情移入をしてしまっているようだ。
でも。
今日は、試合後に、一気に監督に感情移入してしまったよ。

