2017年11月13日

本当の勇気

稽古場に行くと客演に出る二人がチラシを持っていた。
なんだか、色々話しかけてきた。
いつも、あいつは、自分が忘れないうちに大事なことを話さないと病だ。
いいよ、後で・・・って言っても、なんかまくして立てていた。
そういう意味でも、久々に顔を合わせる後輩の顔は、相変わらずで。
何とも言えず、面白い。

稽古前に簡単に話す。
いないメンバーや遅れるメンバーもいる日だったから、淡々と。
今週起きたことと、現状の報告と、自分なりに考えていることを少し。
そして、人の意見も聞いていく。
とても厳しい世界なんだなぁと改めて思う。
でも、厳しいのが本来だ。
避けて通ろうとすれば、どこかに齟齬が出る。

稽古をする。
人数が少ない日は、演じる回数が格段に増える。
ほんの1~2人いないだけで、印象として回転数が全然変わってしまう。
演じているうちに、なんとなく、ツッコミみたいになってしまった。
しかも、ちょっと見覚えのあるツッコミ。
台本の構造がトリオコントに似ていたのもあって、自然とそうなってしまった。
一度、そうなってしまうと、修正が効かない。
意図的にそこに寄せていったのなら、万事OKだけれど。
意図せず、そこに行ってしまったのだから、反省点だ。
こういうことは芝居をしているとある。
頭の中に残るいくつかの記憶が、こっちにおいでと誘ってきてしまう。
でも、それは、結局楽をしているようなものだ。
自分でコントロールできていない証拠。ご用心、ご用心。

明後日に、何人かで某撮影現場に行くから、その話も少しする。
待ち合わせや、持っていくものの確認等々。
意外に、こういう話の時は具体的だからあっという間に決まっていく。
そんなものだ。
物事を話す時に、抽象的な段階だと、結局、堂々巡りをする。
具体的な話は、わりに、答えが簡単に出る。
まぁ、答えが簡単に出るという事は、それだけ、残酷という事でもある。
残酷な結果が出る前に、例え堂々巡りでも、出来る話はした方が良い。

稽古後、監督と立ち話。
ちゃんと聞く。
聞きながら考える。
考えれば考えるほど、手足がすくんで、何も出来なくなりかねない。
でも、本当の勇気はそういう所から始まる。
若さゆえの勇気は、無知ゆえの一歩なのだとしたら。
本当の勇気は、手足がすくんで、それでも、重い足を一歩前に出すところから始まる。
今は、その手足のすくみをしっかりと、自分で感じることだ。
その上で、足が前に出ないなら、それは、それでよい。
それを感じることから逃げて出す一歩なんて、なんの意味すらないからだ。
傷から逃げては結局何も生まれない。傷を受けて立っていられるのか自問することが重要だ。

ほろ酔いで話す。
傷についての話になった。
実は、いつも飲むこのメンバーはちょっとした傷を抱えている。
その傷の処理方法がわからないまま、何が出来るか話している。
傷を傷のまま放置して膿んでしまうようじゃダメだとわかっている。
傷の周りから肉ごと抉り出すのか、焼けた火箸を当てて殺菌してしまうのか。
ケアをしながら、自然治癒まで待つのか。
それとも、傷と共に生きていくのか。
放置するわけではなく、必死に向き合っている。何か月も。

帰宅して、録画してある陸王を確認する。
名優たちの織り成す、芝居のやり取りに、心が洗われる。
今期のドラマでは、なぜか10代20代の主演がいないと話題になった。
確かに見てみたら、一人もいなかった。
でも、陸王を観れば納得できる。
ベテランの本物の芝居は、心に落ちていく。
今、安定感が求められているのかな?
ドラマを見る視聴者層が、30~40代だから・・・なんてのは嘘だと思う。
逃げ恥だって、コードブルーだって、10代の子はたくさん観ていたのに。
もっと違う視点で考えた方が良い気がする。

少しだけ。
本当の勇気を、役所広司さんにいただいた。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:05| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

どうせ道は長い

先を観る。
どこまで、先を観るかと言えば、どこまでもだ。
社会全体がどんなふうに変化していくのかも考えるし。
技術革新がどんなふうに進んでいくのかも考える。
そんな中で、自分がどんなふうにこれから進んでいくのかも考える。

映画製作を実行してみようと考えた時に。
クラウドファンディングの話だけでも、中々伝わらなかったのに。
世界に持っていきたいという言葉は、もう先過ぎて、笑いが起きた。
いや、実際に、笑っちゃうような話だったのだ。
映画なんか作れるわけがないという所から始めたのだから。
でも、実際に世界のマーケットに持っていっている。
当初から、考えなければ、そこにすら辿り着いていない。

一番好きじゃないのは、その場しのぎだ。
とにかく、その場を何とかしのいでいこうという発想はあまり好きじゃない。
どうしても、そうじゃなきゃいけない時も、せめて、何が前に進むのか探そうとする。
とくに、自分は思いつきで行動すると言われがちなんだけれど。
実は、思い付きはやまほどあって、その中から選択している。
その基準は、先があるのかないのかだ。

具体的に、先にこうなるかもしれないという事が思いついていたとしても。
それを口に出来ないことも多々ある。
こういうことが起きるかもしれないよとか、こうなる可能性があるぜという事。
それには、余りにも材料が足りなくて、まだ口にもできない段階がある。
映画であれば、映画というソフトが揃えばいいだけだから、荒唐無稽でも口に出来たけど。
例えば、これが評判が良くて、こんなことがあって、こうなれば・・・みたいなのは口にもしづらい。
多くの場合は運の要素が必要だったり、他者の評価が影響する場合だ。
でも、それは口にしないだけで、実は先の先まで考えていたりする。

簡単じゃない困難な道だ。
まぁ、実は困難じゃない道なんてどこにもないんだけれど。
それでも、打ち上げ花火ではなくて。
のちに、一本の線になるような。
そういう選択を常にしていかなくちゃいけない。
恐れずに。

映画の公開日が決まるまでの、この期間。
きっと、踏ん張り時だ。
ここで、もっともっと、更に前に歩めるように。
しっかりとしたものを考えなくちゃいけない。
地味な基礎練習を重ねるように。
同じように、地味に基盤をもう一度考えていかないとだ。

どこまで先を観る?
どこまで深く考える?
どこまでもだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 13:07| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

銀杏並木の下で思う

夕方に小さい子供用の自転車にまたがった少年が目の前に自転車を止めて振り返った。
「さよ、お、な、ら!!」って大声で言う。
向こうに見える何人かの少年がゲラゲラ笑いながら、同じように返していた。
ただのダジャレで、下ネタだけれど。
何が面白いんだか、ゲラゲラと、笑い続けながら去っていった。

でも、その何とも言えない夕方の風景に思わずニヤニヤしてしまう。
まったく自分が子供の頃と変わっていない。
うんこだなんだと言ってはゲラゲラ笑っていた。
犬の糞を見つければ、ギャーギャー騒いでいた。

子供なんてそんなもんでしょ。
ガキの笑いでしょ?
・・・と侮りたくもなるけれど。
それはそれで、実は間違っている。

まだ限られた社会でしか生きていない子供にとって、親というのは絶対の存在で。
おならだとか、そういう言葉を使っちゃいけませんと、家で言われているのだ。
その言っちゃいけない言葉を、「さよなら」という言葉を使って言っちゃう。
ダメだよと言われているものを、工夫して、ダメじゃない言い方をしている。
それが面白いということだ。

大人になれば当然、社会はもっともっと広くなるけれど。
実は、笑いの構造は、そんなに変わっていなかったりする。
言いづらい事、言っちゃいけない事、そういうことを相対化したり逆転することで笑いが起きる。
先輩をひっぱたいたり、社長の頭の上に水が降ってきたり。
綺麗な顔をしたアナウンサーに、女芸人が怒鳴りつけてみたり。
有名な「目黒のサンマ」という落語は、江戸時代に、殿様が無知なことを笑うという噺だ。
社会的に息が詰まりそうなこと、許されない事。
そういうことをあっさりと、笑いは越えていく力を持っている。
思わず笑ってしまうと、許されることが、いくつもある。
もちろん、笑いでやりすごしても許されないこともあるけれど。

コメディ作品の評価が上がったとは思えないけれど。
どうやら、演じ手にとってのコメディの立ち位置は上がっているかもなぁと思うようになった。
それは、多くの俳優が「コメディに挑戦します!」なんて口にするからだ。
笑いは、難しい。
演じ手にとっては挑戦になる。
そういう意識が浸透しているのだと思う。

監督の作品を演じる場合は、当然コメディもやれなくてはいけない。
前半、おかしな登場人物で、後半シリアスになっていくなんてことはよくあることで。
もちろん、お笑い班なんて言って、笑い部分しかやらない場合もなくはないけれど。
最近は、笑いだけみたいな役はほとんどなくなっている。
笑いは構造がわかっていないと、演じることは出来ないから。
実は、わたし、笑いは出来ない・・・という俳優はシリアスも出来なかったりする。
出来る出来ないというのは、あくまでも、テクニカルな意味でだけど。
単純に笑い声という結果がないから、シリアスは結果が分かりづらいだけだ。

監督が意外に若手のお笑い芸人を知っていたりすることがあって。
笑いについては、実は、ちゃんと観てるんだなぁって思うことがある。
演出家だからか、コントをやる芸人の名前なんかが出てきたりして驚く。
積極的に勉強しているという事でもないのだろうけれど、そういう視点で観ているんだろう。

まるで同じネタでも、面白い人と面白くない人がいる。
それと、稽古場ではうけていても、本番ではそこまでの人もいる。
もちろん逆に、稽古場ではうけていないのに、本番では必ず笑いを起こす役者もいる。
それは、純然たる技術だ。
こうやれば、本番で落ちるなと計算して演じているかどうかは、すぐにわかる。
内輪の面白さと、構造の面白さを、区別できるかどうかも大事だ。

さよ、お、な、ら

ニヤニヤしながら観ていたけれど。
それをみて、そんな風に考えていた。
これを見て、やあねぇもぉで終わらせてはいかんのだ。

笑いは、わかりやすく心が動いていることだから。
心が動かない演技も作品も、なんの意味もないのだから。

子供の心が動くのは、そこに、ちゃんと理由があるからだ。

いないいないばあ、で、笑われたときは、結構、本気で悩んだけれど。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:26| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする