2017年11月10日

それを待っているから

「かぶく者」の原作をモーニング誌上で監督が連載していた頃だっただろうか?
監督が、つくづくわかったと言ったことがある。
それは、ちゃんとプロットを立てて、キャラクターも練って、物語を構築したいということだった。
そうじゃなきゃ、ちゃんとしたものなんか、出来ない!と言った。
劇団を運営していれば、公演が終わればすぐに次の公演が迫ってくる。
まして、可能ならば当日パンフレットに次回公演情報だけでも入れたい。
だから、次から次に創作を重ねていかなければいけない。
でも、余り矢継ぎ早なのは、結果的に満足出来る創作が出来るのか?という疑問だった。

それ以降は、新作のアイデアや、プロットが出てこない限り、無理に新作を求めないようにした。
創作者にとって、無理にひねり出して、結果的に満足できるレベルじゃないものを発表するのは苦痛だろうから。
実は、個人的には、ノリだけで監督が書いたような、テキトーな感じも好きだったりする。
だから、おいらは、全然問題がないと思っていたのだけれど。
書いている本人の気持ちを考えれば当たり前のことだなぁと、とても反省したのを覚えている。
結局、次を書いて欲しいというのは、自分の希望というか、甘えだった。
当然、どこまで練っても、どこまで書いても、満足なんかしない世界だけれど。
そして、急いで創作したって、最低限のクオリティはキープしてくれるのもわかっているけれど。
とくに当時は、30人近く登場人物のいる対策ばかりだったのだから、信じられない仕事量だ。

その後も、アイデアがない状態から新作を創作したという機会はあった。
アドリブで構築していく特別公演なんかもあった。
監督本人が作家として、どこまで満足できる環境で書けたのかはちょっとわからないけれど。
そんな公演でも評判の良い作品もあったし、何が良くて何が悪いかなんてわからないままだ。
そんな時は、いつも、書いてもらって平気ですか?と確認してきた。
書けるよ。と必ず口にしてくれるけれど。
あくまでも「書ける」であって、「書きたい」ものがある時ばかりではなかった。

映画「セブンガールズ」のシナリオは、5回も書き直した、今までにはない創作だった。
4度の再演をした作品をシナリオに直し、更にそれを推敲して改訂していった。
撮影環境なども考えたうえでの作業だけれど、それにしても今までこんなことはなかった。
いや、なかったというよりも、出来る機会が環境がなかった。
だから、初長編映画監督という挑戦の前で、公演はやめましょうと提案した。
とにかく、満足するまで徹底的にセブンガールズに取り組んでほしかったから。
あれだけ改訂したのに、現場でカットしたセリフもあるし、編集でのカットもあった。
だから、完成なんてきっと、どこまで行ってもないのだけれど。
それにしたって、急ぎすぎて後悔するようなシナリオにだけはしてほしくなかった。

もちろん、仕事でそんなことは言ってられない。
依頼が来れば、よほどのことがない限り、書くはずだ。
でも、劇団は少し違う。
いわば、自分のアトリエなのだから。
仕事で頂く以上の・・・つまりプロ以上の、こだわりの現場だからだ。
書くと同じ意味で、書かないを選択してもいい場所だ。
だからと言って、再演が決まれば結局1から改訂稿を書き出してしまうのだけれど。
ライター的なことだって出来るけれど、やっぱり作家なのだ。

映画を公開するという事は。
この監督はこういう作家ですと発表することだ。
その先のことを考える。
例え上映規模が小さくてもだ。
もう「書けるよ」で書かせてはいけない。
「かぶく者」の時と同じことだ。
「書きたい」ものがみつかるまで、辛抱強く待つ。
満足できることは、なかなか難しいとしても。
自分の頭の中でプロットを組み立てて、クライマックスを想定して。
キャラクターも生みだして。
最初のシーンから最後のシーンまで、一本に繋がっているような。
それが評判が良いか悪いかも関係なく、そういう作品で勝負をして欲しい。

この冬。
例え伸びても、春までには、上映が決まる予定だ。
そして、来年は劇団の20周年にもなる。
ここで、そういう満足できる作品を発表してほしいと願っている。
じっくりと練って。
もちろん、プロットを書いて寄こせなんて言わない。
監督の頭の中で組み立てているよと言ってくれるだけでいい。
そういう自分で勝負するぞと思えるような、作品を準備してほしい。
そう、監督に伝えてある。
誰もがそれを待っているからだ。
何度も何度も、稽古場で涙を流した、すごい作品を書いて欲しい。
それが大好きだし、いつもいつも楽しみで仕方がない。

セブンガールズのシナリオほどの時間がある機会も環境も、もうないかもしれない。
だとしても。あの信じられない分量のシナリオを思えばこそ。
どう考えても熱量がないと出来ない改訂の数を思えばこそ。
あのまるで全体が一つの詩のような、新しい作品を書いて欲しいと願ってしまう。

その為に何が出来るだろう?
自分に出来ることなんか少ないけれど。
やれることをどんどんやらないといけないんじゃないだろうか?
だって、20年も、数十作も、台本を書き続けてくれたのだから。
これは、監督にとっての20周年でもあるのだから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:32| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月09日

流されながら流されない

昨晩、DVD書き出しをする関係で、外部HDDとの接続などをセッティングしたついでで。
本日は、データの整理を続けている。
今も、1TB近い大容量をHDDからHDDに移して、一本にまとめているところだ。
ついでに、アップデート関連も少しだけ手を付けていく。
さすがに、データ量も多くて、昔に比べれば圧倒的なスピードだと言っても時間がかかる。
動画はやはりデジタル化の中で発展のスピードと、データ量の問題との戦いだ。
4Kだ、8Kだが、普通になった頃には、もっと問題は大きくなるだろう。

フラッグシップが高機能になるのは、実は、とても良いことだ。
同時にローテクも引っ張り上げていくから。
ネット上に溢れている動画の質も、同時に上げていく。
スマフォで4K撮影できるような時代になっているのだから、それもわかる。
フルHDでのネット動画なんて、もうすでに普通になりつつある。
我が家のテレビは、フルHDに手が届くか届かないかぐらいなのに。
こんなに大きなモニタよりも、スマフォの方が高精細になっていて、驚く。
ちょっと前までは美しいディスプレイが売りだったけれど、今やディスプレイが綺麗なのが普通になった。
技術革新は、コンシューマに広がって初めてなのだなぁとつくづく思う。
おかげで、インフラがまだまだ間に合っていない。
データの移動も、映像のエンコーディングも、これから、どんどん問題になって行くはずだ。
革新スピードが付いていっていない。

でも、一番大事なことは、この変化に、自分が付いていっているかどうかだ。
もちろん、深い所までついていく必要はない。
変化に、自分なりについていって、空気感や、価値観の変化を体感できているかどうかというレベルだ。
SNS一つとっても、TwitterでもFacebookでもInstagramでも、観るだけでもいいと思う。
今、そういうものが世の中にはあって、一つの巨大なメディアになりつつある。
大衆の声というのが、集団無意識というレベルを越えつつある。
その空気感を、肌で感じ続けていないといけない。
もちろん、トレンドに流されて、自分の本質まで影響を受けるようじゃ情けないけれど。
今更、自分の根っこが変わることも、まぁ、ないだろう。

情報化社会というのは、ありとあらゆるものを情報化していく。
おかげで、かつては貴重だったはずの情報の価値が著しく落ちていっている。
例えば、どこかのアーティストが、誰それのカヴァーをしたらしいという噂を聞く。
昔は、生で聞いた人の話を聞いたり、こっそりテレコに録音していた音源を発見したり。
伝説化していったはずなのだけれど。
今は、それがネットで広まり、Youtubeにアップされ、共有されていく。
伝説になんかなりっこない。
ああ、あれなら見たよで、終わってしまう。
情報の価値は下がる。
同時に、相対的にコンテンツの価値も落ちていく。
かつては、ダビングすれば劣化するのが当然だったのに、デジタルコピーには基本的に劣化がない。
複製されやすいのだから、当然、コンテンツの価値もそれだけ落ちてしまうのだ。
結果的に、コンテンツは、ただただ消費されていく。

20年前に流行った歌は歌えるけれど、2年前に流行った歌は思い出せない。
そういうことが起きている。
情報化されてから後のコンテンツは、無意識的に自分で消費している。
昔のことはよく覚えているというのとは違う。
昔の映画、昔のドラマ、昔のアニメ、昔の小説。
感性が繊細な時期に観たからという理由だけでは説明できないほど、最近の作品を記憶できない。

次から次へと消費されていくコンテンツ。
でも、製作者たちは、別に昔の人に負けているわけじゃない。
同じように、魂を込めて、気持ちを込めて、作品を残している。
受け取る側が、溢れてくる情報、コンテンツを、無意識的に処理してしまうだけのことだ。
あんなに泣いた映画を、思い出せないなんてことは、かつてはありえなかった。
「君の名は」を観た途端にアナユキが、すごい過去の作品に感じてしまうように脳が処理してしまう。

飲まれるわけにはいかない。
そういうことを肌で感じながら、それでも作品を残していくこと。
まるで滑稽なドン・キホーテのようだけれど。
溢れている情報の中で、本能的な本質的な、自分の核心に触れてくれる何かを求めている人がきっといる。
大量生産される良質なコンテンツの中で、胸が痛むような瞬間を生むことだってきっとできる。

まだデータの移動が続いている。
これはデータだ。
つまり情報だ。
中身はコンテンツだ。
つまり作品だ。
色々な境界線が、曖昧になって行く中で。
自分の立っている場所をもう一度しっかりと踏みしめてみる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:17| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月08日

頬をなぜるぐらいの風を

帰宅して、昨日の続き。
DVD-R DLメディアに書き込んだ。
どうせならと、今、Blu-rayにも書き込み中。
いつ終わるんだろう?とか思いつつも。

なんか懐かしくもある。
自分で調べて、PCに負荷のある作業をさせての毎日だったから。
編集や、字幕を付けたデータの書き出し、毎日、PCと格闘していた。
意外に、イマジネーションが必要な作業で、ここをこうしたらうまくいくな?とかがあった。
それにしても、メディアに焼く方法でもっと簡単なものはないんだろうか?
やはり、アプリケーションを購入しないといけないのだろうか?
今までもメディアに落としたりはしたけれど、毎回、少し悩む。
120分以内であれば、もっと気楽にできたかもしれないけれど。

海外に出したのとは別のヴァージョン。
国内上映用に製作してある本編。
これを書き出す。
出来上がったDVDをテレビでチェックした。
シーンによってはやはり画像が粗くなる。
DVDだと、すでにサイズが4分の1だし、圧縮もかける。
それがどうにも悔しかったりする。
まぁ、仕方がないのだけれど。

映像をテレビで観ると、はぁとため息が漏れる。
もちろん、チェックだから、何分のシーンを・・と飛ばしながらなのだけれど。
撮影した日や、編集した日がすぐに頭の中を駆け巡る。
ここは、英語字幕版ではないシーンなんだよな・・・とか。
スクリーンで見る日には、完全な客観だったりするのかな?
役者たちは、初号試写以来だと、まだ自分ばかりチェックしてしまうかもしれない。

今やるべきことを一つづつ。
これ以上、自分に負荷をかけて良いのか?と思った日もあるけれど。
まぁ、土台、自分のような人間は目の前に何かがないとだめなのだ。
負荷をかけて、ストレスの塊になって、初めて満足するような人間が確かに存在している。

連動して、別のことも考え始めている。
キーを回すには早い気もするし、それでも、エンジンを温めたいという気もする。
全ては、繋がる。
そう思えば、やはり、何かをやらなくてはいけないのだと改めて思い始めている。
何もしなければ、風は吹かないのだから。

昨日のミラクルな出来事を含めて。
風が動き始めているのを肌で感じている。
見逃しそうになるけれど、自分のセンサーを働かせるんだ。
想像もしていなかったようなことが起きるとしたら、そういう見逃してしまうようなきっかけから始まる。
それを、この映画製作を通じて何度も何度も味わってきたのだから。

石を投げてみるか。
それが、水面に波紋を起こすことになるのであれば。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:02| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする