2016年03月09日

既成概念無視の道

おいらは劇団前方公演墳の旗揚げ時、劇団員ではなかった。
殆どが初舞台と聞いて、旗揚げのお手伝いをした。
むしろ、既に自分で作演出した作品を4公演やっていたし、心配だった。
旗揚げ公演2公演後に、この劇団に参加した。

その頃、この劇団はなんというか、今思えば皆が恥ずかしくなっちゃうことがたくさんあったと思う。
なんて言ったって、旗揚げ公演の最後が、ダイジェストだった。
なんと、旗揚げ公演は「前編」で、最後は物語が終わることなく「後編」のダイジェストで終わったのだ。
おいおい、嘘だろ?終わらないのかよ・・・。
そういう作品だった。
本当にそうだったんだから仕方がない。
とにかく、一言でいえばハチャメチャだった。

実際、演劇人たちにはすこぶる評判が悪かったらしい。
舞台をやってる人ほど、なんだこれ?こんなの演劇じゃない。
・・・などなど、好きなように言われたようだ。
随分、悔しい思いをした劇団員もたくさんいたんじゃないかなぁ。
まぁ、そんなことはね。
なあんにも、気にすることないんだけどね。

おいらが旗揚げ3作品目から参加して。
この劇団は面白いぞ。デビッド・宮原はどうも面白いぞ。
そんな風に感じたのは、実は、その評判の悪かった所だ。
とにかくそれまでにあった演劇、舞台、小劇場、その類の既成概念みたいなものを簡単に乗り越える。
え?いいじゃん。面白いじゃん。
・・・と、あっけらかんと、やっていく。
今はプロデュース公演なんかでね、時代劇や漫画原作の舞台があるけどさ。
ガンガン音楽かけて、クライマックスで殺陣をやって・・・みたいなの、当時はほとんどなかったしね。
これはこれで、新しいじゃんかって思っていたんだよ。おいらは。
芸人がするようなツッコミやボケまで台本に入っていてね。途中で紙芝居出てきたりさ。
おいらがそれまでやっていた演劇はずっと緻密で、ずっとアートも意識していたんだけど。
そんなことじゃなく、もっと、パワーみたいなものを前に出していくスタイルっていうのは斬新だった。

おいら以外にも、どこかで演劇活動をしていて参加したメンバーなんかは苦しんでた。
どうも自分のスタンスが狂ってしまう、芝居がなんだかわからなくなる、そういう思いがあったみたいだ。
実はちょっと相談されたりは、何度もあった。
小野寺君は、よそとの違いをどうやって、自分の中で処理しているの?
・・・そんなことを何度も聞かれたよ。
そのたびに、自分のスタンスを話したと思う。

そんな旗揚げから17年も経過してるんだから。
面白いね。
当時、非難した演劇人の劇団なんか殆ど解散してるんだぜ。

今、例えばデビッドさんが当時の自分の台本を読んだら、恥ずかしいなぁって思う箇所がたくさんあると思う。
こ・・・こんなこと、あり得ない!って思う箇所も、何か所も出てくるんじゃないかなぁ。
まったくお客様に説明がないまま、よくわからないボケが出てきたり、ハチャメチャすぎるもん。
逆に今、同じようなコトをやろうとしたら、怖くて出来ないだろうなってこともたくさんあると思う。
成田さんとかさ。出てきてデブって言われて、さしてウケナイまま退場してたからね。
あんなの、今やったら、大変だ。

でもね。
おいらは、やっぱり今でもそこが面白いんだ。
既成概念をぶっ壊す作品。
予想できる物語なんかなんにも面白くないもん。
すごくね?こんなのデビさんしか、思いつかないよ!そういう奴。
テレビドラマを見れば、プロデューサーやら倫理委員会やらプロダクションやら気を使ってる台本ばっかだよ。
ハリウッドの作品だって、半分も見たらその後どうなるかわかっちゃうような作品がいくつあることか。
それがダメとは言わないよ。そういうルールの中で名作も生まれるんだから。
でも、そういうルールなんか関係ないよっていう面白さもあるだろって話。

映画でもぶち壊してほしいなぁ。
もちろん、簡単な事じゃないと思う。
旗揚げの頃よりももっともっと広い世界でジャッジされちゃうしさ。
でも、そんなの関係ないじゃんね。
なあんにも気にすることない。
むしろ映画関係者に、非難されるぐらいの作風でもいいと思っちゃうぐらいだ。

2時間の芝居をぶっとおしで舞台と同じようにやって。
30台ぐらいアクションカム仕込んでおいて。
デビッドさんが、自分のリズムで編集して映画にするでもいいぐらいだ。
そしたら、撮影も2時間で済むしな。あはははは。

まぁ、既成概念みたいなものは既にいくつか乗り越えてる。
この企画自体が、既に、過去にあまり例をみない企画だからさ。
面白い作品を創れたら、それでいいよ。
それ以外は、小さい社会の中でのルールなんか、笑って乗り越えよう。

こんなことやっていいんだ・・・!

あの時、おいらが感じたモノは嘘じゃない。
未だにその驚きは自分の中に残ってる。
ROCKだしPUNKだし、チャレンジャーだったことだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:29| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

扉の向こう側

先日お伝えしたロケ候補1。
梅の花が咲く里のまるでそこだけ時間が止まったかのようにトタン建築。
今週にも管理していらっしゃる方に会いに行くのだけれど、事前に写真だけ撮影しておいた。
美術さんや関係者各位にどのような場所か写真の転送をしておいたのだけれど・・・。
なんと、美術の杉本さんが、わざわざ足を伸ばしてくださった。
ここで出来るコト、出来ないコト。
様々な意見を下さいました。
なるほど・・・と、思っていたら。
杉本さんの所の、齋藤さんから、なんと図面が届きました!
地図から起こした、全体の図面ですが、ざっくりとは言え、面積などもわかるし、驚きました・・・。
早い・・・!
一緒に、Youtubeに上がっている当時の映像や、当時の資料をPCに取り込んだものなど転送いただきました。
見れば見るほど、この写真のようなバラック小屋が出来れば・・・
そう思わざるを得ませんでした。

さて、皆様。
舞台のセットを覚えていらっしゃるでしょうか。
斜めに傾いだパンパン小屋。
扉があって、目の前には椅子が置いてある・・・。
両隣にも、同じような建物が建っている。
あのセットです。
セブンガールズは、ワンセットで、室内のシーンでは暗幕が下りてきて、区切るようにしてありました。

もちろん、映画では、暗幕で区切ってそこを室内とするのは無理があります。
目の前に役者がいるという圧倒的な存在感があれば、幕だけでも舞台だったら成立します。
ですが、映像であれば、やはり、室内のシーンでは室内のセットが必要になるのです。

つまり。
舞台にもあったあのパンパン小屋の扉。
あの扉の向こう側が、映画では登場することになります。

・・・と、書いてしまうと簡単かもしれませんが。
「扉の向こう側」とはつまり、美術だけではなく、観念的な意味も含んでいます。
娼館の扉の向こう側ですから・・・。
つまり、そこはパンパンたちが実際に、体を売っていた場所です。
そこの表現もどうしたって出てくるという事です。
体を売っていただけではないです。
同時に、そこに生活もあったはずです。
つまり、パンパン小屋の扉は、「オモテ」なのです。
人間でいえば「顔」です。
でも、「ウチ」があります。表情ではなく、その奥です。

喘ぎ声が聞こえる中、飯を食う。
そんな日常が、普通にあった場所です。

もちろん、そこでどんなシーンが展開するのかは、今はデビッドさんの頭の中にしかありません。
ただ、演じ手はその覚悟が必要です。
その空間で生活していることが、日常であるという人物になること。
そこをまずクリアすること。
そこが大事になってくるって思っています。

それをね。
演じることってすごいことだなぁって思いますよ。
パンパン役はもちろんだけどさ。
男達だってそう。

扉の向こう側。
まだ、お客様もおいらたちも誰も見ていないそこに行くには。

まず、扉を開けなくてはいかんのです。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:34| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

刹那の思い

3.11
5年。

今日は様々なメディアで5年前のことを語るだろう。
新聞、テレビ、インターネット。
メディアから個人まで。

前作「声はきこえているか」
前々作「セブンガールズ」
2つの作品には共通のテーマがあった。
それは「復興」だ。
災害復興と戦後復興の違いはあるけれど。
徹底的な破壊の後に立ち上がる。前に進む。
その進む一歩目の勇気を人間がどうやって立ち上げるのか。
きっとそういうことだ。

それが例え無力だと思えても、失敗したとしても。

日本は地震大国で、島国だ。
古来から何度となく破壊と直面してきた。
何度とない地震。
徹底的な大火事。

こんな話を知っているだろうか?
幕末期の大震災の話だ。
安政の大震災は、今でいう南海トラフで起きた。
関東から、遠く四国、に至るまで、南海に面した土地と言う土地が大規模な災害にあった。
今のように免震構造などがない、江戸末期だ。
その上、黒船が現れて、開国か鎖国かで日本中が揺れ、井伊大老による安政の大獄まであった。
政情不安に畳みかけるように起きた大災害だった。
今の三浦にいた、アメリカの公使は、しかし、別の事に衝撃を受けるのだ。
徹底的な破壊を生んだ震災のその次の日に。
日本人があっという間に村を復興していったのだという。
世にも恐ろしい大地震だというのに、あっという間に潰れた家を建て直し、道を整備したという。
この国の国民の勤勉さは他のアジア諸国よりも手ごわいと実感したそうだ。
破壊の数だけ、日本人は復興を重ねてきた。

喪ったものは余りにも大きい。
今日が家族の命日と言う人が何人いるだろう。
家族全員が亡くなって、誰も命日に祈る人がいない一家だってあるだろう。
自然が起こした大災害だとは言え、おいらごときにかける言葉などみつからない。
ただただご冥福をお祈りするほかはない。

おいらがよく覚えているのは、当時知り合いだった電気工事士たちの話だ。
幕末の話ではないけれど、震災の次の日には作業車に乗って、東北まで電気の復興に向かった。
少しでも早くインフラの復帰をしないといけない。
大きな使命感をもって東北に向かった。
福島の事があって、電気工事士たちは、石を投げられたらしい。
福島の事とは何の関係もないのに。
それでも、仮設住宅の夜に明かりが灯るように、殆ど休憩もなく、電気の復旧に当たった。
食事もロクにとれなかったらしい。そもそも食べ物がなかったから。
それを聞いて誇らしかった。
次の日には、自分のやるべきことが分かっている人がいる。
それだけで、とても、すごいことだって思った。

実は先日。
映画プロデューサーからある提案をされた。
それは、映画製作の前に、劇団内でディスカッションをしたらどうか?という提案だ。
この作品の良いところはどこなのか?
この作品で映画にするべきところはなんなのか?
おいらも、デビッドさんも、なるほど!と思わず口にした。
それがいつ、どのタイミングになるかはわからないけれど。
シナリオ完成後なのか、キャスティング後なのか、稽古に行き詰ったとある日なのか。
でも、絶対に必要だ。
空襲で破壊され、焼夷弾で焼かれ、戦地に男を取られ。
本当に何もかも失ったところから、一歩前に出る。
そこをきちんと、ディスカッション出来たらいいな。
現代を生きる人全てに届けられるような作品にするにはきっとそういうディスカッションも大事だ。

あれから5年か。

なんにも出来なかったなぁ。結局おいらは。
追悼する以外なんにも。
大したこと出来ないんだなぁ。おいらなんて。

願わくは、消費されるだけの娯楽でありたい。
歴史に残る名作である必要はない。
その時、笑顔になったり、ほんの少しだけ力が湧いて来ればそれでいい。
小さな小さな希望を持てたら、それだけで最高。
復興に立ち上がった江戸時代の人や電気工事士さんの力になれたらいい。

なんにも出来ないけど。
それだけは出来たなって。
後から思えればいい。

多分、そんな小さな思いが映画になる。

多分ね。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:23| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月12日

時の止まった場所

時間が止まった場所.jpg
「候補1:時間の止まった場所」
約束していた今日。
再び、撮影候補地の1つ目に行ってきた。
管理していらっしゃる美術家さんが個展の準備で搬出にいらっしゃる予定があったからだ。
近くで待っていると、お子様といらっしゃった。
お子様と言っても、もう20代後半で、ここで自主映画を大学生時代に撮影してこともあると言う。

奥にある入り口から、中に入る。
そこは小部屋になっていて、ストーブやステレオ。椅子。
簡単な事務所のようになっていた。
外観からは予測も出来ないようなスペース。

1970年代に美大時代に借りたアトリエで、そこからここは時が止まっているという。
すでに先生は60代に入っていて、今も精力的に美術製作をしていらっしゃる。
特撮物の映画の美術にも参加していたという。

その事務所的なスペースで、しばし歓談する。
埃まみれの黒いレスポールが、ギターアンプ代わりの、カラオケマシンに刺さってる。
石油ストーブに火を入れて、インスタントコーヒーを頂戴する。
クリエイティブな空間。
まさにその一言で十分に説明が出来る。
その部屋も、自分たちで作ったという話を聞く。
奥には、もう動くかもわからないマッキントッシュがあった。
バカでかいスピーカーに、レコードプレイヤーまであった。

様々な話を聞いてから、作業場、倉庫を案内してもらう。
奥はもう殆ど倉庫として、モノ置き場になっている。
KAWAIのアップライトピアノ、なぜかバスドラムまである。
まだ何人もの美術家がここに通っていた頃に思いを馳せる。
ここにはきっと美術だけではなく、全ての芸術が集まっていたのだと思う。
トンカチを握る美術家、ペンキまみれの美術家。ピアノを弾くモノ、ギターを弾くモノ。
ステレオを直しているモノ。マッキントッシュをいじりたおすモノ。
記憶が風化して、倉庫化しているそのアトリエは、まるで青春の残滓とでも言える空気をまとっていた。

ここに室内セットを組むとなると、まずは多くの物を片付けなくてはいけない。
大変な作業になるかもしれない。
元に戻してくれるならいいですよと、言ってくださったけれど。
ここは、中々、難しいんじゃないですか?
そんな風にも言ってくださった。

トラックが到着すると、一緒に搬出を手伝う。
トラックに荷物を載せるのはいつもやっている作業だ。
様々なオブジェを積みながら、ここがパンパン宿だったら・・・
・・・と、想像を重ねていった。
カメラマンのお兄さんがやってくる。
先生の搬出作業を撮影しに来たのだという。
今もこのアトリエを中心に様々な人が集まり、交流が続いている。

二段下にある石工のスタジオにも足を運ぶ。
先日見に来た時にはいなかったのに、今日はいらっしゃったからだ。
秋であれば、しばらく発表会などが重なるから誰も来ないそうだ。
人のよさそうな、彫刻家さんと話をする。
カンカンと小気味よく石を石のみで叩いている。

たかだか20年。
おいらが、芝居をやっている時間だ。
ここの人たちはその倍も、ここで美術と向き合ってきた。
すごいねぇ。
本当にすごいねぇ。

美術監督の杉本さんや、プロデューサーとの打ち合わせ次第だけれど。
もし、ここでも撮影することになれば。
この40年、クリエイティブであり続けた空間の空気は、きっと大きな大きな力になる。
おいらの頭の中に、あっという間にセットが建っていく。
扉側に、いくつかの門が付いたり・・・倉庫内に、板の間が出来ていったり・・・
石工さんの彫刻スタジオで、京野に監禁されたり・・・
もし全てをここで完結できるのであれば、撮影時間をぐっと濃縮できる。
移動時間を計算しないまま、様々なシチュエーションを撮影できるからだ。

裏の無人集落にも、もう一度足を運ぶ。
今日は地主さんがいなかった。
到着した時は、梅の木に登っている元気な姿を見かけたのに・・・。
また、話をしに戻ってこようと心に決める。

恐らく同時進行で、別の候補も続けて探すべきだと思う。
ここが結果的に撮影場所にならないこともあるだろう。

だとしても。

今日、美術家さんたちと話した全てのことは、おいらの財産になった。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 17:17| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月13日

部屋を暗くしただけでドキドキしてたのに

創作者たちの残滓.jpg
「創作者たち」
子供の頃の記憶だ。
おじいちゃんちで、部屋を暗くして、スクリーンを広げて、映写機を回した。
カラカラ音がした。
8mmカメラで撮影されたそれをみた。
まだ子供だったから、記憶は少ししかない。
映画監督を目指した従兄弟の作品だった。
フィルムに焼かれたそれは、テレビとは全然違うものだった。
部屋を暗くするだけで、なんだか、違うとわかった。

今はデジタルが主流になった。
動画とはつまり連続した写真のことを言う。
教科書の隅に書いたパラパラ漫画は、いわゆるアニメーションの原理だ。
レンズから取り込んだ光を写真データとして記録する。
昔はそれがフィルムだった。
映画は35mmのフィルムが1秒間に24枚分の写真を撮影する。
同じように1秒間に24枚の写真をパラパラ漫画のように連続してスクリーンに映し出す。
それが、動画で、映画になった。

シネマスコープサイズと言うのがある。
今は、DVDやテレビを見るときに、すっかりワイドテレビが主流になってる。
昔はもうちょっと正方形に近くて、厚みがあったテレビだったのに、すっかりテレビは変わった。
通常の家庭にあるテレビは、4:3の比率だった。
今のワイドテレビは16:9と言われる。
縦に比べて、横に約1.5倍の広がりがある。
シネマスコープサイズとは、映画館でCMの後にカーテンが更に広がる例のサイズだ。
2.35:1やら、2.55:1やら、実は色々なサイズがあるらしい。
今のモニタ環境で言えば、21:9だという。
縦に対して2倍以上の広がりを持つ。
映画館のあの圧倒的な臨場感は、いわゆる人間の視野角のほぼ全てを映像世界にしてしまうサイズだ。
より映像に没入できるように工夫を重ねてあのサイズが生まれた。

35mmのフィルムは変わらないのにどうやって、シネスコサイズにしたのかと言えば。
それは、レンズでゆがめたのだという。
つまり、35mmのフィルムに、ワイドサイズの映像をレンズで縮めて焼いていく。
(結果的に、フィルムに映っているのは全て潰れた映像になる。人物が不自然に縦長になったりする)
それを今度は、映画館で映写するときに、もう一度レンズでゆがめて広げる。
そうやることで、35mmの全ての領域を使用して、映像を残せた。
映画館での没入感をより高めようとした、工夫だ。
テレビで放映されると端が切られるとか、絵を潰されるとか、監督によっては様々な悩みを生んだ。
それでも、映画をより面白くするために、アナログの中、最大限の工夫をしたという事だ。

それが今はデジタルの世界だ。
撮影してしまえば、その後の処理でも、どんどん加工できる。
フィルムを切ったり貼ったりするわけではないからだ。
たった1コマを切り出して、リズムを変えたりするのも、PCモニタ上で出来るようになった。
それどころか、1秒間に60コマで撮影して、後から映画と同じ1秒間に24コマに落とすことも出来るようになった。
大きなサイズで撮影しておけば、上下をカットすることで、シネスコサイズもワイドサイズも自由自在だ。
革新は今も続いていて、4Kどころか、8Kだとか、HDRだとか。
アナログ時代と同じように没入感を更に上げるための工夫がされている。

それどころか、今年はVR元年になるだろうという予測さえある。
いわゆる、ヴァーチャルリアリティ。
ゴーグルをつけると目の前に映像が広がる。
まさに視野角いっぱいの映像どころか、視野の全てを映像にしてしまうという。
それもどこかに行くわけでもなく、ゴーグルに出来るほど軽い。
更に驚くのは、右を向けば右側の、左を向けば左側の映像が展開する。
手を動かせば、道具を掴める。
そういう映像の時代に突入したのだ。
それを一般家庭でも購入できるようになるのが、今年だ。
試しでつけた人たちの感想は、全て、異常な没入感を口にしている。

映画とは技術だ。
そういう側面がある。
写真が動画に発展した時に。
これをエンターテイメントにするために様々な工夫が投入された。
今も、様々なアイデアが生まれて投入され続けている。
3Dになり、4Dになり、サラウンドになり、ドルビーになり、立体音響になる。
映像は高解像度化され、音楽もチャンネルが増え、分解能も高くなっていく。
映画と共に発展した技術が山のようにある。
技術を観たいという理由で、映画館に行く観客層すら確実にいる。

舞台にももちろん、デジタルの波はたくさん来ていた。
照明卓、音響卓、暗転時のモニタ環境など・・・。
他にも、舞台中の映像利用なども増えている。
けれど舞台はそこまで大きな波が来ていない。
まぁ、当たり前だ。
目の前で、実際に役者が演技をするという、アナログの極致を中心としているのだから。
それでもね。
映画と舞台は、実はずっとずっと、同じテーマで悩んでいたんじゃないかって思うんだ。

いわゆる没入感。
目の前のお客様が、映画の中にぽんと入るような視野角全てを映像にしたり。
流れてくる音響がどんどん、立体的になっていったり。
全ての技術が目指した先が、没入感なのだとしたら。
ああ、なんだ。舞台もそれで悩んできたよ。って思う。
アプローチが技術ではないだけだ。
演技だったり、台本だったり。
目の前で行われる明らかに台本がある・・・先が決まっている・・・作品に感情移入してもらう。
その為には、どんな芝居が必要で、どんな嘘と、どんなリアルを、混ぜていけるか。
そういう工夫を、色々な劇団が、色々な演出家が、たくさんの役者が、してきたんだ。

いいとこ取りだぜ。
全てがうまくはまれば、お客様は終戦直後の街に立てるんだ。
そのぐらいの没入感を創れるかもしれないと思う。

昨日のアトリエの事務所で撮影した写真を見る。
レスポールが、カセットテープのカラオケマシンに刺さってる。
その上には蚊取り線香。
その後ろにはばかでかいスピーカー。その横にアンプ。
そして、石油ストーブ。
時が止まったアトリエには、アナログが溢れてた。
全てのクリエイトはこういう場所から始まった。

技術の為の技術にならないように。
舞台が目指した没入感も大事にしないとな。
そんなことを思う。

作品世界に。
より、作品世界に。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 12:37| Comment(1) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする