カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で河瀬監督の「光」のスタンディングの模様が報道された。
立てないほど泣いている主演の永瀬正敏さんを観て、おいらも感動してしまった。
役者にとって、お客様の拍手以上の栄養はないと、つくづく思う。
特に映像の現場の俳優は、舞台と違って直接お客様と触れる機会が少ないから、感動は大きいと思う。
演じる期間というのは、色々な段階があって。
どんな風に演じようとか、どんな風にセリフを言おうとか、そんな時期はまだまだ序の口で。
そこから先は、自己肯定と自己否定の繰り返しに入っていく。
自分のやっていることが正しいのか間違っているのかも曖昧になって行って。
ただただ、自分のダメな部分ばかり目が行ってしまう時期もある。
それは、それぞれの役者の心の内側で起きていることで、目に見えるものではないけれど。
そういう中でしか、最終的に芝居は出てこない。
お客様の拍手というのは、そんな自己否定を他者肯定に一気に変換する魔法のような瞬間だ。
駄目だ駄目だ、もっとだもっとだ、が他者に受け入れられた瞬間。
それは、心の問題が一人の問題ではなく、共有できる何かであると体で理解する瞬間でもある。
あの拍手がなければ、役者なんて、続けるのは苦行でしかないのかもしれない。
遠く離れた異国の映画館で、一緒に映画を観て、10分にも及ぶスタンディングを浴びたらどんな気分だろうか?
感謝だとかでは表せないような、全てが一つに繋がっていくような、なんとも言えないその瞬間を感じるというのは。
感動を共有してしまった理由は、きっと、今、苦しいからだ。
苦しいなぁと感じているからだ。
舞台で自分の演じる役について考えても、今、映画のプロジェクトを進めている段階においても。
なんというか、果たして本当に前に進んでいるのか、実感の湧かない時期だからだ。
その上、おいらの場合、その苦しみのようなものから離れようとしない。
苦しみは苦しみとして、常に自分のそばに置いておかないと、本当の場所には行けないと思っているからだ。
自分の芝居に自信がないときに、あえて人のダメ出しを聞きたがったりしてしまう。
役者はマゾだなんだ言う人がいるけれど、たぶん、マゾだとかそんな言葉で表現できるものではない。
駄目だと言われて気持ちいいわけではなくて、その先にある自己肯定を探り当てるための道程なだけだ。
あの拍手があるからこそ、自分はその苦しみをあえて、そばに置くのだと思う。
舞台は常にお客様がそこにいて、拍手を頂ける。
役者にとっては、最高の環境だと思う。
映画の場合は、自分のいないどこかで上映されたりしているのだから、とっても不思議だ。
しかも、それが海の向こうだったり、誰かの家のリビングであったりするのだから。
国際映画祭には、プレミア規定というのがある。
映画祭に申請する際に、いくつかの条件があって、その中にプレミア規定というのが設定されている。
ワールドプレミア、インターワールドプレミア、アジアプレミア、ジャパンプレミアなどなど。
時々、日本でワールドプレミア!なんて話題になる映画もあるから耳にすることもあると思う。
いわゆる、ワールドプレミアは、世界での初の公開という事だ。
インターワールドになってくると、自国以外の世界で初の映画祭公開、アジア、ジャパンはアジアで日本でという事。
多くの主要な国際映画祭のプレミア規定はワールドプレミアに設定されていたりする。
だから、他の映画祭にノミネートされれば、もうそれ以外の国際映画祭には出しにくくなっていく。
カンヌ国際映画祭が過ぎると、夏から秋にかけて、世界中で多くの映画祭が開かれる。
だからカンヌで同時開催されている世界最大のマーケット、マルシェ・ドゥ・フィルムはとても重要なマーケットだ。
モスクワも、ヴェネチアも、ロカルノも、トロントも、映画祭でワールドプレミア上映できる作品を探している。
多くの映画祭のプログラマーやディレクターが足を運ぶ時期としても、完璧な時期なのだ。
応募作品があっても、ノミネート前に他の映画祭に選ばれてしまうケースもあるそうだ。
世界的に有名な大きな映画祭などは、6月前半に応募を締め切るスケジュールのケースが非常に多い。
カンヌと違って、内定すると連絡が来るようだ。
それは、他の映画祭とダブルブッキングになったり、プレミア上映ではなくなってしまわないようにするためだろう。
もっとも、カンヌのように本当に発表するまで連絡が来ないと、逆にスケジュールが大変だと思うけれど。
「SEVEN GIRLS」はワールドプレミア上映が出来るだろうか?
もちろん、どこの映画祭に参加しなかったとしても、封切の日がプレミア上映になるわけだけれど。
ただ、やっぱりワールドプレミアとは、国際映画祭の舞台での上映なのだという感覚がある。
映画を愛する人が集まる祭典での上映。
それがもし決まったら、おいらはどんな気分になるだろう?
なまじ、舞台での拍手を知っているから、永瀬さんの姿を見て想像してしまった。
(それも、舞台上ではなくて、同じ観客席で拍手を浴びるのだから)
その会場に行ける俳優は、パンパンを演じた女優ばかりになるだろうし、自分が行けるとも思っていないけれど。
それでも、ワールドプレミアで、拍手を浴びるという状況は想像してしまったりするのだ。
だからきっと、今が、一番大事な時期なのだ。
世界の舞台で作品のセールスをしている今が。
永瀬さんが涙を流したその同じ建物の別の階に「SEVEN GIRLS」が、ある。
おいらは、ただただ、吉報を待つしかできないのかな?
何もできずに、ただ待つしかできないなんて、なんて苦しいのだろう。
今から7月ぐらいまでは、こんな風に、何か良い連絡がないか待たなくてはいけない。
それも、何も連絡がない可能性だってある中でだ。
「シモキタから世界へ」なんて、目標にしているけれど。
本当に、今、世界に行っていて、ワールドプレミアなんて考えていること自体がすでに奇跡なのだけれど。
この奇跡は、まだまだ続くのだと、おいらは思っている。
想像すらできないような明日がやってくると、信じている。
だって、SEVEN GIRLSの登場人物たちは、誰一人、明日を疑っていないじゃないか。
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