2017年05月20日

ラストシーンで誰もが彼女たちを美しいと感じるだろう。

飽食の時代である現代。
物が溢れて、情報にまみれて、まだ少年と言えるような年齢ですら、情報端末を常備している時代。
わからないことは、端末に声を書ければ即答してもらえるし、観たことのない景色だって、すぐに確認できる。
食べる食料と廃棄する食材の量が、さして変わらないこの時代に「SEVEN GIRLS」が上演される。

なぜだろう?

まず言えるのは、この作品が求められたことは間違いないという事だ。
そもそもが舞台作品であり、古くは14年前に上演された作品だというのに、多くの声を頂き再演を重ねたのだ。
もちろん、求めたのは現代を生きる人なのだから、ただ「面白かった」だけではないはずで。
それがいったい、無意識的な部分も含めて、どこから渇望されたものなのか、しっかりと考えなくてはいけない。

作品の舞台は、現代とは似ても似つかない状況下にある。
誰も想像すらしていなかった敗戦。圧倒的な火力による焼野原。健康な男手の不足。スーパーインフレ。
誰もが、とにかく、その日食べるものをどうやって工面するのかしか考えられなかった時代。占領下。
ある意味、現代から見ればファンタジーと言っても良いぐらいのギャップ。
自分たちがこれからどうなるのか?いつまで占領が続くのか?男たちが帰ってくるのか?
何もわからない中、生きていかなくちゃいけない。
夢も、希望も、もちろん恋も、贅沢品だった時代。

こんなことを書くと怒られてしまうかもしれないけれど。
おいらは、そこに、「憧憬」を感じている。
それほど厳しい時代なのに、そんな厳しい時代にどこか、憧れていないだろうか?
男が時々口にする「俺が幕末の時代に生きていたら・・・」に近い感覚。
終戦直後に憧れるなんて、どこか不謹慎に思えるけれど、この場合、時代に憧れているのではないと思う。
映画「三丁目の夕日」の公開時に、「あの時代は良かった」という声が複数上がったのにも違い。
今と比べて”足りない”ことが、どこか、憧れになっているというパラドクス。

それは全て「心」の問題じゃないだろうか?

夢を持つことがぜいたくで。
希望を抱くことがぜいたくで。
恋をすることがぜいたくだった時代。
そんな中で持った、夢や希望や恋が、どれだけ純粋なものだったか。
生きるためにそんなことをしていられないのに、生まれたもの。
その強烈な「心の動き」に、現代から観ても憧れを抱いてしまう。

何が真実で、何が本当か、境界線がどんどん曖昧になって行く。
実際に逢って話さないと、本当のことなんか何もわからないのに。
いつの間にか手紙になって、電話になって、メールになって、チャットアプリになった。
そして、いよいよ、VRの時代が幕あけしている。広大な電脳世界で合うことが出来る時代が近づいている。
どんな時代でも真実を求める人はいたのに、こんな時代に「真実」という言葉の持つ力は反比例して強くなっていく。

極限状態で持った夢。
どん底で見上げた希望。
本能で求めた恋。
どれも、現代人が求めても手にすることが難しいような心だ。
難しいけれど、もしかしたら、手にすることが出来るかもしれない。
或いは、自分の持つ夢や希望や恋だって、負けていないんだと思えるかもしれない。
そういう憧れだ。

この映画の持つ純粋さについて話したときに。
それは、この映画を企画して、製作して、公開に進む、おいらたちの信じられない純粋さの話だったかもしれない。
けれど、それは、同時に、企画の持つ純粋性とリンクするかのように、物語の持つ純粋性と重なっていく。
まぶしいような、人間の持つ美しさがある。

断言できる。

ラストシーンで誰もが彼女たちを美しいと感じるだろう。

これが最大のこの映画の持つ力じゃないだろうか?
それが最大のこの映画が持つ現代へのメッセージではないだろうか?

美しくありたいから。誰だって。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 11:16| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

春雷

昨日の打ち合わせから帰って、少しずつアンケートが集まってきて。
頭の中で、色々と整理されないまま、様々な情報を叩き込んだ。
これでいい。今は。
たくさんの情報で頭をめちゃくちゃにして、それから、一本の線にしていく。
整理されるまでは、混沌で良いのだ。

アンケートを読むと、2種類に分かれていることに気づく。
一つは、自分の見知らぬ誰かに向かって書いている人。
もう一つは、自分に関する誰かに向かって書いている人。
二人称と三人称。
面白いものだなぁ。

ぐわんぐわんしながら、色々なことを考えたと思う。
久々に詩作もする。
とにかく、インプットだけでは済まない状況になりつつあるからだ。

そもそも、プロモーションのコンセプトを考えることが、開いている。
既存の劇団ファンに見せたいだけならば、コンセプトなんかいらないのだ。
この劇団が映画を創った!だけで、充分に通用してしまう。
そうではなくて、外に向かって開いているからこそ、もう一度コンセプトを考えているのだ。
この場合の外とは、海外も含めた、「世界」そのものだ。
世界に向かって、この作品の何を伝えるべきなのかという事だ。

どんな作品でも。
観てもらえなかったら何の意味もない。
観てもらうための宣伝も。
その作品の良い所をきちんと伝えられないのであれば、作品がないのと変わらない。
あますことなく、伝えるには何が必要なのかという事だ。

春雷が鳴った。

毎春のことなのに、驚いてしまう。
夏の夕立の雷鳴は、記憶に焼き付いているのに。
春雷は、いつも、どこか突然意識に飛び込んでくる。
瞬間、おいらは、分離していた。
自己。自らと己と。
等身大に見えた自分はあまりにも、ちっぽけで、ひとりぼっちだった。

スチールを今、いじっていた。
WEB用の素材づくり。
今からやれることだけでも、少しずつ。

雷に打たれたように。
身体がしびれている。
何か、一本の道が、目の前に開けている。
この道を行けば良いだけなのだ。
春雷に、何か目覚めた。

破裂しそうだ。
爆発しそうだよ。
そういうものが、今、おいらの体の中でぐるぐる動き回っている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:07| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

プロモーションの準備

これから公開に向かっていくための最初の打ち合わせをする。
加藤Pと、おいらの二人だけ。
監督にも声はかけたけれど、忙しかったらしく、むしろ、無理して参加しないで大丈夫と伝えてあった。
プロモーションは、本人がするものではなく、客観性が大事だから、むしろ、ある程度、出そろってからでも良い。
もちろん、プロモーション開始前に、チェックしてもらうのだけは避けて通れないけれど。

いわば、プロモーション開始前の、0日目の打ち合わせと言っていい。
大枠の話をしてきた。

まず、公開時期をいつ頃にするのか。
公開のために必要なことはどんなことがあるのか。
どこにどれだけ予算が必要になってくるのか。
そして、何よりも、営業開始前に、どこが最大の売りなのか。
そこについて、様々な意見を交わしてきた。

加藤Pは、これまでも多くの作品を手掛けてきたから、とても刺激的な内容だった。
社会が持つ無意識的な共同幻想のような話も出た。
おいらは、まだハタチそこそこの頃、時代の病理について、共同幻想について、とてもはまっていた時期がある。
芝居の師匠に教わった吉本隆明さんの本を読み漁っていた。
時代を読むという意味では最先端を行く人だったと今も思っている。
糸井重里さんが、尊敬されているのも、人間性はもちろん時代の持つ無意識にまで突っ込んでいたからだと思う。
その頃に、友人と交わした会話を思い出していた。

この作品「SEVEN GIRLS」が、今、この時代に求められるとしたら。
それは、なんなのだろう?
そんな疑問を自分に問いかけながら、話を続けていった。
まさに、マス・イメージ論そのままだなぁ・・・なんて感じていた。
きっと、加藤Pも、吉本隆明さんなんて知らないのだろうなぁ・・・。
そうか。そういう場所に突入するのか。
思考の迷宮に入ってもおかしくない、ディープな世界だ。

今日は、だから、特に何かが決定したわけではない。
むしろ、何かがスタートしたのだと思う。
ただ、決まったというにはちょっと、おおまかすぎる方向性というか、大枠だけはなんとなく決まったように思う。
それは「嘘をつかないこと」だ。
なんだよ、それ。新婚夫婦の約束かよ!と言われそうだけれど、そういうことではない。
この企画は、ものすごくピュアだと加藤Pが口にした。
映画にしたいという思いからはじまって、本当に、この映画自体が奇跡みたいなものだと。
だから、大袈裟に何かを喧伝するという方向よりも、嘘をつかずに、純粋な思いで宣伝していこう。
そういう方向性だけが、なんとなくなんとなく決まった。

今の時代、情報をどんなに盛ったところで、SNSでもなんでも、すぐにばれてしまう。
だったら、かっこつける方向の宣伝は、結局、軽くなっちゃうんじゃないかという話になった。
この平均年齢で、ちょっと信じられないぐらいの意思で、映画を創っちゃったんだから。
それは、もう、そのままかっこつけずに、進んだ方が良いんじゃないかということだ。
なんとなくな、大枠に思えるかもしれないけれど。
それだけで、随分、今後の思考の方向性が決まってくる。

デザイナーにお願いしたら・・・とか、予算の話をしたり。
海の向こうのカンヌでセールスをやっていて、いついつに、誰それのアポがとってあるなんて、話をしたり。
振り幅が大きすぎて、目が白黒しちゃうような時間だったけれど。
自分がやるべきことが、それまでとは違って、一気に見えてきた。
どこかかすんでいた目先が、一気に広がっていった。

WEB、販促用の印刷物、予告。
やはり、やることになった。
そこを外注する予算があるなら1館でも多くの映画館で上映した方が良い。
一人でも多くの映画ファンに届けた方が良い。
世界のどこにもない、こんな映画、ちょっと気を抜いたら、何もできなくなってしまう。

加藤Pに、最新の映像データを渡してお開き。
解散と同時に、出演した役者全員に、アンケートのメールを送る。
これからのプロモーションの前に、皆の思っていることを吸い上げてまとめ上げる。
無記名のアンケートではなく記名のアンケート。
面白い内容があれば、本人に質問をして更に無意識な部分まで掘り返したりもできる。
その上で、自分もマーケティングして、より多くの、キャッチコピーや、売りをまとめていく。
次の打ち合わせで、より具体的な方向に進む最短距離だ。

帰宅途中に、数人からアンケートの返信。
この人数の意見をあっという間に集められるというのは大きな大きな武器だ。
まとめあげれば、そこに、全体が持つ雰囲気がきっと浮かび上がる気がしている。

プロモーション計画が始まった。
海外セールスと同時に。

ついに、公開を見据えた動きが始まったという事だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:02| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする