2017年09月15日

バラバラでも良い

全員で一つになろう!と口では言うけれど、実は、それは限定されているはずだ。
どう限定されるのかと言えば、その一瞬一つになったり、或いは、一部分においてという事のはずだ。
逆を言えば、全員が全員同じだったら、それはそれで、不健全なことだとおいらは思う。

例えば、今、北朝鮮の問題がニュースの多くを占めているけれど。
アメリカから出る言葉も韓国から出る言葉も北朝鮮から出る言葉も、完全に信頼はしていない。
どう考えても、各国の中に、強硬派と穏健派がいて、お互いをけん制しているはずだからだ。
その中から穏健派の言葉が漏れ出てきたり、強硬派の言葉が漏れ出てくる。
けれど、それが国全体の意志かどうか?と聞かれたら、ほぼNOだ。
常に賛成と反対が存在していて、お互いをけん制して監視しているからこそ、健全なのだと思う。
北朝鮮は独裁体制だから、出てくる言葉は一種類だけれど、実際に中身も一種類かは別だろう。

実際、一つになったほうが強度が上がる。
反対意見が両方出てくるような状況は一枚岩ではないと宣伝しているようなものだし。
昨日と今日で意見が揺れるようなことだって起きてくる。
だから、今こそ、一つになって・・・とどうしても考えたくなる。
それでも、そこを乗り越えて、バラバラのまま、何かを乗り越えた方が、本当の強さが出てくる。
もちろん、果断であることが必要な場面は何度も何度もあるけれど、考えることが必要な場面の方が多いはずだ。
結局、一番中庸なことをしてしまったなんてことも起きがちだけどね。
或いは、後回しにしてしまうようなことだってあるのだけれど。
それでも、安易に一つになると、強度は高いけれど、防御に回った時に弱くなる。
懸念する場所をたくさんあげられる方が、長い目で見れば、強いという事だ。

曖昧な部分は常にあった方が良いと、おいらは思っている。

今、国民全体が一つになって!という言葉は、だから一番好きじゃない。
与党も野党も、なぜか、平気で口にするけれど。
なんで、一つにならなくちゃいけないのか、誰かと同調しなくちゃいけないのか。
誰も説明なんかしてくれない。

ただ、一部分だけ、一瞬だけ、一つになるという事は、とってもいいことだと思う。
例えば、この映画を製作するときだって、皆で一つになったわけだけれど。
それは、たった一つ、映画製作を成功させよう!の一点のみで一つになった。
それ以外の部分では当然、異論反論があっていいし、ぶつかるのが普通だ。
或いは、舞台公演をしていれば、会場内が一瞬だけ一つになることがある。
もう、演者もお客様も、同じことを感じている一瞬が生まれてしまうことがある。
この2つの意味での一つになるということだけは、強く信じている。
一部分だけ。指さす方向だけ、共通する。
一瞬だけ、その瞬間だけ、共鳴する。
その二つは、むしろ、奇跡だし、感動までしてしまう。
目的意識や目標が大事なのは、きっと、そのための布石だからだ。
そして、感動するのは、一つになるという事が普通じゃないからこそだ。

まぁ、自分から孤立するようなことをしたり、足を引っ張りあったりは論外だけれど。
色々な視点、色々な議論、色々な考え方があって良い。
どんとこい。
いざとなった時に、力が出れば、あとは、自由なのだ。

そういう中で。
息の合うやつが出てくる。
馬の合うやつが出てくる。
なんとなく、そいつの考えてることがわかってくる。
別に仲良くなくても、信頼している自分に気付いたりする。
お互いが自分の考え方を押し付けるわけでもなく。
でも、理解していく。

そういうのが、一番、窮屈じゃない。
おいらは、そのぐらいが一番信じられる。

一つになるのはそれからだって遅くはないはずだ。
必ず、勝負しなくちゃいけない時はやってくるのだから。

その時のために。
その一瞬のために。
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2017年09月14日

やさしい歌

卒業まで残り半年と言う秋。
おいらは、卒業公演に向けての作品選びで一冊の戯曲を提案した。
この作品をやってみたいと言って、全員で本読み稽古をした。
結果的にその戯曲は選ばれずに、その本に書かれていた別の作品が選ばれた。
3作品の戯曲が掲載された本、その最後の作品は、その秋に公演された作品で。
それを、先生も、たくさんの皆も観ていた。

キャスティングは難航したとも思えない。
2週ぐらいで決まったんじゃないだろうか?
色々なメンバーに本読みをさせて、やらせてみて、合っているか確認してだった。
おいらの通っていた演劇を学ぶ学校では、毎年卒表公演をする。
それまでの発表会とは明らかに違う公演になる。
お客様からチケット代を頂くし、校内ではなく一般の劇場を借りての公演。
その公演に向けての製作も、自分たちで可能な限りやっていく。
この公演からプロの役者だと宣言されるような、そんな状況。

おいらは主演になった。
選ばれたというのとも、勝ち取ったというのとも違ったと思う。
誰もやりたがっていたわけでもないし、おいらが良かったわけではない。

その日から、シアターモリエールへの道が始まった。

圧倒的なセリフ量だけでも大変なのに、段取りも多かったし、作品の意味も毎日考えなくちゃいけなかった。
先生の演出は、イメージからスタートしたけれど、おいらは、もっとと欲しがった。
五里霧中でわからないことだらけだから、もっともっと教えてくれとすがりついた。
気付けば、人格否定に近い言葉も、使用しながらの演出になった。
お前はちゃんと人と付き合ったことがあるのか?
お前はちゃんと女にふられたことがないんじゃないか?
普段から雪駄履きで、そういうのもダメなんだよ。
全然だめだから、お前、あいつのやるの今日は観てろ。やらないでいい。
言いながら先生も傷ついていた。
おいらは、まるで傷ついていないかのように、もっともっとと求めた。
先生は、言いながら、毎日傷ついていた。
言う方が、何十倍も傷つくってわかっていながら、答えてくれた。

さすがに、出来なさ過ぎて、肩を落としていた日がある。
先生は、大丈夫か?と声をかけてきた。
おいらは、負けず嫌いだから、その場で呑みに誘った。
飲み屋でも芝居の話を聞かせろとばかりに、笑顔で。
先生は、一瞬悩んで、行けないと言った。
後から知ったことだけれど、先生の母親の葬儀の日だった。
そんな日も稽古をしてくれて、肩を落とすぐらいまで、真正面からぶつかってくれた。

ギリギリではあった。
壊れちゃうかもなぁって思ったこともある。
でも、先生もギリギリで演出してくれていた。
メンバーには、お前ばっかダメダシされて羨ましいよと言われたりもした。

おいらたちは、劇場に辿り着いた。
チラシもパンフレットも自分たちで作って、セットの仕込みもした。
照明のシュートをして、音響のチェックをした。
それは、すべて、プロの演劇人なら誰もがやることだった。
その全てをやって、リハーサルに挑んだ。

リハーサルが終わって、初日の幕が開く直前。
先生に呼び出された。
リハーサルのダメ出しをもらいたかったから、すぐに向かった。
初日直前にもなって、未だにおいらは、もっと言ってほしかった。

「幕が開いたら、俺の知り合いとか先輩とか、色々言ってくる奴がいるけどな。
 気にするな。お前はよくやったよ。思い切りやれ。」

突然、昨日までとは違う優しい言葉をかけられた。
初日本番直前なのに、涙がボタボタ流れ始めた。
まったく、涙を止めることが出来なかった。
泣きじゃくった。
嬉しいとか、なんか、言葉で説明できるようなことじゃなかった。
とにかく、涙がこぼれてこぼれて、嗚咽が止まらなかった。

何年か過ぎて、先生が亡くなって、先生のお別れ会が開かれた。
たくさんの先生のメモや台本、過去の公演のチラシなどが並んでいた。
そこには、あの卒業公演で先生が使用していた台本も飾られていた。
表紙に、はっきりと書かれていた。
「小野寺で大丈夫か?」
台本の表紙をめくる気にもならなかった。
きっと、メモで真っ黒になっていることは、おいらが一番知ってた。
たくさんの先生の傷があの台本の中に刻まれている。

多分、人生で初めて本気になった日々だった。

演劇学校の生徒で、お前ほど、徹底的に言ったやつはいないよ。と言われたことがある。
言えないんだ。徹底的になんて。
相手が傷つくことがわかるから、言えば言うほど、自分も傷つく。
簡単なことじゃない。
まして、演出家とは言え、生徒であればなおさらだ。
相手に合わせて、言い方だって変える優しさを持った演出だったのに。
もっと言ってくれなんて言って、追い込んだのはおいらだった。

厳しい言葉も。
全てが、優しさだった。
自分が追い込まれたことも。
全てが、優しさだった。
言わなくていい言葉までおいらは引き出してしまった。
それは罪だ。
母親の葬儀の日に、困らせてしまった。
それは罪だ。

先生は心配していたけれど。
先生の知り合いにも、先輩にも、信じられないほど褒められた。
観たこともない先輩にまで、よくやったって言われた。
あれはいったい何だったのだろう?
おいらは、何をしたのだろう?
よくやったのかな?本当に。
今も、自分に問い続けている。


舞台に向かうとは、そういうことだ。
おかしな騒ぎを起こすなら、ここに入ってくるな。
ばかもの。
苦しくて当たり前の世界だ。ここは。
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2017年09月13日

お前もいつかは本気になる日が来るさ

おいらがまだ中学生や高校生の頃。
ベビーブームで受験戦争なんかもあったし。
学歴至上主義社会で、受験一つで将来が決まるなんて言われてた。
大学に行けば就職できるなんて、普通に親戚に説得されたこともある。

なんというか、息苦しかった。
四角四面だ。
湾岸戦争は始まるし、冷戦構造で核ミサイルの間にいるし、昭和が終わって時代が変わるなんて聞くし。
オウムもそうだけど、終末思想なんて、あちこちにあった。
レールの上を歩かないといけないなんてそんな中、言われていて。

ようするにおいらははみだしたのだ。
テストの点数で将来が決まるなんて、バカバカしい世の中だったら、ごめんだと思ってた。
むしろ、テストになんか本気になる気にもならなかった。
受験ノイローゼで自殺したなんてニュースを見るたびに、誰が殺したんだよ!と思ってた。
本気になれる居場所を探して、芝居の世界に飛び込んだ。

当たり前だけど、芝居の世界に飛び込んだら、おいらなんか、カス以下だった。
公務員を辞めて役者をやってたり、中にはホームレスの役者までいた。
社会人の年齢で、何十年も社会からはみ出している先輩たちは。
レールから飛び降りたばかりのおいらから見たら、化け物だった。
はみ出して、さまよって、芝居に辿り着いて、そこでやっと本気になった人たち。
これしか出来ないもんなんて、何度、耳にしただろう?

それが、気が付いたら、違和感を感じてた。
自分より若い役者たちは、はみだして芝居を始めたわけじゃなかった。
夢を持って、希望を持って、目をキラキラさせて、まっすぐに芝居を始めてた。
何かから逃避したわけでも、社会不適合者なわけでもなかった。
もちろん、否定なんかできない。
だって、まっすぎで、光ってるんだから。
むしろ、おいらは、自分が恥ずかしく感じた。

ライブハウスも変わっていた。
音楽に出会わなかったら、極道にでもなったかもしれない。なんて人が見当たらなくなった。
夢を持って、夢を歌って、希望を持って、恋を歌ってた。
おいらの違和感は、ずっと続いてた。

今のはみ出し者たちはどこにいるんだろう?
今のはみ出し者たちの吹き溜まりはどこなんだろう?
それが、HIPHOPやクラブ文化だったと聞いた。
それも、今は、だいぶ変わったんだそうだ。
まだまだいるけれど、今は、ポップカルチャーに移行しているから。
HIPHOPしかできない・・・なんて子は、どんどん減っているらしい。

それでいい。
夢をもつ時代が来るなんて。
素晴らしいんだから。

でもさ。
今もいると思うんだ。
四角四面に囲まれたあの日の少年が。
戦争の匂いがして、平成の終わりに時代の変化を感じるいつかの少年が。
夢を持てなんて言われても・・・というはねっかえりが。
ネット文化についていけないよ・・・なんていう、スネ夫が。
自分の居場所が見つからなくて、本気になれる場所がわからない、あいつが。
あの日のいつかのはねっかえりのスネ夫のあいつが。

そいつに観て欲しい。
映画も、舞台も。
いつかおいらは脳天に食らったような電撃を、そいつに叩き込みたい。

お前は自由だ!

クリエイターなんて、別にすごくないよ。
役者なんて、かっこいいわけがないぜ。
社会からはみだしちゃって、これしか出来なくて、ここにいるんだ。
今は、わからないよ。
それがかっこいいと思って、そこを目指している人もたくさんいるから。
でも、いつかの、いじけていた、誤解されやすいお前には、わかるだろう?
かっこわるいけど、さまよって辿り着いただけだけど、わかるだろ?

あの頃のおいらに恥ずかしい自分になってないぜ。今のおいらは。
きっと、お前にだって、伝えられる。
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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:49| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする