2017年08月09日

輪廻転生

作品で、人間を描こうとすれば一番簡単なのは、一人にスポットを当てることだ。
その人間が恋をしたり、傷ついたり、暴力をふるったり、そういう中で心の揺れを丁寧に描いていく。
おいらが監督の作品に初めて触れた時、言われた言葉がこれだった。
徳川吉宗という歴史上の人物だったのだけれど、自分なりにこの人物像に迫りたいと言っていた。
その後、劇団の看板である歴史ものでは常に、そこを注意して演じてきた。
長く演じた坂本龍馬も同じ。
龍馬さんの歴史的な偉業を大河的に見せるのではなく、龍馬さんという人物を掘り下げるという作品だったと思う。

人間を描くのは、色々な方法が編み出されてきたけれど。
あえて、主人公を人間以外にするというものもある。
代表的な作品は、恐らくフランケンシュタインになるのだと思う。
人間ではないもの・・・怪物が、かえって、人間って何だろうと考えさせていく。
物語上のこの発見は、鉄腕アトムであるとか、トニートニー・チョッパーであるとか。
他の様々な物語に転化されていった。
人間以外の存在をあえて書くことで人間を表現するという作品は、劇団では意外に少ない。
一番最近やったレプリカベロニカと、大昔にやった2099という作品ぐらいじゃないだろうか?
怪物を描くことで人間とは何かに迫っていくという方法論は、演者には意外に手強いテーマだと思う。
ただ、作家にとっては、実は書きやすいのかもしれないなぁとも思う。

一番、書いていて難しいだろうなぁと思うのが群像劇だ。
様々な人物の、様々な挙動、感情を等価に描いて、重ねていく。
様々な人生の交差点が幾重にも重なって、いつの間にか「人間」が浮き彫りになっていく。
全てのエピソードがかぶらず、それでいて、全てのエピソードがテーマから外れない。
そういう微妙なバランスの元でしか、きっと、それは成立しないのだと思う。

手塚治虫先生の作品のテーマは、輪廻転生でありつづけた。
鉄腕アトムも、ブラックジャックも、アドルフに告ぐも、全てが実は繋がっている。
ブッダという作品で、そのテーマを明確に打ち出している。
そして、生涯をかけて取り組んだ「火の鳥」という作品は、その結晶のような作品だ。
各編は、まったく別の物語として、それでいて歴史上の人物も出てくるような物語になっている。
ただ、明らかに、前の作品の生まれ変わりとしか思えないような登場人物が必ず登場する。
そして、その作品群には一貫して、不死である火の鳥が現れる。
火の鳥は、実は俯瞰の存在で、全ての物語を客観視している存在だ。
全ての物語が繋がっていることを、知っている。
何度も死んでは生まれ変わる人間と、不死のままの火の鳥が、必ず交錯する。
どの物語でも主人公がいるのに、その作品群を読み続けていると、いつの間にか群像劇になっていく。
それぞれがリンクして、輪廻して、あんなやつがいた、こんなやつもいるという解釈に変化していく。
驚くことに、ロボットのロビタに輪廻する人間まで現れる。怪物が主人公の物語も出てくるのだ。
「人間を描く」というありとあらゆる方法論を、全て、一つの作品で表現しているような作品になっている。
結果的に、永遠とは?人間とはなんなのだろう?と、誰もが考えてしまうような複雑な構造だ。

一つの作品で、一人の作家のことを理解したような、そんな文章を時々目にする。
でも、それは多分全く違うのだと思う。
作品群という一つの宇宙をもって、作家は語られるべきじゃないだろうか?

今、デビッド・宮原という作家を評価することが出来る人って、実はとても少ないんじゃないだろうか?
現時点で探したって、いくつかの漫画原作作品と、昔の中古CDと、この映画しか集まらないはずだ。
もちろん、舞台に来れば受付に過去の作品のDVDはあるけれど、それにしたって、一部しかない。
大人数時代の、大掛かりな時代劇などは、噂を耳にするしかできないのだから。
新撰組だって、坂本龍馬だって、いわゆる普通の歴史ものと思われてしまいかねない。
全て一貫して一つのテーマが流れているのだけれど、そこまで見つけられるほど数がないように思える。

そういう意味で。
多分、監督の作品は、もっともっと世に出なくてはいけないんだろうなぁと思う。
おいらたちは、恐らく一番数多く書いてきたであろう舞台作品を良く知っている。
知っているからこそ、もっともっと、残せるようなことをしなくちゃいけないんだろうなぁと思う。
セブンガールズは、監督の作品の中でも特にエンディングが珍しい作品なのだけれど。
それ単体の面白さを、更に面白くするようなバックグラウンドをおいらたちは、体で知っているのだから。

なんというか。
その作品群が持つ匂いというか。
その作品に出てくる人間の匂いというか。
そういうものがある。
この映画がその入口になるんじゃないかって、漠然と思っている。
この映画で監督を知り、この監督の別の作品に触れた時に、わかることがきっとあると思う。

もちろん、役者として、自分の芝居が役立てば、なお良いことだ。
監督が描くこういう物語の中で、自分しかできないなという型もある。
自分には出来ないなという物語ももちろんあるけれど。
それは、監督と同じように、おいらはおいらで、役者としての軸があるからに過ぎない。

今、何を為そうとしているのか。
それは、ただこの映画だけのことではないのだとつくづく思う。

大きな大きな輪廻の中にいるとでも思おうかな。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:56| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

特別な夜

七夕というと7月7日のイメージだけれど。
実は全国的に見ると、8月7日に行っている地域がとても多い。
もともと、太陰暦だった日本の行事で、旧正月と同じように地域差がある。
確かに考えてみれば梅雨時に七夕では、織姫も彦星も中々会えない。
なにせ、日本一有名な七夕祭の、仙台七夕まつりが8月7日なのだから、8月の方がしっくりくるのだろう。
だから今宵も七夕なのだ。

しかも、今日は満月。その上、月食の日。
まぁ、満月だと、空が明るすぎて、天の川なんか東京じゃ見えないのだけれど。
それでも、目視できる月食だと聞いていたから、少し楽しみにしていたのだ。
なんというか、とても特別な夜のような気がする。
なんか、しかも次の新月の日が日食だとかってのもどこかで見かけた。
日食は日本では見れないみたいだけれど、そんなめぐりあわせはとても珍しいはずだ。
今日、明日は、なんかのパワーに満ちている。自然と。
月に地球の影が映る日なんて、特別に決まっている。
天体レベルで起きるエンターテイメント。

だというのに迷走台風がこんな夜にやってきたよ。
洪水警報や避難警報が、何度もテロップで流れる。
7月中に10号まで台風が生まれるなんて記録だなんて言っていたのに。
上陸したのは5号。
こんなに長生きな台風も珍しいなぁと思ってみたら。
この台風、日本の南で、クルクル回ったり、南北に蛇行したり。
なんともなんとも、迷走というには余りにも、めちゃくちゃな進路をしている。
おかげで、現時点でも、今後の進路の予想が全くできていないし、当たっていない。
それも、九州南部海上の時点では、時速10Kmなんていう、自転車並みのスピードで移動。
上陸したら、台風の足は速くなるイメージだったけれど、元がこんなに遅いと陸上でも時速20km。
いつもなら、夜のうちに抜けている台風も、明日の朝、未だに関東に到達さえしていないらしい。
まぁ、そんな予想さえ、どうも怪しいのだけれど。
雨が降りそうでも、自転車で逃げられるなんて冗談を言ってみたり。

でもさ。実はさ。
台風が近づいている時の空が好きだったりする。
不謹慎かもしれないけれど。
ものすごいスピードで雲が流れていくじゃない?
だから、これを書いて、雨が降っていなかったら、ちょっとだけ夏の夜に飛び出そうかな。
それで、流れる雲を観るのだ。
余りにも大きすぎる空を観て、自分はちっちゃいなぁなんて思うのだよ。
それでさ。
もしも。
もしも、ちょっとだけでも、月食で、いつもとは違う満月が見えたなら。
こりゃ、良い知らせが来るなぁなんて、思おうかな。

空一面が曇天でもいいさあ。

おいらの夏休みは毎年、夜にやってくるんだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:25| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

全ての個性がさらけ出された

稽古に行く前に連絡を取る。
先週、ラジオドラマを用意してくれた役者に今週って何かあるかどうか。
ないと聞いて、すぐにネット検索して、とあるテキストを出力して稽古に向かう。

稽古場につくと監督がいなかった。
連絡はしてるけど、返信がないという。
おいらは、そういうのはなんだかやたらに心配になってしまう性分。
なんの返信もないと、何か起きているのかもしれないと考えてしまう。
まぁ、ただの連絡であればいいけれど、来るはずの時間にいなくて連絡がないとなるとそうなる。
すぐに連絡してみてと言ってみると、案の定、体調を崩していた。
ちゃんと食べて、養生してくれたらいいけれど・・・。

監督がいないから、じゃあ、帰ろうかとはならない。
テキストを人数分コピーして配る。
今週のお題は、落語。
短めのをいくつかピックアップして、ただの小噺ではなくて、もう一つ何か乗ってるものをみつけた。
なんと、艶噺。色っぽいシーンがある落語で「目薬」というお題目を選んだ。
いわゆる下ネタだ。
落語に詳しい人であれば、知っているかもしれない。
何ともバカバカしいけれど、演じ方で色っぽくもなるし、大馬鹿な話にもなる。

もちろん、本来なら落語は、覚えて、アレンジして、自分の物にしてから演じるものだ。
そして、ベテランの噺家さんでも、古典落語を自分の持ちネタにするにはとても時間がかかるもの。
それを、テキストを読みながら演じるのだから、当然、表現力は格段に落ちる。
表情で演じたり、体を揺らしてみたり、そういうことも、まだ組み立てに入れられない。
それでも、これは、難しいだろうなぁと、予感していた。
そして、色々な稽古を経験してきたけれど、おいらにとっても落語は初体験だった。

ただ、予想以上にこの「目薬」というネタが面白かった。
誰がやっても、面白い箇所が出てくる。
艶っぽい部分が得意だったり、ばかばかしいところや、対話が得意だったり、つっこみがうまかったり。
元々持っているテクニックで、面白い箇所が出てくる。
もちろん、やってみると、演じた人間は全員、ちょっと苦虫を嚙み潰したような顔になる。
全然、自分が思った通りには出来ないのだ。
それでも、人のを聞いていられる。
なんだったら、ラジオドラマよりもよほど、聞いている分には面白い。
古典落語が、とても、完成された文化である証拠だ。
現代演劇のシナリオで、ここまで完成されたものって、実はないんじゃないかと思えるほどだった。

古典落語で稽古するというのは、実は、ポピュラーだし、最近になって再度、評価されていると思う。
タイガー&ドラゴンというドラマであったり、深夜アニメで落語を題材にした作品があったり。
役者や声優が、落語に挑戦するような場面が、増えてきたというのもある。
ビートたけしさんが、特番で落語を披露したというのもある。
松本人志さんが、実は、毎晩、落語を聞いて寝ているという逸話も最近出てきたし。
ワンピースの作家、尾田栄一郎先生の原点は、少年時代にはまりまくっていた落語なのだという逸話もある。
超の付く一流の人たちが、落語で稽古をしたり、学んだりしているというのはとても大きい。
実は俳優でも、芸人でも、古典落語をやることで、稽古をしているという人は意外に多いのだ。
枕があって、前振りがあって、落としがある。
わかりやすい構造の中で、どこをどう魅力的に演じていくのかという難しさが、あらゆる表現の本質に繋がっている。

一番問題があるとすれば、そこに正解はないという事だ。
どれもが正解であり、どれもが間違いである。
しかも、今日は、完全な客観を持った演出家が不在。
それでは、やる意味があるのだろうか?と思う人も多いのかもしれない。
正直、それをやる意味があるかないかは、全くわからないというのが実感。
なぜなら、そんな中、皆で落語をやって、自分が出来ないところ、他の人の面白い所、それを体感することは。
結局、それを血肉に出来るのは、それぞれに委ねられているからだ。
これは、誰かに教わったり教えたりすることではない。
自分で、学ぶことだし、自分で感じるしかない。
問題点に気付く人もいれば、良かった点だけ見る人もいるし、もしかしたら、ただやっただけの人もいるかもしれない。
だから、やる意味があったのかどうかの結果は、わからないが正解なのだと思う。
結局、必要な人が必要な経験をしているかどうかは、それぞれ次第だからだ。
・・・劇団員の中には、家でもう一回自分でやってみようという役者もいたから、それは確実にプラスだと思うけれど。
ただ、もし今日の落語で何かを掴むことが出来たのなら、間違いなくそれは財産になる。
今すぐ花開かないでも、きっと財産になる。
正解がない中、自分で、正解を探すという経験は、そのまま芝居の血肉になる。

少ない人数で呑む。
芝居の話。
夢のある話。
夢ではなくて、現実の目の前の役者として足りないものの話。
誰それの落語はどうだったという話。
これがプラスであるかどうかではない。
これもプラスに出来るかどうかだ。

外に出ると、ほぼほぼの満月。
本当は明日の深夜かな?
月食があるとかないとか。
特別な満月の日なら、ちょっと楽しみだな。

まだ少しだけ、自分の頭の中でくすぶり続けている落語。
自分の技術的に足りない部分、リズム、パワー。
誰かに褒められたところで、結局反省点ばかりが、後を引く。
いくつになっても、うまくなりたいと願い続ける。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:38| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする