2017年05月24日

群像劇

空いた時間を使って、少しずつWEBを構築している。
一番大変なのは、写真選びだ。
スチールは膨大な数があるけれど、実際に選ぶとなると非常に困難だったりする。
特に、キャスト紹介の写真にとても苦労している。

そもそも役者の正面は、撮影カメラやスタッフさんが動いているのだから正面の写真は数えるほどだ。
だから、何人かが映っている写真を切り抜くことになるんだけれど、ピントが他の人にあっていたらもうだめだ。
基本的に綺麗な顔とかよりも、なるべく芝居をしている写真をどんどん選んでいるけれど・・・。
良いアングルの写真で目をつぶっていたりすると、とっても、ガッカリくる。

それにしても・・・

他の映画のHPを参考に作っていたのだけれど。
なんと、登場人物が多い作品だろう。
こんなに、たくさんのキャストが出演している映画って、そうそうない。
大作で、この人数が出演しているかどうかだ。

キャストを並べていくだけで、なんだか得体のしれないパワーを感じるのは数の力かもしれない。
今、このキャスト数で、群像劇を書ける作家って、そんなにいないんじゃないだろうか。
もちろん、シンプルに映画にするのが難しいというのもあるのだろうけれど。
群像として、それぞれの役にバックボーンがあって、エピソードがあるなんて作品は中々ない。

日本人から見れば、もちろん、すぐにわかるだろうけれど。
海外の人が観ると、日本人の顔も判別が難しいなんて聞いたことがある。
そうなると、この群像劇はとってもわかりづらいのだろうか。
こればっかりは、実際に観た人の意見を聞かないとちょっとわからないけれど。
ただ、恐らく、海外の作品でも、ここまでの群像劇は最近はないんじゃないだろうか。
だから、逆にそこを面白がってくれるといいなぁなんて思う。

だから、実は、この作品は、物語の持つ構造から、すでに売りなんだなぁと思う。
そして、恐らく、何回見ても発見のある作品になっているはずだ。
映画の動員もリピーターというのがとっても大事になっていると聞く。

このパワーが解放される日が、やってくるのかと思うとドキドキする。
公開が決まって、それを発表する日にはHPも公開することになるだろう。
それまで、少しずつ、ああでもないこうでもないといじり倒していく。

一言で語れるキャッチコピーが必要だけれど。
とても一言で語れるような作品ではないのだなぁと、改めて思った。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:42| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

戦争の気配

劇団員から集めたアンケートの項目に、
「なぜ今、セブンガールズか?」という内容の質問を入れておいた。
それは加藤Pから、おいらが聞かれたことの一つ。
皆の意見がどうなるのかとても楽しみで、そして皆、回答に苦労したのが分かった。

実はおいらが聞かれたときのような答えが一つもなくて。
ちょっと驚いているのだけれど、劇団員がそれぞれ、戦争の気配を感じていたことだ。
戦争になるかもしれない今、セブンガールズは大きなメッセージになると。
そんなに、皆が、戦争の気配について考えているなんてちょっと驚いた。
もちろん、全員の答えじゃないけれど、そういう答えがいくつも見られた。

方向はネットと同じ。
両方向だった。
一つは、外的要因。
もし、隣国が暴走したら・・・、もし、同盟国が制裁をしたら・・・
自然に成り行きで日本も戦争に巻き込まれていくという心配。
もう一つは、内的要因。
今の日本が右傾化していってるんじゃないか?戦争を出来る国になりつつあるんじゃないか?
もちろん、その両方向を同時に心配している人もいた。

意外だった。

・・・というのも、おいらは、まだ戦争の気配をあまり感じていないからだ。
戦争をしたがっている人がいるとはとても思えないでいる。
もちろん、ネット上でも、ニュースでも、そんな雰囲気を出しまくっている。
保守は当然のように、何があってもおかしくないと宣伝しているし。
野党は様々な法案提出を戦争に結びつけて宣伝し続けている。
確かに、この1~2年で、戦争という言葉が、ものすごく近い存在になっている。
そりゃ、誰だって、戦争について考えるし、戦争が近いんじゃないかという恐怖を感じるだろう。
もちろん、どの可能性もゼロではないし、絶対安全だなんて誰も言えないけれど。
けれど、戦前の雰囲気とはやっぱり違うなぁと思う。
だって、市民の誰も、戦争をしたいなんて思っていないのだから。
政府に向かって、鬼畜米英を駆逐せよ!なんて、その辺のおっちゃんが言ってた時代とはかけ離れている。
戦争の気配というのが本当にあるとしたら、集団的ヒステリックで、北朝鮮を叩け!となっているはずだと思う。
右翼でも、中々、叩けとまでは、発言しづらい雰囲気のこの国に戦争の気配をおいらは感じていない。

ただ、いつも一緒に稽古をしている劇団員すら、そんなことを思っていることに驚いている。
・・・というのは、劇団員はもうれっきとした社会人で、大人だからだ。
世の中の雰囲気が、戦争になってもおかしくないのかな?という状況にあって。
大人までその雰囲気を受信しているという事は。
自分に省みた時に、恐らく、今、10代の若者たちは、もっともっと敏感になってるぞって思うのだ。

おいらが10代の頃、イラク戦争があった。
あの日は眠れなかったよ。
深夜にテレビ放送で、空爆の映像が流れ続けたんだ。
あの時、大人たちよりもずっとずっと、おいらたちは、戦争を恐れていた。
ビクビクしていたのかもしれない。
ブラウン管の向こう側のことだと逃避するか、とにかくネットもなかった時代だからニュースを読み続けるかだった。
おいらたちが生まれた世界の戦争は、すでに、それまでの戦争とは意味が違っていた。
剣や鎧の時代は過ぎ、戦車や飛行機の時代さえ過ぎ、ミサイルの時代に入っていた。
イラク戦争時のスカッドミサイルをみて、人生なんて思ったよりも軽いんじゃないかなんておいらは思った。
同級生が反戦のビラを撒いていて、高校生なりにショックを受けたりもした。
ミサイルが落ちてくる夢を何度も見た。

大人が考える以上に。
多分、今の10代の子たちは、この戦争の雰囲気を敏感に感じているよ。
それだけは間違いがない。
集団的自衛権の時のデモでも、10代が数多く参加していたけれど。
ミサイルへの恐怖は、大人以上のはずだ。

自分は思っている以上に、大人になっている。
現状を、冷静に見たり、歴史を振り返ったりしている。
このセブンガールズも、そんな戦争の雰囲気と繋げて考えていなかった。
むしろ集団ヒステリーや、共同幻想を、見極めようとばかりしていた。
自分は社会の雰囲気に飲まれたくないからだ。
第二次世界大戦時の日本人のようになりたくないからだ。
けれど、ちょっと、読みが甘かったのかもしれない。
あるいは、マスが作る雰囲気が、とってもシリアスなのかもしれない。

現実にはアメリカの株価大暴落や、中国の経済破綻なんかがない限りは、そこまで行かないなんて思っていた。

そういう社会的雰囲気が作られてきた2017年に、この映画は発表されるのか。
それはそれで、考えなくちゃいけないことだなぁと、思い直しているところだ。

政治利用だけはされたくないな。
そんなことも、同時に思っている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:06| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

もっと作品の奥に奥に進みたい

アンケートをお願いしてから初の稽古。
これで、あと数人を残す感じか。
この結果がプロモーションの参考になるといいけれど。
監督とも少しプロモーションについても話しておく。

監督は作家だから、当然、伝えたいことや作品に込めた思いがある。
難しいのは、それとプロモーションは必ずしも同一にはならないことだ。
プロモーションには「営業」の意味を含んでいる。
例えば地方の映画館に営業に行くときに、伝えたいことや思いだけでは、営業にならないのだ。
或いは、一般の、この作品を何も知らない人に、テーマを伝えてしまうのは非常に勿体ない事だ。
作品を観て、感じて欲しいのが、テーマや思いなわけで、先に知っているべきものでもない。
その辺がとっても難しいものだなぁと感じる。
監督が書くあらすじと、プロデューサーが書くあらすじには、大きな隔たりが生まれるだろう。
だからなのか、映画のHPでは、大抵、映画監督からの「コメント」ぐらいしか掲載していない。
まったく、コメントすらないHPも、非常に多かったりする。

とは言え、よりシンプルなプロモーションポイントがあるわけでもない。
例えば、今、乗りに乗っている若手俳優の某が出演しているとか。
例えば、某という女優が初の濡れ場を演じたとか。
例えば、1000人斬りの大立ち回りとか。
そういうシンプルなやつだ。
もちろん、これから、どこかの映画祭の冠が付けばそれは、シンプルな売り文句になるのだけれど。
そういうニュースが届くまでは、少しだけシンプルではないポイントが並んでいる。
だから、監督の思いも、やはり、一つのポイントとして持っているべきだ。

パンパンと呼ばれた娼婦たち。
ヤクザの金を盗んだ男。
声を失った戦災孤児。
行き倒れの男。
帰還兵。
パンパン小屋に通い詰める役人。
パンパン小屋をなわばりにするヤクザ。
関西からやってきた愚連隊。
少ない薬を持って、走り回る医師。
女性運動家。アメリカ兵。となりのパンパンたち。
こうして、登場する人物を書き出すだけでも、芳醇な物語が潜んでいることはすぐにわかると思うのだけれど。
その情報量、芳醇であればあるほど、中心点が見えづらい部分も出てきてしまう。

舞台の稽古を観ながら。
この舞台を広い場所でアナウンスするとしたら、どこを押すのだろうなぁ?なんて考えてみた。
そうやって、少しでも、思考回路を広げておこうと思ったから。

舞台の台本もいよいよクライマックス直前だそうだ。
ここから一気に佳境に入っていくはずだ。
どんな風にまとめていくのか。
おいらは、映画のことを毎日やっている分、舞台で、手を抜くわけにはいかない。
両方、しっかりやるからこそ、自分でいられるのだ。

一つ。
これだというワードが思い浮かんでいる。
ここを少しずつ広げていけたらなぁ。

さてさて。
今日はここまで。
気付けばカンヌも折り返し地点に入ったんだなぁ。
「SEVEN GIRLS」という作品は旅をしている。
おいらたちが、シモキタに向かっている、今、この時も。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:41| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする