2018年02月09日

情熱という名の免疫

例年よりもインフルエンザが猛威をふるっているらしい。
A型とB型が同時に流行っているからだそうだ。
実際に、自分の周りでも、何人も聞いたし、劇団員でもいた。
電車に乗れば、必ず車両のどこかで、咳き込んでいる人がいる。
どうも、インフルエンザだけじゃないような気がする。
普通の風邪の人や、他のウイルス系の人も、何人か近くにいた。

特に理由なんかないのかもしれないけれど。
ちょっと流行りすぎなんじゃないか?と思うぐらいだ。
学級閉鎖はすでにピークを越えたなんて聞くけれど・・・。
自分がまだ子供の頃は、小学校でインフルエンザ予防接種があった。
低学年の子なんかは注射が怖くて、びーびー泣いていた。
今は、自主での予防接種だなんて知らなかったけれど。
それでも、凄い数の学級閉鎖だったと聞いている。

ここまで囲まれていたら、とっくにかかっていそうなんだけれど、どうもその感じがない。
精々、持病の片頭痛で気持ち悪くなる日があったぐらいだ。
ウイルスを撃退する力が、今は強いのかもなぁとかも思う。

実は、舞台俳優は、舞台が千秋楽を迎えると、バタバタと風邪で倒れていく。
嘘でも何でもなくて、何年もやっているけれど、いつも同じことが起きる。
舞台に向けて緊張している間は、風邪にかからないことが多い。
もちろん、絶対じゃないんだけれど・・・。
稽古で忙しいし、ストレスも多いから、免疫力は下がっていそうなものなのだけれど。
病は気からという言葉は、現代医学からすればダメな言葉らしいのだけれど。
舞台をやっていると、あながち間違ってないよなと思う。
あれだけ、毎日へとへとになって、芝居のことばかり考えていて、体力だって落ちているのに。
へたしたら、アルコールの摂取量だって増えている。
その間だけは、平気というのはどうも解せない。
まるで、すでにウイルスが潜伏していて、その時を待っていたかのように。
舞台が終わると同時に、急に熱が上がって、咳が出たりする。

それと・・・。
これも不思議なんだけれど、舞台本番一か月前ぐらいに、必ず、誰かが風邪をひく。
本番前に終えておくみたいなタイミングで。
稽古場では、とっても嫌がられるけれどね。
でも、実際に、今のうち、風邪になっておいて良かった!なんてケースもある。
あれは、なんなのだろう?
偶然なのかもしれないし、印象的で記憶に残っているだけかもしれないけれど。

受験生がいる家庭にとっては、ウイルスは忌み嫌う最悪のものなんだそうだ。
受験勉強も手につかないし、受験の日に熱なんか出したら最悪だからだ。
家で、少し咳払いしただけで、ものすごい顔で観られるなんて聞いた。
もう少しで、受験シーズンも終わる。
なんだか、ドンピシャで受験シーズンに流行るって言うのも、厭なものだなぁ。

スケジュールの変更が利かない仕事だ。
役者も、スタッフさんもそれは変わらない。
舞台なら、劇場を抑えたら、その日を動かすことは簡単なことじゃない。
映像だって、ロケ地や、周りのスケジュールを合わせたら、もう動かすことは何か月もスライドしてしまう事だ。
肝心な時に、風邪をひいてしまえば、仕事が飛びかねない。

今、自分が風邪をひかないことが不思議だ。
右も左も前も後ろも風邪のような状況だったりしたのに。
まったく影響がない。
もしかしたら、おいらは、セブンガールズの公開が終わるまでは本番状態なのかもしれない。
水っぱなぐらいは出るさ。
でも、急に寒い所に言ったり、急にエアコンが効いているところに行ったりしたときだけだ。
公開したら、ぶっ倒れるかもしれないなぁ。
何もせず歩いていても、心のどこかで、その日のことを考えている。
どうも、その間は、どこかが緊張しているような気がする。

思い過ごしかもしれないけれど。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:31| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月08日

深く刺さる

背中に電気が走って、体が微かに震えて。
自分が自分ではなくなったような浮遊感があって。
そういう激しい感動を一度経験すると、もう一度、そんな経験をしたいと感じる。

感動する作品を創りたい。
それは、映像でも舞台でも、なんでも。
いつか、自分が感じたような感動が生まれるような。
そんな作品を創りたい。

感動すると言っても、どうやって判断するんだよ?と思う。
例えば、コメディなら笑い声というわかりやすい結果がある。
例えば、悲劇や感動作品なら、涙というわかりやすい結果がある。
でも、その深さは簡単に測れない。
どかんと笑い声が起きても、深さの違いのようなものがある。
あれは笑ったなぁ・・・といつまでも忘れられない笑いがある。
あれは泣いたなぁ・・・といつまでも忘れられない涙がある。
それは、受け取る側のモノだし、発信する側が更にそれを知ることなんか出来っこない。
けれど、不思議なことだけど、手ごたえがある。
あれは、なんというか、口で説明できるようなものでもないのだけれど。
カーテンコールの拍手や、お客様の表情や、ほんの小さなことで、感じる手ごたえ。
舞台だとそれがよりはっきりしていて、一体感のようなものを感じたりもする。

去年観たドラマですら、感動したはずなのに、物語を思い出せないことがある。
それなのに、子供の頃に観たアニメで泣きじゃくったことは忘れられない。
それは、感動の深さなのか?と聞かれると、ちょっと難しい。
子供の頃は何もかも新鮮で、感受性が高すぎる。
初めての感動は、忘れにくいし、記憶に残りやすいだろうなぁと思う。
それに、たくさんの作品を観れば、感動をしやすくなったりもする。
年を取ると涙腺が弱くなるなんて言うけれど、様々な経験が、自分の記憶と重なる。
それに、それまでにはわからなかった、感動する場所をみつけるようになる。
ただの日の出の映像が、やけに感動してしまうようになったりする。
人生を重ねた分、感受性や新鮮さが目減りしていたって、モノの意が読めるようになっている。

でも、だからこそ、大人になってからの感動で、忘れられないというのは、凄いことだと思う。
あの時のあのシーン。あの時のあのセリフ。あの作品のあの役のあの表情。
忘れたくても、忘れられない。思い出すだけで、心が動いてしまう。
そういうことが、打率は低いけれど起きる。
映像で記憶したり、音で記憶したり、匂いや他の五感で記憶したり。
文字通り刻まれる。

絶対に感動するような物語のロジックというのはすでに発見されている。
ハリウッド映画であるとか、少年ジャンプであるとかは、そのノウハウを蓄積し続けている。
ストーリーテリング、ドラマツルギー、もちろん、新しい形の物語の発見も続いている。
視点であるとか、現代性であるとか、オリジナリティで新しく見せる方法も確立されている。
そういう既に開発されつくした状況なのに、何でだろう?
どかんと、今でも感動させられてしまうことがある。

深く刺さる。

世界観が変わることだってある。

誰かの人生が変わってしまうことだってある。

そういうことが実際にあって。
自分の生きてきた中でも起きてきたことで。

結局、今も、そういう感動ばかり探しているんだなぁと思う。
忘れられないような、大きな感動を。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:05| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

逆算の芝居

役者は役についてだけ考えればいいという人もいるけれど。
実際には、作品についても、構造から考えられる方が好ましい。
舞台はまだ、瞬間瞬間を生きていけば、時系列に変化していくだけだけれど。
例えば映像なら、時系列通りの撮影とは限らないし、シーンごとに見せたいことまで解った方が良い。
台本が読める役者という言い方をするのだけれど、読めない役者も確かにいる。
うちは、実は大人数の作品が多かったから、一部を演じるという意味では、構造まで考えなくても出来る役はある。
だからなのか、台本を読み解く力について、苦手意識を持っている役者もいる。
今度の公演は3つの班に分かれて、中編を演じることになったのだけれど。
そうなってくると、実は、その場その場を生きるだけでは厳しいから、良い機会なのだと思っている。

逆算の芝居というのがある。
それは、台本を全部把握したうえで、クライマックスに向けて、逆算で組み立てていくこと。
もちろん予定調和になってしまうような、事前にどうなるかわかっている芝居をするわけではない。
後半で、こういう場面があるのだから、ここでこういう芝居をしておく。
そういう芝居の組み立てを創っていくような作業のことだ。
特に、物語を運ぶ狂言回しや、主演、或いはテーマに触れる役だと必要になってくる。

ただ、時々、稽古場で、全然正反対になってしまっていることがある。
役者が陥りやすいミス。
演出家が、なんで、そんなになっちゃうんだ?絶対にやっちゃいけないやつだよ。と口にする。
逆算で芝居をした結果、求めていることと正反対の芝居を創ってしまう状態になる。
それは、クライマックスの行動、或いは口にするセリフを考えて、そこから役作りしてしまった場合によく起きる。
クライマックスに起きることは、劇的なことだ。
例えば、親に向かって、自分はあなたを尊敬しているんだ!と叫ぶシーンがあったとすれば。
そんなことを口にしそうにないキャラクターで演じないと、劇的にならないし、意味がない。
クライマックスとして成立させるためには、むしろ、親を嫌っているかのような役作りが正解になる。
ところが、役者は、不思議なもので、ああ、親を尊敬しているのね・・と役作りしてしまう場合がある。
それを前半にやっちゃって、演出家に、それじゃ正反対だろ!と言われてしまう。
そして、なんで、そうなっちゃったの?と演出家に聞かれたときに。
だって、この子は親を尊敬している人なんですよねぇ?なんて聞いたりする。
それはもちろんそうで、間違っていないけれど、内側に隠しておくことだろう?なんて演出される。
ボタンを掛け違えているから、しばらく、なんでだ?と理解できない場合も多い。

2時間を超える作品を2桁の人数で演じてきたから、色々と得意なことも出来たけれど、不得意なことも出来た。
訓練することは、確実に上達していくことなのだけれど、上達の実感はいつも少ない。
得意なことが出来たからこそ、不得意な部分が見えてくることで、ああ、上達してるんだななんてパラドクス。
中には、毎公演、演出の段階で、絶対にやっちゃいけない奴だよと一度は言われてしまう役者もいる。
なんでもいいから、このセリフがかっこよくないとダメ!なんて言われて混乱してしまったりする。
やれやれ、厄介だなぁと思うけれど、主観を生きる役者は、結局、客観でつまづく。

短編や中編だと、どうしても考えなくてはいけない。
全体感を把握しやすいから、流れや構造まで、見えやすいというのもある。
役の数が少なければ、それぞれのもつ役割の重要性も強くなっていく。
むしろ、人数が減れば、狂言回しなど必要なくなっていく。
全員で物語を運んでいくから、作品を理解しないと、やれなくなっていく。
自分の役のことだけを考えていれば、逆に、成立しないで浮足立ってしまう。
台本を読める役者と、台本を読めない役者。それがあからさまになっていく。
話し合いを重ねることで、今までは見えなかったことまで見えていく。

せっかくの機会だから、そういう部分に真正面から取り組めたらなぁと思っている。
感情の流れと、作品の構造は、往々にして、違った道を描く。
感覚的な部分と、狙いとしての段取り。
相反しているようなことを同時に行うのが演技だ。
そういうことが、いつもより如実になっている。
短いからこそ、より深く、より濃く、濃密な空間を創れるということだ。
そしてきっとそれは、お客様に還元できることだ。
面白さを、より伝えられる。
そういう公演になったらいいなぁと思う。

今まで観れなかった何かに触れてもらわないと。
本番を逆算しながら。
思い続けている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:14| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする