2017年05月25日

ワールドプレミア上映

カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で河瀬監督の「光」のスタンディングの模様が報道された。
立てないほど泣いている主演の永瀬正敏さんを観て、おいらも感動してしまった。
役者にとって、お客様の拍手以上の栄養はないと、つくづく思う。
特に映像の現場の俳優は、舞台と違って直接お客様と触れる機会が少ないから、感動は大きいと思う。

演じる期間というのは、色々な段階があって。
どんな風に演じようとか、どんな風にセリフを言おうとか、そんな時期はまだまだ序の口で。
そこから先は、自己肯定と自己否定の繰り返しに入っていく。
自分のやっていることが正しいのか間違っているのかも曖昧になって行って。
ただただ、自分のダメな部分ばかり目が行ってしまう時期もある。
それは、それぞれの役者の心の内側で起きていることで、目に見えるものではないけれど。
そういう中でしか、最終的に芝居は出てこない。
お客様の拍手というのは、そんな自己否定を他者肯定に一気に変換する魔法のような瞬間だ。
駄目だ駄目だ、もっとだもっとだ、が他者に受け入れられた瞬間。
それは、心の問題が一人の問題ではなく、共有できる何かであると体で理解する瞬間でもある。
あの拍手がなければ、役者なんて、続けるのは苦行でしかないのかもしれない。
遠く離れた異国の映画館で、一緒に映画を観て、10分にも及ぶスタンディングを浴びたらどんな気分だろうか?
感謝だとかでは表せないような、全てが一つに繋がっていくような、なんとも言えないその瞬間を感じるというのは。

感動を共有してしまった理由は、きっと、今、苦しいからだ。
苦しいなぁと感じているからだ。
舞台で自分の演じる役について考えても、今、映画のプロジェクトを進めている段階においても。
なんというか、果たして本当に前に進んでいるのか、実感の湧かない時期だからだ。
その上、おいらの場合、その苦しみのようなものから離れようとしない。
苦しみは苦しみとして、常に自分のそばに置いておかないと、本当の場所には行けないと思っているからだ。
自分の芝居に自信がないときに、あえて人のダメ出しを聞きたがったりしてしまう。
役者はマゾだなんだ言う人がいるけれど、たぶん、マゾだとかそんな言葉で表現できるものではない。
駄目だと言われて気持ちいいわけではなくて、その先にある自己肯定を探り当てるための道程なだけだ。
あの拍手があるからこそ、自分はその苦しみをあえて、そばに置くのだと思う。

舞台は常にお客様がそこにいて、拍手を頂ける。
役者にとっては、最高の環境だと思う。
映画の場合は、自分のいないどこかで上映されたりしているのだから、とっても不思議だ。
しかも、それが海の向こうだったり、誰かの家のリビングであったりするのだから。

国際映画祭には、プレミア規定というのがある。
映画祭に申請する際に、いくつかの条件があって、その中にプレミア規定というのが設定されている。
ワールドプレミア、インターワールドプレミア、アジアプレミア、ジャパンプレミアなどなど。
時々、日本でワールドプレミア!なんて話題になる映画もあるから耳にすることもあると思う。
いわゆる、ワールドプレミアは、世界での初の公開という事だ。
インターワールドになってくると、自国以外の世界で初の映画祭公開、アジア、ジャパンはアジアで日本でという事。
多くの主要な国際映画祭のプレミア規定はワールドプレミアに設定されていたりする。
だから、他の映画祭にノミネートされれば、もうそれ以外の国際映画祭には出しにくくなっていく。

カンヌ国際映画祭が過ぎると、夏から秋にかけて、世界中で多くの映画祭が開かれる。
だからカンヌで同時開催されている世界最大のマーケット、マルシェ・ドゥ・フィルムはとても重要なマーケットだ。
モスクワも、ヴェネチアも、ロカルノも、トロントも、映画祭でワールドプレミア上映できる作品を探している。
多くの映画祭のプログラマーやディレクターが足を運ぶ時期としても、完璧な時期なのだ。
応募作品があっても、ノミネート前に他の映画祭に選ばれてしまうケースもあるそうだ。
世界的に有名な大きな映画祭などは、6月前半に応募を締め切るスケジュールのケースが非常に多い。
カンヌと違って、内定すると連絡が来るようだ。
それは、他の映画祭とダブルブッキングになったり、プレミア上映ではなくなってしまわないようにするためだろう。
もっとも、カンヌのように本当に発表するまで連絡が来ないと、逆にスケジュールが大変だと思うけれど。

「SEVEN GIRLS」はワールドプレミア上映が出来るだろうか?
もちろん、どこの映画祭に参加しなかったとしても、封切の日がプレミア上映になるわけだけれど。
ただ、やっぱりワールドプレミアとは、国際映画祭の舞台での上映なのだという感覚がある。
映画を愛する人が集まる祭典での上映。
それがもし決まったら、おいらはどんな気分になるだろう?
なまじ、舞台での拍手を知っているから、永瀬さんの姿を見て想像してしまった。
(それも、舞台上ではなくて、同じ観客席で拍手を浴びるのだから)
その会場に行ける俳優は、パンパンを演じた女優ばかりになるだろうし、自分が行けるとも思っていないけれど。
それでも、ワールドプレミアで、拍手を浴びるという状況は想像してしまったりするのだ。

だからきっと、今が、一番大事な時期なのだ。
世界の舞台で作品のセールスをしている今が。
永瀬さんが涙を流したその同じ建物の別の階に「SEVEN GIRLS」が、ある。
おいらは、ただただ、吉報を待つしかできないのかな?
何もできずに、ただ待つしかできないなんて、なんて苦しいのだろう。
今から7月ぐらいまでは、こんな風に、何か良い連絡がないか待たなくてはいけない。
それも、何も連絡がない可能性だってある中でだ。

「シモキタから世界へ」なんて、目標にしているけれど。
本当に、今、世界に行っていて、ワールドプレミアなんて考えていること自体がすでに奇跡なのだけれど。
この奇跡は、まだまだ続くのだと、おいらは思っている。
想像すらできないような明日がやってくると、信じている。

だって、SEVEN GIRLSの登場人物たちは、誰一人、明日を疑っていないじゃないか。
続きを読む
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:26| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月26日

1946

2017年の70th。カンヌ映画祭が幕を閉じようとしている。
発表当日まで、なんかの形でカンヌに行けるんじゃないかと漠然と予感していて。
まぁ、その辺が楽観的というか困った性格なのだけど、わりと本気でだめかぁと落ち込んだわけだけれど。
なんだか、そんな経緯もあったから、ああ、終わるんだなぁとひとしお。
日々のリポートや、オフィシャルSNSの発信なども確認していた。
今は、きっと、どの作品がパルムドールをとるのか話題が集中している頃だろうなぁ。

実は、色々な符号を見つけて、これは偶然かなぁなんて思っていた部分もある。

カンヌ映画祭は1946年に始まった。
あれ?そうなると、71回目じゃないの?と思うかもしれないけれど・・・。
開催されなかった年もあるから、今年が70回目なのだそうだ。
切りの良い70回目。アニバーサリーな映画祭になっている。
本年度は、新人監督映画がコンペティション部門に1本もなく、そこは批判されているそうだ。
いわゆる常連のベテラン監督の作品が並ぶ。
もちろん、内容については、クオリティが高いという事だろう。

1946年に始まったということが、意味していることをやはり、考えてしまう。
第二次世界大戦が終戦になったのが1945年。
その翌年から、映画祭が始まっているのだという事だ。
世界三大映画祭と言えば、ベルリン、カンヌ、ヴェネチア。
つまり、ドイツ、フランス、イタリアなわけで、戦勝国唯一の映画祭がカンヌになる。
一番歴史が古いのがヴェネチア国際映画祭で、1930年代から始まっているけれど。
ムッソリーニ政権のファシズム思想が入っていると言われている時期があって、それに対抗して作られたのがカンヌと言われている。
ドイツは1951年からで、1940年代に映画祭が開かれることはなかった。
ちなみに、日本映画が、国外で評価されるようになるのも1950年代。
黒澤明監督作品「羅生門」も、1951年の受賞で、敗戦国の映画産業が花開いたのは1950年代からなのだなぁと思う。
ヴェネチアも、敗戦国だけに1950年代に入って、花開いたという。
映画産業が、戦後復興し始めるのに最低5年はかかったということになる。

戦争と映画は根が深いのだ。
戦意高揚のために映画が利用された時代もあった。

フランスという国にとって映画産業は平和と自由の象徴ともいえる産業なのだ。
だからこそ、国費を投入して、世界的な映画祭を開催するし、映画産業に寛大だ。
今年の映画祭におけるNetflix問題だって、その辺と密接に関係している。

SEVEN GIRLSは、1946年を舞台にした作品だ。
カンヌ映画祭が始まった年を舞台にしていると知った時に、なんだか、胸がざわついた。
実は、前にどこの映画祭に出したいよねと話していた時に言った話なのだけれど。
この映画は、敗戦国の映画だから、カンヌよりもベルリンの人に見せたいなぁなんておいらは言っていたんだ。
実際に、日本映画が世界の舞台に行くきっかけは、ヴェネチアやベルリンが多い。
そこに、おいらは、なんというか、古き三国同盟を感じるとかではなくて。
敗戦国独特の国民感情のようなものをどこか、感じてしまう。
70年も経過しているから関係ないよ。なんて言葉も聞いていたけれど。
考えようによっては70年しか経過していないのだから。
生の証言も、映像も、生きている人もいて、それを知らない世代も増えてきた現代。
戦争という価値観から脱却して、経済、文化で発展してきた。
ドイツ人と日本人は似ているなんて言われるのも、なんとなく、わかるような気がしてるのだ。
自由の象徴こそ映画であるというのがカンヌだとすれば、文化発展を高らかに歌い上げたのが、ベルリン、ヴェネチアではないだろうか。
一見、同じようなテーマに見えるけれど、角度が正反対だという風に思える。

・・・ちなみに、世界四大映画祭というと、モスクワかロカルノのどちらかが加わるのだけれど。
ロカルノ国際映画祭も1946年から開催されていて、今年がちょうど70回目のアニバーサリーだ。
それを知った時も、はっとした。
ロカルノという土地は、あのロカルノ条約の土地で、この条約を破棄してナチスは第二次世界大戦を始めた。
考えてみれば、ロカルノも、とっても戦争と根強く繋がった映画祭なのだなぁと思う。
ロカルノでも1946年からというのはとっても象徴的だ。

そんなこと考えている人なんかあまりいないのかもしれないけれど。
なんというか、1946年という年は、とっても象徴的だ。
やはり、世界の転換点だったのだなぁとつくづく思う。
戦後の歴史は、そのまま映画の歴史になっている。
映画祭をやろうとした人たちの物語を書けば、きっと、どこかSEVEN GIRLSに繋がるんじゃないかなぁ。

これは、大事なことだ。
なぜなら、映画祭を始めた人たちのスピリットというのが、脈々と受け継がれているはずだから。
関係ないよと一言で片づけるようなことはせずに、おいらは、そういうものを大事に感じたいなぁと思う。

できることなら。
100回目も。200回目も、開催され続けるような世界を願いながら。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:20| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月27日

やるよ。やるしかないもんな。

カンヌ映画祭が終わる。
受賞作品が発表されて、盛大なエンディングが待っていることだろう・

同時開催の世界最大のマーケットも終わる。
Marche du film。
「SEVEN GIRLS」という映画は確かにそこにあった。
何も手助けができない、お任せの場所に。
去年のマーケットのレポートには6日目ぐらいから、関係者が減っていくと書いてあった。
もちろん、最後までまったく誰もいなくなるわけではないだろうけれど。

今日、加藤Pから電話があった。
世界最大のマーケットでのSalesの報告。
なんというか、ため息が漏れて、興奮して、力の入る内容。
ここに書けることは、たったの一つもないけれど。
とにかく、感謝の気持ちがどんどん奥から溢れ出していった。
わざわざ電話で速報を伝えてくださった。

監督と連絡を取る。
完全に舞台のスケジュールと重なってしまったけれど。
もう一度、やらなくてはならない。
覚悟は決まっている。
やる。
監督もおいらも連絡を取った時点で覚悟が決まっていた。

準備期間。
何かがあるたびに夜道で空を見上げると、そこに満月があった。
十五夜お月様。
1/30なのに、なんというか、いつも満月の日だった。

新月の日。
完全に月が隠れる日。
それは、同時に「はじまり」を意味する。
月はゼロから始まって、15日目に完全に満ちて、もう一度ゼロに帰っていく。
永劫とも思える時間を繰り返してきた。
繰り返されてきたはじまりと、繰り返されてきた満月。
目には見えないけれど、月は常に空にある。

まるで、月に導かれるように。
新月の日にもう一度はじまった。
いや、本当の勝負が始まる。

何もないかもしれない。
でも、元々が何もなかった。
何もない所から始まる。
目に見えないところから始まる。
けれど、必ず満ちるのだ。
未来永劫変わることなく、満ちるのだ。

おとぎ話のような話。
ホントの話。

帰宅してHPの試作を続ける。
これから始まる作業を想定しながら。

やろう。
やるしかないのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 07:28| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

みちしるべ

延々とWEBの構築を進める。
途中で飽きそうになるけれど、そうもいかない。
今のはやりのデザイン、そして、スマフォなどへの対応、バランス。
微妙な調整を続けていく。
ガワが出来れば、文章に手を付けていく。今はまだ仮の文章だから。
その全てが終わったら、英語ページぐらい作りたいけれど。

試しに空いているドメインを検索してみる。
予想通り、.comドメインは、埋まっている。
.jpは、まだ空いているけれど、微妙に高い気がする。
ちなみに、.movieドメインは、発行されたばかりで非常にコストが高い。
7girlsにしてみたり、後半にmovieとつけてみたり。
色々とドメインを探し続けてみる。
HPアドレスは、どれだけ覚えやすいかがカギだ。
短ければ短いほどいいし、そうじゃなくても、覚えやすい方が良い。
ただ、最近は、ドメインの短さよりもGoogle検索で上位に表示されるかどうかが鍵だと言われている。
昔ほど、ドメインの取り合いのようなことは起きていない。

OGP設定もしていかなくちゃなぁ。
Twitterにリンクを張った時に、画像と簡単な説明がつくのは設定がしてあるから。
Facebookでもリンク先の表示がされるのとされないのとでは大きく違う。

WEBというメディアが廃れてきたのは、やはり、更新頻度の問題だ。
基本的にはパンフレット的な、紹介がWEBの中心になるわけだけれど。
一度観てしまうと、もう一度訪れる理由がなくなってしまう。
だから、SNS以前は、頻繁な更新や、キャンペーンを繰り返すしかなかった。
BLOGが出てきて、ようやく、日々の更新に近いことが出来るようになって。
SNSで、毎日情報の確認ができるぐらいまでになった。
掲示板などの動的なコンテンツがないと、更新しない限り、代り映えがしなかったのだ。
今や、WEB媒体は、何度も見てもらうようなものではないと割り切っているようにも思える。

こういうことも、地道に学んだ方が良い。
いずれ、別のことでも役に立つのだから。
学んでこそ、わかることがあるのだから。

しかし・・・今、はやりのデザインを学んでいくと。
その更新頻度のためというのと、端末の多様化のためというのがいかに大きいかわかる。
より更新しやすく、より、スマフォでもタブレットでも対応しやすく。
そして、いかにSNSに対応しているかが、多くのHPの中心軸にある。
どこか、似通っていくのも当たり前の話だ。
そして、似通っていってしまうことを特に悪いことだとも思っていないようなすがすがしさもある。

だから、デザインも大事だけれど。
今はむしろ、文字情報のクオリティがもっとも大事だという流れになっている。
いかに、面白いページを作れるかは、やはり文章力などのもっとも原始的な部分になりつつある。
現代のトレンド、時代の病理、共同幻想、そういうものをきちんと受信し続けているコピーライトこそ重要なのだ。
だから、こんなガワをいくらこねくっても、結局はその後が大事になってくる。

そうなってくると、もう、実はWEBなんて必要ないといえばなくなっている。
SNSで十分なのだから。
むしろ、WEBは、SNSに導入させるための看板や道しるべになりつつある。
まぁ、そんな流れも、どんどん変わっていくのだろうけれど。
このBLOGを毎日更新しようと思った当初の考えも、その辺から出た考えだ。
BLOGを中心にSNS展開して、クラウドファンディングをしていったのだ。
それは、やはり、間違っていなかった。
おかげで、達成後も毎日書き続けることになってしまったけれど。

学ぶだけではいけない。
学んで、考える。
標準的なものを目指すのではなく、少しだけ目を見張るぐらいな所を目指していく。
そこまで難しくはない。
少なくても、編集ほど難しくはない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:29| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

心地よく疲れている

稽古場にて現状の報告。
稽古の隙間隙間に、監督と打ち合わせを重ねていく。
やはり舞台本番に差し迫っていて、時間が限られていることを痛感。
細かいスケジュール確認をしてからじゃないと無理だ。

なんせ、すでに稽古が集中的に入ってくるからだ。
それでも、やらなくてはなるまい。
空いている時間があるかと言えば、限られてくる。
当然、稽古だってするし、監督には作家仕事だってある。

現状の報告は何というか…。
監督から言ってくださいと伝えたのだけれど。
少し遅れるから話してと。
ちゃんと内容が伝わっているだろうか?
まぁ、わかろうがわかるまいが、何も変わることはないのだけれど。

恵子が終わり、酒を飲む。
結局、芝居の話ばかりしている。
夢のある話をしている。

話をして、稽古をして、酒を飲んで、夢を口にして。
なんだか、もうかれこれ、何年間、こんなことが続いてきただろう。
笑いながら、笑い飛ばしながら。
それでも、まだ続いている。続けている。

話していて。
間違ってなかったなんて話が出る。
ここで呑みながら話していることは、意外に間違ってないよなって。
本当にそう思う。
呑んで、口にすることなんて、上辺にも思えるけれど。
核心をついていることだってたくさんある。
そして、その核心に、思ったよりも迫っていたよなぁなんて、思う。

さて、何から手を付けようか?
今日の稽古の復習かな?
それは、一晩、寝かせて、明日の昼間にやるか。

自分の中の整理もどんどんつけていかないとだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:38| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする