2017年04月15日

再M.A.前夜

さて、明日のM.A.前夜。
時間についてなどなど簡単に連絡。
監督に関しては任せているから大丈夫だろう。

M.A.の準備で、気になるところのタイムコードを書き出しておこうと思っていたのだけれど。
他の準備に追われて、結局、出来なかった・・・。
まぁ、昨日も通しで観ているので、おいらのPCも立ち上げておけば、大丈夫。
気になるところは既に分かっている。

それよりも、明日のM.Aの時に、出す映像の書き出し前の調整に時間を取られる。
もちろん、完全じゃないけれど、テロップも入れ込んでいく。
前回、外付けHDDのスピード問題か、もしくは、ファイルの大きさ問題で、映像遅延があった。
そうならないためにはどうしたらいいか、色々調べた。
Protoolsのリファレンスでは、H.264だと遅延が発生する可能性があるとは書かれている。
デコードにマシンパワーが持っていかれるのかもしれない。
おすすめは、当然だけれど、Avid社のコーデックだった。
ベストは両方の映像を書き出すことだけれど、流石に一晩では無理なので。
テロップはないけれど、事前に書き出しておいた。
ただし、そちらは、100GBもあるので、外付けでは厳しいだろう。
結局、H.264の軽いヴァージョンにした方がすんなりいくだろうと判断。
まぁ、内蔵HDDに移せるなら、Avid社にすれば良い。
もしくは、サンダーボルト経由のHDDなどなら、なんとかなるかもだ。

明日は、自分のPCも開いて、台本を片手に、タイムコードを出しながらの作業になるだろう。
整音時、整音後の2mixと、何度も見ているから、すぐにTCなら出てくる。
Protoolsで探してもらいながらでは時間ばかりかかる。
・・・とは言え、やっぱり、頭のシーンから続けていくだろうから、結局、全シーンになるのだけれど。

今、思えば、何人か役者を誘うんだった。
特にアフレコを後から、数多くした役者。
来てくれたら、いくつか、修正出来るかもしれない。
まぁ、そんな時間ない可能性もあるから、呼ぶのも気が引けるけれど。
でも、少しでも良くしたいと、皆も思っているだろうから。
声だけでも欠けた方が良かったのかなぁ。

さて、明日も、精神的にも、耳も披露するだろう。
前回同様、終われば、へとへとになっているのは目に見えている。

少しでも寝ておかなくちゃだな。

げげ。
書き出し、失敗した!このタイミングで・・・

まぢっすか・・・。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:00| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月14日

文化を育てる人

カンヌ映画祭のコンペティション部門の招待作品の発表があった。
電車の中で思い出して、発表会の生放送をネット再生してみると、全てフランス語。
何を言っているかわからないなりに、日本人監督の名前は全て聞き取れた。
去年はいなかったコンペティション部門に日本人監督の名前が呼ばれた。

違和感を感じたのはその後だ。
主要な映画ニュースサイトなどは基本的に、フォローしているのだけれど。
発表をしても、どこも報道しなかった。
それどころか、他の映画のプロモーション的な記事がアップされたりする。
ノミネートぐらいでは、速報すら出さないのか・・・と、なんか、少しガッカリした。
今、ようやくYahoo!ニュースのエンタメの映画の欄に、ニュースを確認
発表から4時間以上経過してからのニュースだ。
何時間も経ってからの記事で、英語やフランス語のニュースとはものすごい時差がある。
思えば、ベルリンもそうだったし、余りこういうことは報道されないようだ。
同時に資本の入った、動員しなくてはいけない映画会社の映画はどんどん宣伝していく。
主要と思っていた映画サイトも、考えてみれば、映画会社とドップリに決まっている。
それが仕事だし、そうやって、宣伝と広告と読者数とで、運営しているのだから。
別に誰が悪いわけでもなく、一般の人が興味を持っていない、持ってもらえないことが問題なのかもしれない。
それでもやっぱり、海外の映画ニュースとの温度差については、ちゃんと考えた方がいいと思う。
文化には国境がないし、世界と言う基準があるのだから、そこは常に報道するべきだと思うなぁ。

それとも、最後に言っていた、追加作品が発表されてからのつもりなのかなぁ?
どうやら、今日の発表後、明日か明後日に追加作品が2~3作品あるようなことを最後に言っていた。
全作品がそろい踏みじゃないから、速報していないのかな?
でも、海外で日本人の映画が高い評価を受けているのだから、もっともっと、盛り上げた方が良いと思う。
映画界全体で、盛り上げちゃった方が、きっと、最終的には日本映画界全体にとって得になるのにな。
おいらだって、自分で映画を製作していなければ、発表なんか見ないけれどさ。
でも、やっぱり、速報を出すとか、○○作品ノミネート!とか、毎年やってほしいな。

帰宅すると、KORNさんから連絡。
整音データを開いて、確認していた模様。
全体について、色々と確認が来る。
なるほど。
全体的に音量が低いようだった。
そのままレベルを上げれば良さそうなものだけれど。
もし、今の音声データの音量差が激しくあった場合、持ち上げれば、大きな音声は当然歪んでしまう。
同時に、小さな音声に重なっているノイズが、想像以上に大きくなったりすることもある。

ただ、確かにコンチャンがミックスしやすいようにまとめておくから。
そう言っていたのを思い出す。
だから、恐らく、全体的に音声を持ち上げられるぐらいの余裕はあるはずだ。
ギリギリの大きさで整音してしまえば、それこそ、そのあとのミックスでは音をつぶさないと大きくできない。
エフェクトをかける可能性もあるのだから、そこまで計算していると思われる。
だから、それを見越してのデータになっているはずだ。
全体の音声が平均化されて、整えるまでは確かにやってある。

一応、確認のために、PCとテレビをHDMIで接続した。
テレビのチャンネルを、日本映画チャンネルに合わせて、PCから再生データをテレビに飛ばす。
その状態で、入力切替でのザッピングをしてみた。
たしかに、放送で流れる音声と比較しても、全体的に音が小さい。
(いや、触っていない音楽だけは、そこまで小さいと感じなかったけれど)
同時にテレビのスピーカーだと、驚くほど、低音がなくなって、高音も削られてペラペラになる。
とある曲なんか、肝心のメロディだけ聴こえなくて驚いた。
そういえば、カラコレ後に、テレビで映像を見るのも初めてだったので、結局、最後まで観てしまった。

今日、印刷物を入稿したかったのだけれど。
その時間は、ないか・・・?
色々とギリギリだなぁ。もう。
まぁ、焦るな、焦るな。
大丈夫。大丈夫。
まずは0415のMAだし、印刷物もなんとかするさ。

例年通りなら約一週間後に、カンヌ同時開催の、監督週間部門や、批評家部門の発表があるはずだ。
そちらには、僭越ながら、お声をかけさせていただいている。
名前が呼ばれたら、素敵だなぁと、本気で思う。
・・・というか、もう、毎日、天に願ってしまう。
本当に、どんな大学に入学するよりも、厳しい競争率なわけで。
そして、そう思っている人が世界中にいて、素晴らしい作品がきっとやまほどあるわけだから。
まぁ、ミラクルなのだけれど。
しかも、編集途中での提出だったんだもんなぁ。
けれど、何度も、ミラクルなら、この映画で目にしてきたもの。
わずかでも、可能性があるのであれば、出来ると、おいらだけは信じたい。
そうじゃなきゃ、この作品がかわいそうだもの。
そういうポテンシャルのある映画だよと、作品に言ってやらないと。

きっとさ。
報道もされないよ。コンペティション部門ですら、こうなのだから。
けれど、そんなのは関係ないもんね。ぜんぜん。
一人でも多くの人がこの映画を楽しむ機会が、増えれば、それが一番うれしいのだから。
例えそれが地球の裏側に住む人たちだとしてもだ。

おいらなんかが知らない世界で活躍する日本人ってきっとたくさんいるんだね。
どういうわけか、世界的評価をされても、あまりおいらたちが知ることはない。
実際、演劇で世界に渡っても、誰も知らないもんね。
精々、イチロー選手や、本田選手ぐらいしか、報道しないもん。
日本国内での話題になる場合以外は、あまり知られることはないもんなぁ。
なになにちゃんが、台湾のライブで満員だった!とかね。そういうのだけは報道する。
でもきっと、視聴者の求めることは・・・って言うんだろうな。
まぁ、不倫の方が、身近に楽しめるから、それを報道しているだけなのだろうけれど。
おいらは、不倫なんかより、圧倒的にそういうことを知りたいんだけれどな。
誰が悪いとかじゃないけれど。
誰かが、意思を持って、そういうことをしなくちゃいけないんじゃないかって思う。

憧れることもが出るかもしれないしさ。

明日はチェックシートを作らなくちゃだな。
明後日はMAだ。
その為のタイムコードの書き出しだ。
きっと、皆、そんなことをやってきた。
そうやって、あそこで、ノミネートされたんだ。
そういう努力の上で、映画を皆、発表している。きっと。
敬意を表したいなぁ。
記念となる70回目のカンヌ映画祭に選ばれた名監督たちに。
選ばれるだけで、拍手を送りたい気分だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:34| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

共感の向こうの光

フィギュアスケート選手の浅田真央選手が引退表明をした。
凄いなぁと思うのは、引退発表がテレビ速報で流れた瞬間だった。
国民的スターだったんだなぁと、つくづく思った。
子供のころから知っているから、というのもあるけれど。
ここまで、愛されるというのは、やはり才能だし、それは、フィギュアの技術だけで説明できるものではない。
生き方そのものを、皆が共有していたからだと思う。
何度となく逆境が訪れた選手生活をどうしても思い出してしまう。
そのたびごとの、彼女の戦い方こそ、愛された原因じゃないかと思う。

おいらは、Hiphopの素養がないし、いまいち、わからない。
間違いなく、おいらと同世代が始めた音楽活動の一環なのだけれど。
自分の体に落ちてこなかった。
ただ、最近のフリースタイルの番組を見て、興味が出てきていた。
それは、そのLIVEや、戦っている場所が、意外に自分のやってきたことと近いと感じることがあったからだ。
ああ、なんか、同じような部分で、苦しんだり、こだわったりしてるんだなぁなんて、感じていた。
そのHiphop用語で、わからない言葉が、何度も出てくる。
パンチラインだの、フロウだの、ライムだの、普段使わない言葉は、どうしても響いてこない。
彼らにとっては、日常的に使われている言葉で、更に、誰でも知っている言葉にまで発展させたいだろうと思う。
その中で、「レペゼン」という言葉があって、これは、一体、何を言ってるんだろう?と気にしていた。

ご存知の通り、おいらの場合、とにかく、知らなくちゃだめだなと、先に思ってしまう。
まず知って、そのあとで、記憶にとどめるのかどうかは別の話だけど。
だから、案の定、レペゼンって、どんな意味なのか調べてしまった。
これは、「代表して・・」とか、「代表する・・・」とか、そういう意味だと知った。
まぁ、それだけだと、ちょっとなんか軽すぎるし、「代表」って言えばいい。
あえて「レペゼン」って言うという事は、代表というニュアンスだけではズレるのだと思う。

いわゆる集団の代表とはどうやら、ちょっとニュアンスが違った。
例えば、レペゼン川崎!と言ったら、川崎代表!って意味ではない。
川崎に住む、自分の周りの、自分の生活圏の、悪ガキたちを背負っているんだ。
そういうニュアンスが、どうやら、レペゼンには入っている。
今、活躍している彼らには、バックボーンがあって、そのバックボーンをさらけ出しながら、RAPをしている。
中には犯罪歴や、家族、民族的なルーツまで、全て叩き込む。
そういう中で、勝手に俺は代表して言うぜ!ということにはならない。
シンプルに「代表して・・・」と説明してしまうと、口にしてしまうと、どうしてもニュアンスが変わるとはそういう事だ。

確かに、自分の十代の頃を思い出したり、自分が憧れた人を思うと、とても腑に落ちた。
彼らは、自分のことを表現しながら、同時に、リスナーにとっての代表を演じてくれていた。
普通に生きる人が言いづらいようなことまで、堂々と口にしてくれた。
文化人のような頭から出る言葉ではなく、生活から出てくる生々しい言葉をそこで発していた。
自分であると同時に、アイコンになっていた。
カリスマと言う言い方をしたりもしたけれど、もっと、なんというか近い。
身近に感じる、共感。

詩人の吉本隆明さんが、名作とは、「誰もが俺にしかわからないと思ってしまう作品」と書いていたのを、思い出す。
共感を生む表現と言うのは間違いなくあって、そこにしか名作は生まれないのだろう。
いつの間にか、自分を投影してしまうような表現は、いつの間にか自分の物語に変容するからだ。

浅田真央選手は、その精神的な強さに憧れながら。
同時に、皆が、自分だったらどうするだろう?なんて考えさせる部分があった。
お母さんの不幸、成長とともに変わる体格の変化、怪我との戦い。
そのたびごとに、彼女は、強く選択してきた。
その姿を見て、自分なら、こんな選択できたかな?と、何度も考えさせられた。

彼女は別に、レペゼンじゃない。
日本代表だけれどね。
けれど、その姿勢は、うちの母親さえ「ちゃん」づけで呼ぶような身近な存在であり続けた。
いわゆる、アスリートというだけの存在ではなかった。
日本全国民的に共感を繰り返していた。

役者や、物語の世界に生きている。
だから、まったく関係がなさそうだけれど。
どうやら、まったく関係がないわけがないようだ。
人は一人で生きているようで。
実は、そうでもない。
真央ちゃんは、選手を引退したのではない。
恐らく、アイコンから、降りたのだと思う。
彼女はスケートを続けるし、まだまだ若い。
これからは、誰かの期待で滑るのではなく、自分の滑りたい演技をやっていくのだ。
何かを終えたというよりも、何かを始めるということだ。

共感は素晴らしい。
だって、想像とは言え、相手の立場になって、物事を考えられるのだから。
レペゼンと口にして、同じような悪ガキたちを背負って言葉を吐き出す時。
目の前が真っ暗だった、何人もの人間に、光を見せたのだと思う。
その光は、規模の差こそあれ、同じ共感だし、近い表現なのだと思う。

自分は誰かの共感を生んでいるだろうか?
それをもし持っていないのだとすれば、おいらは、なんのために存在しているのだろう?
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:43| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする