2016年03月14日

共有されていく世界

稽古から帰宅。

稽古に行くとパンパンが踊っていた。
更に良くなるように。
細かい部分まで直していた。
おいらは、なんとなく耳で聞きながら新しい台本を読んでいた。

今日はデビッドさんが所用でいなかった。
台本は手にあるものの、稽古場に集まったメンバーで出来ることが限られていた。

初めてのディスカッションをしようと言った。
人数も少ないし、今日いるメンバーで共有できることをしておこうよ。
そういう話だ。
無駄になるかもしれない。
プロデューサーさんに言われた時は、なるほど!と思ったけれど。
誰も何も発言しないまま終わるのかもしれない。
もし、稽古がうまく続かなかったらの為に、デビさんからテーマももらっていた。

始めてすぐに金子さんが異議を唱えた。
別に話すことなんかない。
特に考えながらじゃ、自由に演じられないし・・・。
直前になれば当然、いつの間にか自分でも色々調べるし。
舞台でやってきたから、ちゃんとわかってるし。
別に話して何かになるものなのかなぁ・・・。と。

ならないかもしれない。
真面目にこんな映画にしようよなんて話し合うのも気恥ずかしいというのがあると思う。
やるに決まってるじゃないか。それ以上もそれ以下もないよ。
その覚悟が金子さんの中にあるから、あえてそう言ったのだと思う。

それでも圭君の話から徐々に始まっていく。
幸三はこの作品でどんな役回りだと思う。
そういう意見がちょろちょろと出始める。
始め、圭君とおいらだけで話していたのに。
幸子が参加して、樋口が参加した。織田さんも意見を言い始めた。

それが広がっていく。
他の役の話に移っていく。
舞台に上がってまだ何年も経っていない安達花穂に真奈をどう演じたのか聞く。
まるで違う感性に、面食らう。
もっとここを考えるといいんじゃないかなぁ。そんな話に広がる。

それぞれが、それぞれに思っていた配役や作品へのイメージがある。
一度撮影してしまえば、よほどのことがないかぎり、撮り直しの機会はない。
誰かの芝居を見て、あそこ違うんじゃない?みたいなことは、事前にしかできない。
そして、それを、いる人間全員でやる。
今までの少人数よりももっと大きな単位で、共有をしていく。

愛理の役割の話になった時。
少し、詰まる。
全員が、ちょっと考えるみたいな時間になった。
その時、そろそろと、金子さんが手をあげた。
俺が思う愛理って役の役割はさ・・・
金子さんが最初以来の話をした。
皆が納得した。
そうだ。その通りだ。愛理の役割は、そういう役割なんだって、皆が思ってた。
そこがうまくいけば、他のシーンにも良い影響があるよね。
そういう話にまで及んだ。
あのシーンとこのシーンは対比になってる。
前半にこんなチャンスがあるのに逃してる。
そんな意見が交錯していく。

樋口が最後に発言した。
このディスカッションをもっとしなくちゃいけない。
今度は今日いないメンバーもいる時に、全員でやっていかなくちゃいけない。
こうやって、自分たちで本音でこの作品について話し合うことは絶対に必要だよと言う。
気付けば最初に嫌がっていた金子さんも大きく頷いていた。

淀みながら始まった、ディスカッションの第一回目はこうして終わった。
当たり前のように飲み屋に移動したら、その人数で作品の話が続いた。
あのシーンの、あのセリフに、この役の性格が出てると思うんだ・・・。
あのシーン、映画だったら、舞台よりもちょっと違うやり方の方が良いと思うんだ・・・。
次々に話は進む。
高橋が何か言うたびに、全員が「それは違う」と言うお決まりまで生まれた。

撮影まで。
あと何回、こうやって作品について全員で話していけるだろうか?
一か月の撮影期間があるロケでの作品なら、ホテルのバーで毎日のように話すだろう。
けれど、今回は撮影期間は短いことが分かっている。
だから、撮影までに、共有した空気を作っていかなくちゃいけない。
自分のシーンの成立だけを考えているようじゃ、独りよがりになる。
誰のシーンの後で、どのシーンの前で、このシーンが他のどのシーンを生かすことになるのか。
それぞれが考えるんじゃなくて、皆で共有していく。
それは、きっと、大きな大きな作品のクオリティを上げる要素になる。

そこまで役者同志で、イメージを共有している映画作品なんてあるだろうか?
そこまで本気で本音でディスカッションを重ねた映画作品なんてあるのだろうか?

ほんの一部分しか話せなかったけれど。
もうそこに「夢」はなくなっていた。
いつもの。
今まで通りの。
作品に向かう「現実」だけがあった。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:28| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月15日

これが見たかった

都内とは思えない場所.jpg
「都内とは思えない」
昨日、デビッドさんが所用で稽古にいなかったと書いた。
そのままディスカッションになったのは、実は他にも理由がある。
それは、メールで受け取って出力した新しいシナリオのシーンが余りにも目に浮かんだからだ。

「これが見たかった」

そういう登場人物の姿がそのシナリオに書かれていた。
このシーンだけは、代役で観たくない。そう思った。
もちろん、キャスティングが決まっているわけではない。
だから誰がやるのかもわからないんだし、色々な人がやればいいのかもしれない。
でも、ダメだな、やっぱり。
今の時点で稽古をするなら、元の役でやった方が良いと思う。
そこからちゃんと本音でやり取りが出来れば、今より前に進むんだから。
あえて、ゼロからやる意味なんかまったくない。
そんな時間を過ごす必要性がない。
たまたま体調の問題などでその役者がいなかった。
それで、このシーンをやってもな・・・って、おいらは思った。
多分、他の何人かも思った。

シナリオって、文字で書かれたものだ。
実は似たような言葉がいくつかある。
台本、シナリオ、戯曲。
おいらは、わりにその3つを使い分ける。
時々、シナリオを台本感覚に感じていることはあるけれど、基本的には使い分ける。

シナリオは、状況まで書いてある。
そこがどこで、どんな場所で、どんな天気で・・・。
絵になる部分まで、全て書いてある。
その代わり、セリフには余り説明的な部分が少ない。
台本にももちろん書いてあるんだけど、台本には状況までは完全に書かれていない。
むしろ、暗転とか、明転とか、登場とか退場とか、段取りも書かれている。
舞台俳優にとって上演台本は設計図のようなものだ。
戯曲とは、読まれることを想定した文学だ。
だから、ト書きが延々と続く場合だってある。
シーン番号なんかもちろんないし、場合によっては心象描写まである。

その新しい、今まで持っていた台本とは違うシナリオを手にして。
一瞬で、頭の中にその映像が思い浮かんだ。
いや、映像だけではないんだ。
そこに流れる空気感、役者の表情、そして一番重要なリズム。
その全てをシナリオから感じ取った。
デビッドさんのいつもの台本にはリズムがあるんだけれど。
ひょっとしたら、シナリオの方がもっともっとリズム感があるのかもしれない。
そりゃ、カット割まではわからないよ。どこをどう切り取るのかは。
そこは楽しみに取っておくとしても。
でも、絵が思い浮かぶんだな。
ああ・・・って。

こういう場面っていうのは、もう、間違いなく。
書いてる時に絵が思い浮かんでいる証拠だと思う。
その状態で書いているし、作品を知っているおいらたちにはすぐに伝わる。

そんな場面がたくさんあるといいなぁ。
頭の中で瞬間的にイメージできるっていうのは特別なことだから。
それを演じる俳優のイメージと、シナリオのイメージと、バチン!と当たった時の事だから。
おいらは、よく、「当たり」を見つけるっていう言い方をするんだけどさ。
当たりって、一発でわかる。
ああ、これか。これをやれば良かったのかって。

こうなってくると、ただただシナリオが楽しみで仕方がない。
あのシーンはどうやって書くんだろう?
あのシーンはどんなイメージにするんだろう?
楽しみなシーンがまだまだ目白押しだからだ。

支援してくださった皆様に、シナリオを読ませたいぐらいだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:14| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月16日

リアリズムの宿

昨日、廃業した旅館が都内近郊にないか調べていた。
もしあれば、室内のシーンのセットを組むのがずっと楽になるからだ。
・・・とは言え、廃業していなければ、営業しているわけで安く借りることは難しいと思う。
どこかにないか・・・なんとなく調べていた。
もちろん、見つかったところで、そこもやはり候補の1つになるだけなのだけれど。

旅館と言うと少し違うかもしれない。
探していたのは「旅荘」と呼ばれる建物だ。
元々は連れ込み旅館と呼ばれていて、その後、ビジネス旅館と名乗るようになった。
通称が旅荘というらしい。
実は、それがまだ営業中なのは知っていた。
人が出てきたり入ったりするのは見たことがないのだけれど。
本当に営業してるのかなぁって思ってる旅荘があったのを思い出した。
調べたら、そこはまだ営業中で、やはり今も利用客がいるんだなぁと知った。
ビジネスホテルの時代に、ラブホテルの時代に、今も普通に営業していた。
廊下の感じや部屋の感じがどうなってるのかなと思っていたんだけど。
まぁ、一人でなんとなく入るわけにもいかない。

そしたら、北千住に一軒、廃業した旅館をみつけた。
あ、ここはいいかもしれない。
すぐにGoogleのストリートビューで確認すると、まだ存在しているみたいだった。
比較的近くに住む高橋2号に見に行ってきてと頼んだら。
そこは、すっかりマンションになっていたという。
悲しいかな、木造建築や、ましてトタンの建物は、毎日取り壊されているという事だ。
都内近郊でロケ候補地を探すのは本当に大変な事なのかもしれない。
条件がすべて整うことはなかなか厳しいと思う。
いきなりあのアトリエをみつけたのは、奇跡に近かったという事だ。

表題の「リアリズムの宿」とは、つげ義春さんの漫画作品の題名だ。
おいらが生まれた年に発表された漫画で、のちに映画化もされている。
「ゲンセンカン主人」とかね。
十代後半にむさぼるように読むふけった作品群だ。
おいらは、すっかり、メメクラゲに刺されていた。
あの漫画のイメージが強烈すぎて、どうしてもそんな見た目の宿がないか探してしまう自分がいた。
けれども、あながち間違ってはいない。
探すべきは、リアリズムのパンパン宿だ。

舞台演劇とは創られた作品であり、嘘だ。
作品は何度も稽古され、結末が既に決まっている。そういうものだ。
現実からは乖離している。
その上で、お客様は演劇体験をするわけだけれど、演劇人たちはその演劇体験をより現実に近づけるように実験と発見を繰り返してきた。
そもそもが歌舞伎であったり、村周りの一座芝居しかなかった日本に西洋演劇がやってきて。
すぐに、西洋演劇的リアリズムについて、多くの演劇人たちが挑戦を重ねた。
赤毛のカツラを冠り、高い鼻をつけて、大真面目に、シェイクスピアをやっていたのだ。
リアリズムとは、なるべく本物に近づけていくという意味だ。
本物が金髪ならば、金髪のカツラを冠るのは、当然の事だった。

アングラのムーブメントは新劇的なリアリズムに異を唱えた。
演劇は、「私は金髪である」「ここは海の中である」と一言言えば成立するものだという発見だった。
彼らは、本物に近づくリアリズムをあっさりと捨てて、その代わりに、リアリティなるものを追及していった。
嘘だとわかっているのに、真実味がある瞬間が生まれる。
この真実味こそ、彼らの言うリアリティだった。
50歳を過ぎた親父が半ズボンを穿いて、小学生を演じる。
それなのに不思議といつの間にか小学生に見えてきてしまう。
そういう発見をいくつも重ねていった。
絵画で言えば、ピカソのような、前衛的な実験も次々と生まれていった。
ある意味で、時代が求めた芸術活動の一環だったのかもしれない。

テレビの時代がやってきて、現実のとらえ方が大きく大きく変容していった。
演劇も様々な進化の仕方を独自にしていった。
一方では、リアリズムでもリアリティでもなく、リアルそのものを扱おうとした。
即興演劇。インプロヴァイゼーション。
そこにはもう、台本すらなかった。
その場で役者が思いつくままに演じる。
先は何も決まっていない、まさにリアルな時間そのものを見せるという実験だった。
前衛的なだけではない。
コメディの中にも、アドリブを差し込むというリアルへのタッチが始まった。
その場で思いついたセリフを舞台上で言ってしまう。
多くのお客様は、他のセリフと違うアドリブであるとすぐに理解した。
リアリズムから始まって、リアリティを追及して、リアルそのものまで演劇は内包するようになっていく。
逆に、セリフで「セリフを忘れた」と言わせるなど、様々な方向から、リアルを取り扱った。

90年代に入ると、ハイパーリアリズムと呼ばれる新しいリアリズムが発現する。
それはこれまでのリアリズムに比べてずっと緻密な緻密すぎるリアリズムだった。
それまでの演劇とは違って、3か所で同時に誰かが喋っていたり、お客様に聞こえないような声で喋ったり、普通に客席に背中を見せて、その場で演じる。
それはある意味で、ドキュメンタリーの再現に近いような緻密さだった。
劇的なことも、特に起きるわけではない。物語もそうなってくると大きく動かせなかった。
その代わり、ほんの小さな生活の変化などが、空気を変えていくといった微細な表現を可能としていった。

「リアル」とは何か?たくさんの演劇人たちがそこと戦った。

映画製作では、リアリズムを強く意識しなくてはいけない。
もちろん、前衛映画などで言えば、観念的な映像もたくさんある。
けれど「セブンガールズ」は、物語だ。
物語に説得力を持たせる。物語をすんなりと受け入れていただく。
その為には、徹底的にリアリズムにこだわらなければ、小さな違和感が澱のように溜まっていってしまう。
そこはバラック小屋に見えなくてはいけないし、パンパン宿は貧しくなくてはいけない。
登場人物は栄養失調直前だし、フィルムから汗のにおいと、埃のにおいを感じないといけない。
嘘は一瞬でばれる。

どこかにないだろうか?
リアリズムの宿よ。
それとも、あのアトリエに宿を組むのかなぁ。
撮影日に。
おいらの目の前に現れるのかな?
リアリズムの宿が。

その時。
多くの演劇人たちが追求してきたリアルを、おいらはどうやって自分の演技に生かすだろう?
リアルに近づくのか?
リアルに見えるのか?
リアルと感じるのか?
それとも、リアルそのものなのか?

虚構の中の現実に挑まなくてはいけないぜ。

自分が通ってきた道。
この劇団に入ってからも、挑戦してきたこと。
そういうものが、全て出てしまうのではないか。
そんな恐怖感を感じた。
いや、恐怖じゃない。
武者震いってやつだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:47| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月17日

消える境界線

「赤線」と言う言葉を知っているだろうか?
所謂、国が定めた娼婦街を地図に赤い線で囲っていたからそう呼ばれるようになった地帯だ。
国が定めていない娼婦街は青い線で囲まれ、青線と呼ばれた。
赤線と言う言葉が実際に広まったのは実は、30年代以降だそうだ。
小説や映画のタイトルになって、初めてメジャーな言葉になった。
それまでは、警察内部などの言葉だった。
特殊飲食店街。
それが、戦後の娼婦街につけられた名称だ。

今日、用事で大久保近辺まで行った。
帰り、一緒だった皆と別れて、あえて新宿まで歩いた。
旧赤線や旧青線の街を。
もう戦後71年物月日が経つ。
名残など何も残っていないと思うかもしれない。
けれど、終戦後の赤線の写真を見た後のおいらには、そこかしこに名残を見つけた。

今は、BARの看板を出していても、ふと、隣接している建物の間に視点を移したら、レンガ塀だったりする。
良く見たら、トタンのひさしが裏口に設置されている店もある。
大久保から百人町、歌舞伎町と歩くと、ああ、ここも・・・ここもそうだったんだ・・・と次々に見つかる。
新宿には今にもたくさんの終戦直後の風景が残っている。
小便横丁は、親父がラーメンをよく食べた飲み屋街だ。
一回だけ連れていかれたことを覚えている。
今は、思い出横丁なんて洒落た呼び方をされている。
火事になったけれど、今もやっぱり残っていて、それどころか今は観光地になっている。
くぐってみたら、3分の1ぐらいは、海外からの旅行客が軒先で焼き鳥をつまんでいた。
さすがに帰り道から遠く、足は延ばせなかったけれど、花園神社の裏にはゴールデン街も残っている。
店と店の間の小道に入れば、そこが終戦から変わっていないことがすぐにわかる。
ゴールデン街は演劇人たちが今も飲む街だ。

新宿二丁目は青線だった。
帰還兵が占領兵に体を売ったことが今の二丁目の始まりだ。
元々の男色家もいただろうけれど、食うために体を売った帰還兵もいただろう。
それを思うだけで、背筋を冷たい何かが流れていく。

今は、飲み屋であったり、小料理屋であったり。ラーメン屋や焼肉屋になってる。
ここで体を売っていたとは思えないような内装になっている。
建物の外観も、何度もリフォームされて、看板を変えている。
裏口や、小道からの外観を観ないと、戦後の匂いは感じない場合もある。
けれど、その建物の大きさと、密集具合が、元々どのように店が並んでいたかをすぐに想起させた。
歌舞伎町浄化作戦は、確実に、その匂いを消していたけれど、目を凝らせばやはり日本最大の歓楽街だ。

酔っぱらいの間をすり抜けながら。
おいらはいつの間にか国民服を着ている。
軍足を履いて、軍靴を履いている。
ずた袋を背負って、そのごみごみとした活気ある闇市を歩いている。
食べる物はないか?
どこか金になる話はないか?
そんなことを考えながら、バラック街を歩いている。
走り抜けるGHQのジープを睨んでいる。

まだまだガキだった頃。
新宿や池袋で飲んだ。
何も知らずに飲んだ。
そこが歓楽街になった理由など何も知らなかった。
若者が次はカラオケに行こうぜ!と言えるのが何故か。
そんなことに考えが及ぶことなんてなかった。
今、新宿の街が違った街に見える。

今年は閏年。4年に一度の年だ。
ブラジルのリオデジャネイロで夏のオリンピックが開かれる。
そしてその4年後の次の閏年。2020年。
この東京でオリンピックが開催される。
終戦が1945年。
初めての東京オリンピックが1964年。
19年の歳月をかけて、日本はオリンピックを開催できるまで立ち直った。
オリンピックに向けて、たくさんの道が整備されて、区画整理が入って、日本はリニューアルされた。
それから50年以上の月日をかけているのに。
どうしても、赤線の匂いが完全には消えない。
そして、4年後に向けて、もう一度東京はリニューアルをしている。
まだ残っていたバラック小屋も次々に潰されている。浄化作戦も続いてる。
ほんの数年前にあった建物が、見に行ってもなくなっている。

それでいい。

それでいいのだ。
いずれ消えてなくなってしまえばいい。
街は生まれ変わり続ければいい。
ロケ先がみつからないことは、きちんと、日本が前に進んできた証拠だ。
映画や演劇や写真や絵画や。
文化がその名残を伝えていくだけでいいのだ。
現実の生活空間は変わり続けていくことこそが正しい。
少し寂しい。
寂しいけれど、正しい。

初めての東京オリンピックや、大阪万博を誘致した日本人の中に、アイツがいたんじゃないかなって気がする。
アイツは、誰も想像できないようなことを当たり前のようにやっちゃうヤツだからだ。
ドヤ街を闇市を、前に前に歩いたやつだからだ。
アイツの知り合いには、政治家も、アメリカに留学したビジネスマンも米兵までいたからな。
ありえない話じゃないさ。

これからの4年でまた東京は大きく変わる。
どんどん変わればいいさ。
変わっちゃいけないことだけ、しっかりと、自分の中に持っていれば。

赤い線は消された。
青い線は消された。
地図も変わった。

それはきっとそれを望んだ人がいたからだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:34| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月18日

もう一つの物語

クラウドファンディングを達成して驚いたことがある。
それは、クラウドファンディングでの達成までの道程を思った以上の方たちが楽しんでくださった事だ。

多くのご支援していただいた皆様が、達成するかな?大丈夫かな?と気にかけてくださっていた。
それはよく知っていたのだけれど。
最後の2日での大逆転劇に、ものすごくたくさんの皆様が喜んでくださったことには驚いたのだ。
中には、感動した!とか、今すぐ飲みに行こう!とか、色々な連絡が来て・・・。
さぁ、これからが大変だぞ!と思っていたおいらよりも、ずっと喜んでくださって。
本当にたくさんの祝福のお声を頂いたのです。

本当にご支援してくださった皆様が喜んでくださるタイミングは、きっと、映画完成後だと思ってました。
いや、もちろん、完成後に、大きな大きな達成感を共にしていただけるように。
このBLOGも、UPDATEも頑張るつもりです。
UPDATEは、現実的な決定事項が出たらすぐにUPしていくので、お楽しみにしていてください。
共に歩んでいる。共に映画製作に参加している。
そういう実感をご支援してくださった方々にはしていただけたらなぁって思っているのです。
様々なことが起きる中で、完成して皆様に観ていただく日。
大きな大きな達成感を共有できるだろう。
そう思っています。

でも。
クラウドファンディングの達成のタイミングでも。
本当に大きな大きな達成感を感じて頂けたようなのです。
本当に、皆で、全員で盛り上げて、全員で達成した。そういう感じでした。

それって一体なんなのだろう?
終わった頃は感謝の思いや、これからへの思いで溢れすぎていたので。
今になって冷静に考えています。

もし、物語なのだとすれば。
これ以上にわかりやすいサクセスストーリーはないかと思います。
なにしろ、目の前に数字があって、その数字の達成なのですから。
そのサクセスは、日々の数字と、日々の劇団員たちの呼びかけと。
それだけで、サクセスになり、ストーリーになっていたと思います。
そして、もし物語なら出来すぎだろ!と言われてしまいかねない、大逆転。
これ以上ない進み方をしました。

でも、それだけではないのかもしれないと最近は思っているのです。
小劇場で舞台をやり続けている劇団が映画を創って、世界の映画祭に出す。
言葉にしてしまえばたったこれだけの事です。
思いついた人は今までも何人もいたはずですが、それを本気でやる!というのは稀だと思います。
キャストを変更して・・・とか、舞台を撮影して・・・とか、自主映画で・・・というのはあります。
でも、ちゃんと劇場用のシネスコープサイズの映画を製作するとなると、記憶にはありません。
こんな話をすると、出来ないだろ、それは・・・という声が圧倒的だったと思うのです。
その「出来ない」をひっくり返したのが、それを応援してくれる多くの皆様の力だった。
このシチュエーションこそ、達成感の大きな要因の一つだったと思ったのです。

「出来ない」を「出来なくない」にする。

考えてみれば、そんなことは世の中に山ほどあると思うのです。
ああ、出来ないなぁ、やれないなぁ・・・そういうことが日常には溢れかえっています。
場合によっては無意識に、出来ないと諦めていることだってあるはずです。
いや、むしろ、意識的に自分から諦めることの方が実は少なくて。
生きていくというのは、毎日、様々な小さなことに諦めていくことでもあるのかもしれないと思うのです。
朝、起きるだけでも。
起きたくない。でも、仕方ないから起きる。寝続けるわけにはいかない。
そんなことがたくさんたくさん積み重なっているのではないでしょうか?

もちろん、「出来なくない」から「やる」にシフトするのには体力が必要です。
実際に行動するとなれば、簡単にはいかない。
それでも、「出来ない」という固定観念を打ち壊す瞬発力は、簡単には持てないです。
「出来ない」ことを、ちょっとやってみようぜと、一歩踏み出すこと。
そこには使い古された言葉で言えば「勇気」が必要なのだと思います。
実際には必死だっただけなのですけれど・・・。
達成を信じて、毎日頑張った、それだけなのですけれど・・・。
図らずもこのクラウドファンディングは、「セブンガールズ」ではなく、それ自体を物語としていたのです。
風車に立ち向かうドン・キホーテのような滑稽な姿だったはずです。
実際に達成を信じていたのは、おいら以外に、何人もいなかったんですから・・・。
「セブンガールズ」を応援してくださった皆様と同時に。
この「挑戦」という物語に、ご支援してくださった方々がいたという事です。


「出来ない」と思えたような企画を「出来なくない」に変えた今。
おいらは思うのです。
もっともっと「出来ない」と思えるようなことがあるんじゃないか?って。
例えば、今、現時点でデビッドさんを含めた誰一人として、この映画の大ヒットなんて夢想もしていません。
どのぐらいの映画館で上映できるかなぁ・・・と思っている人がほとんどです。
大ヒットなんか出来るわけないだろ!
そう言われるに決まっています。
確かにそうかもしれない。
でも、おいらは、知ってしまいました。
「出来ない」ことなんて、なんにもないんだぜって。
全てが上手くいけば、絶対に無理なわけじゃないんだぜって。

だから「セブンガールズ」という物語を伝えるだけではなくて。
この「挑戦」という物語は完結させないで、続けていかなくちゃな。

心からそう思うのです。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:08| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする