2017年09月17日

泉の源流

クリエイターにとって、処女作区品には全てが含まれているなんて、よく聞く話だ。
セブンガールズは、監督にとって初長編監督作品で、きっと全てが詰まっている。

それでも、クリエイターは処女作品の発表後に作品を作り続けなくてはならない。
最初の作品で評価された人ほど、その後、苦しむことになる。
あれが観たいのに・・・と、言われ続けることになる。
処女作品が最高傑作になってしまって、じゃぁ、その後、どう創作を続けていくんだ?という問題だけが残る。
それでも、クリエイターは、作品を製作し続けていく。
実は、そこに、本当の創作の面白さがあるのかもしれない。

遺作と呼ばれる作品を、いくつ観てきただろう?
それは、処女作品とは違った形で、全てを注ぎ込んでいる。
もう自分の命がわずかだと知ったうえで製作された作品もある。
最近では、デヴィッド・ボウイさんの作品になるのだろうか。
或いは、未完のままの遺作と言うのもある。
手塚治虫さんの火の鳥は、アトム編、現代編を書けぬまま、終わってしまった。
それでも、手塚治虫さんは、病床で、ペンを持ってきてくれと言ったと聞く。

病床にあって。
最後に、クリエイティブになる方々がいる。
何か文章を残したい、何か絵を描きたい、歌を創りたい。
そういう方にとって、創作は、人生そのものなのだろうと思う。
生きること、それは、創作することなんだ。

今、手元に一冊の詩集がある。
一般に流通するようなものではない小冊子。
これも遺作。
作品の内容よりも、作品を残そうと思ったこと自体に、生を感じる。

不思議なことだけれど。
処女作の方が、大抵はパワーのようなものを感じる。
遺作は、なんというか、諦観と言うか、俯瞰と言うか。大きな視線を感じる。
処女作のように何かに怒っていたり、何かにぶつかっていたりするような作品じゃない。
もっともっと、大きな視点で、それでもポジティブな何かを見出そうとしている。
同じメッセージなのに、不思議なほど、感触が違うメッセージになる。

一人の作家の人生を、作品で追うというのは、作品を楽しんでいるようで、作家の生きざますら学ぶことになる。

監督は若手監督と言うには、年齢が高い。
それに処女作と言うには、舞台作品を多く創作してきている。
だから、俯瞰の視点も、実は作品の中にある。
独自の視点で切り取った、角のあるような作品にはならない。
それでも、やはり、処女作だなぁと思えるのだから、やはり、初というのは途轍もないパワーを秘めている。
セブンガールズは、面白いタイミングで製作されたんだなぁと思う。
特に、おいらたちは、舞台初期作品から知っているだけに、とても感慨深い。

何かが生まれてきて。
頭の中がいっぱいになって。
もう、出力しないとどうしょうもないんだ・・・。
そういう状況になるからこそ、クリエイターだ。
創作の欲求がある。
それを、泉のようだと聞いたことがある。
水が湧く泉。
きっと、監督の泉も、こぽこぽと音を立てている。
泉が枯れたような気がすることも、クリエイターにはあるというけれど。
実はそれは、錯覚で、初期の感情の爆発のようなものを越えてしまっただけなのだそうだ。
なんにもなくなって、欲求も、或いはコンプレックスもなくなった時。
泉の源流が、ようやく見えてくる。
きっと、遺作というのは、そういう源流のような作品なんだと思う。

詩集の小冊子に目を通す。
なんだかチンプンカンプンだよ。
まだまだ、おいらなんかには、到底理解が及ばない。
遥か高みだ。
死の淵で、ペンを取り、その体力がなくなれば口述筆記してもらった遺作だ。
そのタイミングで、クリエイティブになった、足跡だ。
わかるはずもない。

おいらはまだ、欲求もあるし、コンプレックスで凝り固まっているのだから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:03| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

メンツが揃う

メンバーだとか、仲間だとか、劇団員だとか、出演者ってよくここに書くけれど。
実際、自分が喋っている時は、メンツが・・・なんて言う。
でもメンツが揃うという言葉の「メンツ」の語源を知らない人が意外に多い。
メンツを賭けて・・のメンツと同じだと思っている人がいる。
でも、実は、全く違う意味だ。

メンツは、麻雀用語。「面子」と書く。
4人でやるゲームだから、人数が欠けていると出来ない。
麻雀はかつて、多くの人がやっていて、一時は喫茶店よりも雀荘の方が多かったという。
そのぐらいメジャーなゲームであれば、自然と、麻雀用語が一般用語になって行く。
その中でも、メンツって言葉は、いつの間にかとっても馴染んでいる言葉だ。
麻雀を友人とやる時も、メンツは?揃うの?と必ず、確認し合う。
結果的に5人になったり、3人で仕方なく三人麻雀をしたりもあるけれど。

麻雀には色々な側面があった。
営業活動に利用されたり、顔繫ぎに使用されたり、家族のコミュニケーションに活躍したり。
ルールの複雑さがあるけれど、その分奥も深いし、博打的要素もあるから、初心者が勝つこともある。
元々、占術から始まったものだから、何と言うか、神秘的な要素を感じたりもする。
それに、アウトロー、ピカレスクヒーローたちの伝説がある。

何と書けばいいのか。
やっと、面子が揃ったね。
・・・そう思えることがあった。
揃うまで、きっと、待っていたはずだから。

寂しいことがあると、寂しい気持ちに支配されそうになるけれど。
いつの間にか、そんな寂しい気持ちから逃げ出す方法を身に着けている。
ありもしない世界を妄想で作り上げて、きっと、そこで幸せなはずだなんて。
でも、どうしても、思ってしまう。
きっと、そっちで、麻雀してるんだろうなぁって。
それで、喧嘩でも何でもしていればいいさ。


面子が揃ってからだな。
そう思うことがある。
やっぱり、欠けているなぁと思えることがある。
タイミングが。
状況、人間、全てが揃う時を。
なんというか、これ以上ないなって状況を、今は、面子が揃ったなんて、おいらは使ってる。

なんだか、色々なことが起きるけれど。
ちゃんと、自分の腹に落としていかないとだ。
一つ一つが、何の関係もないようで、どこかが繋がっているような気もしている。
今、なぜ、今、こうなのか。
それは、連綿と・・・様々な細い道が繋がってきたからだ。
きっと、少年時代や、もしかしたら、親の代まで遡って、今に繋がっている。

秋の空気。
朝晩は、冷えてきた。
木々が、色づいてきたね。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 17:37| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月15日

バラバラでも良い

全員で一つになろう!と口では言うけれど、実は、それは限定されているはずだ。
どう限定されるのかと言えば、その一瞬一つになったり、或いは、一部分においてという事のはずだ。
逆を言えば、全員が全員同じだったら、それはそれで、不健全なことだとおいらは思う。

例えば、今、北朝鮮の問題がニュースの多くを占めているけれど。
アメリカから出る言葉も韓国から出る言葉も北朝鮮から出る言葉も、完全に信頼はしていない。
どう考えても、各国の中に、強硬派と穏健派がいて、お互いをけん制しているはずだからだ。
その中から穏健派の言葉が漏れ出てきたり、強硬派の言葉が漏れ出てくる。
けれど、それが国全体の意志かどうか?と聞かれたら、ほぼNOだ。
常に賛成と反対が存在していて、お互いをけん制して監視しているからこそ、健全なのだと思う。
北朝鮮は独裁体制だから、出てくる言葉は一種類だけれど、実際に中身も一種類かは別だろう。

実際、一つになったほうが強度が上がる。
反対意見が両方出てくるような状況は一枚岩ではないと宣伝しているようなものだし。
昨日と今日で意見が揺れるようなことだって起きてくる。
だから、今こそ、一つになって・・・とどうしても考えたくなる。
それでも、そこを乗り越えて、バラバラのまま、何かを乗り越えた方が、本当の強さが出てくる。
もちろん、果断であることが必要な場面は何度も何度もあるけれど、考えることが必要な場面の方が多いはずだ。
結局、一番中庸なことをしてしまったなんてことも起きがちだけどね。
或いは、後回しにしてしまうようなことだってあるのだけれど。
それでも、安易に一つになると、強度は高いけれど、防御に回った時に弱くなる。
懸念する場所をたくさんあげられる方が、長い目で見れば、強いという事だ。

曖昧な部分は常にあった方が良いと、おいらは思っている。

今、国民全体が一つになって!という言葉は、だから一番好きじゃない。
与党も野党も、なぜか、平気で口にするけれど。
なんで、一つにならなくちゃいけないのか、誰かと同調しなくちゃいけないのか。
誰も説明なんかしてくれない。

ただ、一部分だけ、一瞬だけ、一つになるという事は、とってもいいことだと思う。
例えば、この映画を製作するときだって、皆で一つになったわけだけれど。
それは、たった一つ、映画製作を成功させよう!の一点のみで一つになった。
それ以外の部分では当然、異論反論があっていいし、ぶつかるのが普通だ。
或いは、舞台公演をしていれば、会場内が一瞬だけ一つになることがある。
もう、演者もお客様も、同じことを感じている一瞬が生まれてしまうことがある。
この2つの意味での一つになるということだけは、強く信じている。
一部分だけ。指さす方向だけ、共通する。
一瞬だけ、その瞬間だけ、共鳴する。
その二つは、むしろ、奇跡だし、感動までしてしまう。
目的意識や目標が大事なのは、きっと、そのための布石だからだ。
そして、感動するのは、一つになるという事が普通じゃないからこそだ。

まぁ、自分から孤立するようなことをしたり、足を引っ張りあったりは論外だけれど。
色々な視点、色々な議論、色々な考え方があって良い。
どんとこい。
いざとなった時に、力が出れば、あとは、自由なのだ。

そういう中で。
息の合うやつが出てくる。
馬の合うやつが出てくる。
なんとなく、そいつの考えてることがわかってくる。
別に仲良くなくても、信頼している自分に気付いたりする。
お互いが自分の考え方を押し付けるわけでもなく。
でも、理解していく。

そういうのが、一番、窮屈じゃない。
おいらは、そのぐらいが一番信じられる。

一つになるのはそれからだって遅くはないはずだ。
必ず、勝負しなくちゃいけない時はやってくるのだから。

その時のために。
その一瞬のために。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:12| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする