2017年04月21日

scale

カンヌ映画祭の監督週間の発表があった。
カンヌ映画祭の主催団体とは完全に別の部門だ。
別部門だけれど、数多くの名監督を輩出した、素晴らしい部門だ。
これで、残すところ、今年のカンヌは明日の批評家週間の発表のみだ。
2017年度の監督週間のセレクションで、日本映画が読み上げられることはなかった。

ちょっと自分でも、信じられないのだけれど。
想像以上に肩を落としている自分がいる・・・。
おいらは、どうやら、本気で選ばれるぞと思い込んでいたようだ。
もう選ばれるのが必然であるぐらいにい思い込んでいた。
お守りを握りしめて、リアルタイムで発表を心待ちにしていた。

英語字幕の部分などなど。
海外に向けての作業の中で、マーケットであるとか映画祭であるとか。
同時進行で進んでいる。
まだ編集工程にある映像に字幕を付けて、最初に提出したであろう部門が、この監督週間だったはずだ。
いや、正確には実はどの部門に結果的に出しているかは、はっきりはわかってないけれど・・・。
最初に名前が挙がっていたのは、確かに監督週間だったはずだ。

カンヌ映画祭なんて、スケールの大きい話だから、当初は、すげえなぁ!とだけだったけれど。
例のごとく、とにかく、色々と知っておかなければと、勉強をした。
カンヌのオフィシャルである、コンペティション部門やある視点部門などは、実は観るのも難しいと知った。
審査員であるとか製作者であるとか、主催団体から発行されるパスがないと、観ることすらできない。
でも、この監督週間では、一般の観客もチケットを取れる部門だというのを目にした時から。
ああ、そこで、「Seven Girls」が上映されたらなんて素敵なことだろう!と思い込んでしまっていた。
日本の監督たちも、数多く、この部門で話題になって、ステップアップしている部門だ。

映画祭のディレクターさんは、「Seven girls」を観てくださったはずだ。
一体、どんなことを思っただろう。どんなことを、感じただろう。
年間で何本もの作品を観ている人からは、どんな作品に見えたのだろう。

恐らく日本映画は何本もこの部門にエントリーしているだろう。
どの映画も、もちろん、わざわざエントリーしたことを公表なんかしないけれど。
多くの製作者や関係者が、この発表を息をのんで聞いていたのではないかなぁ。
「殯の森」や「Kids return」や「大日本人」などなど。
日本の映画とはとっても相性が良い部門だけに、多いのではなかったかと想像する。

しかし、思い込みとは、恐ろしいものだ。
一体何がどうして、確信していたのかもよくわからないのだけれど。
なんとなく、流れ的にそうなるんじゃないかって勝手に感じていた。
もちろん、自分の中で都合よく補正しているのだから、確信の根拠なんて実はないも同じだけれど。
世界的な映画祭を前にして、本気で肩を落とすのだから、どれだけスケールがでかいんだ?と突っ込みたくなる。
まだまだ様々な映画祭もマーケットも続くわけだけれど。
やはり、おいらは、この「Seven girls」は、観ていただければ絶対に届くはずだと信じ込んでいる。

いや、肩を落としながら。
今も信じている。
おかげで、ひょっとして見落としてるのかな?とか、追加で発表されないかな?とか。
なんどもオフィシャルサイトに確認に行ってしまう始末だ。
そのぐらいこの作品を信用しているし、通じないはずがないと確信している。

これで、また一つ。
スケジュール的にははっきりと見えてくる部分もあるだろう。
次のマーケットに照準を絞りつつ。
完パケをまずはあげてしまうことだ。

それにしても・・・。
日本の下北沢と言う街で、小劇場で作品を作っている人間が。
映画の世界の中心のカンヌに、本気で選ばれたいと思ったり、肩を落としたり。
はたから見たら、笑い話だ。
この人、アホだななんて思われても仕方がないのだ。
そんなに甘いわけねぇだろ!と、言われても、まぁ、当然の話だ。

それでも、歯を食いしばって、もう一歩前に進もう。
考えてみれば、全ての工程で、一度は躓いてきた。
ロケ地だって、最初に見つけた場所はNGになったしさ。
他にも、何度も何度も、これでうまくいく!と思った矢先にNGになった。
そのたびごとに、頭が割れるほど考えて、壁を乗り越えてきたはずだ。
流れ的に言えば、一度目の提出では、壁にぶつかって同然だったはずだ。
なぜ、選ばれる流れだと思ったんだろう?

だって、何も変わらないのだ。
一歩も後退していない。
実は、壁ですらない。
選ばれたら変わったけれど、選ばれないのはこれまでと同じなだけなのだ。
作品が変わるわけでもない。
そして、やはり、同じように、世界中の人に観て欲しいという思いは、今も同じだ。
どこまでもどこまでも、遠くまで届けたいという思いが、変わることはない。
そして、最初からずっと、この作品の持つ姿勢は「挑戦」のはずだ。

でもなぁ。
カンヌと言う土地で、お祭りの中で、Seven Girlsが上映されたら素敵だったなぁ。
・・・なんて、何度も考えてしまうよ。
何度も何度も頭の中で想像したことだから。
ばかだなぁと、笑われても、ちゃんと、落ち込むんだ。
落ち込むときは、落ち込む。それが、あとで、パワーになるのを知っているから。

雲をつかむような話かな?
夢みたいな話かな?

ああ・・なんて、ため息が出てしまうよ。
でも、そのスケールで、ものを考え続けるよ。
おいらは。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:57| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月20日

(Even if) Stars fill the sky

(Even if) Stars fill the sky
word:David.Miyahara music:Tooru Yoshida Sing by:Seven girls
theme song on "Seven Girls"
English subtitles for movie translations


Tears are things
You use and throw away
Even if...
it rains tomorrow
I'll be shining bright

Even if I'm too broken
to sing a single note
At least I'm not alone in this world

Even if I'm lost in memories again
Even if stars fill the sky
Even if only sadness visits me
I'll be here

Tears are things
You use and throw away
I can get over any kind of night

Even if I'm too broken
to sing a single note
Everyone will help me


きっと日本では公開されない英語字幕。
何度も読み返しても美しいワード。
今晩、記録しておこうと決めていた。

陽のあたたかな日に。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:32| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月19日

sogno

いよいよ編集も最終工程の調整状態に入って。
今、改めて「夢」について考えている。思っている。
映画「Seven girls」は間違いなく「夢」から始まったプロジェクトだからだ。

叶わないから夢なんだよ
なんて口にする人がいる。
それは、絶対に嘘だ。
多分、それは、本気で叶えようとしていない。

いつか醒めるから夢なんだよ。
なんて口にする人がいる。
でも、醒めているのは、夢になの?自分になの?
眠っている時にみる夢と、等しく考えるなんてナンセンスだ。

シモキタの小劇場で、年に2~3作品発表し続けてきた。
日本では珍しくもない劇団を運営してきた。
公演をして、公演が終われば次の公演の準備を始めて。
それが当たり前の日常のように、延々と繰り返されてきた。
良い作品を作ろうともがいてきた。

いつだったか、監督が口にした。
俺は「人間」を書きたいだけだよ。全ての作品のテーマだよ。と。
作品も、物語も、演技も、笑いも、涙も、全ては媒介に過ぎないのかもしれない。
「人間」を描くためにあるシステムが物語なのだと思う。
物語を伝えるんじゃない。
物語の中に生きる人間を感じてもらう。
そういうことに、おいらは、ずっと取り組んできた。
多分、小野寺隆一という俳優が、目指していることもそういうことで。
だから、監督の作品に出演し続けている。
そしてきっとこれからも、様々な役割を感じながら、そこだけは忘れずに取り組むだろう。

ただそれだけを繰り返し続けるのも、もちろん、それは「夢」だ。
いつか、自分が納得できるような作品になれば。
そうやって、ただただ繰り返していくことだって、立派な夢なのだ。
けれど、おいらは、もう一つだけ「夢」の範囲を広げてしまった。
もっともっとたくさんの人に、観て欲しい。感じて欲しい。
そういうシンプルな夢だ。

映画にしよう。

その一言は、劇団員のかつての夢を思い出させた。
当たり前の日常になった芝居が、もう一度、夢と直結した。
雲をつかむような話で、ピンと来ていなかった役者も、徐々に、雲に手を伸ばしていった。
延々と続くかと思われた日常から、急に斜め上に進むような提案。
半信半疑だったメンバーも、たくさんいた。
でもね。
舞台に立ち続ける夢をすでに叶えているメンバーなんだ。
映画を創る夢だって、きっと、叶えられるさと、おいらは思っていたよ。

「シモキタ」から「世界」へ。
映画にしようだけではない。
映画を創ったね。良かったね。ではないのだ。
そこから、ちょっくら、作品を世界旅行させようぜって話だ。
映画にしようから見ても、きっと飛躍している夢だ。
夢から始まって、映画を創って、それでも、まだ夢を見ている。

映画製作をして、わかったことだけれど。
映画は夢だよ。夢そのものが「映画」だ。
もちろん、映画は産業だし、興行だし、芸術だし、娯楽だし、様々な側面を持っている。
でも、たぶん、映画は、誰かが思い描いた夢から生まれてる。
そうじゃなきゃ、とてもじゃないけれど、映画製作なんてできない。
こんな映画を撮りたい。こんな映画を観たい。この作品を映画にしたい。
そういう夢から始まっている。
ビジネスで作れるものではないし、もしそうだとしたらそれはもう映画じゃない。
全ての基準は、恐らく「夢」だよ。
出来上がった映画とは、夢の結晶なんだ。

おいらは、人が、それは夢の話だろ?と言うようなことに。
常にそれを現実として取り組んできたつもりだ。
夢はみるものじゃなくて、夢は、するものだ。
改めて、そんなことを思っている。
希望を胸に、実現していくことこそが、本来の夢だ。

多分、完成しても泣かない。
まだまだこの夢には続きがある。
そして、その夢は、おいらが始めた頃とは違う。
たくさんのたくさんの人たちが、共に歩き始めてる。

知ってるかい?
明日は必ずやってくるんだ。
まだ見ぬ明日。
きっと明日はこんな日だななんて想像しちゃうかもしれないけれど。
どんなに繰り返されたとしても、明日は、やっぱり誰にも想像なんかできないんだよ。
だって、それは、未来なのだから。
あまりにも当たり前に、明日がやってくるから、忘れてしまうだけなんだ。
いいかい?
明日ってのが、すでに、夢なんだ。

人は、誰にも知りえない、明日のために生きている。
それは、夢に生きているという事で。
だからこそ、映画は夢なんだ。
だってそうだろう?
明日のために映画があるのだから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:45| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする