2016年11月19日

編集開始

夜に監督と待ち合わせて、ノマドカフェに入る。
いわゆる電源フリー、wifiフリーなカフェだ。
とは言え、別に個室なわけでもなく・・・衆人環境。
そんなカフェで、「セブンガールズ」の映画の編集が始まった。

監督用のモニタと、ヘッドフォンを渡す。
しまった。ヘッドフォン2つ用意したけれど、1つしか出力しない・・・。
こればっかりはしょうがない。
ヘッドフォンアンプを買うのはちょっと気が引けるなぁ・・・。
安くて、2系統の出力で、モバイルな製品があれば検討するしかないか。
エディターが、音なしで編集をするのは相当厳しい。
かといって、監督が音を聞かないで指示なんかできるわけがない。
幸い、翌日の編集場所は個室予定だから、なんとかなるだろうか?
とは言え、二人揃ってヘッドフォンをつけていたら、会話が出来ないか・・・。
なんか、別の手がないか考えよう。
やっぱり、軽くて持ち運びできないと意味もないだろうし。

今日は粗編集で、ここはこれ!ここはこれかな。と、どんどん指示が出て進むと思っていたけれど。
そうは、問屋が卸さなかった。
最初のシーンから、ここにこれをやってみて。
んー、違うか、ちょっとこれ試してみようか。
その繰り返しが最初のシーンから連続で飛んでくる。
まだまだエディットになれないから、ついていくのに精いっぱい。
言われてすぐに対応するけれど、いじっている最中もモニタ出力されるから、そこじゃなくて・・・が飛んでくる。
まあまあ、想定内ではある。
やはり、監督専用のコントローラがあるといい。
監督が、ホイールを回して、ここで切って!というのが一番早いと思う。
慣れとコンビネーションが完成されれば、クオリティが上がるのは見えた。

最初の2時間で、やっと1つのシーンの仮編集が終了。
もちろん、これも、まだ仮の段階で、最終的にはもっとソリッドになっていく。
続くシーンは長めのシーンで素材も多いから、覚悟していたけれど、結局、途中で閉店となった。
つまり、初日は1.5シーンで終了。
もちろん、そもそもカットの少ないシーンもあるし、1カットのシーンもある。
チョイスのしようがないシーンもあるから、早いときはどんどん進むだろう。
だから、それほど気にはしていないけれど。
最初から、思ったよりも細かい部分までこだわっていた。

監督もおいらも集中していたから、結局、一服休憩も一回だけ。
空腹にもならずに、ドリンクだけで、進んでいった。
飴玉を買っておいたのだけど、封を開けるのさえ忘れていた。

おいらが思うに、今日、編集した個所は、結果的に全部変更になると思う。
まぁ、もちろん、そんなつもりでやっていないし、決定しようと作成しているけれど。
編集が進んで、コツのようなものや、方向性が固まったら、きっと変わるなと予感した。
今日やった編集は、もちろん本番だけど、同時に予行演習的な部分もあるのだ。
時間的な都合があるかもしれないけれど、ここで妥協なんかできない。
そのお互いの確認だったと思う。

編集という立場に立つと、芝居感がまた一つ変わる。
芝居がすべてなのに、編集という場所に行くと、芝居が素材になる。
リアルタイムでそれを体感している俳優というのも不思議な存在だ。
素材になっているから芝居を否定するわけではない。
俳優の矜持を持ったまま、編集という場所に立っている感覚。
浮遊感というか、宇宙に立って芝居を観ているような俯瞰の感覚を覚える。

解散した後も、浮遊感は抜けず、夜も遅いのに、寝ているわけじゃなく電車を乗り過ごす。
ようやく帰宅して、軽く、食事をとってから、もう一度、今日編集した部分の整理をした。
思ったように、映像と音が少しずつずれていたり、タイミングが甘い部分もある。
その辺を整理して、やっと、今の時間だ。

明日は朝から一日中編集予定だけど。
まぁ、明日になってから時間を決めましょうと解散をした。

編集は迷路のようだよ。
ここが答えだと思っても、まだまだ奥が深い。
いじりたおして、結局シンプルに戻ることもある。
この繰り返しが終わっても、きっと、全体を見てまた変わるだろう。

大変は大変だ。
監督も大変だ。
おいらは、もう、頑張れよと。

でも。
大変だけど。
慣れない部分も多いけれど。
やっぱり、どこか楽しい。
監督と二人、食べることすら忘れて集中してクリエイトしている時間。

まだ100分の1にも満たないけれど。


posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:16| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月20日

編集二日目

前日のノマドカフェから変わって、本日は午前中から、コワーキングスペースに。
ここ数年で一気に増えたけれど、老舗に伺う。
監督が来るまでの間、オーナーと二人で話をする。
自身もプログラマーであり、とても、スマートな方だった。
おいしい濃い目のコーヒーを頂き、監督が来るまでの間にセッティング。
持ち込みのノートPCに、設置してあるモニタを接続する。
持ち込みの液晶ディスプレイとノートのディスプレイ合わせて3画面。
わりと、映像編集においては贅沢じゃないだろうか?
基本的には2画面以上がやりやすいと言われるけれど・・・。
エフェクトなど殆どかけない分、グラフィックボードのリソースが、出力に使えるのも大きい。

様々な人が集まり、仕事をする場所でも映像編集は珍しかったようで。
途中で、写真撮影していいですか?なんて聞かれた。
3画面の前で、監督とエディターが、モニタを睨んでいる後ろからの構図。
確かにちょっとおもしろい写真かもしれないなぁ。
後ろに人がいたら、どんな映画かわかるのだろうか?
まぁ、音声が小さいし、何度も巻き戻したりしているから、ちょっとわからないかもしれない。

今日は時間もあったから、前日のチェックから始めたけれど、前日の倍ぐらいは進む。
シーン数でいえば、4シーン進んだのだから、早いのか遅いのか。
ただ、監督もおいらも明らかに前日よりも音などの環境の良さもあって、慣れてきた。
一つのシーンに至っては2カメのアングルのスイッチングのような編集だけで済んだ。
同じ芝居を二方向で撮影しているから、切り替えも容易。
同じ芝居を2回やってくれと言われても、役者ってそんなに簡単な生き物じゃないのがわかる。
座りながらのセリフなんかは、まったく腰の高さとセリフの位置が毎回違ったりする。
そうなると、そこでは繋げない。さて、どうしようか・・・がはじまる。
ただ、前日は、そこでどうしようか考えていたのが、2日目になると、じゃあ、前のあの動きかなぁ?とかになる。

面白いのは、監督と微妙にシンクロも始まってきたことだ。
映画を観ていても気づかないような部分かもしれないけれど、役者の視線の動きがあって、こっち見てからだなぁ。とか。
その辺で、監督が指示するであろうカットポイントが、だいぶ、事前にわかるようになってきた。
そりゃそうだ。おいらは、この人の演出を18年されて、見てきているのだから。
感性も見せたいものも、やっぱり、そこだけはプロのエディターよりもアドバンテージがある。
見せたい芝居、変えたいタイミング、見せたくない芝居。
そういうのが、わかってくれば、編集も早くなっていく。
思わず映像を見て噴き出すポイントなんかも、シンクロしていく。
まぁ、違う笑いポイントももちろん多数あって、そういうのも面白いのだけれど。

相変わらずろくに食事もとらないで、結局、そこに10時間も滞在した。
帰宅してから食事を取ったら、もう、がっつりと眠っていた。
なんだかなぁ。
起きて、届いていた荷物を開いて、監督用のコントローラーをプリセットする。
これで、おいらがトイレに立っても、監督がチェックぐらいは出来るし、編集点を探すぐらいは出来る。
コントローラーは感性で扱えるから、マウスやキーボードとは全く感覚が違う。
ショートカットキーなどもマスターすれば云々の人もいるけれど、そういうことじゃないと思うな。
もっと、アナログな感覚的な編集が出来るようになるツールなんだって思う。

プリセットを確認するためにも、今日の編集の整理作業を深夜に開始した。
音がずれていたり、重なりすぎていたり。
普通のカット編集だけしているのに、いつの間にかトランジョンが乗っていたり??
なんでやねんな最後のお疲れ作業の直しをしてみる。
ついでにコントローラーも触りながらの作業。
ちょっと面倒だなぁと思って、サブディスプレイは出していないけれど、やはり作業効率が上がる。
監督なんかDJ経験もあるから、すぐに使いこなすだろうなぁという予感がする。
基本的に、素材が音か映像かの違いだけで、人間の指で扱えるものなんて、そうそう変わらないからだ。

本当は、帰宅してすぐに、バックアップも考えていた。
BU用のHDDが届いている。
でも、どうせ残すなら今日までの編集をまとめてからだなぁなんて考えていたら。
すっかり、こんな時間になっている。
合わせて、今日は何時間編集していたのだろう?

すごい時代になったもんだ。
だって、おいらのバッグは、モバイルスタジオなんだぜ?
コンセントがさせれば、そこがどこであろうと、スタジオになっちゃう。
こんなこと何年か前なら想像もできなかったんじゃないかなぁ。
少なくても、モバイルには程遠い重いノートだったんじゃないか。
3画面に出力できるモバイルノートなんて、ちょっと信じられなかったもの。
このPCは、実はモバイルワークステーションのゲームPC版だ。
まぁ、ゲームなんかしないんだけど、3Dゲームがサクサク動くグラフィックボードが入ってる。
だから、実は、このPCで3DCGを追加できるし、書き出しまでやれる。
そこまではしないとしても、そこまで出来るスペックがある。
なんだったら、映画館に持ち込む最終形であるDCPも書き出し出来るらしい。やらないけれど。
バッグ一つの中に、スタジオが入るなんて、とても信じられない。
数年前の何億もするようなスタジオルームと出来ることだけでみれば大差ないのだ。
まぁ、操作性とか、ハードディスクの親和性とかネットワークとかはないとしてもさ。

おいらのモバイルスタジオ。
このカバンの中には、何が入っているんだろう?
中を覗いたら、PCとモニタとヘッドホンとマウスとコード類が入ってる。
それに一冊、アプリケーションの本が入っていて、シナリオも入ってる。
そして、そのわきに、飴玉が入ってる。
疲れたら、飴ちゃんを舐めながら作業するようにしてるんだぁ。
まぁ、まだ撮影が残っているからノンシュガーだし、血糖値が上がらないから脳になんか作用しないけど。
作用しなくてもいいんだよ、気分だからさ。
もうカバンには何も入ってないかなぁ?
カバンの中も、机の中も、探したけれど、もう夢なんかみつからない。
とっくに、夢の中にいるから。
夢の中にいれば、もうそれは夢じゃない。
圧倒的にな現実だ。

うふふ。さあ。
とっくに、おいらは、踊っている。
飴玉を転がしながら。
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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:45| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

編集中でも稽古日は来る

稽古だった。
稽古場にモバイルバッグを持ち込む。
稽古前に少し時間があるかもしれないし、たまたま早く終わることもあり得る。
それなら、監督もいるのだから編集を少しでも進められる。
仮に、出来なくても、前日までの編集の直した部分の確認ぐらいは出来る。

少ない時間は有効に。
かつ、作業効率を高めていくことで、よりクリエイティブになっていく。
仮に何も作業できなかったとしても、作業できる空き時間が生まれて公開する何倍も良い。

せっかく、稽古場に端末があるから、撮影中のスチールを皆に見せる。
・・・とは言え、2500枚もあるから、全部は不可能。
仕込み~リハの写真は飛ばして、撮影初日と二日目の写真を皆で見た。
いちいち、写真に突っ込みが入る。
写真を見ただけで、ちょっとした大騒ぎだ。
編集の終わった映像を見たら、どうなっちゃうんだろう?
まったくもって賑やかな連中だ。
三日目以降は時間もなかった。
来週以降に時間があるとも思えず、このまま見れないかもなぁ・・・。

編集の直しを入れた部分まで監督に見せられる話をすると、役者の一人が見たいと言う。
そう、本来、役者が編集中の映像を観ることなんか、絶対にありえない。
撮影が終われば、一号試写や、よくてもアフレコまで、映像の確認は出来ない。
それが出来るという非常に珍しい機会でもある。
もちろん、まだ色の調整も、音楽も、効果音も、整音もしていない編集状態だ。
それでも、やっぱり勉強にはなる。
いいよぉ~。どうせ、後半とか監督に見せるしねえぐらいの乗り。

でも、スチールと違って、俳優の大半は、出来上がりまで観ないと端末のそばを離れた。
監督も当然ながら、途中段階を見せたくない。
でも、同時に、見ている人の反応は、ちょっと気になっている。
そんな状態で、数人だけが編集された部分まで確認した。
映像が切り替わると、おお!と声が上がる。
わ!すごい!なんて、声も出る。
先に観ちゃうと、実際の公開で楽しみが半減しちゃうなんてことは、実はない。
編集しているおいらでさえ、公開されたスクリーンで見れば、確実に感激するだろう。
そういうのは、音楽で、さんざん味わってきた。
レコーディングしたり、MIXしたり、マスタリングしても、出来上がったCDを聞けばやっぱり感動するし、何度も聴いた。
でも、まぁ、今、観るのは勿体ないという気持ちもわからなくはない。
微妙なラインなのかもしれない。

観た人間が、はっきりと言ったことがある。
前方公演墳のテンポじゃん!いいじゃん!と。
同時に、勉強になった。と言っている俳優もいた。
芝居中での繋ぎや、カット割り、自分が思っていた画角との差。
まだ撮影時の記憶が生々しいだけに、色々と見て分かったことが多いという。
そういう感想は、これからの編集の活力に変わっていく。
何度も編集を繰り返していれば、何が良くて何が悪いか、感覚が麻痺する。
けれど、初めて見た人の感想は、何が良いのか、すぐにリターンがある。

もちろん、シナリオを熟知して、芝居を知っている俳優の言葉だ。
実際のオーディエンスの言葉は、また違ったものになるかもしれない。
身内びいきもあるし、完全に信用できるわけじゃない。
だから、これでいいのか?という疑問は、やっぱり常に抱えた進むしかないのだけれど。

監督も映像をチェックしながら、同時に観ている俳優の反応を確認していたように思う。
このままラストまで編集をし続けて、その途中で絶対に来るであろう、壁を乗り越える前に。
とても良い機会になったなぁと、終わってから思った。
これ以降の編集状態は、再生する時間も長くなるから、そうそう見せられることもないだろう。
流石に、30分もの鑑賞会なんて、稽古中に出来ないだろうから。
だから、よほどの機会がない限り、次に観れるのは、かなり先になるかもしれない。
いつか、また。機会があればだ。

帰り、稽古場の外で、少し話をする。
編集中の映像だけで、監督にすごいと話している俳優がいた。
うん。
そうやって進んでいく。
恐らく、今日の段階の映像は、次の編集の日には違うものになるだろう。

時間はいくらあっても足りないけれど。
それを補うものはたくさん持っているな。
改めて、そんな風に思った。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:56| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

MIX

音楽の録音技術は、常に映像の録画技術の数年前を歩いている。
それは別に、どっちの方が優れているとかそういうことではない。
音楽と映像では、とにかく、情報量が違う。
音楽が扱うデータは、つまり音のデータのみで、映像は音も含む映像のデータだということ。
データ量そのものが常に、10倍以上の開きがある。
データ量が大きければ、単純なマシンパワーも、それだけ必要になる。
ハードディスクなどの記録媒体も肥大化していく。
実は同じような編集は技術的に常に並んでいるのだけれど、ハードウェア的に数年ずれていく。
実際、どちらも、エディットするソフトは、同じAVID社のソフトだったりする。
AVID社は、PCとソフトウェアだけではなくて、そこにハードウェアも追加されたもので、個人が買えるものではない。
音楽でも、映像でも、AVIDのコンソールがあるのは、大抵スタジオになる。

音楽はもう10年以上前から、レコーディングがスタジオを飛び出している。
それは、モバイル端末と記録媒体の進化から、ようやく出来るようになったことだ。
リハーサルスタジオや、宅録と呼ばれる個人宅での録音も、一気に広まった。
個人でも手に入りやすいアプリケーションもヴァージョンアップを重ねて、遜色がなくなっていった。
おいらは、その頃に、音楽のレコーディングを体験して、すごい面白いなぁと感じた。
プロのエンジニアからすれば、自宅で録音が普通になっていくのは、ちょっと困っていたけれど。
実際、iTunesなど、音楽はどんどん身近になっていって、自分の曲を発表する場も増えていった。
MTRなんていう、磁気テープに4チャンネル録音できるテレコがあったのだから、もともと需要もあったはずだ。
デモテープ制作用の器材が、あっという間に、プロ用の器材と同じレベルになっていった。
もちろん、スタジオの器材を使うと、すごい差を感じるのだけれど。
マイクも違えば、ケーブルも、電源も、ミキサーも全部違うのだから、当たり前の話だ。
ただ、その差が、以前とは比べられないほど小さくなっていったということだ。

あの頃、まだ映像の記録媒体は、テープメディアだった。
デジタル記憶ではあるけれど、ハードディスクに記録するなんて、機材費がどれだけかかるかわからなかった。
当然、テープメディアの場合、テープからデータの読み込みが必要だったし、出来上がりもテープに書き出していた。
数百ギガのハードディスクでも、数万円の時代だと、やっぱりそうなった。
そもそもハードディスクからのデータの読み込みスピードも足りていなかった。
そして、当然、そのままネイティブな映像データで編集すれば、PCは、何度も何度も固まった。
とてもじゃないけれど、スタジオレベルと遜色が云々なんて言えるレベルじゃなかったと思う。

レコーディングを3回体験したけれど。
なんというか、あのクリエイティブな空気の中にいることは、なんとも言えない心地よさだった。
創造的な現場というのは、今も、常にどこかに存在している。
自分のレコーディングの前から、監督が関わったレコーディングに顔を出していたおいらは、その現場に自分が行くと思ってなかった。
そして、全てのレコーディングで、完パケまでの工程に立ち会った。

レコーディングには、いくつかの段階がある。
まずは、文字通りの録音。REC。
例え一発録音であっても、パラレルで記録していく。
ギターアンプ用のマイク、ベースアンプ用のマイク、歌、コーラス、バスドラムのマイク、スネアのマイク、シンバルのマイク、エアー。
一つ一つの楽器単独で録音することもあるし、リズム隊は一緒に録音することもある。
ただ、とにかく、全ての音はバラバラに別の素材として格納されていく。
その次の段階が、ミックス。
全ての音をもう一度重ねていく。
音の波形の被りを取ったり、ドラムの位置を奥にしてみたり、波形の帯域を振り分けたり。
録音した素材が良くないと、どうにもならないけれど。
逆にどうにだって調理できるような魔法の工程。
素材が組みあがっていって、作品になっていく。
ミックスが終われば、ミックスダウンと言って、2チャンネルのLRの音源になる。
最後の段階が、マスタリング。
2チャンネルの音源を、音圧であるとか、イコライジングであるとか。
整音していって、アルバムなんかであれば、曲間なども調整していく。
出来上がった音源を、最終的な製品にしていく、彫刻でいえば研磨のような工程。
驚くほど、音がクリアになったり、前に出てきたりする。

なぜ、突然、音楽のことを書いたのかと言えば。
実は、本日、撮影中の音声データが届いたからだ。
そして、今、編集過程にいて、ミックスをすごく思い出している。
あの創造的で楽しくて真剣な空気を既に知っていることは、なんというか、プラスだなぁと改めて思っている。
映像の段階も同じだ。
撮影があって、編集があって、最後の仕上げが待っている。
もちろん、映像も音声もあるから、それぞれの仕上げがあったり、段階は少しだけ多いけれど。
結局、同じRECなんだなぁと改めて思う。
今、つまり、監督と二人で編集をしているのは、音楽で言うミックスダウンを目指しているということだ。

今や、音楽のミックスで出来ないことは、すごく少なくなった。
音程を直すこともできるし、テンポを直すことだって不可能じゃない。
なんだったら、キーを変えることだって、出来なくはないのだ。
レコーディングした素材を使って、様々なことが出来る。
同じように映像でも、出来ないことがどんどん少なくなっていっている。
雨を降らすことも、雷を落とすことも、不可能じゃなくなっている。
場合によっては、人の表情や、肌の質感まで変更できる。
同じような進化をやっぱり続けている。
なんでも出来るようになっていく中で、逆に自分のやる方向性をしっかりと持たなくちゃいけないのも同じだと思う。

演技はそれだけでクリエイティブだ。
その場でその時にしか出ないものもある。
それを素材として、更に、何かを創造しようとしている。
太鼓の音だけから始まって、バンドサウンドになっていくあの臨場感にとっても似ている。
最終的なミックスダウンの時のように最終的な書き出しの時は、どんなことを思うのだろう?

撮影は終わったけれど。
まだ、おいらが目指していることの半分にも到達していない。

さて。
長い長いダウンロードが終わった。
まずは、このデータを展開してみよう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:49| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

編集準備

明け方の地震に驚く日。
撮影日だった人もいただろう。
自然にだけは抗うことが出来ない。
そういえば、仕込み期間中に、島根の地震があったことを思い出す。

音声データのダウンロードが何度か失敗の上ようやく終わった。
音声データだけで圧縮されているのにかなりの大きさ。
ZIPファイルを解凍すると、なぜかエラーが頻発する。
どうやら10GBを超える圧縮ファイルは、対応していないと解凍出来ないようだった。
いろいろと調べて、対応するDLLやソフトを入手してなんとか解凍。
無事かどうか、いくつかファイルを調べてみる。

WAVEファイルで、各シーンの音声が流れる。
ああ、MIXされたものなんだなぁと思って、シーケンサーで見てみると全然違った。
一つのWAVEファイルの中に、モノラル8chとかが格納されている。
おいら、今までWAVEファイルにそんな風に入れることが出来るのは知らなかったよ。
一つのファイルの中に既に同期された形で、各マイクの入力音が入っているのだ。
これなら、配置した後に、いじるとしても、タイミングがずれたりもない。
音質もCDを超える24bitがメイン。
全てを展開して編集に当て込んでから、整音前にどこのアフレコが必要か決まるだろう。
とりあえず、今の編集の段階では触らないで良いですと連絡があったから、そのままにしておこう。
まずは、映像編集を進めた方が良いようだ。

ただ音は大きな指針になる。
監督は、音楽畑にいた人というのもあって、音に対しては、非常に厳しいし細かい。
劇団の公演でも、音にかける時間が、通常の劇団よりは多いはずだ。
少なくても、イコライジングにまで口を出す演出家をおいらは、あまり知らない。
高音域を抑えて、中域厚くして、低音域はそのままでいいやー。なんて。
だから、音のデータを合わせた時に、もう一度、編集が変わる気がする。
ああ、ここのセリフがこんな感じなら、ちょっと映像が違うな。
そういうことも出てくるんじゃないかって思っている。

編集作業や、音の形式を知ったここに来て。
最後の撮影日が確定した。
速報で、たぶんこの日程!というのは出ていたけれど。
ロケ地のように、私有地敷地をお借りしてという形ではないから、許可申請などもあった。
いよいよ本当のクランクアップが近づいているということだ。
ある意味では、物語にとって、本当に重要なシーン。
撮影がどれほど重要なのか、何が大事な素材になるうるか知ってからの撮影。
また、少し違う気分で気合が入る。
今週も編集は続くけれど、撮影日には、もう一度、役者になる。

一つだけ心配なのは、降雪だ。
ちょっと信じられないけれど関東で11月なのに降雪の予報が出ている。
明日の夜から、明後日にかけてだから、撮影日にはかぶらないのだけれど・・・。
ただ、撮影現場に、積雪が残っている可能性は否定できない。
雪が背景に映ってしまえば、まったく違う映像になって繋がりようがない。
もちろん、暖かい日が1日か、雨の日があれば、溶けてなくなる。
天候については、もう、ただただ祈るしかないだろうけれど。
そうなれば、撮影日がまた伸びる可能性だってあるのだ。
なんとかなるだろうという思いもありながら。

さて、編集機材も、最終的にそろった。
ヘッドホン端子の分岐と、監督用コントローラだ。
これで、また編集効率が上がるだろう。
ちょっとだけ質の良いヘッドホンが欲しいなぁとは思うけれど。
監督は、イヤホンでいいよなんて言っている。
ベリンガーのスタジオヘッドフォンだったら、それほど高価ではないし、一つ、手に入れておくか・・・。
音質は、実際の音声データや劇伴を乗せて、それから、整音するのだから、そこまで高くなくても良い。
やはり、イヤホンでやって、あまりにやりづらかったら考えればいい気がしている。
これで、編集に挑もう。
なんとなく、今日の編集でどこまで行くかは大事な気がしている。
こだわって作りこみながらも、効率を上げていく。
目指している高みを考えれば一切の妥協は出来ない。

こういう企画は、ほんの一歩でも間違えてしまうと、思い出作りと言われかねない。
そうじゃなくて、この企画は、作品を世に届けるという企画なのだ。
だからこそ、スタッフワークをプロにお願いしているわけだし、ここでいいやなんて出来ない。
だからこの企画は、まだまだ道半ばなのだ。
世界に。
その3文字を忘れてはならない。
それは、全ての関係してくださった方々への責務でもある。

一端、寝よう。
編集が待っている。
また二人だけだ。
地道だけど、楽しくて、真剣で、集中する時間がやってくる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:38| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする