2015年11月13日

映画と舞台の違い

役者にとって、舞台出身の役者は舞台も映画も演じることに違いはないと言う人が多い。
逆に、映像出身の俳優は、舞台は違うと言う人が多かったりする。
同じ演じるでも、アングルで随分と違うものだなぁと思う。

演じることがもし変わらないのだとすればきっと作品が違う。
明確に違うことは2つ。
残ることと、編集することだ。
吉田トオルさんのことを書いた時にも、逆の作業になると書いたけれど。
監督と演出家の作業も多分、逆になる。

舞台の演出家は、演出を重ねる。
そして、本番は後からやってくる。
本番がやってきてしまったら、手を加えることはできない。
けれど、映画監督は逆だ。
撮影をしてから、編集という形で演出が出来る。
音楽を入れたり、カットをしたり、エフェクトをかけたり。
演技が終わってからの演出があるのが映像だ。

「ラブストーリーに罪はない」の制作の時、それと音楽PVの制作の時。
デビッド・宮原と共に、編集の場にいた。
舞台の時とは違う演出が、たくさん入って、非常に面白かったのを覚えている。
全体のテンポや流れ。そういうものまで、手を入れていく。
もちろん、芝居が良くないと、どんなに編集したって、最高まではいかないのだと思う。
良い芝居を撮影できれば、後は、監督の感性で、大きく映像は変わっていく。
デビッドさんは、文章を書いたこともあるし、自分のバンドのCDもレコーディングしている。
全体の流れやテンポ、違和感の排除。記録するものでは全て共通して持っているものがある。
とても、敏感な監督だった。

それと何よりも残ることだ。
もちろん、舞台も撮影をして編集をして、DVDに焼いて残してある。
でも、これは、デビッド・宮原は観ない。
そして、それほど、撮影を好んでいない。
何故なら、舞台で行われたことの編集されたものはきっとまだ自分の作品と言い切れるものではないからだ。
それでも撮影を続けているのは、もちろん、アーカイブとして残していくためであり、同時に資料にもなっているからだ。
デビッド・宮原や役者達を知らない人には、これを渡すことで何よりも大きな資料になる。
足を運んでくださったお客様に喜んでもらえるグッズにもなる。
でも、やはりこれは、記録であって、作品というには少し足りないのだと思う。

Twitterで「かぶく者」と検索してみるとわかる。
今でも、デビッド・宮原が原作をして週刊モーニングで連載した漫画のことをつぶやく人がいる。
たまたま読んだ人、歴代好きな漫画リスト、歌舞伎を見て思い出した人。
「かぶく者」は、出版された漫画として、今もファンを増やし続けているのがわかる。
デビッド・宮原が作品として残したモノの一つだ。

きっと、「セブンガールズ」を映画化しなくても、デビッド・宮原の作品は残っていく。
「泣きめし今日子」だって、放送が終わっても、インターネットで少しずつファンが増え続けるだろう。
そして、これからもデビッド・宮原の創作が終わるとは思えない。
きっと、他にも様々な作品を発表していくはずだ。
映画だって。漫画だって。もしかしたら音楽や小説だって生まれるかもしれない。

でも、劇団前方公演墳の役者とお客様だけが知っているはずだ。

本当の傑作がココにあるんだということを。
「セブンガールズ」だけじゃない。
今まで、すごい作品が何度も生まれてきた。
でも、知っているのは、おいらたちだけだ。
「かぶく者」しか知らない誰かに教えたい。
コイユキだって、トケオチだって、イケダヤだって、ネメシスだって。
面白いんだぜって、伝えたい。

舞台はその時に生まれる一瞬のエンターテイメントだ。
LIVEだ。
ただ、そのLIVEの中で、「本当の作品」にするべき、台本があったということだ。

「セブンガールズ」を撮影して。
デビッド・宮原が編集して作品に仕上げた時。

それは、どんな作品になるだろう?
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 23:27| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

作品の持つメッセージ性

Twitterで、メッセージ性が強い作品だから…と頂いた。
実は、お客様からセブンガールズは良くメッセージ性について言われる。
今年は終戦70年ということもあったからか、とても多かった。

実は演じている側はそのメッセージ性について、余り強く意識していない。
作家的な仕掛けはもちろん随所にあるのだけれど、演じ手にはよくわからない。
なぜなら演じる側は、今日食べる食事すらない切迫した生き方をなぞるからだ。
この作品のメッセージよりも、この作品の中でどう生きるかが強くなっていく。
メッセージ性を意識する暇がないと言ってもいい。

例えば、女性運動家の松前薫という役がある。
そのシーンはコメディで、面白おかしく書かれている。
演じ手は、いかにもっと面白くなるかばかり考えている。
けれども、そのセリフをよく読むと違った見方も出来る。
「こんな屈辱的な仕事をする必要はないのです」
そういう視点が、実はセブンガールズには全体的に流れていて、お客様にはよくそれが見えるようにできている。

終戦直後…いや、敗戦直後と言った方が正確かもしれない。
男たちは戦地に取られ、生き残ったのは、女子供と年寄りばかり。
明日どころか、今日食べるものさえままならない。
戦中にあった配給も滞っている。
そんな中、生まれたのが、パンパンと蔑まれた街娼たちだった。
なぜ、娼婦ではなく街娼と書くのかと言えば、娼婦ともまた違っていたからだ。
戦前から娼婦という存在は当然あった。
パンパンたちは戦前からの娼婦ではなく、普通の主婦や戦災孤児、戦災未亡人が街娼をやっていたからだ。
だから職業娼婦からは、白い目で見られていたという。
初演などには、高級娼婦という存在も舞台に登場していたのはそういう部分の表現だった。

パンパンは、夫や家族の命を奪った占領軍の兵士に体を売って糊口をしのいだ。
パンパンが終戦直後に稼いだ外貨は、終戦直後の国家予算を上回るという説だってある。
口を塞いだだけで、実際には20万人以上もいたという説もあるそうだ。
日本の現代を顧みるのであれば、知っておくべきことだと思う。

反戦映画はこの世の中に山ほどある。
その殆どが、男たちの物語ではないだろうか?
戦地の酷さ、帰国できない辛さ、傷痍軍人。社会主義者。
女性の視点の反戦映画もあるけれど、主人を待つ女房や母…などの視点が多いと思う。
そのどれとも違うテーマがここにある。
とにかく、今日一日を生きる。

戦死詔書が届いたのは、戦争が終わって一か月も経ってからよ。バカみたい。

明るく道江が弟の戦死について話す場面がある。
これが、この作品の持つテーマだと思う。
それは、ただ「反戦」ということではない。
ボロボロに痛めつけられた中での「強さ」こそがテーマだったということだ。
きっと、お客様には、そういう部分が強く残ったのだと思った。

もし、海外でこの作品を発表する機会が本当に来たらどんな反応をするだろう?
日本を平和な国にすると占領していたGHQが女たちを買っていたと知っているだろうか。
海外の映画は、メッセージ性やテーマを非常に重要視する。
強いメッセージには、強い反応が返ってくる。

この作品を映画にすることは強い意味がある。
そう思っている。
もちろん、演じ手はそこまでテーマを意識しない。
ただただ、演じながら強く生きようと願うだけだ。
結果的にそれが、作品のテーマに繋がるだけだ。

そのテーマは。
人間の強さであるならば。

万国共通だと思っている。
世界に通じると信じている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 23:20| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月11日

そしてもちろん音楽監督は!

昨日の美術監督の発表に引き続き…。

もう、発表なんか必要ないかもしれないけれど。
当然そうなるってわかってると思うのだけれど。
…とは言え、実現するかもわからない今の段階で。
もしも実現に至ったらお願いできますか?と確認しました。

吉田トオルさん。

音楽監督を引き受けてくださりました。
もちろん、実現前の今の段階で、このBLOGなどでの発表も許可いただきました。
つい先日まで、SE7ENさんというアーティストのツアーに行っていたので。
お忙しかったと思うのですが、快諾いただきました。
…それにしても…
舞台セブンガールズから、SE7ENさんから、セブンガールズ映画化実行委員会まで…。
たまたまとは言えスリーセブンで、なんだか、驚きます。

劇団を応援してくださっている皆様は、もうご存知だと思います。
デビッド・宮原とはもう20年を超える付き合い。
デビッド・宮原のバンド時代から始まります。
劇団前方公演墳では旗揚げより全ての作品でオリジナル音源を提供してくださっております。
以心伝心とはまさにこの二人のことで、二人のミーティングには誰も参加できません。
二人で冗談を言いながら笑いあっているだけに見えるのに、実は作品の音楽の方向性が決まっていたりします。
つまり、デビッド・宮原の作品にはなくてはならない存在です。

劇団の音楽だけではなくバンドサポート、音楽プロデューサー、ディレクター、作詞、作曲。
ありとあらゆる音楽の仕事をされています。
最近、映像作品への劇伴曲も。
劇団で制作したショートフィルム
「ラブストーリーに罪はない」「オクリビ」
「スプリットの恋」
長編映画「ゆるせない、逢いたい」
連続テレビドラマ「泣きめし今日子」「泣きめし今日子2」
と、既に数多く手掛けております。
こちらのBLOGに詳しく書かれております。
http://blog.livedoor.jp/tooruyoshida/

セブンガールズという作品は、音楽と共にあります。
オープニングからラストに至るまで。
そして、物語の中心に流れるテーマ曲。
作品を思い出すたびに、あの曲が流れると思います。
心に落ちる曲です。

同じセブンガールズですが、舞台と映画では音楽の付き方が変わります。
舞台は台本を読んで、曲を用意して当てはめて、そこから通しや本番でよりよくしていくわけです。
ですが、映画の場合、完パケの映像を流して、そこに音を加えていく作業になると思います。
何度も何度も映像を確認しながら、映像の長さに合わせて、音を編集していくのです。
きっと、同じ曲でも、全然違う効果が生まれてくると思います。

劇団を応援してくださる皆様には当たり前かもしれません。
それぐらい当たり前で、必要な存在だからです。
それでも、音楽監督が決まったことは大きな大きな前進です。

実現したら。
楽しみで仕方がありません。

そのぐらい大きな力をいつももらっているのです。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 23:36| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする