2017年05月21日

マーチが耳の奥で鳴っている

ふらりと出かける。
ネットで見かけたイベントが、意外に近かった。
暑い太陽、涼しい風、木陰と草いきれ。
そういえば、そろそろ運動会の季節だ。

本当は一日缶詰めになって、PCをいじるつもりだった。
せっかく打ち合わせたのだから、少しでも、それを形にしたい。
形にしたものを提出したい一心で。
でも、外の空気を吸うのも悪くない。
それはそれで、たくさんのヒントが溢れてる。

それに、まだアンケートも集まり切っていないから、纏められない部分も多いだろう。
出来ることは地道な作業だけだけれど。
それでも、それを今、やっておけば、ここからが楽になって行く。
何十回と重なるかもしれない推敲を思えば、始めておくことこそが重要。
いつものことだ。

暑い照り返しの日光にやられて。
帰宅したら、少し疲れていた。
春雷は夏を連れてきた。
ここ最近は、梅雨前に暑くなる。
夜になると涼しい風が吹くから、余り薄着は出来ないけれど。

夕食を摂ってからPCとにらめっこ。
一歩進んで二歩戻るような、進展があるのかもわからない作業。
それでも、確実に進んでいる。
息切れなんかしない。

難しいものだ。
たくさんの思いが重なって映画が出来たけれど。
観てもらわなければ、何も伝わらないのだから。
じゃあ、観てもらうために何が必要なのかって考えたら。
抜け出せなくなるほど、迷宮は奥深い。

海の向こうで。
誰かが観てくれるだろうか?
誰かが見つけてくれるだろうか?
この国で公開して。
何人もの人が足を運んでくれるだろうか?
どれだけ作品に思いを込めても。
どれだけ作品の力を信じていても。
観てもらわなければ、なんにも伝わらないのだから。

その為に必要なことを少しずつやるしかない。
当たり前のことをするだけさ。

ただ、足を前に出すだけさ。

運動会の季節かぁ。
おいなりさんに、唐揚げ。玉子焼き。
それさえあれば、前に進めたよ。
あんまり好きじゃなかったけどね。運動会は。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:06| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

ラストシーンで誰もが彼女たちを美しいと感じるだろう。

飽食の時代である現代。
物が溢れて、情報にまみれて、まだ少年と言えるような年齢ですら、情報端末を常備している時代。
わからないことは、端末に声を書ければ即答してもらえるし、観たことのない景色だって、すぐに確認できる。
食べる食料と廃棄する食材の量が、さして変わらないこの時代に「SEVEN GIRLS」が上演される。

なぜだろう?

まず言えるのは、この作品が求められたことは間違いないという事だ。
そもそもが舞台作品であり、古くは14年前に上演された作品だというのに、多くの声を頂き再演を重ねたのだ。
もちろん、求めたのは現代を生きる人なのだから、ただ「面白かった」だけではないはずで。
それがいったい、無意識的な部分も含めて、どこから渇望されたものなのか、しっかりと考えなくてはいけない。

作品の舞台は、現代とは似ても似つかない状況下にある。
誰も想像すらしていなかった敗戦。圧倒的な火力による焼野原。健康な男手の不足。スーパーインフレ。
誰もが、とにかく、その日食べるものをどうやって工面するのかしか考えられなかった時代。占領下。
ある意味、現代から見ればファンタジーと言っても良いぐらいのギャップ。
自分たちがこれからどうなるのか?いつまで占領が続くのか?男たちが帰ってくるのか?
何もわからない中、生きていかなくちゃいけない。
夢も、希望も、もちろん恋も、贅沢品だった時代。

こんなことを書くと怒られてしまうかもしれないけれど。
おいらは、そこに、「憧憬」を感じている。
それほど厳しい時代なのに、そんな厳しい時代にどこか、憧れていないだろうか?
男が時々口にする「俺が幕末の時代に生きていたら・・・」に近い感覚。
終戦直後に憧れるなんて、どこか不謹慎に思えるけれど、この場合、時代に憧れているのではないと思う。
映画「三丁目の夕日」の公開時に、「あの時代は良かった」という声が複数上がったのにも違い。
今と比べて”足りない”ことが、どこか、憧れになっているというパラドクス。

それは全て「心」の問題じゃないだろうか?

夢を持つことがぜいたくで。
希望を抱くことがぜいたくで。
恋をすることがぜいたくだった時代。
そんな中で持った、夢や希望や恋が、どれだけ純粋なものだったか。
生きるためにそんなことをしていられないのに、生まれたもの。
その強烈な「心の動き」に、現代から観ても憧れを抱いてしまう。

何が真実で、何が本当か、境界線がどんどん曖昧になって行く。
実際に逢って話さないと、本当のことなんか何もわからないのに。
いつの間にか手紙になって、電話になって、メールになって、チャットアプリになった。
そして、いよいよ、VRの時代が幕あけしている。広大な電脳世界で合うことが出来る時代が近づいている。
どんな時代でも真実を求める人はいたのに、こんな時代に「真実」という言葉の持つ力は反比例して強くなっていく。

極限状態で持った夢。
どん底で見上げた希望。
本能で求めた恋。
どれも、現代人が求めても手にすることが難しいような心だ。
難しいけれど、もしかしたら、手にすることが出来るかもしれない。
或いは、自分の持つ夢や希望や恋だって、負けていないんだと思えるかもしれない。
そういう憧れだ。

この映画の持つ純粋さについて話したときに。
それは、この映画を企画して、製作して、公開に進む、おいらたちの信じられない純粋さの話だったかもしれない。
けれど、それは、同時に、企画の持つ純粋性とリンクするかのように、物語の持つ純粋性と重なっていく。
まぶしいような、人間の持つ美しさがある。

断言できる。

ラストシーンで誰もが彼女たちを美しいと感じるだろう。

これが最大のこの映画の持つ力じゃないだろうか?
それが最大のこの映画が持つ現代へのメッセージではないだろうか?

美しくありたいから。誰だって。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 11:16| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

春雷

昨日の打ち合わせから帰って、少しずつアンケートが集まってきて。
頭の中で、色々と整理されないまま、様々な情報を叩き込んだ。
これでいい。今は。
たくさんの情報で頭をめちゃくちゃにして、それから、一本の線にしていく。
整理されるまでは、混沌で良いのだ。

アンケートを読むと、2種類に分かれていることに気づく。
一つは、自分の見知らぬ誰かに向かって書いている人。
もう一つは、自分に関する誰かに向かって書いている人。
二人称と三人称。
面白いものだなぁ。

ぐわんぐわんしながら、色々なことを考えたと思う。
久々に詩作もする。
とにかく、インプットだけでは済まない状況になりつつあるからだ。

そもそも、プロモーションのコンセプトを考えることが、開いている。
既存の劇団ファンに見せたいだけならば、コンセプトなんかいらないのだ。
この劇団が映画を創った!だけで、充分に通用してしまう。
そうではなくて、外に向かって開いているからこそ、もう一度コンセプトを考えているのだ。
この場合の外とは、海外も含めた、「世界」そのものだ。
世界に向かって、この作品の何を伝えるべきなのかという事だ。

どんな作品でも。
観てもらえなかったら何の意味もない。
観てもらうための宣伝も。
その作品の良い所をきちんと伝えられないのであれば、作品がないのと変わらない。
あますことなく、伝えるには何が必要なのかという事だ。

春雷が鳴った。

毎春のことなのに、驚いてしまう。
夏の夕立の雷鳴は、記憶に焼き付いているのに。
春雷は、いつも、どこか突然意識に飛び込んでくる。
瞬間、おいらは、分離していた。
自己。自らと己と。
等身大に見えた自分はあまりにも、ちっぽけで、ひとりぼっちだった。

スチールを今、いじっていた。
WEB用の素材づくり。
今からやれることだけでも、少しずつ。

雷に打たれたように。
身体がしびれている。
何か、一本の道が、目の前に開けている。
この道を行けば良いだけなのだ。
春雷に、何か目覚めた。

破裂しそうだ。
爆発しそうだよ。
そういうものが、今、おいらの体の中でぐるぐる動き回っている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:07| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする