2017年02月27日

アフレコも終了

アフレコ二回目。
毎日のように映画についてなにがしかをしていたおいらにはわからなかったけれど。
考えてみれば出演者の多くはこのアフレコが撮影以来の映画についての作業だったんだなぁ。
映像を観るのがこのアフレコが初めてだというのはわかっていたけれど。
始めて映像を観るだけじゃなくて、映画に関わることソノモノが撮影以来だったのだ。
そんなことを思いながら、レコーディングしていく。

数か月ぶりに観たあの景色をどう思っただろう。
あのセットのにおい、あのロケ地の空気。
確かに、おいらたちはあそこに集まって、毎日、撮影を重ねた。
あそこで芝居をして、それが確かに作品として残っている。
おいらにはわからない感覚。
久しぶりに見る映像。

目の前のマイクと、目の前の映像と。
セリフと芝居と。
そのことに夢中になって映像どころか、思い出すこともなかったかもしれない。
いや、そもそも、感傷的になるほどの思い出かどうかもわからない。
覚えていない部分もあるだろうし、それぞれが、きっと別の思いだろう。

アフレコなんかできないケースだってある。
収録された素材の中でなんとかして、なければ、もう仕方ないねとなる場合もあるだろう。
あるいは、もうシーンごとカットすることだってあるはずだ。
ましてや、後から演出変更の部分までアフレコできるなんてことは基本的に絶対にない。
そういう意味では本当に貴重な機会だし、自分たちで製作しているからこそだ。

今日は、別にこのままでもいいけど、一応、録音しようよという箇所もあったのだ。

それを皆は小さなタイムスリップをしながら、挑んだのだろう。
数か月のタイムスリップ。
そして、次に映像を目にする機会があるとすれば、関係者試写になるのだろう。
そこでようやく、作品に出合うことになるんだ。
その時は、もう、タイムスリップとも違う感覚になるんじゃないかなぁ。

アフレコが終わった後、何人かから、これでデラッチの作業も終わるの?なんて聞かれた。
終わらないよと、答えた。
完パケまで、まだ工程は続く。
今日録音した音声だって、おいらじゃないとしても、ここからマッチングさせていく。
録音した音声を合わせた部分には、当然足音なども消えてしまう。
その足音も、少しずつ直していく。
効果音や、テロップの作業が続く。
カラコレ用のデータの書き出し作業にも入らなくてはいけない。
今日映像を観て、すげぇ映画じゃんなんて言っていたけれど。
すげぇ、映画なんだけど。
もっと、映画になっていくんだ。

そしてね。
もっともっと、映画じゃなかったんだよ。
本当にね。
本番行きます。回りました。ヨーイ。スタート。はい、カット。オッケーです。
そんな撮影前撮影後の言葉まですべて入っている映像を切ったり張ったりして。
つじつまが合うように再構築して。
それこそ、まばたきのタイミングに合わせて、カットを繋いで。
ようやく、ここまで来たのだよ。

今頃。
皆は夢の中かな?
久々の映像を観て。
夢にあのロケ地が現れてやしないかな?

あの日々が。
少しずつ作品に近づいている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:54| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

アフレコ準備2

明日のアフレコのために、再度、映像のチェックに入る。
KORNさんが整音した結果、小さくて聞こえなかった声が前に出てきて聴こえていたりする。
ああ、じゃあ、ここはアフレコしないでもまぁまぁ成立するんだなぁ…なんていうのもある。
特に、オフマイクだったセリフが、意外にEQで持ち上がっていて驚いている。

出来れば明日のアフレコは、監督の演出的なアフレコをメインにしたいなぁと思っている。
もちろん、まだ、アフレコしなくちゃいけない部分がいくつか残してあるのだけれど・・・。
そもそも音声収録していなかったり、まったく声がなくなっている部分から先週はやったから。
今週は、クオリティアップになるようなセリフを抜き出して、やっていければ。
そう思って、もう一度、頭から観ていった。

観ている時間、ただ再生マシンにしておくのももったいないので、映像も書き出す。
海外映画祭に提出した映像は、カラコレ前で、生々しすぎるので軽くフィルターをかけてある。
フィルムフィルターと軽いコントラストだけだけれど。
だから、今度は映像そのままの生の色のままのデータを書き出した。
来週以降に始まるであろうカラコレ前に、撮影監督に色味を観てもらおうと思ったからだ。
事前にどんな発色か確認できればと思った。
もちろん、忙しい人だから、見る暇なんかないかもしれないけれど、少しでも確認できたら。
そう思った。
カラコレにおいらが同席する予定は今のところないけれど、同席するのかなぁ。
予定が決まって、データをどう持っていくかで大きく変わるだろう。
今見ている映像は、まだ仮の映像だ。
カラーコレクションで、どのぐらい映像が変わるのか、色々観て、何度も驚いている。
これで、この映像を観る人がまた一人増えることになる。

今、実際に、この映像を観ている人ってどれぐらいいるのだろう?
監督とおいらと、音楽監督と、KORNさんと、加藤Pと、古賀P。
それに、シナリオ修正をお願いしたりしたメンバー。
あとは、字幕製作会社の方、海外渉外担当の方、ぐらいなのだろうか?
すでに、この物語の原作である舞台すら知らない人も見ているんだなぁ。
仕事目線で観ているとはいえ、どんな感想を持っただろう。
何も知らない人が、初見でどんな風に感じたか、それが知りたい。

時間をかけてセリフにかけたLRパンは、結局書き出せないとわかった。
他の作業もあるから、KORNさんに、定位は一任する。
おいらなんかよりも、早く、そして空間演出に近いパンナーが出来るのだからその方が良い。
おいらはおいらで、まだまだやることが山ほどあるのだから、そっちに集中しよう。

通しでもう一度観ていたら、こんな時間になっちゃったな。
何度観ても発見がある。
ビデオのない時代、映画は殆どの人が一度しか見る機会がなかった。
その代わり、映画館入場料は、今よりもずっと気軽に入れる値段だったから。
気に入った作品は、何度も足を運ぶなんてこともあったようだ。
娯楽の王様と言われたころの映画の話だ。
今は、ビデオからDVD、Blu-ray、ネット上映と、幅が広がった。
テレビドラマでさえ、パッケージ化されて、二次利用される時代だ。
だから、繰り返し観て、楽しい作品と言うのは、大きな魅力になるとおいらは思う。
この作品は、一度観ると、もう一回観たくなったりする要素もたくさんある。
後半に行けば、前半を思い出し、もう一度確認したくなるような映画だ。
最近のヒット作には欠かせない要素なんじゃないだろうか?

本当はね。
支援してくださった皆様に、誰よりも早く観てほしいなぁなんて思っている。
でも、同時にぐっと我慢もしている。
この作品を映画化したいという思いに同意してくださった皆様のためにも。
日本国内で、完成披露して上映館を探して…という道だってなくはないんだから。
でも、その前に、海外に持っていく。
まだ完成していなくても、持っていく。
そして、海外の映画祭や、マーケットのスケジュールに合わせて、完パケを目指している。
それは、世界に持っていくという目標までを含めて、応援してくださった皆様の思いだと思っているからだ。
そうやって、世界を旅してから、日本に逆上陸する。
その日まで、待っていてほしい。

何度も繰り返し観ているのがなんだか、申し訳ない。
今日も感動しているおいらがいる。

明日のアフレコもしんどいかな?
でも、明日は〆切があるわけじゃない。
少しだけでも、飲んで帰りたいけどな。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:07| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

26文字

昼に書面関係の連絡が届く。
やはり監督の書いたあらすじだけではいくつか情報が足りなかった。
実際に書面に英語表記での記名をする。
なんというか、本当に海外に向かうんだなぁと実感する。

Zenpoukouenfunとも記載した。
海外では、なんと読むだろう?
一体、どんな団体だと思うだろう?

こういう具体的な作業の一つ一つが、やってくる。
提出ギリギリまで、ねばって、少しだけでもクオリティを上げようとしていたのだけれど。
それにしても、それが本当なのか嘘なのかも、実際実感するのは、こういう実質的な作業の時だ。

日本語の語彙は豊かだ。
漢字があって、ひらがながあって、カタカナまである。
母音が5種類、子音が10種類、それに濁音や半濁音もある。
その上、敬語も謙譲語もある。
日本人は、言葉の種類を駆使することで表現をしてきた。
対して、英語はたったの26文字しかない。
26文字で表現するから、修飾や例え、発音や発声で、表現を深めたのが西欧になる。
日本人は敬語を使えば、目上の人との対話になるけれど、英語圏では、態度でも示さなければいけない。
だとすれば、日本語の映画の字幕は、どんな風に伝わるのだろう。
外国人的なオーバーリアクションを特別にとっているわけではないのだ。
わずかな表情、わずかな意識の動き、それを海外でどんな風に見るのだろう?
どんな字幕が付いているのかも知らないままだけれど、不思議だなぁと思う。

おいらは、海外に行ったことは一度しかない。
小学校を卒業して、中学校に入学するまでの1週間弱。
おいらは、従兄弟と二人きりで、ツアーではない香港旅行をした。
まだ見た目は、ほぼ小学生だったはずだ。
ツアーじゃなかったこともあって、わりと、自由気ままな旅だった。
まだ返還前の中国にも観光バスで入国したし、夜の市場にも行った。
おいらは、子供なのに、最終日の頃には一人でも出かけてみた。
ホテルのエレベーターで白人の老夫婦と3人だけになった時も、なぜか、会話をしていた。
いや、英語なんか喋れないはずなのだけれど、身振り手振りのボディランゲージで喋った。
意外にも、なんというか、その時、会話が成立していたなぁと今でも思う。

英語の授業を中学に入った時に嫌いになったのは、実はここらが原因のような気もしている。
会話は勉強して覚えられるようなものではないと肉体感覚で知ってしまったからだ。

それでも書面となれば、そうはいかない。
字幕となれば、もっと、そうはいかないだろう。

そういえば、海外の映画を観るとき、字幕をどうするかというのは人によって違うと知った。
音楽監督の吉田トオルさんと話していて気付いたことだけれど。
おいらは、実は、観て内容が入ってくる部分は、あまり字幕を読まない。
別に敢えて読まないわけじゃなくて、いつの間にか自然とそういう感じになっていた。
もめてるなぁとか、悪口を言ってるなぁとか、喧嘩だなぁとか、ラブシーンだなぁとか。
まあまあ、わかることなら、敢えて読まない方が楽しめると思っていた。
その話をしたら、トオルさんが驚いていた。
トオルさんは、基本的に全ての字幕を読む人なのだそうだ。
どこに物語の重要なワードがあるかわからないじゃん!と言う。
ああ、確かにそうかもしれない。と、その時に気づいたぐらいだ。
実は、おいらは、皆自分と同じなのだと思っていた。
それは、トオルさんも同じだったようでお互いに驚いた。
個人によって違うのだ。

それなのに。
それなのに、話題になったり、感動したりする作品が出てくる。
個々人で、映画の見方が違うのに。
言語の壁があるのに。
宣伝によって、動員を延ばすというのとは違う、心が動くような作品と言うのも必ずある。
その映画にはいったい何があるのだろう?
セリフを気にする人も、しない人も、同じように心を動かされてしまうのだとしたら。

年間に数百本は映画を観ているであろう、映画祭のディレクターさんは、何を観るだろう?
次から次に映画を観ていく中で、海外からの字幕作品もたくさん観ていく中で。

おいらは、やっぱり、映画の中には、物語だけでは語れないエネルギーのようなものがあると思う。
別にトンデモでもないし、宗教的な意味でもない。
それは空気感であったり、その映画に込めた願いのようなものかもしれない。
きっと、それが人の心を動かすし、無意識に観ているものなんじゃないだろうか?

英語の書面を作りながら。
おいらは願った。
届きますようにと願った。
願おうが、願わなかろうが、なんにも変わらないのかもしれない。
変わったとしても、それは、偶然なのかもしれない。
意味のない願いなのかもしれない。

でも、やっぱり、届くんじゃないかなぁ?
願いは映像にも音声にも、なんらかの影響を与えるんじゃないかなぁ?
ロケ地選定も、美術設営も、短い撮影期間も、クラウドファンディングも。
異例の映画製作だと思う。
たくさんの偶然が重なって、たくさんの思いを頂いて。
たくさんのアイデアで、壁を乗り越えてきた作品は。
やっぱり、願いがあったから、ここまで来たのだ。
だとすれば、この映像には、届いてほしいという願いがきっと映っているはずだ。

具体的な作業だ。
願いでしかなかったことを、今、実際に行っている。

きっと届くよ。
おいらは、そう思う。
同じ人間である以上、それ以上に共通するものはないんだから。

思いは、国境も国籍も、目の色も肌の色も、思想も宗教も。
何もかも関係なく共通しているんだから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:36| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする