2016年03月04日

それはまるで運命

運命なんて信じていない。
全ての未来がもしも先に決まっているのだとすればそんなにつまらないことはない。
それに、もしそれが運命なのだとしたら理不尽なことが多過ぎる。
運命なんてあるわけがないのだ。

そんなおいらでも、ああ、運命的だなと思えることがある。
運命ではなく、運命「的」ね。
これは、未来が決まっているという意味ではない。
そうではなくて、今までの事がまるで折り重なるようにして、なるべくしてなった時に思う。
ああ、あれは、ここに到着したのか。
ああ、あれが、ここでこうなるのか。
そういう糸という糸が収束した時に思うのだ。
もちろん、たくさんの偶然という要素があったのにも関わらず、という事だ。
決まっていたわけではない。向かっていたからだ。
だとしても、やはり、運命的じゃないか。そう思えてくる。

例えば去年の10月に「セブンガールズ」を上演したけれど。
セブンガールズを今の人数でもう一度やることになると誰が想像しただろう?
実は色々な要素が絡まって、セブンガールズの再演が決まった。
それは決して偶然じゃなかった。
下北沢演劇祭への参加もそうだ。
参加する時点では、公演期間にクラウドファンディングを行うなんて決まってなかった。
偶然が重なって、演劇祭という一番外側に開いている公演で、行うことが出来た。

映像に取り組むことだって、ちゃんと流れがある。
ヒーローMONOという作品で初めてオープニングで映像をプロジェクタで流した。
まだ世の劇団が映像を舞台で余り使用していなかった頃だ。
その後、おいらと織田さんで二人の弾き語りのCDの無料配布をやった。
記録されたものを配布するという行動は、音楽活動だけではなく別のベクトルに変化した。
テンポラルという劇団内お笑いコンビが「シュークリーム」というVHS作品を500円で製作販売した。
その時に出来た映像関係の繋がりから、劇団でショートフィルムの製作をした。
事務所から、デビューする歌手のPV製作の依頼が来た。
自主映画活動が盛んになった。
有名な自主映画コンクールノミネート作品に出演した劇団員まで出た。
柳さおりが、CMに出演した。
デビッド・宮原が、漫画「かぶく者」の原作連載を開始した。
「かぶく者」で知った映画プロデューサーが、舞台を観に来た。
ショートフィルムフェスティバルにノミネートされた。
圭君が、映画「ゆるせない、逢いたい」に出演した。
CMの縁と、プロデューサーの縁がいつの間にか結びついた。
まめまめ探検隊が始まって、遂には連続ドラマ「泣きめし今日子」が始まった。
全て、劇団で舞台活動をしながら、同時進行で起きてきた。
始めは別の糸だったのに、少しずつそれが集まって、一本の糸になった。

このまま進めば、恐らくデビッド・宮原初長編映画監督は十分にあったと思う。
それがもう一本の道。劇団員の活動と、がっちり結びついた。
劇団は劇団で、紆余曲折があって、自主公演や15周年企画を越えて。
今、まさに、ここというタイミングだった。
これが一年後でも一年前でも、企画の意味が変わっていたと思う。
これを運命的と言わないで何と言えばいいのか。
無意識的にも意識的にもきっと向かっていたのだと思う。
もちろん信念をもって取り組んできた。
たくさんの偶然もあった。
それが全て重なって、今、このタイミングでこの作品を映画にする。
やはり、運命的なんだって思う。

そんな運命的なことがまた起きた。
この企画は低予算映画だ。どうやって低予算で撮影していくか。
その工夫をしていかなくてはいけない。
その為には、撮影場所をどうするのか?という問題がある。
地方であれば役者とスタッフの宿泊費や食費がかさむ。
かと言って、都内近郊で、終戦直後のバラック小屋や、赤線に見える場所がどれほどあるか?
そして、その中で撮影が許されて、かつ、人が住んでいたりしたらやはり厳しい。
ならば、セットを組むか?スタジオが高いなら倉庫を借りるのか。
本格的にスタッフさんが決まる前に、候補があればあるほど、その後が楽になるはずだ。
勝手に決定は出来ないものの、候補を増やしておくといいよなぁとデビッドさんが日曜に言った。

月曜日。
GoogoleMapを見ていた。
美術の杉本さんが制作に使っている場所のそばを探してみた。
この辺にないかなぁと思えるような地区だ。
ふと、目に留まる建物名があった。
変わった名前だった。
ストリートビューに切り替えて、その建物の外観を観た。
驚いた。
それは、まさに、バラック小屋だった。トタンで作られた小屋だった。
すぐに、調べて、連絡を取ろうとした。

所が、連絡先がどこにもない。
わかるのは、美術家たちの共同アトリエっていうだけだった。
とにかく調べて、どうやらそこで活動歴があった美術家さんの名前を見つけた。
その名前をFacebookで見つけたから、ダメもとでメッセージを送ってみた。
夕方に返信が来た。
確かに管理していた一人だけど、今は京都に住んでいるという・・・。
クラウドファンディングのページを伝え、趣旨を伝えると、今の管理している美術家さんに連絡してくれた。

夜、連絡が来た。
すぐに連絡先をメッセージで聞いて電話を掛けた。
そのアトリエは、現在、週に1回ぐらいしか使わないらしい。
むしろ、今は倉庫としての利用に近いという。
まだ撮影は先なんですが、秋ぐらいなんです・・・1週間ぐらいは・・・と伝える。
そしたら、もうほぼ即答で、そのぐらいならどうぞ!と言ってくれる。
お借りするにはどれぐらい用意したらよいか、一応、教えていただけますか?と聞くと。
いや、いらないです!
・・・と言う。
え?いらない?
そんなことあるわけがない。

アートに理解ある美術家さんのアトリエが、まさかのトタン。
しかも、杉本さんの作業場から車で5分・・・。
その上、無料で、人が住んでいなくて・・・。
ここまで条件が揃うことなんてあるんだろうか?
もちろん、まだ候補だっていうだけだ。
他にも確認しなくちゃいけないことがある。
だから、近日中に足を運んで、写真なども撮影して、話も伺う。
倉庫作業があるというから、少し手伝いながら話そうと思っている。
力仕事ならお手の物だ。
搬入搬出なんて、毎公演やってる。

実際に話を聞いて、ロケーションを見て。
結果的には候補のまま撮影では使用しないかもしれない。
でもなんとなくこういう出会いが、こういう辿り着き方が運命的なのだって思う。
その方のFacebookを覗いてみると、舞踏の大野一雄さんが出てきたり。
ギャラリールデコで個展を開いてらっしゃったり。
自分が今まで触れてきた周りの人たちにもかすっているのが分かった。
映画や舞台、舞踏などにも、造詣が深い方だとわかった。
そして、そういう何十年と現代美術と向き合っている方と会って話すだけで、役者としてどれだけプラスだろう!
今から楽しみで仕方がない。

未来なんか決まってないよ。
だから「運命」なんて信じない。
この映画に結果があるとして、そんなもの、決まっているはずがない。
あるとすれば、それは、向かった時だけだ。
そこに向かって、様々な偶然と必然が、一本の糸になった時だ。

そして何かを達成した時にまた思うんだ。


なんて運命的なんだろう!と。


それはまるで運命。
でも運命じゃない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:45| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月05日

梅の香りの里

白梅紅梅.jpg
「白梅と紅梅が同時に咲く梅」 2016/3 小野寺
昨日のブログに書いたロケ先の候補となる第一の場所に、今、行ってきた。
小高い山の頂上付近の、住宅街と畑の隙間にそれはあった。
長い長い坂道を進む。
人気の少ない地域なのに、やけに渋滞している道を進むと、バス停があった。
交通の便が悪いと思っていたけれど、バス停から1分とかからない。
そこに、そのアトリエがあった。

そこに一歩踏み込む前から痺れていた。
外観は文句ない。
トタンで出来たバラック小屋と言われても、誰も否定しないと思う。
そして、思った以上に広い。
テニスコート一面分ぐらいの広さの建物だった。

いつでも見学ぐらいなら・・・とおっしゃっていたので、会う前に外観だけでもと思って観に行った。
ここは、もう空気が出来上がっている場所だ。
長い年月・・・(おいらの人生と同じぐらい)、美術家たちがここでアートに取り組んできた。
劇場にも似たあの、クリエイティブな空気が既に流れている。
うっそうとした木々が生えていて、カラスが二羽、警戒しているかのようにおいらの周りを飛ぶ。
近くにカラスの巣があるのは間違いない。ここは山だ。
共存できないなら、自然から跳ね返される場所だ。
芸術が、今日まで、自然と共存してきたことを知る。

グルリと建物の周りを巡る。
下に建材屋さん、その下に石工さん。
どちらも同じように、やはりトタンで出来た建物だ。
今日は休みらしく誰もいないので、どこまでが敷地かもわからないままぐるりと一周する。
もし、撮影が出来ることになったら、協力してくれたら。
このスペースも全て、戦後の焼野原になるだろうと思わせるに十分な景色。

ふと建物の裏手に入ってみると、その一段上にやはりトタンで出来た建物がある。
地図で言えば裏手にあたるのか・・・。
一旦、敷地を出て、山でいう処の一段上の集落に行ってみる。
とてもとても驚いた。
トタンで出来た長屋。大きめのトタンの建物、木造の建物、小さめの建物。
6棟ぐらいが集まる小さな、昭和30年代でも既に古いと思えるような無人集落があった。
建物の半分は既に、半壊している。
木造に至っては、骨組みが丸出しになっている。
たくさんのツタが絡みあい、烏瓜がぶら下がっている。
明らかに人が住んでいる様子がないけれど、こんな所がまだ東京都内にあるなんて。
きっと、誰も知らない場所だ。
子供の頃にここをみつけたら、間違いなく秘密基地にしている。

ここは一体、誰の持ち物なんだろう?
気になって、すぐ近くの農家を訪ねてみた。
丁度軽自動車のエンジンを温めているご老人がいた。
かなりのご高齢で話をしてみると。
そこは、かつて、ご自身が鶏舎として使っていて、その後、人にあげちゃったという。
今は全員いなくなって、返してもらったから、ごちゃごちゃにうっちゃってるんだ。という。
農具や何かをたくさんそこに置いているらしい。
この辺は保護地区に指定されちゃったから、それこそ、終戦の頃からあんま変わんないよ。
そんなことを言う。
もし、映画で撮影させていただくとしたら、貸していただけますか?と確認すると。
とてもとても恥ずかしそうに、そういうのはやったことねぇよぉ。と言う。
今日のところは畑に向かう直前だし、そうですか・・・と帰る。
とても笑顔の優しいおじいちゃんだった。
もし、デビッドさんや、美術監督の要請が上がれば、ここも候補になる。
そうなったら、この集落からアトリエまで、全て終戦直後の化粧をすることになるのか・・・
余り規模が大きいとその分、予算も膨らんでしまうから、そこまでにはならない気もするけれど。
真奈の覗くような水たまりまであって、どうしても、頭の中でそこにパンパンを立たせているイメージが消えなかった。

おじいちゃんが軽自動車で畑に向かった後、集落までの道。
梅が満開に咲いていた。
さっきから、鼻をくすぐる酸い香りは、梅だ。
紅梅、白梅、そして桃。
ここは梅の里だ。
山から周りを見渡せば、そこかしこに、梅が咲いていた。

満開の梅の中。

おいらは立ち尽くしていた。
続きを読む
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 15:15| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

本当は皆が君を待っている

今頃、劇団の女優たちは風呂上りに浴びるほど化粧水を肌に染み込ませ。
それ、膜状に固まっちゃうんじゃないのというぐらい乳液を塗ったくり。
美顔ローラーで、ゴリゴリと肌の下にあるリンパを流し、表情筋を鍛えているでしょう。

なんとなく何人かがダイエットだの、なんだのと書き始めています。

先週、デビッドさんがミーティングの時間に最初に口にした言葉が。
「痩せて。肌とかは大丈夫だと思うけど。やって。」
でした。
厳しい一言と言えば一言です。
実際に、食糧のなかった時代だし、役の中には病気という設定もあります。
あまり飽食の時代の感じが出てしまうと、リアリティがなくなります。
冗談で、ヒアルロン酸注入は禁じます!とか言ったけど・・・。

日本アカデミー賞で、「百円の恋」の安藤サクラさんが、最優秀主演女優賞を受賞しました。
名前が呼ばれた時、本人が一番驚いていました。
優秀賞に選ばれたメンツがメンツですから・・・。
超ベテラン女優などもいたわけで、自分だと思っていなかったようです。

もちろん、理由はそれだけではなかったと思います。
助演男優賞の際に言っていたけれど「百円の恋」は低予算映画だったそうです。
上映館も始めは数えるほどで、それが噂を呼んで少しずつ上映館を増やしていった。
それはこれまでの日本アカデミー賞の歴史で考えても受賞するような作品じゃないという事です。
映画会社も深くかかわっている日本アカデミー賞ですから、驚いたのだと思います。

その上。
この作品で、安藤サクラさんは、ほぼスッピンでした。
従来の女優様という存在からは遥かに離れた演技でした。
むしろ、女優がそんなにまでしていいの?というぐらいストイックに顔を崩してボクシングをしていました。
殴り、殴られ、その上、顔を腫れ上がらせて。
そういう役での主演女優賞というのは、あまりなかったのではないでしょうか。
役者からすれば、とてもとても納得のいく受賞でした。
「綺麗」とか「銀幕の薔薇」とかも女優です。
でも、「演技」をこそ認められたというのは、とても好感を持ちました。

おいらは、うちの女優のお芝居をわりに信じています。
恐らくデビッドさんよりも、数段楽観的に観ています。
売れてるとか売れてないとかっていうモノサシを外しちゃえば。
全然、演技が劣ることなんてないだろうと思っています。
自分を目立たせる方法とか、自分を輝かせる技術とかではなく、あくまでも演技の事です。
そして、作品に準じられる女優が何人もいます。
自分自分で目立とうとする技術なんか、どうでも良いと考えれば、充分な実力だと思います。

でも、そんな皆にデビッドさんは、やせろ指令を出したのです。
もちろん、痩せているメンバーもいるのですけれど・・・。
やはり、そこは美しい方が良いだろうということかもしれないです。
でも、それだけじゃない気がします。
気の持ち方。そういう部分でもあるのではないかと思うのです。

今、きっとテレビを観ながら、美顔ローラーをグルグルやってる女優がいます。
まだ世の中的には無名な女優です。

地道な積み重ねが、彼女たちを輝かせる日がきっときます。

ん?


痩せろって。
おいらに対してか?
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:18| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月07日

最初のシナリオを手にした日

稽古をした。
映像を見越した稽古になる。

デビッドさんは台本を約10Pも書いてきた。
でも、これはただの10Pではない。
ぽろっとこぼした言葉をかろうじておいらの耳は拾った。
4回も書き直したんだょ・・・と。
つまり、デビッドさんは40Pも今週書いてきたことになる。
舞台だったら、もう半分まで書いたのと同じだ。
もちろん、舞台の時もシーンによって推敲を重ねることはある。
それに、既にある作品を映画シナリオに書き換えているということもある。
それにしたって、いつものペースで言えば、とてもたくさん書いたことになる。
そして、それぞれのシーンに、しっかりとイメージを持っている。

今回。
おいらは、一つどうしてもこうして欲しいという思いがある。
それは、デビッド・宮原に自由に好きなように映画を撮影して欲しいという事だ。
ただし、この「自由」は、ただの「自由」ではない。
例えば映画の常識とか、カメラアングルの常識とか、演出の常識とか。
本当に、なーーーーんにも気にしないで、好きなようにやって欲しいなって思ってる。

今や世界の巨匠と呼ばれる北野武監督がね。
初めて映画監督をした時に、そうだったらしい。
やっぱり、映画の世界で生きてきたスタッフの中で一人だけお笑いの世界の監督でしょ?
次はこう撮影する。って言っても、スタッフさんに、それはおかしい、ここを抑えるべき・・云々と。
やっぱり、色々と言われちゃったらしいの。
それも、ほぼ毎日、毎シーン。
でも武さんは、絵も描く人だしさ。ひょうきん族で、画角なんかも決めてたのもあったし。
いや、ここはこれでいいの!と、毎日、自分の意見を通したみたい。
それで、段々、スタッフさん達も納得していったらしいんですよ。
結果的に、武さんは世界の舞台で評価を高めていく。
結果を出したわけです。
今、世界で一番有名な日本人映画監督だもの。

おいらはね。
デビッド・宮原っていう人は、天才なんだぜって、わりと本気で思ってます。
ただデビッド・宮原は、人の意見を取り入れるし、おいらが思ってるほど自信を持ってないです。
常に自分は本当に本当の本物なのか?って常に自分に問いかけているような人です。
天才にありがちな独善的だったり、意思を押し通すだとかよりも、ずっと柔らかい天才です。
今いる劇団員はみんな知ってるんだよ。
天才なんだぜって。
この人が自分の感性で自由に撮影したら、絶対に世界に届くよって思ってます。
柔らかさも武器になるけれど、それでも、もっと自由にやってもらいたい。
本当は映画だけじゃなくて、漫画でも舞台でも、全部、本当の自由の中でやって欲しい。

例えば。
予算なんか、デビッドさんには気にして欲しくない。
こういうのを撮りたい!って言ったら、予算的に厳しくても、おいらが用意するよ。何とかするよ。
デビッドさんが空撮したいって言ったら、ヘリは用意出来なくても、ドローンの操作を覚えるよ。
あの木が邪魔だって言うなら、地主さんに土下座して伐採のお願いをするよ。
絶対に無理っていうことは出てくるかもしれないけれど。
それを計算してシナリオなんか書いて欲しくない。
どこまでも自由に、まず、自分がやりたいように書いてくれたらなって思う。

4回も書き直した台本にはたくさんのことを考えた跡が見え隠れしてる。
それはもちろん、映画の常識であったり、演出の常識も含まれていると思う。
色々なバランスを考えながら、完璧を目指している。
だから、不自然なところがほとんどないシナリオになってる。
隙がないし、どのシーンもなるほど!だし、映像化した時の絵が見える。
大丈夫かな?心配だな。
自由に自由に書けているかな?
変な気の使い方はしていないかな?
そんなことを考えながら、何度もこのシナリオを読もうと思う。

今日。
最後の方だけだけど、ついにカメラを回して稽古をした。
モニタに映る絵を観ながら、デビッドさんが芝居を決めていった。
まだキャスティング前な部分もあることにはあるけどさ。
自分も芝居をして、今までと違う身体感覚、違和感。そういうものをキャッチしていった。
作品全体の中で、自分がやるべき仕事は作品がわかってるんだから同じだ。
それでも、舞台版のキャラクターから、少しだけ、変わったなって思えるところがあった。
その説得力をみつけなくちゃだ。

稽古が終わっていつもより少人数で芝居の話をした。
誰も自分の事なんか話さない。
この作品の事ばかり喋る。
映画に出るという夢が現実になった時に。
浮かれちゃってる人もいると思う。
でも、今日の数人は何も浮かれていない。
やるべきこと、考えるべきこと。
坦々とそんな話をした。
こいつらは、足を引っ張るぐらいなら自分は出ないで良い!と言いかねない奴らだと思った。
もちろん、出てもらわなくちゃ困る。
足を引っ張るどころか、映画をよりよく出来る奴らだからだ。

今やれること。
稽古だけじゃない。
考えろ。
進め!

この世の中の誰よりも、デビッド・宮原の作品世界を深く理解しているのは、前方公演墳だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:07| Comment(2) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

ショクニンカタギ

日本人で一番有名な監督と言えば、やはり黒澤明監督になるのだと思う。
世界中で数々の受賞、今もなお、世界中に多くのファンを抱える。
日本が生んだ大監督だ。

有名な逸話に、あの山がいらない。と言ったらしいというのがある。
その話の真偽のほどはともかく。
それに近いことは何度もあったのだと思う。
天皇とまで呼ばれたのだから想像に難くない。
まぁ、かと言って、すごく偉そうな人だったのかと聞かれるとそうでもないみたいだ。
残っている逸話を聞けば、完璧主義者だっただけで、偉そうと言うのとは違う。

この話を聞いた時に、おいらが思ったことは。
世界中で有名な「黒澤明」というブランドの下に、とても日本人的な凄い職人がいたのだろうという事だ。
今みたいに、デジタル処理である程度撮影後に調整が出来るわけじゃない。
その頃に、監督が完璧主義者で、こうしたい!と言った希望を、叶えてきたスタッフさんたちだ。
カメラマンさんはもちろん、照明、大道具、特殊効果・・・。
どこを切り取っても、職人たちだったのだろうなぁと思う。

「職人」という言葉に違和感を覚える人もいるかもしれない。
でも、実際に、舞台でも映画でも、職人と呼ばれる人が実は何人もいる。
今はそのお弟子さんたちの・・・下手すれば孫弟子の世代になっている。
それでも、今でも現役で映画界で働いている職人さんが山ほどいる。
アーティストでも、クリエイターでもない。
デジタルの時代に、映画と言うクリエイティブな作業を思うと、不思議かもしれないけれど。
やっぱり、職人としか言えないような人たちだ。

例えば去年のセブンガールズの時。
パンパン小屋の扉の中で待機していると、とてもとてもコーヒー臭かった。
あれは、何故かと言うと、中に立ててある障子のシミを、霧吹きでコーヒーをかけて作っていたからだ。
いつ張ったかわからないようなチラシが壁にあったと思うけれど、あれもそうだ。
プリンタで新しく出力したチラシをグチャグチャにまるめて、糊で貼ってから、あえて破いて、そこにコーヒーを吹く。
何段階もの工程を経て、いつのまにか風化したようにしか見えないチラシがそこに貼ってある状態になる。
そういうコーヒーを使うだとかのアナログな技術は脈々と受け継がれている。
それはもう、「職人」と言って差し支えない技術だと思う。
カビは雨だれのラインから生えてくる・・・とか、手垢はこの高さに付きやすいとか。
経験則に基づく様々な技術が、そこにはある。

おいらも少ないながら映像の仕事に行った時に、何人か、職人としか言えないスタッフを見た。
もちろん、舞台の世界にもいるんだけど、映像の世界の職人さんもとても興味があった。
昔から、専門職を極めているような人が大好きだからだ。
信じられないような所に照明を当てて、カメラを覗くとまるで自然光になっていたりする照明さんだった。
ちょっとあれには驚いたなぁ。
もう、おじいさんと呼んでいいぐらいの方だったけれど。
監督に言われたことを、さささと、当たり前のように準備する姿は本当に格好良かった。

受賞は「クロサワ」だとしても。
そこには、数多くの職人がいる。
つまり「クロサワ」とはチームだったのだと思う。
監督の能力はもちろん図抜けていたのだろうけれど、それだけでは絶対に世界に認められない。
日本の職人って、実は、映画に限らずに世界中に認められている。
宮大工とか、漆塗り職人とか、ねじ作りとか、iPhoneの中にすら日本の職人の技術が入ってる。

代替わりもしたし。
時代はデジタルにも突入している。
だから職人的な人はどんどん少なくなっているかもしれない。
(デジタルカメラの職人や、デジタル編集の職人と呼ばれる人は逆にいるんだろうなぁ)
それでも、とても楽しみなんだ。
おいらは大好きだからね。
例えば杉本さんが、どうやって終戦直後の世界を再現するのか。
カメラさんがどうやって、監督の希望するアングルに近づいていくのか。

そして、おいらは、職人的な役者になれたらなぁって思うよ。
監督の要望に、さささと当たり前のように準備するような職人に。

クリエイターとか。
アーティストとかじゃなくてね。

職人だよ。

外国語で職人なんて翻訳できないんだろうなぁ。
出来ても、きっと、プロフェッショナルとか、クラフトマン。
そうじゃないのさ。
もう人生の哲学な意味まで込められている言葉なんだ。
場合によっては宗教的な意味すら込められている。
お城だって、神社だって、iPhoneだって作っちゃう。

日本のアニメだって、漫画だって、すごく認められているけれど。
いつも思うのは、日本人独特の職人気質こそ、それを生んでいるんだよなぁってことだ。

そういう仕事をしたい。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:42| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする