2016年02月28日

こんな女に誰がした

「星の流れに」菊池章子
「セブンガールズ」舞台版のDVDを再び観る。
その勢いのまま、Youtubeで、この曲を検索した。

この曲にはたくさんの逸話がある。

この曲が生まれた逸話。
とある新聞の投書に、中国で従軍看護婦をしていた女性の投書があった。
戦地から帰ってくると空襲で家族も家も失っていた彼女は、上野界隈で体を売る女になったのだと書いてあったそうだ。
それを読んだ作詞家が猛烈な怒りを覚えて、上野界隈を歩き回りながら完成させたのがこの歌の歌詞だ。

この曲の歌い手が決まる逸話
ブルースの女王だった淡谷のり子さんに歌の依頼が入った。
でも、体を売る女を演じるような歌い手ではないときっぱり断ったそうだ。
結果的にお嬢様新人歌手だった菊池章子さんに歌い手の話が行った。

この曲がヒットした逸話
上野界隈を仕切る大物パンパンがいて、ラジオのインタビューをしたという。
そのインタビューの中で、このパンパンが口づさんだのがこの曲。
夜の街を徘徊するパンパンたちは、この歌を好んで口にしたという。
ラジオで流れてから、一気に広がっていった。

この曲はその後も残った。
多くの歌手がこの曲に共感を覚えてカヴァーをする。
ちあきなおみさんなど、有名な方が多く音源を残している。

この映像には、当時のパンパンの画像も流れる。
このパンパンたちが、この歌を歌ってたんだなぁ・・・そんなことを考える。

「セブンガールズ」の彼女たちが歌う歌は「星の流れに」ではない。
「星がいっぱいでも」だ。
タイトルは似ている。
パンパンが口ずさむというのも同様だ。
でも、意味は違う。
セブンガールズたちは、歌うたびに前を向いた。

いい映画になるなって思った。
うん。
いい映画になるよ。
たくさんの共感をきっと集める。
クラウドファンディングと同じように。
この作品はきっとたくさんの共感を集めることになる。
この曲と同じように。

さあ。
今日は久々にあのパンパンたちに会える日だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:48| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月29日

決起した人

4年に1度の閏日。
ニンニクの日?

クラウドファンディング開始から今日まで。
皆様の中で少しだけ疑問に思っていた人がいると思う。
それは、おいらがこうしてBLOGを書き。
SNSでは劇団員が喜んだり、宣伝したりしている中。
デビッド・宮原が一体、どんなことを考えているのだろう?
そう、思っている人が。

稽古場に集合して、すぐにミーティングになった。
デビッドさんは自分の思う展望と願い、覚悟を回りくどく話した。
劇団員達はそれを聞いた。
それは2時間ほど続いた。
内容についてはもちろん書かない。
ただデビッドさんと知り合ってもう20年近い年月が経つけれど。
かつて見たことがないデビッド・宮原がここにいるよ。そう感じた。
そんなことねえよ!と言われるかもしれないけれど。
おいらが、そう感じたのだから仕方がない。

ミーティングが終わり一服して稽古をしようと思うと。
デビッドさんが荷物をまとめて帰ろうとしている。
おれ、いらないだろ?と言って、シナリオを喫茶店に書きに行くと言う。
わかりましたと伝え、稽古に戻る。
ちょっとした問題の話をした後に、稽古をしようとしているとデビッドさんが戻ってきた。
喫茶店が閉まっていたらしく、シナリオを書く気がなくなったのだそうだ。
舞台台本から映像を意識して客席側がないという芝居をしてみる。
始めは少し観ていたデビさんが、おもむろにノートパソコンを開き、カタカタと打ち始める。
・・・もう10ページぐらいは書いたんだけどね。まぁ、やって、続けて・・・
言いながらもキーボードを打っている。

いくつかのシーンをする。
クライマックス。猫の周りに集まるシーンを演じる。
舞台と違って、ぐるっと猫の周りに皆が集まる。
声のトーンも客席を意識しない声。
役者と役者の距離感もそれまでと全然違う。
舞台の何十倍もリアルなそのシーンを観て、泣けてきた。
これは、すごい。
すごい役者達だ。
4か月前の舞台を、映像を想定してここまでの芝居にする。
これを更に稽古すれば、間違いなくすごいシーンになると確信する。

ふと、観ると、チラチラ観ていたデビッドさんは、下を向いてる。
まさか泣いていたわけじゃないと思うけど。

稽古時間が終わり、稽古場を出る。
そこに音楽監督の吉田トオルさん。
デビッドさんはトオルさんの顔を観てトオル来てるけど、俺が帰るーとか言ってる。
・・・多分、そのままシナリオを書くと思う。
もう頭の中に、映像化した時のセブンガールズのインスピレーションが溢れて止まらない状態だと見えた。
一か月で初稿をあげてしまうんじゃないか?
そのぐらい、頭の中で様々なシーンが映像化されているのがわかった。

SNSもTwitterぐらいしかやっていないし、BLOGも更新していない。
デビッドさんが今、どんな思いか、恐らく応援してくださる皆様にはちょっとわからないかもしれない。
でも、今、大きな大きな感謝と共に、耐えられないほどの期待に応えなければならないプレッシャーと戦ってる。
同時に。
デビッドさんのクリエイションの部分が、弾け始めている。
後から後からイメージが溢れているのが言葉の端々から伝わってくる。
感謝とプレッシャーとイメージの拡がり。
おいらが感じたかつて見たことがないデビッド・宮原とは、この状態の事だ。
似たような状態は何度も観ているけれど、そのレベルが違うと感じた。

そのまま決起会に向かう。
成田さんも、西もっちゃんも、バックもいる。
酒を飲みながら、こんなシーンにしたい、あんなシーンになればと話す。
皆がみんな、思い入れの深い作品だから、様々なイメージが交錯する。
トオルさんは、全曲全編書き直すという。
シナリオが出来たら、すぐにでも作りだしそうな勢い・・・。

デビッド・宮原と吉田トオル。
二人が旗揚げの頃から言っていたコトが実現することでもあるんだ、この企画は。
もう18年も前の、夢の話。
デビッド・宮原が脚本・監督で、吉田トオルが音楽。出演はこの連中。
そんな日が本当に来たんだ。

嘘じゃないぞ。
願えば叶うんだ。
必ず、いつか、叶うんだ。
その為に、嘘をつかず、進めば。
いつまでかかるかもわからないけれど。
いつか、きっと、たどりつくんだ。

金子さんが決起会の飲み代をおいらから受け取らない。
今日だけは払うな!と命令される。
そこまで大したことをしたわけじゃないんだけどなぁ。
抵抗するも、トオルさんに止められた。
おいらがやったことは、企画を立てて、作戦を練っただけだ。
実際には、ご支援いただいた皆様が行動してくれたんだけどな。

久々に観たパンパンたちの芝居が頭に残ってる。
こんなふうに稽古を重ねて映画を撮影する。
そんなことが出来るの、今、おいらたちだけなんだぜ。
他の映画の何十倍も稽古が出来るの、劇団だけなんだぜ。

おいらの予想では、今もまだシナリオについて考えている人がいる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:04| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月01日

渾身の一撃

ものごとを進めていくには、常に最低の想定と最高の想定が必要だ。
おいらの場合、最高の想定がどんどん先に進んで、妄想だって笑われる傾向にある。
でも、実はいつも同時に最低の想定もしている。

天変地異が起きて、撮影が延期になってしまう可能性だってある。
撮影費用が足りなくなって、費用の工面が必要になる可能性だってある。
映画祭出展の〆切に編集が間に合わない可能性だってある。
出来上がった映画をどの映画館も上映してくれない可能性だってある。
特に日本では有名な俳優が出演してなければ動員できないっていう考え方が根強い。
いや、おいらだって、知らない人ばかりの映画って中々見に行かない。
面白いらしいよという噂を聞いて、初めて人は動くから。
その最初の分母が小さければ小さいほど、上映館も減っていく。
どの映画祭にもノミネートさえされず、上映も少しだけになる可能性は、実際には充分にある。

そこまで想定していながら、なぜか、おいらはとても強気だ。
いや、なぜか?っていう言葉自体に意味を感じない。
確かに映画畑にいる人であればいる人であるほど、きっと、最低の想定の可能性が高いのだろうなぁ。
国内の映画の配給の常識だとか、どうしてもあるから。
でも、そんなものはおいらにはない。
良いものは良い。
興業は別物だと演劇でも知っているけれど。
演劇に比べたら、映画の世界は、事前に作品を見せたり宣伝できることが大きい。
だから、良い作品を製作すれば必ずどこかで火が付くと思う。
最低の想定をした上で、それに負けるような精神性だったら劇団なんか出来ない。
夢や希望と違う、もうちょっと冷静な何かだ。

支援者に、シルベスター・スタローン氏がいた。

まさか、カタカナで自分の名前を表記するとは思っていなかった。
しかし、ハリウッドから注目されるのは、とてもすごいことだと思う。
ふざけているのか?と思われそうだけれど。
スタローン氏の真贋はともかくとして。
おいらが思うにこの企画を知れば、必ずスタローン氏が支援してくれたことは間違いがない。

「ロッキー」という作品を知っていると思う。
テレビでも何度も何度も放映された。
あの映画が、どんな風に生まれたか知っているだろうか?

当時、まったく売れない俳優だったスタローンは、ボクシングの試合を観て興奮して数日でシナリオを書いたという。
すぐにこのシナリオをハリウッドの映画会社に売り込むと、スター主演での製作が決まりかけたそうだ。
けれど、スタローンは自分が主演じゃないと製作しない!と固辞。
結局、その主張は受け入れられたものの、低予算B級映画としてこの「ロッキー」は製作された。
もちろん、全く無名のスタローンが主演のこの映画はろくに宣伝もされず小さな上映館でのみ上映された。
ところが。
たくさんの人が泣いた。
たくさんの人が震えた。
たくさんの人が燃えた。
そして、その人たちが周りの人に、この映画を勧めていった。

瞬く間に「ロッキー」の上映館が増えていく。
ついには、全米チャートに登場して、最終的に1位さえとってしまう。
無名の俳優が主演のB級映画がだ。
それで、終わったわけじゃない。
そこに、更に、大きな大きな勲章までもらった。
アカデミー賞の受賞だ。
ロッキー・バルモアという無名のボクサーが、チャンピオンに挑みスターになる映画は。
シルベスター・スタローンという無名の俳優が、ハリウッドに挑みスターとなる姿と重なった。
まさにアメリカンドリーム。
自分の全てを懸けた映画で、文字通り、スタローンは夢を叶えた。
自分の力で。
自分の足で。
自分の営業で。
自分の夢に立ち向かった結果だ。

こんなことは決して珍しいことじゃない。
実は社会ではいくつでも起きている。
どこかの会社でもきっとあるはずだ。
起業して大きな会社に育てた人だっている。
もちろん、失敗した人はその何倍もいるかもしれない。
でも、更にその何倍も行動しない人だっている。
珍しくないのさ。
とにかく全力で挑む。
そして、人の心が動くなら、そこに何かは絶対に起きる。
クラウドファンディングだってそうだったんだから。

だからね。
真贋はともかくとして。
スタローン氏は、この企画を知ったら、支援してくれたと思う。
これは、かつての・・・俳優というより用心棒のフリーターだった・・・自分の姿だったんだから。

スタローン氏が自分を主演にしないと映画にしないと主張した時。
当然、最低の想定をしたと思う。
映画化が幻になるかもしれない。
撮影できないぐらいの予算しか出ないかもしれない。
製作しても上映館がないかもしれない。
そういう想定だ。

でも。
製作したら、絶対に観てくれた人は喜んでくれる。
そういう、大きな自信もあったはずなんだ。
そうじゃなきゃ、動けない。
そうじゃなきゃ、主役にしろなんて言えない。

チャンピオンのアポロに挑むが如く。
前のめりで進もうぜ。
ロッキーのように何度倒れても、立ち上がればいい。
そして決めればいい。

渾身の一撃を!

posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:38| Comment(2) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

ゾクゾクしながら進む

昨日はレオナルド・ディカプリオさんがアカデミー賞を受賞したことが話題になった。
それで、おいらはロッキーの話を書いたわけだけれど。
今回の企画では海外の映画祭に挑戦したいと思っているのだけれど。
アカデミー賞の作品賞だけは逆立ちしても取れないことをご存じだろうか?

毎年、毎年。
アカデミー賞はとても大きな話題になる。
今回も受賞だけではなくて、ノミネートに関することでも人種の問題や審査員の問題。
やっぱり今年も同じように繰り返された。
しかし、疑問に思ったことはないだろうか?
世界三大映画祭というのがある。
金獅子とか、金熊とか・・・その中になぜアカデミー賞が入ってないのかなぁ?と。
これだけ、世界中で話題になるのに、世界三大に数えられていないからだ。

世界三大映画祭とは。
ヴェネツィア国際映画祭、カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭。
この3つを指す。
この他にももちろん世界中には、「国際映画祭」なるものがたくさんある。
アメリカならカナダの、モントリオール国際映画祭、トロント国際映画祭なんか耳にすると思う。
ロサンゼルス・アジア・パシフィック映画祭なんかも最近の日本映画で耳にするかもしれない。
国内でも、東京国際映画祭から、ゆうばり国際映画祭など。
様々な映画祭がある。
三大映画祭とは、歴史が長く、かつ観客が最大級の映画祭という事だ。

国際映画祭とはつまり、海外の作品の出展も可能な映画祭だ。
そして一般公開前に出展するのが通常だったりする。
世界中のプロモーター、バイヤーたちが注目していて、興行権を買いたい作品を探す。
もちろん、マーケットと呼ばれる、映画祭とは別の映画のプロモーションの場もある。
国際見本市に出展するとしても、映画祭へのノミネートや受賞は、大きな冠になる。
だから、まだ無名の作品や俳優が受賞することも珍しいことではない。
面白い映画を先取りして探しているのだから。

対して、アカデミー賞は、実はすでに公開済みの映画の中から受賞する。
だから、興行成績であるとか、話題性まで加味されていく。
この一年で最も今年を代表するに足る映画とは・・・という賞なのだ。
更に言えば、「国際映画祭」ではなく、国内の映画の中から作品賞が選ばれる。
アカデミー賞作品賞を日本映画がとることは永久に不可能という事だ。
規模が大きいからアカデミー賞には、さすがに外国映画賞なる賞が設置されている。
この賞なら、アメリカで話題になれば、受賞してもおかしくないことになる。
もちろん、日本アカデミー賞も同様だ。
ハリウッド作品が受賞することは完全にあり得ない。
そして、受賞後の公開もありえない。

ただハリウッド映画だと、日本での公開が遅れることがある。
日本で公開しても当たらない場合もあるからだ。
だから、映画館のCMを観ると、「アカデミー賞最有力候補!」とか、「受賞!」とか。
タイムラグが発生する。
それで、ちょっと日本にいるとよくわからなくなるだけなのだ。
日本人は冠がついていると信用する傾向が強い。
官邸御用達なんて書かれている食べ物は食べる前から美味しいと思い込んでしまう所がある。
●●賞受賞、○○映画祭ノミネート、日本で映画を上映しようと思ったら、冠は必須だ。
評論家がどんなに褒めて、どんなに勧めても、冠がないと上映館すら見つからないこともある。
だから受賞したりノミネートされてからの公開のケースが増えていく。
公開後に受賞する賞は、つまり、無名からは非常にとりにくいということになる。

金子さんは無知なので、アカデミー賞を取るとかBLOGに書いている。
うん。ごめん。それはちょっと難しいんだ。
なぜなら、あなたは、典型的な日本人だから。

先日、デビッドさんとプロデューサーさんと3人で話した時に。
スケジュールについて少しだけ話した。
何月に撮影できて、何月までに編集は終わりたいですね・・・。
そしたら、ヴェネツィアが何月からの応募で、ベルリンが何月で・・・
あ、世界三大国際映画祭というのがあるんですよー・・・
・・・なんて言うものだから、デビッドさんもおいらも下を向いて少し吹き出してしまった。
だって、ついその前の週まで下北沢演劇祭について話し合ってたのに。
ヴェネツィアとか、ベルリンとか。
普通にこうやって喫茶店で話していいのかよ!と思ってしまう。
そして、おいらが世界に挑戦するんだ!と言っていた言葉をプロデューサーさんも信じている。
それが、妙におかしくて、吹き出しちゃったんだ。

最近。
おいらが口にすることをわりに信じる仲間が増えてきた。
こ、コイツの場合、本当にやっちゃうんだ・・・というのが少しだけ浸透した。
これまでだってそうだったんだけれどもね。
劇団が暫く休まなきゃいけないピンチに自主公演を企画したりさ。
15周年記念公演で、駅前劇場を中心に年間計画建てたりさ。
ここぞという時にはいつも、嘘だろ!って言われながらやってきたつもりなんだけど。
織田さんだけは、小野寺の場合、本当にやっちゃうよ、俺、知ってるよって言う。
バンド結成して、すぐにワンマンやる!とかCD作る!とかアマゾンで売る!とか。
全部やっちゃったことがあって、織田さんだけはそういうおいらを知っているからだ。
でも、今回の映画化決定は、わりにこの、やっちゃう気質が浸透したみたいで。
世界で勝負するぞ!って言っても、ふぅ~ん感がなくなってきていて。
そうか!よし、やろうぜ!感が普通に出てきた。
皆が、世界の映画祭に本当に乗り込むんだ!って普通に信じるようになった。

もちろんすべての映画祭に出展するには難しい。
出展するだけで参加費用が掛かるし、世界中を探せばものすごい数になるからだ。
どの映画祭に出展するのかも何も決まっていない。
でも、この目的意識は大きいなって思う。
目指す先が、全員同じなら、それは大きな大きな力になる。
「世界を驚かす!」
曖昧な目標のようだけど、こんなにハッキリした目標もない。
日本で最大動員映画を目指す!というのとは全く違う。
良い作品を創って、世界に乗り込む。
わかりやすくて、届きやすい、そういう目標だ。

金子さん。
アカデミー賞は難関かもしれないけれど。
君のファンが地球の裏側に出来るコトは、本当に起こり得るんだぜ!

本当に世界を見続けられるのなら!
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:34| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月03日

サクセスストーリー

ドッペルゲンガーを見てしまった。
これでおいらは、芥川龍之介先生と並んだことになる。
自分かと思って調べたら、ちゃんと違う人だった。

最近、小劇場原作の映画が発表され始めている。
今に始まったことではないけれど、最近はとても増えている。
むしろ、映画界がオリヂナル作品を創りづらくなっていると言った方がいいのか・・・。
漫画原作があって、小説原作があって、ドラマ続編があって。
ついに、小劇場の面白いという噂の作品にまで手が伸びてきたという事だと思う。

もちろん、出演者はその劇団の劇団員ではない。
有名な俳優が、劇団員に取って代わって出演している。
何人かは劇団員も出演していたりするけれど・・・。
なんだったら、監督はその演出家というケースもある。
あるけれど、俳優だけは総とっかえになってる。

理由はたった一つしかない。
それは、日本での上映における興業的な部分。
動員できるかどうかという目算だ。
映画会社からもスポンサーからも、有名な俳優が出てなければお金が下りない。
なんという、つまらない、どうしょうもない理由だろうと思うけれど。
実際にそうなんだから仕方ない。
その作品を映画化するなら、絶対にベストな俳優は劇団員だと思う。
それが、日本の映画界の常識ってやつなのだろう。

実際、今、NHKですら、無名の俳優を突然ピックアップすることが少なくなった。
朝ドラや、大河ドラマと言えば、それまで無名の実力派俳優が出てくるドラマだったのに。
なぜそうなったのかまったくわからないけれど、実際、今の朝ドラを観ればすぐにわかる。
むしろ、仮面ライダーなどが、無名俳優の登竜門的存在になり始めている。
予算がなかったり、視聴者層が子供だったり、有名である必要がない番組からしか新人が出ない。
本当にそれでいいのかなぁって、とてもとても思う。

つまり。
良い作品を創る!というベクトルと。
お金になる作品を創る!というベクトルはまったく違うという事だ。
それは、なんだか、とってもとっても、つまらないんじゃないの?って思う。
何故なら、健全ならば、良い作品はお金になるからだ。
良い作品が必ずしもお金になる訳ではないだろうけれど、必ずじゃなくてもいい。
良い作品には、やっぱり、たくさんの人が集まる。
そういう状態じゃないのだとすれば、やっぱり、健全じゃないと思う。
オリヂナルが創りづらいという風潮も全く同じ理由だ。

今、世界の映画興行界で、日本映画は軽んじられているそうだ。
別にアジアの島国だからじゃない。
インドや、シンガポールや、アジアの国で勢いがある国がいくつかるらしい。
ヨーロッパでも、アジア映画という意味では全体的には評価が上がってきているそうだ。
それが、日本映画は、あまり注目されないということが何年も続いてると聞いた。
あ、もちろん、まったくじゃあない。
他のアジアの国々に比べて、あまり期待されていないと聞いた。
勢いのある国がアジアにあるからかもしれない。
でも、本気で、世界のマーケットで、作品を発表するのなら、興業なんか別の話と割り切るべきだと思う。

・・・とは言え、お金を出す資本から見れば、どこの馬の骨ともわからない連中にお金は払えないと思う。

だから、この企画はその裏側をつついた企画だ。
思いきって、資本を映画会社からも、スポンサーからも求めなかった。
この企画では出しようがないと言われれば、企画を変えていかなくちゃいけない。
だからこその、クラウドファンディングだった。

そうすると、じゃあ、動員はどうするんだ?という話になる。
結局、無名の俳優ばかりで映画を創ったって、観客は動かないよ。
・・・そう言われるのは余りにも明白だ。
ただ、それは、日本国内の動員だけを考えた旧来の映画界の常識でしかない。
そんなの、気にしていたら何もできなくなってしまう。
だから、むしろそれを逆手に取っている。

日本の小劇場が代表作を映画化して世界に挑む。
このアングルは、有名な俳優が何人か出演することよりもずっと大きな魅力だと思ってる。
少なくても、世界では。
何故なら、日本で有名な俳優も、世界では無名だからだ。
世界に持っていけば、役者の有名無名はまったく関係がなくなる。
その上、「彼らは日本のリトルシアターカンパニーの俳優で、資金0円から支援を募って映画を創った」というサクセスがついてくる。
「彼らはこの作品を映画化するためノーギャラで出演しているという」とか。
「17年もの間、舞台をやってきた」とか。
日本では弱点であるはずのプロフィールが、全て、アピールポイントに変化してしまう。
海外の映画祭で知られている日本の俳優なんて、何人いるだろう?
ミフネぐらいなんじゃないか?って本気で思ってる。
日本人が小劇場の俳優を知らないのと同じように、海外では日本人の俳優なんか知ってるわけがない。

もちろん。
日本で有名になりたいし、興業だって成功に向かいたい。
その為に作品の濃度を濃くして、世界中の人が心を動かすような映画を創りたいと思う。
あくまでも、その先の結果だってことだ。有名だとか興業だとかっていうのは。

だから、この企画が、万の一つの確立だとしても成功すれば大きな大きな功績になるんだ。
映画会社もスポンサーも、面白い作品を小劇場界に探しに行くようになるかもよ。
流れが変わっちゃうかもしれないんだ。
数字を取るには、数字じゃ計れない。
そういう革命が起きるかもしれないよ。
朝ドラはもう一度、無名の十代の女の子を探し始めるかもしれない。
その方が面白いよ。
少なくても、ちょっと前は、そうだったんだから。

サクセスを。
サクセスストーリーにする。
そういう挑戦でもあるんだ。
この企画は。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:26| Comment(2) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする