2018年06月11日

みんなたすけてくれる

バラエティに出演するなんて珍しいですねぇ!

そんなゲストが出ている番組はほとんどが番宣だったりする。
テレビドラマであれば、編成期に集中しているけれど、映画の場合は常にある。
役者と呼ばれる仕事をしていて、いわゆるタレントというのとは一線を引いている人でも。
クイズ番組やトーク番組に出演して、珍しい!なんてやり取りをしている。
役者は撮影が終われば、その後の編集作業や、様々な作業に関わることがない。
撮影が終われば、もう次の作品に向かうのが役者だ。

けれど、実は、プロモーションだけは違う。
映画に出演すれば、プロモーションをすることまでが役者の仕事だ。
自分の映画を観て欲しいという純粋な気持ちだって、もちろんあるはずだ。すごくあるはずだ。
けれど、そういう気持ちとかの問題ではなく、それは仕事なのだと思う。
なぜなら、役者の名前が、映画の看板だからだ。
海外だと、実は監督の名前で映画に行く観客が一番多いらしいけれど。
日本でアンケートをとれば、常に一位は、出演者で映画を選んだという答えになるらしい。
看板という意味も含めてのキャスティングであり、そのために多くのスタッフさんが動いているわけで。
宣伝部や営業部が、自分の名前をあちらこちらで売り込んでくださっているのだから。
そこで、宣伝に協力しないですよ・・・というのは、やはり筋が通らない。
むしろ、どれだけ人気のある番組で番宣のキャスティングをもらえるのか四苦八苦している人だっているのだから。

それは別に日本だけじゃない。
ハリウッドスターが日本にやって来て、映画の宣伝をする。
あれは、でも、日本だけじゃない。
終われば韓国に行き、香港に行き、シンガポールに行き、世界各国で映画の宣伝を重ねる。
とてもゆったりとした観光気分になれるようなスケジュールじゃない。
そういうことを世界の一流と呼ばれる人たちがやっている。
映画に出ました。芝居をしました。それだけでは、役者はダメなのだという事だ。
舞台だったら、演じているその日が終われば、全てが終わる。
映像は、演じた日々がはるか昔に通り過ぎてから、完成するのだから本来の仕事の後に、別の仕事があると思っているぐらいで間違いない。

「セブンガールズ」の撮影が終わって。編集に入った頃。
皆の中では一度撮影が終わって、まだ編集作業をしていることに、信じられないよぉなんて言われたりもした。
その時に、でも、皆にも、公開が決まれば宣伝とか頑張ってもらうことになるからね!と口にした。
その時は、まだざっくりとそうなんだなぁぐらいに思っていたかもしれない。
そこまで具体的に考えられるわけがないのだ。
本来の仕事である芝居は、舞台という形で次から次にやってくる。
その時その時、演じ続けなくてはいけないのだから。
セブンガールズの撮影から、舞台を4度も繰り返しているのだから。
演じるたびに、苦しんで、楽しんで、悩み続けたのだから。

公開が決まって。
告知が始まって。
そして、予告編の映像を観て。
いよいよ映画の公開が近づいた時。
ここで、皆の中で具体的になった。
今、プロモーションというのを役者の仕事として取り組まなくてはいけない。
そういう場所に立っていることに気付いた。

元々、このセブンガールズという映画は、全員で取り組んできたものだ。
舞台特有の演技的な癖を見直し、稽古を重ね、ロケ地を探し、セットに必要な廃品を集め。
スケジュールを組み、シナリオを分解して、衣装を用意して、小道具を自作して。
なんにもないロケ地にパンパン小屋を建てて、物干し台を立てて、トイレだって用意して。
全ての片付けまでやって、自分たちで、ロケ地の掃除までして。
それは、つまり、熱意そのものだった。
情熱だけで、本当に映画を創っちゃったよと、色々な人に言われた。
そういう映画が、セブンガールズだ。
撮影が終わって、抜け殻のようになっていた役者もたくさんいた。

今日、これから公開までの間。
もう一度、その熱意が。その情熱が。夢を現実にしていく力が。
全員で獲得していくものなんだという確認をした。
全員で協力して、全員でこの映画を少しでも多くの人に観てもらえるようにしていく。
今、決まっている映画館のキャパシティの何倍も何十倍も何百倍もの人たちに知らせていく。
例えそれがどんな形であったとしても。
役者の名前が看板にはならない無名だったとしても。
テレビ番組での番宣なんて出来ないとしても。
それでも、やれることはあるはずだと、全員で考える。
そういう事が始まった。

自分は突っ走ろうと思う。
こいつ、どこまでやる気だよと、思われるぐらいやろうと思う。
それが、この企画の第一歩を踏んだ責任だ。
ここで、人任せにするのは、自分の生き方に反する。
それを見て、こいつに任せておけばいいやという連中じゃないことは嫌というほど知っている。
こいつがここまでやるなら、自分は何が出来るだろう?そういう連中がたくさんいる。
だから、まずは突っ走る。
お前、やりすぎだろう・・と思われるぐらい徹底的に。
誰が頑張っても届かないぐらいまで、まずはやればいい。
それを指さして笑われるかもしれないなんて恐怖は無駄な恐怖だ。
意味がないかもしれないなんてのは、結局自分の中に生まれる幻のようなものだ。
そんなことを考えないでただただ取り組んでいけば、いずれいつの間にか一人で走っていないことに気付く。
撮影の時だってそうだったんだから。

色々な映画のHPを観に行くメンバーがいるだろう。
色々な映画の公式SNSを研究するメンバーがいるだろう。
色々な映画のヒットした原因を探すメンバーもいるかもしれない。
それはもうとっくに自分はやってきたことだけれど。
どんどん、そうやって、皆が参加してくる。
この数で、プロモーションに本気で取り組める映画なんてどこにもない。

すごいことが起きちゃうかもしれないよ。

セブンガールズとい映画は面白いよ。
そこにいる娼婦たちが手に手を取り合って、生きていくんだから。
そんな映画を、やっぱり、皆が手に手を取り合って、広めていく。
映画のテーマそのものだ。

ひとりぼっちじゃないし。

皆が、自分は何が出来るか。
そんなことを話し合った日が今日だった。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:01| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月12日

平成の終わりに昭和の女を

「わかる」と「わかってる」
「わからない」と「わかってない」
ここにはとっても大きな隔たりがある。
わかるぅ~!なんて時々耳にするけれど。
それは、わかってはいない。
わからないじゃなくて、わかってない。

モノづくりをしていると、そういう場面に何度も出くわす。
自分で作品を創っていた時期・・・バンドでも、この間の作・演出でも。
そして「セブンガールズ」の編集でも。
うんうん、この気持ち、すごくわかる!っていうのは、実はわかってないなんてこともある。

わかってる人は、ここわかんないと結構、気軽に口にする。
わかってる人ほど、「わからない」を隠そうとしない。
わかってない人ほど、「わかる」を強調する。
わかってねぇなぁ・・・なんて心の中で呟いたりする。

そういう意味で、先日の舞台では、稽古場でそういうことの繰り返しだった。
自分で、作・演出しているからこそ、「わかる」と「わかってる」の差がとても良く見えた。
実際の舞台本番でどんな感じになるか想定して稽古をしていく中で。
もちろん、実際にそれを演じる役者にだってわからない部分があるのだけれど。
それでも、わかってる人の意見は、やっぱりすごく大事な言葉で。
わかってないなぁという人の意見は、大事だけど重要性は低かった。
この違いって何なのだろう?
不思議なことだなぁと思う。

実際に舞台本番を迎えた時、お客様のリアクションは、「わかってくれた」だった。
わかるぅ~!ではなかった。
自分たちでは到底理解できないような状況を簡単に「わかる」なんて言えない。
わからないことを見せる場合だってあるのだから。
自分の中で、どこまで伝わるか不安だった部分も多いのだけれど。
多くの感想の中に、ああ、わかってくれているという感覚があった。

平成の終わりだ。
偶然だけれど。
平成の終わりに昭和の女たちをこのセブンガールズという映画は描いている。
それも平和な時代に、終戦直後の物語だ。
昭和の女の強さを、平成の終わりに表現するのだ。

監督は、それをわかってもらえるようにシナリオを書いて、編集を重ねた。
「わかる」じゃなくて「わかってる」になるようなシナリオだ。
今、PVで一人一人に流れる物語や、キャラクターが見えてきていると思うけれど。
セブンガールズという作品は、それを主題に置いていない。
それぞれの登場人物のバックボーンでしかないのだ。
むしろ、シナリオ初稿の頃は、このどれか一つをメインにしましょうなんて言われたぐらいだ。
各登場人物のエピソード1つで、映画を撮影できるという事だ。
でも、それをストーリーではなくて、エピソードまで落とし込んでいる。
監督に、あらすじを書いてくれとお願いした時に、なんと10のあらすじを書いてきたことがある。
だって、10個は物語があるから・・・と簡単に口にしたけれど。
そのあらすじじゃ、文字数制限でどこにも宣伝も出来ないです・・・と答えた。

現代性があるのかないのかと聞かれれば、間違いなくある。
現代に生きる人たちにも重なるような面が描かれているなぁと何度も思う。
それでも、表層を観て、わかるになってしまうような作品ではないはずだ。
この子はこいつが好きで、苦しんでる、切ないよねぇ。とか、そんな簡単なものじゃない。
その時代背景、その職業になった状況、その世界観、そして仲間たちと人間関係。
そういう全てがあって、それぞれのエピソードがあって。
その全てが「セブンガールズ」という作品になっていく。
わかってる人は、多分、わかってくれる。
二重三重の位相がある作品だ。

平成の終わりに。
昭和の女。
それだけで、充分にテーマになってしまう。

なんでそんな顔しているの?
悲しいから。
悲しいから悲しい顔をするの?
え?そう思ったんですけれど。
悲しいけど、悲しい顔をしないんじゃない?娼婦は。
あ、ああ、え?でも悲しいんですよね?
そうだよ。悲しいんだよ。それは間違ってない。

いつかの、セブンガールズのまだ配役前の稽古のやり取りで記憶にこびりついているやり取り。
祖母の世代を演じるというのは、わからない部分まで、踏み込むことだった。
この映画を試写会で観てどんな声が上がってくるだろう。

わかってもらえなかったら。
そんな不安は何度も何度もよぎる。
おいらがそうなんだから、きっと監督にだって。
でもきっと、監督もそうだと思うけれど、いや、大丈夫。と何度も思い直す。
この作品は、すでに舞台で大きな手応えを感じた作品なのだから。

わかってもらえた時。
それこそ、きっと、この映画が強い力を持つ時だ。
続きを読む
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:36| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

柔らかいタッチ

今日は細かい手直し作業をちょこちょこと。
誰も気づかないんだろうなぁと思いながらも。
Excelを開いたり、SNS管理画面に入ったり。
ちょっとしたことだけれど。

あとは試写会招待の準備のいくつかを。
本当は先にやりたいこともあったのだけれど。
サッカーは観る。
切羽詰まって作業して、ダイジェストを観て悔やんでも精神衛生上良くない。
自分が楽しめる場所があるなら、楽しむべきだと割り切る。
スポーツだけじゃないけれど。
世の中のあちこちにヒントは落ちているのだから。
クソマジメにPCに向かいすぎるのも、幅を狭くしていくだけだ。

米朝対話がついに実現した日だった。
どうしても、一瞬、落語家の顔を思い浮かべてしまうのだけれど・・・。
歴史の転換点になるのだろうか。
注意深く見守るしかないのかなぁ。
何か、モヤモヤとしたものが残っているのはなんでなんだろう。
朝鮮戦争は休戦状態のままだけれど、それが終戦になるのであれば素晴らしいことだ。
平和的解決の本当の一歩であることを願いたい。
そして、北朝鮮に住む人々の基本的人権が尊重される日が来ることを切に願う。
あの国には、きっと、まだセブンガールズや真奈がいるはずだから。
モヤモヤしているのは、あばらの浮き出たあの人たちが、これで本当に幸せになると中々思えないからだろうか。

サッカーのテレビ観戦ぐらいで、思ったよりもリフレッシュできた。
勝利というのも大きかった。
たった90分で、これだけ荷物を降ろせるのだから、スポーツは素晴らしい。
コロンビア戦のスタートアップメンバーの予想合戦が激しくなるんだろうなぁ。
あまり今回のロシアW杯は盛り上がっていないなんて時々聞くけれど、本当にそうなんだろうか?
全然、そんな風に思えないけれど。
世界中が騒ぎ出せば、結局、顔にペイントをした人で溢れかえる日がやってくると思う。

やっとエクセルを閉じて。
連絡のいくつかのメールをして。
ついでに、郵便ポストに投函を済ませて。
ようやく一息ついた。
いつもよりも、ずっと、軽い感じがある。
作業量は結局、毎日と変わってない気もするんだけれど。

頭でっかちにならないように。
誰もが知っている話題を、普通に知っていられるように。
でも、どこか別の場所にも立っているような。
日常感覚を大事にしたい。
どこが、日常的なんだよ!と言われてしまいそうだけれど。

でも。明後日から開幕して。
きっと、テレビで試合を流しながら、ほとんど試合を観ない時間も続くんだろうなぁ。
それじゃ、ラジオじゃないかと思いつつ。
集中しちゃえば、音も聞こえなくなっちゃうのも知ってるんだけど。

それでもいいのだ。
同じ時間を過ごしているのだから。
日本戦だけでも、手を止めるもんねー。

柔らかいタッチのパスは、心地よい。
今、そんなパスが来るたびに、トンと、足を当てるだけで良いのだ。
あのモヤモヤも、トンと足を当てるだけで吹き飛んでしまえばいいのに。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:55| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月14日

PV第7弾公開


PVもあっという間に第7弾になった。
公開が9月と考えると、ハイペースかもしれないけれど。
普通にYoutubeのチャンネルと考えれば普通ぐらいなんじゃないだろうか。
この「パンパン小屋の女たち」も折り返した。
あくまでも予定だけれど、予定では6月中にこのシリーズは完結する。
全体を通してキャプションも書き加えた。
プレイリスト「パンパン小屋の女たち」も設定しておく。
一応、通して観てみたら、もう無限ループだ・・・。

全画面表示で、どこかの家電量販店のPC全てでリストを流すセブンガールズテロを夢想してしまった。
通したら最終的に10並んでもたったの5分というのが、ちょっと釈然としないけれど。
苦労してきた時間に対しての、再生時間が短い・・・。
スマフォの通信料を考えればよい時間なのかもしれないけれど。
プレイリストを設定して、一応、ホームページのtrailerページへの反映も確認。
問題ないようだ。
もし、セブンガールズがある一定の評価を得ることが出来たら、流行るな・・・これ。
普通に楽しいし、徐々に完成していくことも、SNSで広がっていくことも、時代に合致している。
動画と楽曲と素材と企画性があるなら、こういうものはどんどんやった方がいい。

公開時間を毎回色々試しているけれど、あまり意味はないなと気付く。
いや、正確にはこの企画ではそれほど公開する時間の影響はない。
影響があるとしたら人気チャンネルや有料広告の映像の公開だ。
Youtubeのトップに新着で表示されたり、アクセス頻度が高い時間帯に公開するというのは大事なことだけど。
アナリティクスで調べれば、そういう所からのアクセスはほぼゼロに近い。
セブンガールズという映画は宣伝費をかけて、圧倒的な宣伝をするというやり方じゃない。
アクセスの最も多いのは、やっぱりSNSのリンクからで、SNSのリンクや拡散の時間なんてコントロール不能と言っていい。
アクセスした人が、シェアする時間を指定できるものでもないからだ。
通勤時や、帰宅してから、人によってアクセスする時間は違うし、その中の誰がシェアしてくれるかなんてわからない。
だとすれば、公開時間を気にするよりも、やはり順調な更新が一番大事になる。
一本メインとなるPVを創って、それを効果的に、公開したり有料で流したりではないのだから。

恐らく、Instagramも同じだ。
フォロワーの数で、傾向が変化していくのだろうけれど。
今は、朝の通勤時のアクセスが一番順調だったりする。
フォロワー数が伸びて、ハッシュタグの上位に表示されるようになってくるとまた変化していくかもしれない。
全体のユーザーとしては、夕方以降のアクセス頻度が高いのだから、そこで新着表示される方が広がる。
ランダム表示の部分もあるだろうから、新着の方が良いというのも、ある意味幻想かもしれない。
まぁ、そういうプログラムは日々更新されているから傾向を掴んだ頃には更新されているのが関の山だけれど。

実は、ネット広告コンサルティングの人に褒められた。
今、やっているやり方は、とても素晴らしいやり方だと。
もちろん、それで結果的に想像以上のリターンが来るかどうか確定するわけじゃない。
けれど、基本に忠実で、これまでの成功例はきちんとなぞっているらしい。
外部で紹介されたときに、より効果が見えるんじゃないかという意見だった。
もう雲をつかむような話だけれど、学ぶことを忘れずに、一つ一つクリアしていくしかない。
あとは、核となるHPに、Youtubeのチャンネル登録ボタンを付けたり、Instagramを表示したり。
中心部分からのフォロワー獲得の導線さえ作れば、全体としての構成が固まる。
・・・まぁ、固まるようで固まらないのがネットで、日々トレンドは変化していくのだろうけれど。

一つ思っているのは、セブンガールズのファッション性だ。
パンパンの衣装はとてもカラフルで、とってもファッション性が高い。
上下柄で、濃い目のメイク、カラフル、町子巻や頭につける飾り物。
確かに終戦当時の貧しい時代のそれは、娼婦、パンパンというイメージが強かったけれど。
現代から見れば、娼婦的なイメージというよりも、カラフルなファッションだ。
実際、当時のヤンキーファッションを参考にしていたという文献だってある。
アメリカングラフィティという映画に出てくるパーティー会場の女の子の服と大差がない。
このファッションに名前があるとしたら、50’sとかになるのだろうか?
娼婦風、パンパン調じゃ流行るわけがないけれど、PP調とか、SG系とか。
新たなファッション造語をされて、Instagramなんかで色々な女の子が写真をアップしたくなるような。
そんな企画を立てられたら面白いなぁと思う。
大きな宣伝費があれば、有名モデルさんにやってもらって・・・みたいなことも出来るのだろうけれど。
自然発生的に、セブンガールズのファッションを面白がってくれる女の子が出てくるにはどうすればいいのだろう?
絶対に可愛いもん、男から見ても。女の子から見ても。
それに、既に持っている服のアレンジで、このファッションをやれる人も多いはずだ。
地下アイドルで、こんな格好で歌っている子たちもいるんじゃないだろうか?

面白いことはきっと、その辺に転がっている。
自分に出来る範囲が決まっていても、限界を決める必要はない。
やれることは全部やっていく。

それが、結果、なんにもならなかったとしても。
元々、何もなかったんだから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:01| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

着実に進んでいることだけが頼りだ

ロシアW杯開幕の日。
開催国が快勝したようだ。

デザイン作業。
悩みつつ、行きつ戻りつ。
とりあえず、今日はここまでだ。
今の時点のサンプルだけ送って終える。

自分のまったく個人的な健康診断のスケジュールを失念していた・・・。
こんなに時間がない時期に決めてしまっていたなんて、なんという不覚か。
まあ、仕方がない。

試写会招待葉書の未着の連絡がいくつか。
クラウドファンディング時から住所が変わっていた方もいる。
それだけの時間が経過しているという事だ。
郵便の転送依頼が切れていると思っていなかった方も。
これから、まだ何人か出てくるかもしれない。
予備で印刷しているハガキで対応していく。

本チラシ、本ポスター、まだ悩んでいる。
シンプルな方がいいのか、詳しいほうがいいのか。
とにかく、そっちもサンプルを早めにプロデューサーに送って確認してもらわないと。
なかなか、考えがまとまらないままだ。
つくづく健康診断の日をミスったなぁと思う。

泣いても笑っても時間は限られている。
6月は勝負なのだ!
よし!
今日はここまで!!
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:04| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする