2017年05月31日

潔く

より具体的なスケジュールを確認するための日程が来た。
どう考えても時間的な制約が厳しい。
とにかく、一つ一つクリアしていくしかない。

久々に編集ソフトを開き、タイムコードの確認をしていく。
紙に書いたら・・・というアドバイスがあったのだけれど。
時間的にも整理しやすいエクセルシートに落とし込んでいく。
この作業が、いざという時のスピードアップにつながれば・・・。
監督は監督で、今の仕事をいつアップさせるかだろう。

思ったよりもはかどった。
シートを50%は仕上げただろうか?
今日はここまでだな。
もう、集中が続かない。
おいらはおいらで、これ以外にもやることがあるけれど。
優先順位を確認して、まず、これをあげちゃうことにした。

再編集する。
ソリッドになった分、更に良い作品にしなくちゃなぁって思う。
やる以上は、どこまでもだ。
もちろん、一度完成させたものは、それで保存してある。
オリヂナル版だ。
それとは、別の版を、急きょ、作成していて。
オリジナルとはまた違った、更に面白いものになればなぁって思っている。

多分、ここから先は、決断力が必要になる。

おいらたちは、それを、潔さと呼んでいる。
いざという場面で潔くなれるのかなれないのか。
それは、たぶん、創作をしている人にとっては、大きなテーマだ。
よく焼き物をしている芸術家が、窯から出した皿を納得いかないでその場で叩き割るとかいうけれど。
あれは、そんなに簡単なことではない。
自分の作品は、自分の息子のようなものだから。
監督は特に優しすぎる人だから、潔さを出せるかどうかは、ギリギリなんじゃないかって気もする。
多分、おいらに出来ることはエディターだけじゃない。

フル回転だ。
どこまでだって行ってやる。
そうすれば、きっと、何かを突破できる。

何かを!!

時に勇気をもって。
潔くならないといけない場面が必ずやってくるものだ。
なに、いつものことさ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:47| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月01日

外部の評価

劇団の俳優が今度の舞台の告知を兼ねて、ネットテレビなるものに出演した。
最初からはどうしても観れなかったけれど、後半はなんとか間に合った。
まったく、テレビとクオリティの変わらない映像。
もちろん、テレビスタジオのような音響設備や映像設備はないとはいえ。
映像が本当に身近にある時代がやってきたことを痛感する。

舞台の告知と、少しだけ映画についても触れていた。
思ったのは、MCの方が、劇団を面白いと知り合いから聞きました!と発言した時。
本人たちが面白いですよ!というのは、もちろん、告知だから当たり前なのだけれど。
外部からの評価がそこに加わった時の、リアリティというか、説得力の違いだった。
外側からの評価というのはやはり大事だ。

例えばレンタルビデオ屋でも。
或いは本屋でもCDでもいいのだけれど。
ジャケット買いというのがある。
もう感性、直感で、良いものを探し当てる瞬間だ。
そういうことって、なんだか、とっても少なくなっている気がする。
インターネットが普及して、誰もが発信できるようになった現在。
誰かの評価を簡単に観ることが出来る。
例えば食べ物屋でも、看板やら佇まいを観て、入ってみよう・・の方が多かったのに。
今では、食べログのコメントをチェックしたりしている時がある。
考えてみれば、人の感覚に頼りすぎているわけで、少し情けないような気もする。
自分で食べて、自分の中での評価が何よりも一番大きくなければいけないのだから。
自分の感性を働かせる前に、人の評価を目にすることは、実は、フィルタを作ってしまう事にもなりかねない。

だから、そういうものを観るな!とかそういうことではない。
すでに、SNSの時代はやってきている。
本屋に行けば、帯の付いていない本はない。
CD屋に行けば、店員のPOPがついている。
食べ物屋だって、自分たちで、どんどん情報を発信している。
時代を巻き戻すことなんかできないのだから、そこまで考えないとだめだよってことだ。

劇団運営というのはとってもミニマムな世界で、非常にやれることが限られている。
その時その時の予算であったり、プロジェクトの規模でも変わってしまう。
実際のチケットの売れ行きで左右されてしまうことがたくさんある。
前パブはあっても、多くの舞台では後パブがおろそかなのは、致し方ないのだと思う。
そこから先は、お客様がネット上に発信してくださるコメントを待つばかりになってしまう。
最近になって、舞台を映像に残して、それを利用する劇団も増えてきたけれど。
後パブをしても、舞台の場合、収入につながる可能性がゼロなのだから。
ミニマムであれば、力を蓄えて、ここぞという時に強く打ち出すなどの方針も必要になってくる。

SEVEN GIRLSの海外でのプロモーションを、国内公開前にしているのは、実はそういう意味が強い。
海外映画祭に出展するというのは、他者からの評価があったという事になるからだ。
自分たちが良い良いと叫び続けることの数倍の説得力が生まれる。
幸い、SEVEN GIRLSは、自分たちが良いから!と言って生まれた映画なだけではなく。
多くの人が、舞台作品の映画化を望んでくださったという、外部からの評価も持っている。
恐らくは、そういう外部からの評価こそ、この映画の最大のプロモーションになる。
国内完成披露試写会や、マスコミ試写会での評価も、きっと、大きな力になる。
実際、友達が観に行って超良かったらしい・・・なんてのが一番映画に行く理由になったりする。
悪い評判も含めて、外部からの評価というのは、その映画の最大の力になる。

ネット放送が終わって。
お疲れ様~なんて思っていたら。
急に、疲れた。
観ているおいらが緊張していたのかなぁ?
よくわからないけれど。
本人たちは楽しんでいそうだったから、そういう疲れはないんじゃないかなぁ。

映画が公開に近づけば。
少なからず取材を受けることにもなる。
映画のメディアは、舞台演劇の数倍の数がある。
ネットメディアまで含めれば、信じられないような数だ。
例え小さな記事だとしても、とっても、とっても、大事になるなぁと思った。
ネット放送で映画の告知・・・というのは、あるかどうかもわからないけれど。
なんというか、ああ、こういうことだよなぁって思った。
やりたくても舞台では出来なかったような告知だってできるのかもしれない。

意識を外に外に向ける。
二人称、三人称、俯瞰。
3つの視点から、何度も振り返るしかない。

それにしても、真夏の熱帯夜のような夜だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:44| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月03日

何かが繋がった時に

THE BLUE HEARTSのセカンドアルバムに収録されている「ラインを越えて」という曲の。
甲本ヒロトが吹くブルースハープがけたたましく頭の中で鳴り響いた。
それがなんのきっかけでなのかもわからない。
とにかく、あのハープが、突然頭の中に湧いてきて、居ても立っても居られない状態になった。
そこに誰もいなければ、身体を揺り動かし、ジャンプして、シャウトしてもおかしくない。
昼日中、普通に生活して突然そんなことがある。
おいらは、頭がおかしいのだろうか?

誰だって、鼻歌を歌ったり、なんとなく頭の中でメロディが流れることがあると思う。
たまたま、今日、その曲が頭の中に去来して、全身の筋肉に刺激を与えてから消えていっただけだ。
ガキの頃に聞いた曲の、それも、間奏が突然、頭の中に思い浮かぶんだなぁ。

そういえば、あの頃「ラインを越えて」という曲名の持つ強烈な意味を理解していなかったなぁ。
そうか。ラインとは、普通にライン川でもあるのかと、この年齢になって初めて気づく。

突然、ホーンセッションであったり、ドラムフィルであったり。
自分の中で過去に聞いた曲の一部分が、頭の中に現れることがある。
とっても不思議な感覚だけれど。
それは多分、誰にでもあるんだろうなぁなんて思っている。
何度も聴いた曲もあれば、大して聞いていない曲だったりもする。
記憶は嗅覚と繋がっているというけれど、音の記憶も、根深い所に繋がっているような気がする。

映画でもある。
海風に吹かれている時に、あっ!と思うぐらい映画の1シーンを思い出したり。
いつかの舞台のたった一つのセリフが頭の中に響いたり。
あるいは、突然、いつか読んだ本を思い出したりする。

人生というのは、なんというか、結局、そんな記憶の集合体な気がしてしまう。
いつか感じたこと、いつか思ったこと、今思ってること。今、感じたこと。
様々な思いがクロスオーヴァーしていって、それが現実になって行く。
そしてきっとそれは、人によって、場面によって、まったく違うものになっていく。
どこからが現実だなんて線を付けることなんか誰にもできない。
人の人生はその人の感覚でとらえたものが現実なわけで、事象が現実ではないのだから。

アーティストと呼ばれる人は、そんな作品を作りたいと口にする。
100年残る傑作を作りたいだなんて良く聞く言葉だ。
でも、自分の感覚で言うと、ちょっとそうなってくると自分の実体験とはずれがある。
作品も残るけれど、その瞬間に感じた自分の思いこそが残るから。
だから、逆を言えばどんな作品だって100年残る傑作になりうるともいえる。
ただ言えるのは、その瞬間に感じた思いと、作品が、シンクロするのかどうかだ。
何かが繋がった時に、きっと、それは強烈な記憶として残る。

「ラインを越えて」のハープは、10代だったおいらの心象風景にシンクロしたのだろう。
満員電車の中くたびれた顔をして夕刊フジを読みながら老いぼれてくのはごめんだ!という歌詞を聞いた直後。
自分の中に生まれた焦燥のようなものが、ハープという形で現出してしまったのかもしれない。
だから、おいらは、自分がただ老いぼれていきそうだなと無意識に感じた時に。
焦燥感と同時に、あのハープが鳴り響くのだろうなと思った。
机の前に座り計画を練るだけで一歩も動かないで老いぼれてくのはごめんだ!とか。
強い刺激を感じたのだろうなぁと、客観的に分析したりする。

つまりそういうことだよ。

おいらの芝居もそうでありたい。
演じる自分は、演じるおいらのものではなく。
観てくださる誰かのものでありたい。
一瞬のシンクロ。
その瞬間から、その記憶は、その人のものになるから。

もう、それ以上もそれ以下も求めない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:46| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月04日

求められているもの

べた入り稽古に入る。
入ってしまえば、ほぼ出来ることはなくなる。
逆に演出過程が終わり、本番週間に入った方が時間は多くなる。
今は、とにかく、お客様の前に立つ以上、芝居のクオリティを上げていくことが最優先になるからだ。
まぁ、そのために、準備だけでも、早めに終わらせておいた。

監督に稽古終了後に、どんなスケジュールで行くのか確認する。
準備しておいた、シーンごとの尺をまとめたシートがあることを伝える。
それがあれば、行ける。ありがたい。との言葉。
計算式を当て込めることが出来れば、自動計算で尺も出るところまで作り込める。
なんとか、時間がある日にその計算式だけはつくっておこう。
まぁ、小一時間もあればなんとかなるだろうし。

ここからは怒涛の演出に入っていく。
演出を重ねて、通し稽古をして、そこからさらに直しての繰り返し。

日本のテレビドラマや映画に、今や小劇場出身の俳優は欠かせなくなった。
今、放映しているドラマで小劇場出身俳優が出ていないドラマを探す方が難しいぐらいだ。
面白いなぁと思うのは、小劇場出身の俳優の求められているものがいつも共通だという事。
その物語のスパイスであったり、道化であったり、狂言回しであったりする。
思うに、求められているのはそういう立ち位置なのだと思う。
例えば、小劇場で話題になるぐらいのビジュアルを持った俳優が何人かいたけれど。
その中で、メディアで生き残っている俳優はいない。
大昔の桃井かおりさんぐらいじゃないだろうか?
羽野晶紀さんも、テレビや映画の世界でのポジションではなかったもんなぁ・・・。
ドラマでも映画でも、やっぱり、キャスティングの段階で日本の場合はプロダクションの力も影響している。
ビジュアルが必要な役は、ほぼその力学の中で埋まっていってしまう。
もちろん、ビジュアルも良くて、かつ何かを持っている俳優たちがだ。
ただ製作側はそれだけでは、物語の動きが重くなることを知っている。
いわゆる脇を固めるというやつだけれど、そこにはやはり、個性と技術を求めているのだろう。
そこに、小劇場出身俳優が、今は、まさにはまっている。

おいらはこれをとても好意的に受け止めている。
なぜなら、小劇場出身俳優は、個性があり、技術が高いと認められているという事だからだ。
面白い奴、個性的な奴が、物語には必要で、そういう俳優を探しているという事だからだ。
「コメディに挑戦してみました」なんて、インタビューで答えるのを見るけれど。
実際、そういう中に、コメディなら何度もやっている俳優が必要だという事だ。
更に元をただせば、それは製作側だけじゃなくて、視聴者も求めているという事になる。
そういう俳優は常に求められていると思ってもいいのだと感じる。

だとすれば。
小劇場という場所はなんと厳しい場所なのだろう?
個性があり、技術を持っていて当たり前の世界なのだから。
そういう人たちの集団だと思われているのが一般的な、信頼できる小劇場俳優なのだから。
役者はなんだって出来るわけじゃなくて、なんだって出来るようになりたいだけだ。
実は挑戦を毎回続けているのだ。
でも、「挑戦します」では、納得してもらえない世界が小劇場ではないだろうか?

繰り返してきた経験があるから、自分なりに、計算も経つようになっているけれど。
落ち着いて考えれば、ゲイノーカイとはまた違った厳しさをはらんでいることに気づく。

だから、今は我慢なのだ。
映画の再編集が迫っているけれど。
まず、プライオリティを舞台に持っていくのだ。
心に色々なことをとどめてもいい。
人間の集中は、実際にはパラレルなのだから。
その中で、どこに力を入れるかなのだ。

舞台が映画の宣伝になるとは欠片も思っていない。
舞台は、自分のスタンダードであるべきだと思っている。
坦々と、やるべきことをやる。
そうありたいと思っている。
それは、自分のためにではなく。
観ている人のためにだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 10:05| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月05日

あんたなら出来るよ

舞台稽古。一日中。
印刷物の編集を稽古中、大きな時間枠があればと用意したけど出来ず。
思ったよりも自分の出番や、その直前で、一度別の作業だったりしていかなかった。
まぁ、仕方がない。

本当はすぐに帰宅して印刷物製作のつもりだったけど、飲みに行く。
芝居の話をする。
思えば、そんな生活をもう20年弱続けているのだ。
芝居とは関係ない話で笑ったりもするけれど。
結局、収まるところは芝居の話。

帰宅してから作業。
作業中に音楽の吉田トオルさんから連絡。
そうそう。舞台台本のデータをコピーしてあったのだったと転送。
状況確認のやり取りを少ししていると、電話が来る。

電話で、30分ほど、状況の説明。
今、舞台に向けて出来ていること、出来ていないこと。
映画の再編集に入っていること。
非常に限られた中で、何をしているかだけは、伝えられた。

そのあと作業に戻り、ここでギブアップ。
まぁ、明日仕上げればいいか。
まだまだ山場は来る。

考えろ。
集中しろ。
自分の出来ることをどんどん見つけていけ。

トオルさんが笑いながら言った。

いや、あんたなら出来るよ。知ってるよ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:37| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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