2017年09月14日

やさしい歌

卒業まで残り半年と言う秋。
おいらは、卒業公演に向けての作品選びで一冊の戯曲を提案した。
この作品をやってみたいと言って、全員で本読み稽古をした。
結果的にその戯曲は選ばれずに、その本に書かれていた別の作品が選ばれた。
3作品の戯曲が掲載された本、その最後の作品は、その秋に公演された作品で。
それを、先生も、たくさんの皆も観ていた。

キャスティングは難航したとも思えない。
2週ぐらいで決まったんじゃないだろうか?
色々なメンバーに本読みをさせて、やらせてみて、合っているか確認してだった。
おいらの通っていた演劇を学ぶ学校では、毎年卒表公演をする。
それまでの発表会とは明らかに違う公演になる。
お客様からチケット代を頂くし、校内ではなく一般の劇場を借りての公演。
その公演に向けての製作も、自分たちで可能な限りやっていく。
この公演からプロの役者だと宣言されるような、そんな状況。

おいらは主演になった。
選ばれたというのとも、勝ち取ったというのとも違ったと思う。
誰もやりたがっていたわけでもないし、おいらが良かったわけではない。

その日から、シアターモリエールへの道が始まった。

圧倒的なセリフ量だけでも大変なのに、段取りも多かったし、作品の意味も毎日考えなくちゃいけなかった。
先生の演出は、イメージからスタートしたけれど、おいらは、もっとと欲しがった。
五里霧中でわからないことだらけだから、もっともっと教えてくれとすがりついた。
気付けば、人格否定に近い言葉も、使用しながらの演出になった。
お前はちゃんと人と付き合ったことがあるのか?
お前はちゃんと女にふられたことがないんじゃないか?
普段から雪駄履きで、そういうのもダメなんだよ。
全然だめだから、お前、あいつのやるの今日は観てろ。やらないでいい。
言いながら先生も傷ついていた。
おいらは、まるで傷ついていないかのように、もっともっとと求めた。
先生は、言いながら、毎日傷ついていた。
言う方が、何十倍も傷つくってわかっていながら、答えてくれた。

さすがに、出来なさ過ぎて、肩を落としていた日がある。
先生は、大丈夫か?と声をかけてきた。
おいらは、負けず嫌いだから、その場で呑みに誘った。
飲み屋でも芝居の話を聞かせろとばかりに、笑顔で。
先生は、一瞬悩んで、行けないと言った。
後から知ったことだけれど、先生の母親の葬儀の日だった。
そんな日も稽古をしてくれて、肩を落とすぐらいまで、真正面からぶつかってくれた。

ギリギリではあった。
壊れちゃうかもなぁって思ったこともある。
でも、先生もギリギリで演出してくれていた。
メンバーには、お前ばっかダメダシされて羨ましいよと言われたりもした。

おいらたちは、劇場に辿り着いた。
チラシもパンフレットも自分たちで作って、セットの仕込みもした。
照明のシュートをして、音響のチェックをした。
それは、すべて、プロの演劇人なら誰もがやることだった。
その全てをやって、リハーサルに挑んだ。

リハーサルが終わって、初日の幕が開く直前。
先生に呼び出された。
リハーサルのダメ出しをもらいたかったから、すぐに向かった。
初日直前にもなって、未だにおいらは、もっと言ってほしかった。

「幕が開いたら、俺の知り合いとか先輩とか、色々言ってくる奴がいるけどな。
 気にするな。お前はよくやったよ。思い切りやれ。」

突然、昨日までとは違う優しい言葉をかけられた。
初日本番直前なのに、涙がボタボタ流れ始めた。
まったく、涙を止めることが出来なかった。
泣きじゃくった。
嬉しいとか、なんか、言葉で説明できるようなことじゃなかった。
とにかく、涙がこぼれてこぼれて、嗚咽が止まらなかった。

何年か過ぎて、先生が亡くなって、先生のお別れ会が開かれた。
たくさんの先生のメモや台本、過去の公演のチラシなどが並んでいた。
そこには、あの卒業公演で先生が使用していた台本も飾られていた。
表紙に、はっきりと書かれていた。
「小野寺で大丈夫か?」
台本の表紙をめくる気にもならなかった。
きっと、メモで真っ黒になっていることは、おいらが一番知ってた。
たくさんの先生の傷があの台本の中に刻まれている。

多分、人生で初めて本気になった日々だった。

演劇学校の生徒で、お前ほど、徹底的に言ったやつはいないよ。と言われたことがある。
言えないんだ。徹底的になんて。
相手が傷つくことがわかるから、言えば言うほど、自分も傷つく。
簡単なことじゃない。
まして、演出家とは言え、生徒であればなおさらだ。
相手に合わせて、言い方だって変える優しさを持った演出だったのに。
もっと言ってくれなんて言って、追い込んだのはおいらだった。

厳しい言葉も。
全てが、優しさだった。
自分が追い込まれたことも。
全てが、優しさだった。
言わなくていい言葉までおいらは引き出してしまった。
それは罪だ。
母親の葬儀の日に、困らせてしまった。
それは罪だ。

先生は心配していたけれど。
先生の知り合いにも、先輩にも、信じられないほど褒められた。
観たこともない先輩にまで、よくやったって言われた。
あれはいったい何だったのだろう?
おいらは、何をしたのだろう?
よくやったのかな?本当に。
今も、自分に問い続けている。


舞台に向かうとは、そういうことだ。
おかしな騒ぎを起こすなら、ここに入ってくるな。
ばかもの。
苦しくて当たり前の世界だ。ここは。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:15| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

お前もいつかは本気になる日が来るさ

おいらがまだ中学生や高校生の頃。
ベビーブームで受験戦争なんかもあったし。
学歴至上主義社会で、受験一つで将来が決まるなんて言われてた。
大学に行けば就職できるなんて、普通に親戚に説得されたこともある。

なんというか、息苦しかった。
四角四面だ。
湾岸戦争は始まるし、冷戦構造で核ミサイルの間にいるし、昭和が終わって時代が変わるなんて聞くし。
オウムもそうだけど、終末思想なんて、あちこちにあった。
レールの上を歩かないといけないなんてそんな中、言われていて。

ようするにおいらははみだしたのだ。
テストの点数で将来が決まるなんて、バカバカしい世の中だったら、ごめんだと思ってた。
むしろ、テストになんか本気になる気にもならなかった。
受験ノイローゼで自殺したなんてニュースを見るたびに、誰が殺したんだよ!と思ってた。
本気になれる居場所を探して、芝居の世界に飛び込んだ。

当たり前だけど、芝居の世界に飛び込んだら、おいらなんか、カス以下だった。
公務員を辞めて役者をやってたり、中にはホームレスの役者までいた。
社会人の年齢で、何十年も社会からはみ出している先輩たちは。
レールから飛び降りたばかりのおいらから見たら、化け物だった。
はみ出して、さまよって、芝居に辿り着いて、そこでやっと本気になった人たち。
これしか出来ないもんなんて、何度、耳にしただろう?

それが、気が付いたら、違和感を感じてた。
自分より若い役者たちは、はみだして芝居を始めたわけじゃなかった。
夢を持って、希望を持って、目をキラキラさせて、まっすぐに芝居を始めてた。
何かから逃避したわけでも、社会不適合者なわけでもなかった。
もちろん、否定なんかできない。
だって、まっすぎで、光ってるんだから。
むしろ、おいらは、自分が恥ずかしく感じた。

ライブハウスも変わっていた。
音楽に出会わなかったら、極道にでもなったかもしれない。なんて人が見当たらなくなった。
夢を持って、夢を歌って、希望を持って、恋を歌ってた。
おいらの違和感は、ずっと続いてた。

今のはみ出し者たちはどこにいるんだろう?
今のはみ出し者たちの吹き溜まりはどこなんだろう?
それが、HIPHOPやクラブ文化だったと聞いた。
それも、今は、だいぶ変わったんだそうだ。
まだまだいるけれど、今は、ポップカルチャーに移行しているから。
HIPHOPしかできない・・・なんて子は、どんどん減っているらしい。

それでいい。
夢をもつ時代が来るなんて。
素晴らしいんだから。

でもさ。
今もいると思うんだ。
四角四面に囲まれたあの日の少年が。
戦争の匂いがして、平成の終わりに時代の変化を感じるいつかの少年が。
夢を持てなんて言われても・・・というはねっかえりが。
ネット文化についていけないよ・・・なんていう、スネ夫が。
自分の居場所が見つからなくて、本気になれる場所がわからない、あいつが。
あの日のいつかのはねっかえりのスネ夫のあいつが。

そいつに観て欲しい。
映画も、舞台も。
いつかおいらは脳天に食らったような電撃を、そいつに叩き込みたい。

お前は自由だ!

クリエイターなんて、別にすごくないよ。
役者なんて、かっこいいわけがないぜ。
社会からはみだしちゃって、これしか出来なくて、ここにいるんだ。
今は、わからないよ。
それがかっこいいと思って、そこを目指している人もたくさんいるから。
でも、いつかの、いじけていた、誤解されやすいお前には、わかるだろう?
かっこわるいけど、さまよって辿り着いただけだけど、わかるだろ?

あの頃のおいらに恥ずかしい自分になってないぜ。今のおいらは。
きっと、お前にだって、伝えられる。
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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:49| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月12日

活躍する理由

今、テレビドラマでも映画でも観れば、必ず小劇場出身の俳優が出演している。
それは、このセブンガールズ製作の根本にもある、見せるもののひとつなのだけれど。
ふと、思うことがあった。

それは、テレビや映画で、名バイプレイヤーと呼ばれている不思議さだ。
実は、今、映像で活躍している小劇場出身俳優たちは、バリバリ舞台では主役を演じてきた。
もちろん、小劇場でもバイプレイヤーな例外な役者もいるけれど。
殆どの人は、主演を経験しているはずだ。

舞台で主演をやれるのは人気でしょ?と思うかもしれない。
そして、人気があるから映像に進出したのだと・・・。
でも、それは多分、半分あっていて、半分間違っている。
きっと、そういうことだけではない。

映像だと、極論を言えば、子役でも主演を出来る。
カメラワークやカット割り、監督の意志でどんなものだって主演に出来る。
なんだったら役者じゃなくて動物でも、石でも主演に出来る。
なぜなら、組み立てをするのが、監督の仕事だからだ。
だからもちろん、小説でも、漫画でも、作家が組み立てるものはそれが出来る。

けれど、舞台はちょっと違ってくる。
なぜなら観客は舞台上のどこを観ても良いように創られているからだ。
組み立てそのものにかかわる視点が、観客に委ねられている。
だから、舞台における主演は、恐らく組み立てもしなくてはいけない。
ここは絶対に伝えなくてはいけない、ここはあの俳優を立てる。
ここの前のシーンでこんな秘密が暴かれているから、少し意識を変える。
そういう細かい組み立てを演出や台本とは別に演技的アプローチでしなくてはいけない。
観客の視点が自由な分だけ、演者が意識することが増える。
その場限りの演技は出来ても、組み立てが出来ないと、舞台で主演はなかなか難しくなる。

面白いなぁと思うのは、アイドルグループを卒業して、女優を目指すという女の子が。
まず最初に、舞台で主演をやるというケースがとても増えていることだ。
最初期に卒業したメンバーは、舞台主演なんて一切やっていない。
けれど、今、テレビで活躍しているなぁと思える女優は、舞台主演をやった女優たちだ。
彼女たちは、恐らく、舞台主演を経験することで、何かを掴んだと思う。
ただ、その子たちは、映像で主演をやることがあまりなかったりする。
バイプレイヤーほどじゃないにしても、4番手や5番手で高い評価をされたりしている。
逆に最初期に卒業したメンバーは、ほぼ映像で主演ばかりやっている。
その代わり、その主演作の評価次第で、浮き沈みが激しくなっている。

アイドルを卒業して、映像で主演を演じることは、資質次第では難しいことではないと思う。
人前に立つことには慣れているし、自分を良くみせることのプロフェッショナルなのだから。
もちろん、良い作品や、良い監督、良い共演者との出会いなど、運の部分もあるだろうけれど。
自分の良さをただただ追及していけばいいのだから。
ただ、バイプレイヤーをやるのは、少し難しいかもしれないなぁと思う。
作品の組み立てを観て、自分の役割をみつけて、それを自分なりに演じることが必要だから。
自分を見せるという視点だけでは、見せ場を作ってもらえない限り、なかなか難しいはずだ。
もちろん、実際にそうなれば、いくらでも助言してくれる人がいるはずだけれど。
だから舞台主演を通過した女優たちは、きっと、自分の役割をみつけることが出来たのじゃないだろうか。
高い評価を映像の4番手5番手で取れるのは、役者自身が役割を理解していないと難しいはずだ。

ドラマでも映画でも、名バイプレイヤーが出ている。
そして、いい味を出しているなぁとか、面白いなぁなんて言われている。
でも、それは実は、バイプレイヤー専門じゃないんだよ。
舞台で主演を張って、作品の組み立てや、役の持つ役割まで、常に考えてきたから出来る。
そして、映像の現場では、非常に頼りになるのだと思う。
シナリオを手渡して一読した時点で、そこまで理解してくれたらどれだけ心強いか。
自分をどう良くみせようという発想の前に、組み立てや役割を考えてくれるわけだから。
そう考えないと、ここまで多くの小劇場出身の主演クラスがバイプレイヤーをやっている説明が出来ない。

セブンガールズは群像劇だ。
それぞれ見せ場はもらっているけれど。
見せ場以上に大事なのは、なんてことないシーンでのそれぞれの役割なはずだ。
それを何年もかけて、学び続けてきたのだから。
だからこそ、群像劇を映画にすることが出来たのじゃないだろうか。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:57| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする