2018年01月07日

笑う事は愛でる事

「笑い」とは、差別の正反対にあるものだ。
少なくても、自分は、舞台表現における笑いというのを勉強してきたけれど。
その中で、そう学んできた。
立川談志さんの言葉を見知って、深く深く納得したこともある。

「笑い」という芸は、常に日常の中にあって、様々な人を力づける。
その歴史はとっても古いし、例えば狂言なんていう能の世界のコントだってある。
人を笑わせることだけを考える商売というのが何年も何百年も続いてきた。

古典落語を読めば、様々な登場人物が現れる。
例えば、どう考えても痴呆老人であったり。
或いは、言葉を覚えられない丁稚であったり。
阿呆も馬鹿も次々に現れる。
逆に、これは驚くことだけれど、お殿様まで現れる。
目の見えないもの、耳の遠いもの、身体に障害を持つ人もザラに登場する。

目黒のサンマという噺では、殿様が一般常識を知らないことを笑い飛ばす。
封建社会であり、身分制度がある世の中で、こんな噺が残っていることが凄いと思う。
けしからん!と身分の高い人が言えば、この噺は歴史に埋もれていたはずだ。
そういう形で消えていった噺もあるのかもしれないけれど、それにしてもそれにしてもだ。
身分の高い人も、この噺を聞いて笑ってしまえば、チャラになってしまう。そういうことじゃないだろうか。

古典落語は。
耳の遠い老人を笑い。
貧しい人の無知を笑い。
文盲を笑い。
痴呆老人のボケを笑う。

これを現代の文化では、差別というのだろうか?
おいらの目には、まったくもって、差別の反対にあるものだと思える。
耳の遠い老人を嫌いなさんな。
貧しい人の無知を軽蔑しなさんな。
文盲を馬鹿にしなさんな。
痴呆老人を愛しなさいよ。
笑いましょうよ。
そういうポジティブなメッセージにしか見えない。
日本における「笑う」というのは「平等」に近い意味だとおいらは思っている。

こんな時代だから・・・。
そういうのは、簡単だけれど。
相手を笑う事は差別だというのであれば、その感覚に対して大反対だし、そもそも軽蔑する。
笑われれば恥ずかしい時もあるけれど、それは嫌っているというのとはちょっと違う。
馬鹿にしているというのはあるかもしれないけれど、そもそも馬鹿にするのもそこまでネガティブじゃない。
自分も馬鹿なんですよという立場で、何かを馬鹿にするのであれば、それは平等だと思う。
もし、何かを笑ってしまうのが、差別だよという時代なのだとすれば、なんと寒々しいのだろうと思う。
心の中で何かを思ったり、嫌ったりすることのスタートは、そういうことなんじゃないだろうか。

実際の経験でもないだろうか?
集団の中で、どうしても、落ちこぼれていく人がいる。
自然と、あいつは・・・という空気が出来ていってしまう。
でも、ある瞬間、よくよく考えたら、面白いんじゃないか?という時がある。
その瞬間、落ちこぼれだった人が、人気者に転化してしまうというようなことが。
もちろん、本人は最初笑われて恥ずかしいとか悔しいとか思う場合もあるかもしれない。
でも、それまでのネガティブな場所とは違うと気付く人もすごく多い。
なぜなら、人気者なだけで、他の人も笑われたり恥ずかしがったりするのは普通のことだからだ。
笑いとは、そういうネガティブなアンバランスを崩す効果を持っている。
とても平等性の高いものだ。

バンドをやっていたから。
ブラックについての歴史も、たくさん触れてきた。
本でも、映画でも、どうしても音楽のルーツを遡れば避けることは出来ない。
だから、その苦しみだって、酷すぎるリンチや、虐待の歴史だって、知っている。
でも、それを乗り越えた文化だって知っている。
黒人と白人の混ざったバンドが、演奏できるステージを探し回ったことだって。
音楽も、映画も、舞台も、文化はあっさりと差別を乗り越えていく。

ホモ夫田ホモ男が攻撃されたのは、それで揶揄われたことのある少年期を過ごした人がいるからだ。
だから、ハードゲイHGに関しては、誰も何も言わずに、なんだったら今もテレビに登場している。
でも、やっていることを観たら、本質的になんにも変わっていない。
むしろ、当時は女性っぽいと言われることが恥だったという証拠でさえある。
けれど、実はそうやって、笑いにすることで、少しずつ社会に浸透したとおいらは認識している。
とんねるずの貴さんで笑っているから、本物のおかまタレントでの笑い方を学んだ。
おかまタレントが、ニューハーフや、女装家や、色々形を変えていって、社会はより受け入れるようになった。
社会が受け入れてからのハードゲイHGは、学校でからかわれる対象ではなかった。
それだけの違いだと思っている。

エディ・マーフィーの格好をして笑うのは不謹慎で。
他の格好をしたら、笑えるというのであれば、その方がよっぽど不平等なんじゃないだろうか?
笑いの対象は人種ではなく、その恰好をしているコメディアンのバカバカしさだ。
それを観て、不快な思いをする人がいるということは、充分に理解できることだけれど。
ネガティブに嫌っているわけでも、阻害しているわけでもない。
もっとずっと豊かなポジティブなことなんじゃないだろうか?
今後それを禁じる事こそ、実は差別なんじゃないかとすら思えるのだけれど。

ハリウッド映画に日本人が時々現れる。
侍であったり、忍者であったり、サラリーマンであったりする。
まぁ、信じられないような描写がとても多い。
それを観て、怒る人もいるのだろうけれど。
おいらの知る限り、多くの日本人は、一緒になって笑っている。
そんな日本人いねーよ!って笑っちゃう。
そういうのを寛容って言うのだ。

ファッキンジャップぐらいわかるよ、バカヤロー!

北野武さん初のハリウッド映画でそんなセリフを書いちゃってたからね。
談志さんもたけしさんも、笑いは怒りをなくすことが出来るようなことを言っているけれど。
あのセリフは、つまり、最高のギャグとして書いたんだって、おいらは思っている。

笑う事は、差別じゃないよ。
もし、笑わないのだとすれば、それが差別だ。
マイケル・ジャクソンの格好をしたコメディを批判する人がいるだろうか?
エディ・マーフィーの格好だけを批判する人は、よくよく考えた方がいい。
安易に批判する人は、笑いの歴史を学んでからの方が良い。
その上で丹念に、理解できる言葉で、伝えた方がよっぽどポジティブなんじゃないだろうか?

笑いにするというのは、「愛でる」という意味だ。
少なくても表現の現場にいる以上、あまり見過ごせないなぁと思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:46| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月06日

深夜のレスポンス

今日の夕方に連絡があって、資料を送ることになった。
一部、待ちなんかもあって、中々送れなかったのだけれど、深夜になってやっと送信。
そしたら、先方から、数秒で受領確認の返信が届いた。
あまりのレスポンスの速さ。
さすがだなぁと思った。

映画製作を通じて、とても良く分かったけれど、レスポンスは本当に大事だ。
なんにせよ、連絡が取れない人というのが一番信用できない。
レスポンスがない人の場合、相手に話が通じているのかもわからない。
更に言えば、レスポンスがある上で、その速さも重要だ。
もちろん、忙しくしている時は、すぐに連絡が出来ない場合もあるけれど・・・。
少なくても、数時間中に、レスポンスがないと、心配になる。
インターネットという便利なものが生まれたのだから猶更だ。
時間がかかる場合は、時間がかかる旨を返信すればいい。
連絡が円滑に進まないと、実は、他に影響も出てくるのだ。

映画製作は細かくスケジュールが刻まれている。
そして、膨大な人数の人間が動いている。
そのスケジュールの中での連絡で、一つのことが遅れれば、その次に進めない場合がある。
セブンガールズで、オーディションなどもやったけれど、レスポンスの良い悪いでとても印象が変わる。
日程の連絡をして、その返信が来なければ、決定が出来なくて、ずるずる他に影響していく。
即答が無理なら、いつまでに連絡しますという返信だけでもしないと、ダメだと良く分かった。

まして、その人じゃなければ成立しないというような役者やタレントでもない限り。
大抵のことは、即答するぐらいの気持ちじゃないと、信頼されない。
この日空いてる?と聞かれたら、空けます!と答えられないと、実は製作側が厳しい。
そういう意味では、早い者勝ちになってしまうような部分もとても多いと思う。
プライオリティが低いのだから、スケジュールを優先されるのは当たり前なのだ。
スケジュールを空けられる人を見つけたら、そこを先に抑えてしまうことは良くある話だ。
待ってもらっている間に、他の人の仕事に決まってたなんて、普通のことだ。

携帯電話が普及する前は、例えばプロデューサーは本当に大変だったと思う。
少なくても、例えばフリーの俳優であったり、ボランティアエキストラなんて無理だったはずだ。
連絡が確実に取れる事務所の安定感が優先されたに決まっている。
個人であればNGが出ても、会社であれば、代理を用意してもらえる。
それに、デスクがいれば、連絡が取れないことだってないのだから。

自然と・・・。
夕方のメールへの返信を、その日の深夜に送ったのに。
「遅くなりました・・・」からメールしている自分がいた。
明日までに必ず送りますと言っているのだから遅れているわけでもないのに。
でも、日程確認すれば、明日には揃っていないと仕事にならないことはすぐにわかる。
ましてや、年末年始を挟んでいるのだから。

数秒で帰ってきたレスポンスには、
「早速のご対応・・・」と書いてあった。
ほっと、胸をひとなで。
そのあとすぐに、この時間まで仕事をしていたのかもしれないと心配になった。
ご迷惑になっていなければよいけれど。
まさか待っていたのでなければよいけれど。

製作側を知ったことで、わかったことがたくさんある。
自分に出来る事って、結局、誠意しかない。
その誠意も、自分の都合に合わせてしまったらなんの意味もない。
相手の都合に配慮して、はじめて、誠意になる。

当たり前ですよと笑われてしまうようなことかもしれないけれど。
自分はレスポンスを大事にしようと、つくづく思う。
当たり前のことを、当たり前に出来る人であろうと思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:28| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月05日

貴重な時間

寒波だ。雪が降るとかやっぱり降らないとか。
そんな予報を耳にする。
仕事始めの人もきっといるだろう。
雪が積もるようだと、正月明け早々、足元に注意しなくてはいけない。

おせちに飽きてカレーライスなんて文化もあるけれど。
そろそろ、餅以外を口にし始めているのだろうか?
自分は、餅ピザなんか創って、ほおばってみた。
あっという間に正月は過ぎていく。

正月番組編成は、昔から好きで、かくし芸大会とかも良く観ていた。
最近は、録画編集した番組が多くなったけれど、それも現代性なのだと思う。
スタッフさんだってタレントさんだって、正月休みを取る。
おかげで、特別ドラマが増えたように思う。
昔の12時間ドラマはもうやらないのかなぁ。
あれはあれで、面白かったのに。
ただ正月番組まで、次期クールの番宣が入るのはなんとなく滅入る。
そういうのとは、少し関係なくおめでたい酔っ払った番組が多かったなぁと思うからだ。

年始の稽古までもう少しになった。
劇場見学をして、そのフィードバックが必要なのだけれど。
まだ、うまく頭の中で整理できていない。
少なくても、大道具の出はけ口ぐらいは、まとめておかないといけないだろうし。
簡単でも打ち合わせぐらいはしないといけないのだけれど。
別作品を同じ舞台で演じる以上、シンプルなセットにせざるを得ないのだけれど。
基本的な舞台構成だけははっきりしておかないと演出が出来ない。
演出に至るためには、やっぱり打ち合わせだけでもしておかないとだ。
漠然と頭の中にはあるのだけれど。
やはり、実際に稽古場に行かないと、話をしないと。
進む話も進まない。
イメージだけでは、どうにもならない。

正月編成の番組で、タレントではなく、役者が話をするなんて機会が時々出てくる。
歌舞伎俳優が対談をしたり、普段、バラエティに出ない女優が、トーク番組に出演したり。
そういう話の中に、何かヒントがないかなぁなんて思って観ているのだけれど。
意外にも、小劇場の世界の俳優と同じようなことを話して、同じように悩んでいたりする。
共有できる悩みだったりすると、何かを学ぶというよりも、共感ばかりしてしまう。
もちろん、それはそれで楽しいのだけれど。
自分の中で飢えている部分に訴える何かを見つけることが出来ないでいる。

これを知りたいのに。
ここを求めているのに。
どこかにそれが落ちていやしないか?
一週間、稽古が空いてしまうだけで、自分の中の軸がぶれるような気になってしまう。
体感して初めて手にすることが出来ることはやはり多すぎて。
言葉や、観るだけでは、掴めない。
新年早々の稽古では、また色々あるだろう。
想像するだけでも。
それまでに、自分の中で確認しなくちゃいけない事があるのに。
解決できないことの方が多い。

特別ドラマをいくつか観ていく。
どれも力が入っていて面白い。
自分ならどうするかなぁなんて考える。
役者としても、製作側でも。
すべて頭の中での出来事。

ちょっと変わった稽古をしようかなぁという気持ちになる。
身体が、感性が、芝居を生む。
そういう稽古を。
間が空いた分、理詰めじゃないことをやりたくて仕方がない。

なんだか、この正月は貴重な時間を改めて頂いているような気がする。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 06:08| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする