2019年06月10日

エアポケット

稽古日
稽古場に集まって稽古をする。
ずっとずっと続く。

久々に台本を手にしての稽古。
と言っても新しい台本があるわけじゃない。
公開前に上演したオムニバス公演の監督の台本だ。
映画公開前という事もあって自分と金子透と監督の3人が作演出を分けて役者も分けての3作品の上演だった。
だから稽古はともかく、本番では演じていない役。
実際には、稽古の割り振りまでは全員が稽古した台本だったけれど。
それでも本番前に演出や改訂が入っていて、それ以降は本役以外は演じていない。
そして3つに分けたこともあって、二人芝居のシーンが多かったこともある。

それぞれに演じていく。
正直に観てそれほど内容のある芝居になっていなかったと思う。
とにかく演じてみるという場所の中で演じているなぁという感覚。
皆が稽古したくてうずうずしていたんじゃないかとも思っていたけれどそういう感じでもなかった。
それはそれで必要な通過儀礼というか時期なのかもしれない。
自分なりに、とにかくまず稽古をして、その先を想像するという方向に向かう。
いつだって建設的に前に進まなくては面白い事なんか何も起きない。

うちは休まないのだ。
基本的に月に4度の稽古が必ずある。
舞台公演予定が決まって台本があれば別だけれど、それがない時期も稽古はある。
そんな時は基礎鍛錬をしたり、必要な作業をしたり、課題を見つけて取り組んだりする。
カメラを構えて撮影してみたりもする。
そうやっていつ何があっても役者脳であり続けるようにしている。
今の自分たちに出来ることは何か?は、少なくとも大事な命題の一つ。
次の舞台の台本が出てくるのはまだ先だろうし、もちろん次の映画製作などはまったくの未定。
だとしたら基礎鍛錬なのか、あるいは別の何かを企画していくべきなのか。
やると決めたら、本気で取り組んでいくとは言え、それまではしっかりと現状を把握する。
今はまるでエアポケットにはまっているような時期なのだ。
向かうべき作品がないまま、それでも向かう場所を想定していかなくちゃいけない。
目に炎が灯るために必要なピースがいくつか足りていない。
稽古中、ぐるぐる頭の中が回っていった。
でも多分そのエアポケットは正しいぞと。

編集が終わった後もまるでエアポケットのような時期だったかもしれない。
まず最初にしたのが、音楽の吉田トオルさんに編集後の映像を送ることだった。
カット編集をしただけでは作品は完成しない。
そこに音楽が乗って、映像の色味の調整をして、整音をして。
そうやって映画は出来上がっていく。
トオルさんは、撮影前にロケ地を訪問してくれて、撮影中も見学に来て。
いや、それどころか撮影よりも前の段階で既に出来ていた曲もあって。
過去の舞台の音源の数倍の曲数を用意してくださった。

多分、音楽の乗っていないセブンガールズを観たのは、監督とトオルさんとおいらだけだ。

その日からは吉田トオルさんとのやり取りの毎日だった。
毎日タイムコードと一緒に楽曲が届く。
楽曲を映像に合わせて書き出したものをトオルさんに返す。
それに更に直しが入ったり、新しい楽曲が届く。
トオルさんのスケジュールが空いている日はお互い深夜までやりとりをした。
メール、メッセンジャー、電話、その往復。
音楽が届けばなるべくその日のうちに映像を返すようにしていった。
監督に会える日は音がはまった映像を確認してもらった。
音楽制作のアプリケーションと、映像製作のアプリケーションは別のソフトだから。
最終的にコマ数で合わせてもなお微妙にずれることもあった。

トオルさんが映画の音を創るのは何度かあったはずだけれど。
こんなに何往復もしたことはなかったんじゃないかと思う。
かつて劇団でショートフィルム企画を立てた時に自分の映像に音楽を付けてくれたけれど。
あの時の音源も一発でOKだった。
それぐらい微妙なタイミングだったし、映像とのシンクロ率が高い音楽だった。

実は自分は少し逆のことも考えていた。
トオルさんから先に何曲かもらって、その曲に合わせて編集するということも出来るからだ。
もちろん、それにしたって後から音楽を再度変更することは可能なわけで。
最近で言えば「君の名は」が音楽に合わせてのカット編集だったことが有名だ。
監督は音楽畑にいた人だから面白い編集が生まれる可能性もある。
でもそれは結果的には叶わなかった。

監督にとっては束の間のエアポケットだったはずだ。
全体像が見えるまで監督から細かい指示はなかった。
その代わり、音が全てはまってから、もう一度監督と一緒に編集に入った。
その全体像を観てもらって、触ってもらった。
映像のタイミングをいじるよりも、むしり音出しのキッカケのアイデアなどが多く出た。
もちろんそれをまたトオルさんに返して、確認してもらった。
いや、3人一緒にやれば早いんじゃないの!?という本音は心にしまい込んで。
二人の秘かなキャッチボールを淡々と自分なりに昇華していった。
お互いがお互いのアイデアを咀嚼する時間まで共にするとは思いもしなかった。

音楽がはまれば、明らかに映画は完成に近づく。
過熱した編集のやり取りがあって、その後の音楽の時間があった。
あとは、整音と色で通常は完成するのかもしれない。
でもその前にもう一つやるべきことがあった。

その段階まで来てからプロデューサーに観てもらうことにした。
まず間違いなく映画は第三者の意見を聞いた方が良いと思う。
それを参考にするもしないも含めてだ。
色味の調整や整音をしてからでは、編集範囲が限定されてしまう。
その前に、意見があったらもらうべきだと思っていた。

ゼロ号。

まだ誰も知らないセブンガールズという作品。
それを見る人がもう一人増える日だった。
初めての感想を誰かからもらう日だった。

一つのことが終わって、その次に向かう準備の前の時。
ん?あとは何をすればいいんだっけ?
そんなエアポケットにはまる時がある。
わたしは何をすればいいの?僕は何をすればいいの?
実際に、この編集の時期、出演者たちに出来ることは殆どなかった。
音楽をつけている間は、監督にすら待ってもらうしか出来なかった。
自分はそんな時間帯って意外に重要なんじゃないかって思っている。
かく言う自分は全然休みなく淀みなく進んではいるのだけれど。

そこで慌てて動き出してしまえば、一歩間違えると軸となる魂のないものになることだってある。
すぽんと何か空気が抜けてしまったような状態になった時に。
ゆっくりと深呼吸をしてみることだって大事だ。
そこで自然と産まれてくる何かを上手に掬い取るからこそ、次に走り出すことが出来る。
音楽が揃うまで待っていた監督はそこから一気に仕上げに入った。
その間に思いついたこともいくつかあった。

多分、今日の稽古でどこか中身のない芝居だなぁと感じたのは正解なんだと思う。
人間の進む道は入りくんでいる。
ふと立ち止まることもあれば、路地裏のような場所にたたずむ日だってある。
今、セブンガールズの上映期間が終わって、再上映を祈って。
稽古を再開して、そこに役者の本能だとか、あるいはやっぱり魂のようなものだとか。
今、ベクトルが定まっていないからこそ、次なる指標を掲げることが出来るのだ。
それがわかるからこそ、やっぱり稽古をするべきだ。

しゅわしゅわと脳内で泡立つモノがある。
それが具現化するのはいつのことだろう?
そう遠い日の話じゃない。
自分はいつだって建設していく。
今日感じたことは、かつてどこかで感じた何かのはずだから。


映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
上映期間終了 皆様ご来場ありがとうございました。

■SNS

紹介記事

■Twitter連動企画:下記の赤文字2行を貼り付けて140文字以内でセブンガールズをご紹介ください
 PVと公式アカウントのリンクが付いた紹介文がTweet出来ます!
#セブンガールズ紹介してみた
pic.twitter.com/hv23Ma0t0f
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:48| Comment(0) | 夢の彼方に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月11日

清酒とどぶろく

前々回の稽古場でのミーティングからじっくりと考えていて。
いや、まぁ、その前からずっと考え続けていて。
昨日の稽古と、その後のそれぞれ稽古で感じたことを耳にして。
一晩寝てまた考えていったらようやく自分の中でスッキリとし始めた。
そんな時はすぐに監督に連絡をする。
自分はこういう方向で行きますよと。
きちんと誰に聞かれても説明できるぐらい固めて、核となる軸を創って、自分の中で固まるまではあまり言わない。
なんとなく会話をして、なんとなく感じて、提案もして、そうやって少しずつ修正を重ねていく。
結果的に自分がどれだけの覚悟でどれだけの責任を背負えるかだからだ。
それでも、大事なことは押さえていかなくちゃいけない。
最初に自分が思い描いていた景色と出てきた答えはかなり変わってしまったけれど。
そういう変化はむしろ受け入れる。

その上で皆にも連絡をする。
どうもうまく説明できないけれど。
自由というのはかくも説明できない。
説明出来ないからきっと表現があるのだけれど。
どう伝わっているだろうか?
それも含めてでいい。

セブンガールズも同じようなものだ。
編集が終わったら、プロデューサーに観てもらう。
それは最初から決めていたし、最初からお願いしてた。
自分が編集をした映画を誰かに観てもらうのがこんな気分なのかと初めて知った。
自分がそうなのだからきっと監督はその何倍も複雑な気分だったはずだ。
恥ずかしいとも違うし、なんといえばいいのだろう?
少なくてもステージの上の緊張とはまるで違うものだった。

今、思えば。
プロデューサー側だって大変だし、緊張はしなくても使命感の必要な日だったはずだ。
観て終わりで済まない。
初見の感想、何かは絶対に言わなくちゃいけない立場なのだから。
ハッキリと言えば、映画作品は観客として出会うことが一番幸せなのだと思う。
何もなく楽しめるし、好きなように意見だって言える。
けれど自分の名前が出る映画で仕事として意見を言わなくちゃいけないというのは大変なことだ。
何も言わずに、いいんじゃないですかぁ~!ってわけにはいかないのだから。
そして意見を求めているのは自分たちなのだ。

いくつかの提案があった。
時々名画やヒット作で「ディレクターズカット」というのが発売されたりする。
ディレクターとは監督なのだから、なんじゃそりゃ?と思うかもしれない。
けれどどんな映画だって、実際には複数の意見を聞いて直しをいれるという時間がある。
プロデューサーだけならまだしも、映画祭ディレクターからの要請だってあるのだ。
大きな映画になればプロダクション側からの意見もあるかもしれない。
完全無欠に監督が思ったように!じゃないのかよと思うかもしれない。
でも、それは間違っている。

どれだけ俯瞰の視点を持とうと思っても。
どれだけ客観的に映画について考えたとしても。
どうしたって監督はどんどん映画に思い入れを持っていく。
例え観客がわからないような部分でも拘りが生まれていく。
客観の意見を聞き、直すことは間違いなく作品を向上させることだと思う。
かつて自分がショートフィルムを監督した時も、舞台演出をした時も必ずそういう視点を入れた。
自分の内部だけで完成させることは非常に危険だからだ。
自分たちの舞台だってそうだ。
舞台本番が始まって、お客様の反応を見てから演出を変えることなんて当たり前のことだ。
だから映画のディレクターズカット版は、ファンアイテムなのだと思う。
一般のファンではない人が見たら、通常版の方がわかりやすかったりするものだ。

だからと言って全ての意見を取り入れるのかはまた別の話。
ちゃんと仕事としていってくださった意見をないがしろにしないで一つずつ検討していった。
それからもう一度監督と編集に入って、課題だった箇所に直しを入れていった。
答えが見つからない場所は保留して、直せるところから手を付けていった。
とりあえず直してみて、それを再生して確認する。
これじゃなかったか・・と元に戻して、もう一度やり直す。
そんなことの繰り返しだった。
そしてそれがほぼ最終の編集になった。

出来上がったデータを書き出して、映像と音声をそれぞれ、色調整、整音に送る。
それぞれが別のアプリケーションだから書き出す形式も違うし、何度か不備もでる。
彫刻で言えば磨きの段階だ。
けれど、そこで待ったがかかった。
音声の直し、アフレコをいくつかやろうということになった。
ポストプロダクションの道も同じように長かった。

けれど、それが間違いなく作品を向上させていったんだなぁと思う。
プロデューサーの意見でセブンガールズをもう一度客観視できたように。
色の調整だって、整音だって、ついに監督と自分以外の人に観てもらう作業だったのだから。
監督の面白い所の一つがその柔軟性で、人の意見をきちんと反映させていく。
まぁ、中にはそれは別にそのままでいいよなんていう場所もあるのだけれど。
拘りのようなことであれば、ちゃんと解くことが出来る。
逆に、どっちの方が良いと思う?なんて自分から聞いたりも出来る。

でもその時に改めて思ったことがある。
ディレクターズカット版を観ているのは自分だけなんだなぁってことだ。
監督と自分だけで作業していた時のセブンガールズ。
間違いなく完成版の方が洗練されているから人に見せるようなものじゃないけれど。
ピュアな監督の拘りのようなものを知っている。
まだ音もバラバラで、色もバラバラだったけれど。
それを知っていることが今思うと嬉しい。
映画を創ると決めて、その段階にしかなかった、そのものだからだ。

原始となる最初に思い描いていたもの。
そして出来上がったもの。
そこには差があればあるほどいい。
その差は間違いなく、その分だけ作品に真摯に取り組んだ証だ。
清酒とどぶろくのような関係性だ。

セブンガールズは出来上がった。
書ききれないほどの工程を経て。
その全ての工程でセブンガールズになっていった。
その全てに立ち会ってきた。

けれど簡単に公開するというわけじゃなかった。
完成してそこから別の戦いが始まった。

今はまだ自分の頭の中で答えを探していることがあって。
ようやく自分の中で形になってきている。
その形をもっと具体的なものにしていかないとなぁって思っているけれど。
恐らくは、その先、今日までの経験が全て役立って、同時に様々な意見を言葉を求める自分がいるのだろうなぁ。

クリエイティブな日々よ!
ああ、なんと幸せな日々よ!


映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
上映期間終了 皆様ご来場ありがとうございました。

■SNS

紹介記事

■Twitter連動企画:下記の赤文字2行を貼り付けて140文字以内でセブンガールズをご紹介ください
 PVと公式アカウントのリンクが付いた紹介文がTweet出来ます!
#セブンガールズ紹介してみた
pic.twitter.com/hv23Ma0t0f
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:45| Comment(0) | 夢の彼方に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月12日

いちばんつらいこと

最終章に入ってから振り返っていこうと思っていて。
それと同時に再上映を望む声が毎日のように届く幸せを感じていて。
どうしても自然にゆったりと書いてしまう自分がいるのだけれど。
特に急ぐ必要もないと思いつつ2週間が過ぎて。
気付けば、映画の完成まで進んでた。
ああ、やっぱりこのBLOGは終わろうとしているんだなぁとわかる。
「公開67日目」が来ない限りは、そのまま終了していくのだ。
届く声を聞きながら。

実は一番厳しい期間が完成してからの数か月だったと思う。
スタッフさんや役者を招いての零号試写はとても楽しい思い出なのだけれど。
そこからは自分に出来ることは本当に限られていて。
出来ることが少ない期間というのは、精神的には一番つらいのかもしれない。

いわゆる海外への挑戦期間にしたから。
通常なら恐らくは国内の映画祭に出してみたり、上映出来る方向を探したりなのだと思う。
それが海外の映画祭に挑戦する。
何もそんなことをする必要なんかないじゃないかという意見もあるかもしれないけれど。
自分はセブンガールズをどうしても世界に持っていきたかった。
それがどんなふうに受け取られるのか知りたかった。

海外への挑戦についても色々と学んだ。
マーケットというものがあること。
ディレクターに観てもらう事。
字幕製作。

セブンガールズは自分が創造した通りテーマ的には成功していたと思う。
こういう映画ですという入口は海外の人から見ても興味深い作品だったんじゃないだろうか。
終戦後の娼婦、女性たちの戦い。世界の潮流にも実は合っている。
あらすじからなのだから、掴みも大事だった。

信じられないことだけれど、とある映画祭のディレクターからアクセスがあって。
こうした方が良いというバックが来た。
それには監督も自分もプロデューサーも色めきだった。
ディレクターに観てもらう、直接エントリーする、そういう中でバックがあるのは特別なことだからだ。
大抵はそのまま何の連絡もないのが普通なのだから。
ただただ手を尽くして待つというのは精神衛生上あまりよろしくないものだった。
そんな中で連絡があったことは光だった。

直しの編集をしたけれど。
それはとても厳しいものだった。
24分のカット?
エピソードを減らす?
それをどうやるのか、矛盾が出てこないか。
それでもバックがあることなんて当たり前のことじゃないのだから取り組むしかなかった。

結果的にエントリーでも、マーケットでも、ノミネートされるところまで行かなかった。
理由はたくさんあると思うのだけれど。
やはり言語の壁は大きかったんだろうなぁと思う。
セブンガールズの台詞量は通常の映画の数倍に上がる。
実際に字幕を製作したスタッフさんがそう口にしていた。
映画は、文化は、国境を簡単に超えていく。
セブンガールズでそれを実現できなかったことで実は相当落ち込んだ。
悔しくって。
惜しい所まで行ったのが余計に悔しさを増幅させて。

海外の映画祭は基本的に一年以内に完成されて、かつ未公開の作品のみだ。
ある時期まで挑戦が続けば、もう海外のプロモーターへの販売しか出来なくなる。
ましてなんの冠も持たない日本映画が海外マーケットで簡単に話題になるわけでもない。
敗北であった。
自分ははっきりとそう認識している。
監督は賞ではなくて、公開してからだよと口にする。
それも正しいけれど、これが悔しいのだって本当だよなって思ってた。

いよいよ公開について考える時がやって来た。
出来ることが少ない期間、舞台本番もあったし、色々なことがあったけれど。
ようやくここからもう一度自分の戦いが始まるのだと気合を入れたのを覚えている。

このBLOGが終わったら。
急に何もすることがなくなったら。
自分はどうなってしまうのだろうか?
いつだったか自主映画をやっている女性監督からマグロと呼ばれた。
止まったら死ぬ回遊魚という意味だった。
芝居をやって、バンドをやって、その上、映像製作までやったりしていた。
終わった次の日に、その次の舞台の企画をまとめていたりして。
そんな姿をみてあだ名をつけられた。

まぁ、止まったら死ぬんだろうな。
肉体は残っても精神的に。

朗報を待つことしか出来なかったあの時期。
苦しかったねぇ。
何もできない苦しさは、何よりもつらいよ。
だからと言って、むやみやたらだけはしないけれどさ。

今でも時々思ってるよ。
世界が待ってるんだって。
待っていないわけがないんだって。

何度も何度も人に笑われながらさ。

このBLOGが終わった時にスッカラカンになるわけじゃないぜ。
それだけは言える。


映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
上映期間終了 皆様ご来場ありがとうございました。

■SNS

紹介記事

■Twitter連動企画:下記の赤文字2行を貼り付けて140文字以内でセブンガールズをご紹介ください
 PVと公式アカウントのリンクが付いた紹介文がTweet出来ます!
#セブンガールズ紹介してみた
pic.twitter.com/hv23Ma0t0f
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:08| Comment(0) | 夢の彼方に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月13日

外の世界と繋がり始めた

セブンガールズを応援してくださる皆様で集まりたいというのを見かけた。
ちょっと信じられないような気分だ。
もちろんお客様同士はそれまで知り合いでも何でもなかった皆様だ。
そして映画から知ってくださった方々。
劇団を応援し続けてくださった皆様同士も劇場で顔を合わせるうちに仲良くなっていったことを思い出す。
ああ、こういうことがあるんだなぁ。

映画館で直接リクエストしてくださるだけじゃなくて。
皆様で声を掛け合いながら再上映して欲しい!と盛り上がってくださっている。
そんな中、このBLOGを終えようとしている自分とは一体何なのだろう?
それでも続けていかないといけない。

今、思えば、あの頃から始まったものがあるのかもしれない。
上映できるのかどうかもわからない時間を過ごして。
その中で自分は上映に向けての打ち合わせをしたりを重ね続けていた。
皆には必ず打ち合わせ内容を伝えるようにしていたけれど。
それでも決定するまでは皆、上映できるか不安だったと思う。
上映が決まってそれを報告した時、皆の顔がぱっと明るくなったことを覚えている。
それまで・・・撮影が終わってから上映決定のその日まで。
出演者の皆に出来ることは殆どなかった。
決定したその日から、業務試写やプロモーションに向けて全員でもう一度動き始めた。

上映決定できても日時が決まらないと具体的な宣伝は開始できない。
それが決まればその日から逆算して、チラシやポスターを配布したり出来る。
業務試写に向けては何が出来るだろう?

SNSについて皆で話したはずだ。
最低限のルール、マナー、公式の運用、それぞれに出来る事。
もちろん個人でやるSNSはある程度個人の自由になる。
それでもやっぱり、してはいけない発言、誰かを傷つけてしまうようなことは控える事。
ベストがあるとしたらなんだろうか?という事。
著作権、肖像権について。
全員が同じようなことを始めれば逆効果になることもあるんだという事。
今まで以上に外に向けての発信になるのだから、同時に配給さんや映画館、お客様、仲間に迷惑になるようなことだけはやめようと。

個人が自由に発信できるからこそSNSは素晴らしい。
そこにルールやマナーを持ち込むという事はある意味で矛盾していることだと思う。
例えば芸能人の政治的発言問題なんかもたびたび話題になったりするけれどそれも同じだと思う。
個人の意見は尊いのだから自由でいいじゃないかというのも今は強い意見になってきた。
ただ結局、偏ることは判断基準まで偏る可能性があると思う。

SNSは自ら発信して、自らフォローして繋がっていく。
結果的に自分の目に映るタイムラインは、自分の支持するものばかりになっていく。
そればかり目にしていたら、判断基準まで偏ってしまうと思う。先鋭化していく。
結果的に一般的な層から見たら中庸な層から見たら、「当たり前」と思ってることにズレが出る。
誰かを呼び捨てにしたり、簡単にバカだと書いたりしやすくなる。
それは結果的に争いしか生まないんじゃないかなぁって自分は思う。
個人的には「ウヨ」とか「パヨク」って言葉を使用する人の発言を自分は信用しない。
そう決めている。
自分と反対にいる人をバカにすることが正義だと思っている人たちだからだ。
ただ普通に生きて趣味があって友達がいてSNSをやっている人から見てズレるのだけはやめようと伝えた。

これはきっと映画だけじゃなくて、これからもずっと続くバランスの問題なのだと思う。
そしてきっと個人の責任の話だけで済むのか済まないのかってことに繋がっていく。
セブンガールズという船に乗っているなら、そこに皆が乗ってるって意識だけはしようと。
縛るのは嫌だから、理由を伝えた。
あとはもう結局センスの話なのかもしれない。

ただシンプルにSNSがよくわからないという出演者も多かった。
無理に始める必要もないけれど、始めるなら皆で勉強して皆で教えるようにした。
大きな宣伝費を持たない自分たちに出来る宣伝の多くをインターネットに依存することはわかりきっていた。
ホームページ、BLOG、Twitter、Facebook、LINE、Instagram、Youtube
全てに特色があって、全てに暗黙の了解があって、全てが外の世界と繋がっている。
宣伝としてではなく、まずインターネットの世界に存在する所からだった。
きちんと存在すれば自然と知名度は獲得できる。
観て欲しい!という宣伝は上映が迫ってからでもいいから。
まずインターネットの世界に存在するという事をそれぞれ真剣に取り組んだ。

恐らくそれ以前とそれからが変わった人は多い。
それまでもSNSはやっていたとしても。
それを教えてくださったのが、応援してくださる皆様たちだ。
今までの友人との繋がりとは明らかに世界の繋がり方が変わっていった。
恐らくSNSがなければ出会えなかった人たちがそこにたくさんいた。

今、タイムラインにはたくさんのお客様の言葉が溢れている。
なんて幸せなのだろう。
けれど、それも偏りなのかもしれない。
応援してくださる方の熱と、今もまだセブンガールズを知らない方とはきっと感覚が違う。
どうしても応援してくださっている皆様の方を向いてしまうけれど。
同時にもっともっと広い世界をきちんと向いていかないとなぁといつも思う。
むしろお客様がSNSで広く多数の人に、こんな映画がありますよ!と呼びかけてくださっていたりする。
そんな時、自分はいつも、凄い人だ!と思ってしまう。

広かった。
明らかに自分たちがいる世界よりも。
小劇場よりもネットメディアも多く、ファン層も広かった。
そんなことを真剣に話し合ってる自分たちがかつていたんだなぁって思う。
海の向こうに届けたいとあれほど願ったのに、インターネットは簡単に全世界に繋がっていた。

ある意味SNSの世界は共同幻想の塊だ。
誰かの一つの言葉があっという間に集団の言葉に変わっていく。
それが例え誇張したものでも。フェイクでさえ。
共同幻想は個人を見えづらくしてしまう部分がある。
その向こうにいる個人の顔をどうやって想像していくかなのだと思う。

誰も知らなかった。
まだセブンガールズという映画を。
あの頃、誰も知らなかったんだなぁ。
インターネットがどれぐらいセブンガールズの力になるかもわからなかったはずだ。
今から思えば信じられないことだけれど。

試写会が迫っていた。
クラウドファンディングに支援してくださった皆様と。
一部の映画関係者の皆様に観てもらう日が。
出演者たちも皆が客席に座る日が。

プロモーションがはじまろうとしていた。


映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
上映期間終了 皆様ご来場ありがとうございました。

■SNS

紹介記事

■Twitter連動企画:下記の赤文字2行を貼り付けて140文字以内でセブンガールズをご紹介ください
 PVと公式アカウントのリンクが付いた紹介文がTweet出来ます!
#セブンガールズ紹介してみた
pic.twitter.com/hv23Ma0t0f
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:19| Comment(0) | 夢の彼方に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月14日

学びながら進む以外に出来なかった

最初は何をすればいいのかもわからなかったけれど。
とにかくいつものようにポスターやチラシを製作した。
それから手紙やメール、色々な皆様に連絡をした。
誰かに観てもらって紹介文を頂けるかもしれないからだ。
もちろん、最初から紹介してくださいとは言わなかった。
まず観てくださる人がいたらと願った。
直接会えそうなら、直接足を運ぶようにした。
けれど、思った以上に観ていただくことすら難しかった。

いつものようにポスターやチラシをお店に置いていただいた。
時間を創って集まって皆でだ。
自分も何回か参加したけれど、やることが多いのを知っているからか、帰っていいよといつも言われた。
物販物のパンフレット製作なども同時に行っていた。
なんというか心強いメンバーたちだった。
それまで何をしていいのかもわからなかった分、公開が決まってからは早かった。

映画のプロモーションというのはすごい世界だと知る。
例えば当初枠が空いたから割引で新聞広告を出さないかという話もあったけれど。
金額を聞いてあっさりと断った。
割引価格だとしても、公開規模に対して割に合わなかったからだ。
効果的な広告を狙い撃ちしていきたかったけれど。
雑誌や新聞、WEBメディア、様々なところに連絡を続けた。
それも規模が小さく、映画賞などの冠のない映画には返信すら来ないことが殆どだった。
だったら試写会に来てどんな映画か知ってくださったらと思ってもほとんどが連絡すらなかった。

中には直接連絡が来たりしたケースもあったけれど。
メディアで宣伝を展開することは想像以上に難しい事だった。
連絡して、直接足を運んで、その繰り返しは徒労になっていった。
ただそんなことは別に何ともなかった。
公開が決まっていることは、何よりも嬉しい事だったから。
1000回の空振りをして、一回当たればいいと、いつも自分の中で言っていた。

公開前はまだまだプロモーションも甘かったと思う。
上映を繰り返していくうちに大事なこと必要なことがわかっていった。
その中でアイデアを出して、工夫していった。
気が付けば、セブンガールズのTwitterを参考にしてます!と言われたりするようになっていた。
まめな情報発信、映画館への行き方、舞台挨拶のレポ、上映日の告知、動画展開。
そういう動きも全て学びながら、同時に考えていったことだ。
まさか参考にされるなんて思ってもいなかった。

昔の演劇畑であればチラシを配ることは普通のことだった。
今は条例で街中でのチラシ配布は禁止になっているけれど。
けれど、インディーズムービーの世界ではあまりやっていないことだったという。
文化の交流は宣伝方法ににだって影響を与える一例だ。
映画の世界の宣伝を学んで、大手がやっている全ての宣伝を別の形で実現するようにした。

何十回、何百回、宣伝予算があれば!と思ったことだろう。
繰り返しそれを思っては、自分の中で打ち消していった。
口コミに頼るなんていうのは幻想だ。
作品がどんなに良くても口コミで広がらない作品だってあるはずだ。
それはきっと何かが足りないのだと考える他はなかった。

自分が宣伝方法を様々に考えている以上。
あまり自分を前に立たせるようなことは出来なかった。
やはり作品を前面に押し出して、監督をどんどん前に出して、女たちを前線に出した。
冗談で、おれここ2年ぐらいずっと監督のために生きてる気がするよなんて言ってた。
もちろんそれは冗談で、セブンガールズが一人でも多くの人に届けば、それが自分にとっても最大の結果だとわかっていた。
そしてむしろ自分をどんどん打ち出していくことは損だぞというのもわかっていた。
やることはただただ責任を果たしていくことだ。
プロモーションには戦略が必要だし同時に一般社会から見るような俯瞰の視線が必要だった。

業務試写が迫っていた。
クラウドファンディングでご支援いただいた皆様に。
皆様の思いを形にしたことを報告する日でもあった。
わなわなと震えてくるものがあった。

試写会の舞台挨拶の稽古を始めた。
舞台経験はあっても舞台挨拶の経験はなかったから。

自分は非情と言われるのを覚悟して、舞台挨拶のメンバーを決定した。
MCと監督とガールズだけにした。
そしてメインと言えるような役でもあるような男たちも含めて、試写会のスタッフをお願いした。
皆で創った映画だ。
男たちは特に裏回りを走り回った。
その完成を祝賀する日に、照明の下に立つことが出来ないと告げた。
なんでだよと言われることも覚悟して。

でも誰一人として異を唱える男はいなかった。
客席係をやって、舞台挨拶をカメラで撮影して、当たり前のように皆が働いてくれた。
誰かがやらなくちゃいけない事を皆がわかってた。
そして、そんな男たちに感謝の言葉をくれた女たちがいた。
その華やかな舞台の名残よりも、動いていた男たちを気遣う女たちがいたのだ。
あの日、ありがとうと言ってくれた女優たちの顔は忘れることはない。

あの頃。
日々感動していたよ。
映画へのコメントが届き。
お互いに気を使いあって。
皆で公開に向かっていた。
やらなくちゃいけないことは確かに多かったけどさ。
皆がいたから、自分はやることが出来たんだって思うよ。

公開が迫っていた。


映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
上映期間終了 皆様ご来場ありがとうございました。

■SNS

紹介記事

■Twitter連動企画:下記の赤文字2行を貼り付けて140文字以内でセブンガールズをご紹介ください
 PVと公式アカウントのリンクが付いた紹介文がTweet出来ます!
#セブンガールズ紹介してみた
pic.twitter.com/hv23Ma0t0f
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:12| Comment(0) | 夢の彼方に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする