2016年03月13日

部屋を暗くしただけでドキドキしてたのに

創作者たちの残滓.jpg
「創作者たち」
子供の頃の記憶だ。
おじいちゃんちで、部屋を暗くして、スクリーンを広げて、映写機を回した。
カラカラ音がした。
8mmカメラで撮影されたそれをみた。
まだ子供だったから、記憶は少ししかない。
映画監督を目指した従兄弟の作品だった。
フィルムに焼かれたそれは、テレビとは全然違うものだった。
部屋を暗くするだけで、なんだか、違うとわかった。

今はデジタルが主流になった。
動画とはつまり連続した写真のことを言う。
教科書の隅に書いたパラパラ漫画は、いわゆるアニメーションの原理だ。
レンズから取り込んだ光を写真データとして記録する。
昔はそれがフィルムだった。
映画は35mmのフィルムが1秒間に24枚分の写真を撮影する。
同じように1秒間に24枚の写真をパラパラ漫画のように連続してスクリーンに映し出す。
それが、動画で、映画になった。

シネマスコープサイズと言うのがある。
今は、DVDやテレビを見るときに、すっかりワイドテレビが主流になってる。
昔はもうちょっと正方形に近くて、厚みがあったテレビだったのに、すっかりテレビは変わった。
通常の家庭にあるテレビは、4:3の比率だった。
今のワイドテレビは16:9と言われる。
縦に比べて、横に約1.5倍の広がりがある。
シネマスコープサイズとは、映画館でCMの後にカーテンが更に広がる例のサイズだ。
2.35:1やら、2.55:1やら、実は色々なサイズがあるらしい。
今のモニタ環境で言えば、21:9だという。
縦に対して2倍以上の広がりを持つ。
映画館のあの圧倒的な臨場感は、いわゆる人間の視野角のほぼ全てを映像世界にしてしまうサイズだ。
より映像に没入できるように工夫を重ねてあのサイズが生まれた。

35mmのフィルムは変わらないのにどうやって、シネスコサイズにしたのかと言えば。
それは、レンズでゆがめたのだという。
つまり、35mmのフィルムに、ワイドサイズの映像をレンズで縮めて焼いていく。
(結果的に、フィルムに映っているのは全て潰れた映像になる。人物が不自然に縦長になったりする)
それを今度は、映画館で映写するときに、もう一度レンズでゆがめて広げる。
そうやることで、35mmの全ての領域を使用して、映像を残せた。
映画館での没入感をより高めようとした、工夫だ。
テレビで放映されると端が切られるとか、絵を潰されるとか、監督によっては様々な悩みを生んだ。
それでも、映画をより面白くするために、アナログの中、最大限の工夫をしたという事だ。

それが今はデジタルの世界だ。
撮影してしまえば、その後の処理でも、どんどん加工できる。
フィルムを切ったり貼ったりするわけではないからだ。
たった1コマを切り出して、リズムを変えたりするのも、PCモニタ上で出来るようになった。
それどころか、1秒間に60コマで撮影して、後から映画と同じ1秒間に24コマに落とすことも出来るようになった。
大きなサイズで撮影しておけば、上下をカットすることで、シネスコサイズもワイドサイズも自由自在だ。
革新は今も続いていて、4Kどころか、8Kだとか、HDRだとか。
アナログ時代と同じように没入感を更に上げるための工夫がされている。

それどころか、今年はVR元年になるだろうという予測さえある。
いわゆる、ヴァーチャルリアリティ。
ゴーグルをつけると目の前に映像が広がる。
まさに視野角いっぱいの映像どころか、視野の全てを映像にしてしまうという。
それもどこかに行くわけでもなく、ゴーグルに出来るほど軽い。
更に驚くのは、右を向けば右側の、左を向けば左側の映像が展開する。
手を動かせば、道具を掴める。
そういう映像の時代に突入したのだ。
それを一般家庭でも購入できるようになるのが、今年だ。
試しでつけた人たちの感想は、全て、異常な没入感を口にしている。

映画とは技術だ。
そういう側面がある。
写真が動画に発展した時に。
これをエンターテイメントにするために様々な工夫が投入された。
今も、様々なアイデアが生まれて投入され続けている。
3Dになり、4Dになり、サラウンドになり、ドルビーになり、立体音響になる。
映像は高解像度化され、音楽もチャンネルが増え、分解能も高くなっていく。
映画と共に発展した技術が山のようにある。
技術を観たいという理由で、映画館に行く観客層すら確実にいる。

舞台にももちろん、デジタルの波はたくさん来ていた。
照明卓、音響卓、暗転時のモニタ環境など・・・。
他にも、舞台中の映像利用なども増えている。
けれど舞台はそこまで大きな波が来ていない。
まぁ、当たり前だ。
目の前で、実際に役者が演技をするという、アナログの極致を中心としているのだから。
それでもね。
映画と舞台は、実はずっとずっと、同じテーマで悩んでいたんじゃないかって思うんだ。

いわゆる没入感。
目の前のお客様が、映画の中にぽんと入るような視野角全てを映像にしたり。
流れてくる音響がどんどん、立体的になっていったり。
全ての技術が目指した先が、没入感なのだとしたら。
ああ、なんだ。舞台もそれで悩んできたよ。って思う。
アプローチが技術ではないだけだ。
演技だったり、台本だったり。
目の前で行われる明らかに台本がある・・・先が決まっている・・・作品に感情移入してもらう。
その為には、どんな芝居が必要で、どんな嘘と、どんなリアルを、混ぜていけるか。
そういう工夫を、色々な劇団が、色々な演出家が、たくさんの役者が、してきたんだ。

いいとこ取りだぜ。
全てがうまくはまれば、お客様は終戦直後の街に立てるんだ。
そのぐらいの没入感を創れるかもしれないと思う。

昨日のアトリエの事務所で撮影した写真を見る。
レスポールが、カセットテープのカラオケマシンに刺さってる。
その上には蚊取り線香。
その後ろにはばかでかいスピーカー。その横にアンプ。
そして、石油ストーブ。
時が止まったアトリエには、アナログが溢れてた。
全てのクリエイトはこういう場所から始まった。

技術の為の技術にならないように。
舞台が目指した没入感も大事にしないとな。
そんなことを思う。

作品世界に。
より、作品世界に。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 12:37
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