2017年09月18日

不真面目を許容する真面目

織田さんと待ち合わせて、ちょっとだけお手伝いに。
終わって、稽古に合流するとまだ始まっていなかった。
今日のテキストは、今や、メジャー劇団と言われる劇団の作品。
そこから2シーン抜き出していた。
1つ目は、ナンセンスな感じ。
2つ目は、なんというか、少しアンニュイな感じ。
どちらも、どう空気を積み上げるかだった。

恐らく正解は何通りもあるのだけれど。
どうやってもいいわけではなかった。
観ていて、ああ、観ていられるなぁというケースとそうじゃないケースがあった。
意味が分からないままやるとしても、そこに存在しないとやはり成立しない。
人間が二人いれば、その関係性が出来上がっていないと、成立しない。
どんな存在でも、どんな関係性でも、それは自由だけれど、ぶれるとわからなくなる。

演じては休憩を取る。
雨の日。
台風の足音。
空を観れば、雲の足が速い。

飲み屋に行く。
相変わらず、芝居の話。
あれはこうなんじゃないか。
あそこがつまらなかったのは、こうだったんじゃないか。

今の地味な稽古を始めてから、初めてその稽古に参加した後輩が同席していた。
こんな地味なことやっていて、馬鹿みたいだなぁって思うだろう?って聞くと。
冗談ぽく、思いますと笑った。
それでよい。
土台、バカみたいなのだ。

真面目は良いことではない。
真面目であることと、不真面目であることは、良い悪いで判断するものではない。
真面目であるがゆえに悪いことだってあるのだ。
不真面目であるがゆえに良いことだってある。
真面目に取り組んだから、それが良いかどうかは、結局、その後にならないとわからない。
その辺が難しいことなのだと思う。
そのぐらいの、大きな目は必要だ。

そろそろオリジナルの台本もやりたいとお願いしてみる。
5分程度の短いので良いから。
今の自分たちのテーマになりうる稽古用台本。
もちろん、無理でも大丈夫なように別の台本も用意しておく。
もし書けたら、それをやるということ。

何故成立しないケースが生まれるのか。
ひょっとしたら、それは真面目側の発想では、答えが出ない可能性もある。
それでも、結局、なぜだろう?と考えること自体が真面目だったりもする。
どっちもどっちもだ。
不真面目の良さを真面目に考えたりするのだからたちが悪いってもんだ。

おいらたちの劇団は、座付作家がいて、作家本人が演出家だ。
だから、作家の意図を直接確認することが出来る。
これは、どういう意図でこう書いたんですか?って確認できるのだ。
でも、それは、実はとっても貴重なことでもある。
原作があって、作家がいて、演出が別なんてことは、普通にあり得ることだ。
だから、作家の意図を直接聞けないことだってある。
今、別の台本を演じながら意図をくみ取り、解釈をしていくというのは、そこを鍛えられる。
もちろん、普段から意識してはいる。
安易に聞くのではなくて、ちゃんと自分で解釈して、芝居で提案しようと話している。
それでも、そこには、答えが用意されている。
今は、作家本人がいないから、答えは用意されていない。
それでも、やっぱり、はっきりと、結果は出る。
答えはわからないのに、成立していなかったり、つまらなかったりという結果は出る。
だからこそ、様々なケースで試しておくことはきっと意味がある。
人生にとっての意味なんかないけれど。

帰宅すると、突風の音。
暴風域も近そうだ。
明日も、芝居に触れる。
まぁ、触れるだけでも良いのだ。
自分の芝居脳が、少しでも回転し続ければそれでよい。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:49| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

泉の源流

クリエイターにとって、処女作区品には全てが含まれているなんて、よく聞く話だ。
セブンガールズは、監督にとって初長編監督作品で、きっと全てが詰まっている。

それでも、クリエイターは処女作品の発表後に作品を作り続けなくてはならない。
最初の作品で評価された人ほど、その後、苦しむことになる。
あれが観たいのに・・・と、言われ続けることになる。
処女作品が最高傑作になってしまって、じゃぁ、その後、どう創作を続けていくんだ?という問題だけが残る。
それでも、クリエイターは、作品を製作し続けていく。
実は、そこに、本当の創作の面白さがあるのかもしれない。

遺作と呼ばれる作品を、いくつ観てきただろう?
それは、処女作品とは違った形で、全てを注ぎ込んでいる。
もう自分の命がわずかだと知ったうえで製作された作品もある。
最近では、デヴィッド・ボウイさんの作品になるのだろうか。
或いは、未完のままの遺作と言うのもある。
手塚治虫さんの火の鳥は、アトム編、現代編を書けぬまま、終わってしまった。
それでも、手塚治虫さんは、病床で、ペンを持ってきてくれと言ったと聞く。

病床にあって。
最後に、クリエイティブになる方々がいる。
何か文章を残したい、何か絵を描きたい、歌を創りたい。
そういう方にとって、創作は、人生そのものなのだろうと思う。
生きること、それは、創作することなんだ。

今、手元に一冊の詩集がある。
一般に流通するようなものではない小冊子。
これも遺作。
作品の内容よりも、作品を残そうと思ったこと自体に、生を感じる。

不思議なことだけれど。
処女作の方が、大抵はパワーのようなものを感じる。
遺作は、なんというか、諦観と言うか、俯瞰と言うか。大きな視線を感じる。
処女作のように何かに怒っていたり、何かにぶつかっていたりするような作品じゃない。
もっともっと、大きな視点で、それでもポジティブな何かを見出そうとしている。
同じメッセージなのに、不思議なほど、感触が違うメッセージになる。

一人の作家の人生を、作品で追うというのは、作品を楽しんでいるようで、作家の生きざますら学ぶことになる。

監督は若手監督と言うには、年齢が高い。
それに処女作と言うには、舞台作品を多く創作してきている。
だから、俯瞰の視点も、実は作品の中にある。
独自の視点で切り取った、角のあるような作品にはならない。
それでも、やはり、処女作だなぁと思えるのだから、やはり、初というのは途轍もないパワーを秘めている。
セブンガールズは、面白いタイミングで製作されたんだなぁと思う。
特に、おいらたちは、舞台初期作品から知っているだけに、とても感慨深い。

何かが生まれてきて。
頭の中がいっぱいになって。
もう、出力しないとどうしょうもないんだ・・・。
そういう状況になるからこそ、クリエイターだ。
創作の欲求がある。
それを、泉のようだと聞いたことがある。
水が湧く泉。
きっと、監督の泉も、こぽこぽと音を立てている。
泉が枯れたような気がすることも、クリエイターにはあるというけれど。
実はそれは、錯覚で、初期の感情の爆発のようなものを越えてしまっただけなのだそうだ。
なんにもなくなって、欲求も、或いはコンプレックスもなくなった時。
泉の源流が、ようやく見えてくる。
きっと、遺作というのは、そういう源流のような作品なんだと思う。

詩集の小冊子に目を通す。
なんだかチンプンカンプンだよ。
まだまだ、おいらなんかには、到底理解が及ばない。
遥か高みだ。
死の淵で、ペンを取り、その体力がなくなれば口述筆記してもらった遺作だ。
そのタイミングで、クリエイティブになった、足跡だ。
わかるはずもない。

おいらはまだ、欲求もあるし、コンプレックスで凝り固まっているのだから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:03| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

メンツが揃う

メンバーだとか、仲間だとか、劇団員だとか、出演者ってよくここに書くけれど。
実際、自分が喋っている時は、メンツが・・・なんて言う。
でもメンツが揃うという言葉の「メンツ」の語源を知らない人が意外に多い。
メンツを賭けて・・のメンツと同じだと思っている人がいる。
でも、実は、全く違う意味だ。

メンツは、麻雀用語。「面子」と書く。
4人でやるゲームだから、人数が欠けていると出来ない。
麻雀はかつて、多くの人がやっていて、一時は喫茶店よりも雀荘の方が多かったという。
そのぐらいメジャーなゲームであれば、自然と、麻雀用語が一般用語になって行く。
その中でも、メンツって言葉は、いつの間にかとっても馴染んでいる言葉だ。
麻雀を友人とやる時も、メンツは?揃うの?と必ず、確認し合う。
結果的に5人になったり、3人で仕方なく三人麻雀をしたりもあるけれど。

麻雀には色々な側面があった。
営業活動に利用されたり、顔繫ぎに使用されたり、家族のコミュニケーションに活躍したり。
ルールの複雑さがあるけれど、その分奥も深いし、博打的要素もあるから、初心者が勝つこともある。
元々、占術から始まったものだから、何と言うか、神秘的な要素を感じたりもする。
それに、アウトロー、ピカレスクヒーローたちの伝説がある。

何と書けばいいのか。
やっと、面子が揃ったね。
・・・そう思えることがあった。
揃うまで、きっと、待っていたはずだから。

寂しいことがあると、寂しい気持ちに支配されそうになるけれど。
いつの間にか、そんな寂しい気持ちから逃げ出す方法を身に着けている。
ありもしない世界を妄想で作り上げて、きっと、そこで幸せなはずだなんて。
でも、どうしても、思ってしまう。
きっと、そっちで、麻雀してるんだろうなぁって。
それで、喧嘩でも何でもしていればいいさ。


面子が揃ってからだな。
そう思うことがある。
やっぱり、欠けているなぁと思えることがある。
タイミングが。
状況、人間、全てが揃う時を。
なんというか、これ以上ないなって状況を、今は、面子が揃ったなんて、おいらは使ってる。

なんだか、色々なことが起きるけれど。
ちゃんと、自分の腹に落としていかないとだ。
一つ一つが、何の関係もないようで、どこかが繋がっているような気もしている。
今、なぜ、今、こうなのか。
それは、連綿と・・・様々な細い道が繋がってきたからだ。
きっと、少年時代や、もしかしたら、親の代まで遡って、今に繋がっている。

秋の空気。
朝晩は、冷えてきた。
木々が、色づいてきたね。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 17:37| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする