水曜から始まる舞台の準備が大詰めを迎える。
本当に不思議な感覚。
今、公開している映画と同じ登場人物が稽古場にいる。
同じメンバーが殆どの生活時間帯を共にしている。
監督にメールもラインもしないでいい。そこにいるのだから。
K'sシネマから始まった狂想曲は、いよいよ大詰めを迎えるのかもしれない。
「映画」×「舞台」と銘打ったのは、連続での上映&上演が決まった時だ。
まるで言霊のようにそれは続いていて、連続ではなく同時上映上演になった。
レイトショーでセブンガールズが上映されていて、その間、皆で一緒に過ごすのだ。
セブンガールズの感想は全て目を通すようにしている。
SNSやレビューサイト。
たくさんのお褒めの言葉を頂いている。
もちろん、中にはそうじゃないのもあるけれど、それもちゃんと読むようにしている。
世の中にこの映画がどのように受け入れられていくのかというのは、自分たちのこれからに繋がる鍵だ。
最近になって性差を感じるようになった。
当然、個人の感想だから必ずそうなるわけではないのだけれど。
ただ全体的に観ると、男性と女性で、観点の違いがある。
女性的な視点は、とても日常的な身近な女性として、共感を書いていることが多い。
男性的な視点は、女性の神格化がどこかにあって、娼婦たちをリスペクトしていることが多い。
なんというか、面白いものだなぁと思う。
大きな映画会社なんかでは、そういう傾向を分析するチームとかはあるのだろうか?
そういうことはわからないままだけれど、個人の感性だけでなんとなくではいけないことだと思う。
自分に出来ることの範囲を増やしていけるとすれば、そういう具体的な把握なんじゃないだろうか。
まぁ、そもそも男性は女性をどこか神格化するのは、娼婦に限ったことじゃないのかもしれないけれど。
なにかといえば、「●●の女神」なんてキャッチがすぐに生まれるのだから。
でも、そういう力があるんだなぁ、映画には。
もちろん舞台でだってそういうことはあるのだけれど。
多くのレビューサイト、SNS、初めての方、そういう広がりの中で、わかることがある。
見えてくるものがある。
今、求められていることがうっすらと見えてくる。
つまり、いつだって、社会そのものに相対化されている。
これはすごいことなんじゃないだろうか。
直接的に社会と繋がっている。
ある意味小劇場の世界は閉じられた世界でもある。
だからこそ、その繋がり方を新鮮に感じている。
そこまで考えてみると。
今回の「映画」×「舞台」という企画はなんとも意味深く感じる。
作品は繋がっている。
セブンガールズのスピンオフ、前日譚なのだから。
舞台はきっとあっという間に終わってしまうだろう。
一回性のものだから。
映画とはそこだけが大きく違う。
きっと、映画上映中に舞台公演なんて機会は、二度とやってこない。
思う存分、今を進むしかない。
さあ小屋入りだ。