2018年06月01日

豪快な空振りだってプロの仕事だ

とりあえず本日予定していた作業は断念。
試写会の招待状のOKが出たことは大きな前進か。
これで次の印刷物に進める。
とりあえず、PVの直しに手間取る。
まぁ、多分、これからもそういう感じで進むのはいつもの通り。

というか、自分で自分をそういう場所に追い込んでいるのだから仕方ない。
通常なら考えられないようなことをしようとしているのだから。
別に普通に、ただ公開を待つことだって、出来ると言えば出来る。
それでも、それじゃいかんぞと、自分なりに勉強してやれることを自ら探している。
探して、実行に移せば、それは当然自分を追い込むことになる。
でもそれが責任ってものだもんなぁ。

だって、たくさんの人のご支援を頂いた。
それに、例えばこの作品に関わってきた全ての人の思いも知っている。
撮影時のスタッフさんだって、編集時のスタッフさんだって、現在も続くプロモーションスタッフさんだって。
いや、それどころか、この作品が生まれた初演時から続く共演者やスタッフさんだっている。
そういう全ての人の思いが結晶になったのが「セブンガールズ」なのだから。
その責任を知れば知るほど、じっとはしていられない。
全ての人の思いが、映画の公開に向かっている。
試写会も別にゴールじゃない。
上映はするけれど、大事なことは、実際に映画館で上映されることだ。

いや、ともすると、上映されることですらないのかもしれない。
単館で終わろうが、全国上映されようが。
もう、それですら、ゴールとは言えないのかもしれない。
この映画が、誰かの心の中の大事な風景になるその瞬間こそがゴールなんじゃないだろうか?
何かが心の中に生まれるその瞬間までこれは続くんだと思った方がいい。

だとすれば、自分から自分を追い込むことぐらい、まぁ、どうってことないさ。
いずれその日がやってくると思えば。

再度スケジュールを確認する。
こんなこと出来るのかなぁ、と苦笑する。
苦笑しながら、まぁ、でも、やるんだろうなと自覚する。
だって、やってきたから。

今日は今日で前進した。
明日も前進しよう。

ああ。
この映画が、話題になる日が来たら、奇跡だな。
自分は凄いことをやったって思えるかな?
きっと、思わないんだろうなぁ。
でも、話題になる日が来る可能性を1%でも上げていくしかないもんな。

舞台初演時の猫という役の役者と短いやり取りをした。
PVを観てくれて。
「猫だねぇ」というたった4文字。
「すごいー」というシンプルな一言。
そこに、10年以上も一緒に何かをやり続けた歴史が詰まってる。
こんな感覚、理解できるだろうか。

まだ、背中は空いてるぜ。
まだ、荷物なら詰めるぜ。
期待してくれていいぜ。
もっと、走り抜けてやる。

音楽の吉田トオルさんと深夜に電話で話しながら、馬鹿笑い。
何に笑ってたんだろうね?
滑稽なのさ。きっと、何もかも。
滑稽なことに、胸を張ってやるのさ。
豪快に空振りをしたって、拍手が来るのがプロの仕事さ。

ほれ、背中に乗るかね?
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:46| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月02日

PV第4弾公開



「この1ページは2ページなんです。」

ラインプロデューサーに言われたとき、一瞬、意味が解らなくなった。
けれど、すぐに、ああそうだよな・・・と納得した。
劇団ではいつもA4のコピー用紙に上下二段組で台本コピーをする。
上下で2ページずつ印刷して、自分で折って本組をしていく。
その上部1ページを指さして、これは2ページだという。
そう、通常の映像の現場のシナリオは、見開きで左右2ページになる。
つまり、そもそもの2段組の台本は、シナリオ換算で4ページもの情報が詰まっていた。

当然、撮影前の準備段階で、シナリオの内容を分析していく。
その最初が、台本のページ数だ。
定格のシナリオと同じ形式に、それぞれの作家が持ってきたテキストを変換していく。
その上で、最終的に何ページになるのかを確認する。
ページ数や文字数で、大体の尺が出るのだ。
そこから、シーンごとに、時間を割り出して、撮影スケジュールにしていく。
この日は、4シーン撮影出来るな・・・とか事前に解っていないとなんのスケジュールにもならない。
シーン自体の長さと、撮影にかかるであろう時間とは、経験則で考えていく。
当然、天気であるとか、日照であるとか、あるいは飛行機音が入ったりとか、計算できない部分もある。
ロケ地で借りることのできる日程も決まっている中で、シナリオは全ての基本になっていく。
どれぐらいのスケジュールで、どれぐらい撮影できるのかを考えて、組み立てていく。

その上、120分の映画作品であれば、50~70ページだという。
ただでさえ、左右で言えば倍の台本なのに、100ページを超える台本を渡していた。
「通常の4倍の量があります。これは、8時間の映画になってしまいます。」
その場で言われたのは、まともな撮影スケジュールでは不可能ですという通達だった。

監督も自分もそこは計算してあった。
・・・というのも、すでにその台本で稽古を繰り返していたからだ。
1ページ2分が通常の映画の計算なんですよと言われたけれど。
自分たちの感覚だと、1ページ・・・映画のシナリオでいうところの2ページ・・・が、1分強だった。
そして情報量が溢れるほどの作品にして、編集で削っていった方が良いと最初から言っていた。
通常の4倍の長さの台本を、120分目指して撮影する。
あたりまえだけれど、シナリオについては、何度も難しい、無理だという意見が続いた。
ただ「出来るんです」と説明する以外に方法はなかった。
撮影初日に組まれた撮影スケジュールをまいて、翌日に予定したシーンを撮影するまでは誰にも信じてもらえなかった。
それはそうだろう。4分のシナリオを1分強で済むと、口で説明するだけなのだから。
一週間で撮影しきるのが、スタッフさんに奇跡のようだと言われたのは、シナリオ作りから始まっていた。

120分は結果的に超えたけれど、ほぼ予測通りの時間でシーン撮影が出来た。
つまり、このセブンガールズは通常の長編映画の4倍の情報が詰まっている映画だ。
登場人物がここまで多く、それぞれにキャラクターもエピソードも用意されていて。
それでも物語が破綻することなく進む最大の理由は、シナリオ構造にある。

ハリウッド映画が、数十本のPVを公開できるのに、邦画では片手以下のPVになるの理由もそこなんだと思う。
元々作品が持っている情報量が少ないから、あまり予告編を多く作ると、作品内容に触れていってしまうはずだ。
「七人の侍」なら数十本のPVを作成できるけれど、「東京物語」では何本も創れないんじゃないかと思った。
群像劇であればあるほど、当然、情報量は増える。
スターウォーズだって、アベンジャーズだって、情報量が多い。

PVの第4弾を公開した。
どのPVにも初公開になるカットが入っている。
それでも物語の主軸になる部分のネタバレになっていない。
それどころか、それぞれの役の前提のみで予告編を創れる。
いや、むしろ情報量の多い作品を観る前に、作品に入り込みやすくするようなPVを作成できる。
そして、映画を観た後に、もう一度PVを楽しめるような仕掛けだって組み込める。
既に第4弾でありながら、未だにあらすじのPVを公開していないのだから自分でも驚いてしまう。

この作品は多角的に楽しめる。
それぞれの登場人物で楽しめる。
涙も、笑いも、アクションも、あらゆる角度から楽しめる。
歴史も、時代も、個人も、色々なことが詰まってる。

これは、作品の一端に過ぎない。
そう思えるからこそ。

郁子のPV。
きっと、舞台のセブンガールズを知らない人が観たら、それまでの二人との違いに驚くだろうなぁ。
こんな、娼婦も出てくる。
一体、どんな映画なんだろう?
そんな幅を感じてくださるといいなぁ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:17| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月03日

色々な夢を見そうな朝

自分スケジュールを随分前倒しにすることになってしまい四苦八苦。
ほぼ、PCの前に張り付いたままの一日を過ごすことになった。

それにしても、PVの編集中はPCで他の作業が出来ないのがつらい。
アプリケーション負荷が高いし、意識も集中してわからなくなる。
ヘッドフォンを付けていると携帯電話も気づかない。
映像の編集中は、ただの音信不通だ。

一旦、作業を止めて、印刷物の入稿作業に移行する。
入稿してから、試写会準備の連絡事項を一人ずつ送っていく。
一人ずつに連絡するのは手間だけれど、仕方がない。
来週になっては、色々後手後手になってしまう。
とりあえず、連絡して、一度リセットがてら、出かける。

帰宅してすぐに作業再開。
かなり難航した。
本当は、今日やりたかった作業は、印刷物を2つ製作予定だった。
これも、早めに仮稿をあげて、直しを入れたいと思っていたのだけれど。
PVのスケジュールを前倒しにする以上、プライオリティが入れ替わる。
それでも、四苦八苦。
クリエイティブな脳は、どんどん集中してしまうから頭痛薬が必須。
考えて、創造して、また考えて。
コーヒーをすすって。

苦しい山を一つ越えたところで、メールチェックすると、昼間の連絡の返信が・・・。
返信に返信するも、それに返信されても、これ気付けないぞ・・・と思いつつ。
またそのままPCは、編集モードに。
てっぺんを過ぎた時点で、やりたい作業の3割しか終わっていなかった。

後半になって滑り出した。
一気に作業が進んでいく。
ゴールが見えてきたからだろうか?
いや、事前のイメージが具体的だったからかもしれない。

全てを書き出して、圧縮ファイルをアップロード。
みるとやはり、メールが。
これは明日稽古場で直接にする。

ようやくこのBLOGに辿り着いたか・・・。
ちょっと細かい部分が不安だけど。
一応の確認作業もやったはずだ。

終わったら終わったで清々しい気分。

もう外は明るい。
疲れ目がひどいぜ。

さあ、新しい作品の稽古が始まる日だ。
BEGIN。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 06:10| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月04日

再び始まった稽古

無理に起きてシャワーを浴びる。
時計を見ると、今頃は既に女優陣はダンスの稽古が始まった頃か。
久々のダンスだと、色々思った通りにならないだろうな。
シャワーを浴びながら、歌を歌っている自分に気付く。
風呂場はリバーブがかかるから気持ちよく歌える。

急いで荷物をまとめて稽古場に向かう。
思ったよりも電車の繋ぎが良くて早めに到着。
久々に食事を稽古前にとれて、稽古場に。
到着すると、ダンス稽古も佳境に入っていた。
はじまったのだ。
BEGIN。

9月の映画公開の翌月。
劇団の旗揚げ20周年に当たる10月10日から舞台公演が決まっている。
ほとんど、映画と連続しているからというのもあって、セブンガールズのスピンオフになった。
それも、セブンガールズという作品の前日譚を描くという。
戦前、戦中、戦後。
セブンガールズが、戦後数か月後の物語だとすれば、戦中かもしくは、本当の直後からの物語になる。
瓦礫だらけの街に、あの娼婦たちが集まって、そして、あの歌が生まれる。
役者だけが知っている、役の設定があって、その設定を元に書かれるのだろうか。
もちろん、映画に出てくるいくつかのエピソードと繋がる話も出てくるはずだ。
そのタイトルが「BEGIN of Sevengirls」通称ビギン。
もしかしたら、副題がつくかもしれないけれど、今はこのタイトル。
その稽古が、舞台が終わったばかりなのに始まる。

多くのお客様が映画と舞台を両方見るだろうというプレッシャーもある中。
監督は、あえてその題材を選んだ。
そして、反省会の翌週からの稽古をすることになった。
朝まで作業を続けていた自分は、疲れが残っていたけれど、気合を入れなおして稽古場に向かった。
そんな中、ダンスの稽古が始まったという事になる。
セブンガールズは、いつもダンスの稽古で始まる。

・・・と思っていたけれど、監督が急遽、稽古場に来れなくなった。
まぁ、それは仕方がない。
先週の反省会の続きの話や、試写会の準備の話も進める。
そういえば、あまりPVの話は耳にしなかった。
飲み屋に移動してから、ようやく何人かから聞いたけれど。
皆がどういう風に観ているのか、少し気になったけれど。
どうやら、とにかく、次が楽しみにしていた。
そう、すでにPVが続くのが、当たり前の感覚になりつつあった。
それは、とっても嬉しいことだ。
連続して・・・それも想定よりも早く連続しての公開。
それが「当たり前」になるのが、第一段階だからだ。
当然、次のPVが公開されるし、それが思ったよりも早いとわかっている状態。

30秒という短いPV。テレビCMと同じぐらいか?
観ると、10秒ぐらいに短く感じて、何度か見てしまうと聞く。
なるほど。
それはもしかしたら、PVの本質なのかもしれない。
いわゆる商品の味見に近いものなのだから。
本当に楽しむには作品を観るしかないわけだから。
足りなくて次が楽しみだったり、もっと観たいと思ってくれたら、それはきっと正しいことだ。

やることがないから、これは解散かなと思った頃に、試写会の舞台挨拶の話をする。
思ったよりも有意義な話が出来た。
意外に積極的に皆から意見が出た。
良い傾向だ。
今週中には、ある程度、形が決まるだろう。
それから、各方面に確認すればいい。
意見が出たから、まとめやすいはずだ。

呑んで、帰宅中に、メールに気付く。
ふむふむ。
これなら、すぐに出来そうだなといういくつかの内容。
今日は、さすがにもうベッドに向かおう。

始まっている。
全てが動き始めている。
そこに向かっている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:00| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月05日

30秒の世界

「パンパン小屋の女たち」と題したPVを公開している。

監督と映画の編集をしている時は、自分の体内時計に合わせての編集だった。
芝居のリズム、カットのリズム、撮影のリズム、そういうものから自然と編集点が見えてくる。
ざっと、1度目の編集を終えて、時間を空けて、また編集をしていく。
前後のシーンとの関係性も含めて、繋ぎをコマ単位まで拘っていく。
だから、最初から、時間が決まっていたわけではない。
編集した結果、このシーンはこの尺になった・・・というやり方だった。

PVは、まったくその逆のやり方で製作している。
ちょっとした監督からの依頼の編集があって、その経験が少し役に立った。
とにかく、最初に、タイムラインを30秒に限定してしまう。
その中でどこまで人物像を表現できるのかということをやっている。
だからもっとこれも入れたいなぁ・・・というのもあったりもする。
だからと言って、ゴールを決めずに編集すれば、破綻するのは目に見えている。
それに、人物紹介で、役によって時間が違うのは気持ち悪いなぁと思っていた。

最初の道絵編で、おおよその流れが出来た。
タイトルから、いくつかのカットが入って、映像とお知らせがクロスフェードしていく。
最後は、それまでの映像では見えなかったような部分が浮かんでくるような声だけになる。
そして、最後に、その登場人物の印象になるようなテロップを声にクロスして浮かばせる。
テロップは、監督が書いたセリフの中の一節を、更に短くしたものにしている。
人物像を表すようなセリフはたくさんあって、どれを選んでも素敵なのだけれど。
あえて、そこを引っ張ってくるんだ・・・というセリフを探し出す。
毎回、全148分の映像の中から探すのは大変だけれど、カットもセリフも、記憶されているものが多い。

30秒という短い映像と言えば、CMであるとか、テレビドラマの最後に流れる次回予告だ。
実は、映像編集の中でももっとも厳しい世界なのかもしれないなと思う。
実際、テレビドラマの予告編は、そのドラマの人気度を左右するほど大事なものと言われている。
どこまで出すか、どこで引くか、次回を観たくなるには何を見せるべきか。
安易に予告を創らずに、ドラマのラストシーンだけで、次回へ期待させる場合もある。
CMは、恐らくコマ単価がもっとも高額な映像だ。
コマ単位でCG処理するほど、膨大な予算と時間がかかっている。
CMクリエイターは、最先端のセンスを持ったカリスマたちだ。
その商品のイメージ、そして印象に残すこと、そういうものをどうやって創るのか。
映画とは真逆の思想で製作されていると言ってもいい。
尺が先の編集とは、きっとそういう事なのだと思う。

今回の人物紹介については、尺を決めて、音先行で編集していた。
小節の切り替わりでカットを変えてみたり、曲の盛り上がりとセリフのクロスを意識したり。
音ありきで、音楽のPVのようにカットの編集点を見つけていった。
音楽にはリズムがあり、展開があり、波があるから、そこに委ねて映像を重ねていく。
それだけで、PVになっていくぞという確信があったからだ。
音楽の吉田トオルさんは、なんとほぼ娼婦全員のテーマ曲を書いてくださった。
だからこそ、一人一人のテーマ曲に乗せれば、それが人物紹介になるだろうと思っていた。
結果的に、その人物を演じていた役者たちも感動して、そのリズムまで感じてくれた。

ただ・・・そこでは終わらない。
音ありきではなくて、映像ありきにしようという提案を吉田トオルさんから頂いた。
それは、どんどん更新していくスケジュールを考えるとかなり厳しい提案でもあった。
映像を提出して、音をやりとりしてとやっていたら、SNSの持つスピード感を表現できなくなるかもしれない。
次を楽しみにしている、そろそろ更新されるかな・・・という引きも含めたPV更新をしている。
そうなると、前倒しで、来週再来週の分まで編集していないとかなり厳しくなっていく。
それでも、とても理解できる提案だった。
音に映像を当てたものを観て、更に音を映像に当てなおす。
たったそれだけでクオリティが上がるというのはわかっていたことだからだ。
だから、思い切って、前倒しのスケジュールになるように、無理をしてみた。
一気に、先の先の先のぐらいまで、進めた。
これでまた、30秒の世界が濃く濃くなっていく。

たった30秒。
されど30秒。
遅いテンポの曲であれば、4小節入らないことだってある。
リフレインが面白い曲なのに、1回しで終わってしまう場合もある。
それでも、そこにどこまで、何かを上乗せできるのかだ。
何を残せるかだ。

さあ、切り替えて、今は別の作業に移らなくては。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:48| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする