2017年02月05日

モニターヘッドフォン

音楽監督から更新データが届いた。
昨日の問題点を洗い出す前だったから一つ一つ貼りなおす。
監督の編集点に即した音源に代わっていく。
やはり、編集しながらの音声は昨日とは違う。
昨日は埋もれていた音声が、編集時は聞き取れる。
Mpeg2に書き出したときに、2mixされるから、倍音の少ない音は埋もれていく。
それはわかっていたし、かつ、Mpeg2の場合音声はMP3に変換されることもわかっていた。
だから、ある程度、音声が劣化するのはわかっていたけれど、あそこまでバランスが崩れると気になった。

バンドでレコーディングしていた頃のヘッドフォンを探し出し、試しに聞いてみる。
これは、レコーディング用だから、基本的に鳴っているすべての音をそのまま聞かせるように設計されている。
いわゆるモニタヘッドフォンというやつだ。
当時、レコーディングデータを聴き比べるために、ある程度のものを購入してあった。
普通に音楽を聴くためのヘッドフォンではなくて、あくまでもモニタ用。
再生環境で、どれだけ変わるのか試してみたかった。

PCに接続して、ヘッドフォンで聴いた時に、衝撃を受けた。
まるっきり、セリフが埋もれていたのだ。
こんなに、音声が奥に引っ込んでいたなんて全く知らなかった。
定位や、ゲイン、音圧などなど。
それは、整音まで触るべきじゃないなと、あえて触らないで来たのだけれど。
実際になっている音はこんなに、奥まっていたのだ。
作業中に着けていた、ヘッドセット、イヤフォンに差し替えて聴いてみるとセリフが前に出てくる。
つまり、そういう調整がされているのだ。
ヘッドセットは、マイクもついているテレビ電話などに使用するものだから、人間の音声の周波数帯を持ち上げているのだ。
そして、イヤフォンは、ウォークマンに付属していたノイズキャンセル付きのわりに高機能なものなのだけれど。
周囲のノイズをキャンセルするだけではなく、圧縮された音源をクリアにするように音像も整えていたのがわかった。
正直、ヘッドフォンの違いぐらいならと、どこか舐めていたのだけれど。
モニタヘッドフォンの大事さをここにきて思い知った。
場合によってはPCのサウンドカードも、イコライザで自動的に調整をかけている場合があるだろう。

こうなってくると、やはり、音声をある程度整えていかなくては、どうにもならないと思う。
今まで聞いていた音は、自動的に持ち上げてくれていた音だったのだから。
発声のしっかりしていない俳優の声ほど、奥に奥に埋もれているのがすぐにわかった。
これでは、まずい。
来週頭に、シナリオと書き出した映像を、字幕製作に納品する。
字幕が付けば、海外映画祭へのエントリーが待っている。
そのエントリーまでには少なくても、音声をある程度まとめておきたい。
KORNさんのスタジオに入る前に、ざっくりとでいいから整音をお願いすることも出来るのだろうか?
忙しいから難しいと言われたら、おいらがやっていくしかない。
マイクごとにゲインが違うのをおいらが調整するというのは、非常に、大変だと思うのだけれど・・・。

落ち着け落ち着け。
やれるだけやるしかない。
むしろ、モニタヘッドフォンが家にあるっていうのがすごいじゃないか。
そんな家、なかなかないんだから。
これで、モニタしながら調整すれば出来ないはずがない。

夜が明ければ、舞台の反省会だけれど。
その前に編集が入る。
反省会の進行次第では、おいらは抜けて、編集作業を続けることになるだろう。
そのぐらい差し迫っているから。
タイミング次第で、音楽監督も稽古場に来てくれるとのことだ。
監督との話もあるだろうし、そこはやはり進めないといけない。

世界には、たくさんの映画祭がある。
その映画祭ごとにディレクターがいて、素晴らしい作品を探している。
完パケ品を見せられたら一番なのだろうけれど、大抵は編集過程の映像だという。
だから、途中だからと言って、仕方ないとはならない。
出来ることを出来るだけ詰めていく。
それしかない。
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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:33| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月09日

憧憬の齟齬

ちまちまと、セリフをLRに振り続ける。
それだけで、音の世界観がどんどん生まれ変わっていく。
こんなに変わるなら、もっと早くやっておけばよかった。
MAまで、触らないでおこうなんて考えるのはあまり意味がなかったかもしれない。
不思議だけれど、音を少しだけでも左右に振り分けると、ボリュームまで変わったように感じる。
実際には変わっていないはずなんだけれど、同じ位置に同じ帯域があると消えてしまうのだろう。
モノラルの音が全て中央にあれば、それはそうなるのも当たり前だ。
なんで、もっと早く気付かなかったのかと後悔。
少なくても字幕が出来て、海外に持っていく前には、ある程度整理を完成させたい。
仕上げの段階の前に、やることもまだまだあるのだということだ。

そういえば、海外の映画祭にエントリーしたなんて記事も文章も見かけたことがない。
ノミネートされたり、受賞してから、大抵、記事になってくる。
まぁ、当たり前と言えば当たり前のことだ。
全世界から数千規模の映画のエントリーがあって、その中のほんの20作品ほどしかノミネートされない。
つまりは、落選する可能性が高いのだから、事前に発表すれば、落選の宣伝になってしまうからだ。
公開前にわざわざそんなマイナスイメージを発表するなんて意味がないのだ。
だから、セブンガールズだって、字幕を付けたとか、海外の映画祭に・・・なんて書かない方がいいかもしれない。
そんなことも、もちろん、考えはした。

でも、それはすぐに打ち消した。
あまり、意味がないことだから。
そもそも国内上映において、セブンガールズに対するイメージなどきっと皆無だろう。
有名な俳優が出ているわけでもないし、大手映画会社の作品でもない。
だから、マイナスも何も、元々がマイナスなのだと考えた方が良い。
それに、このBLOGは、メイキングなのだ。
支援してくださった皆様と共に歩むために、日々の報告を兼ねているつもりだ。
クラウドファンディングでお約束した海外の挑戦をしているのに伏せておくなんて意味が分からなくなる。
例えそれがどんなに低い可能性だとしても、そういう夢に向かっていることを書いておくことは大事なことだ。
それは、ある意味でノミネートされたり、落選することよりもずっと大事だとさえおいらには思える。

そして、全ての工程を終えてから。
皆様にお会いできる日がやってくるのだ。
その日まで、この報告が続けばいい。

先日の舞台後のロビーで、何人ものお客様にBLOGを毎日読んでいますと声をかけていただいた。
おいらは、恐縮するばかりだったけれど・・・。
やはり、今も、共に歩んでくださっている方がいるのだと思うと身が引き締まる。

ただ、思う。
期待されている通りになろうとしちゃいけないぞと。
これは、最近、感じたことだけれど。
期待されて、その期待を背負って、期待通りになることは、実は、まるで期待通りでないことが多いのだ。
そんな馬鹿なと思うかもしれないけれど、実際にそうなのだから仕方がない。
こうあってほしいというのは、あくまでも想定内だからだ。
本当の期待とは、想定を超えたところにあるんだと思っている。
想定内の期待通りだと、おいらの場合、結局はがっかりすることが多い。

自分がガキの頃に憧れた・・・例えばロックスターや俳優たちは・・・少なくてもそうだった。
こうあってほしい、こんな人間でいて欲しい、そんなことをたくさん考えたけれど。
実際は、そんなことを思いながら、そんなことはどうでも良かった。
むしろ、おいらはおいらが憧れたスターたちに、何よりも自由であってほしかった。
おいらの想像もつかないようなことをやってほしかった。
ただただ、やっぱりすげーよ!って言いたかった。

憧憬にはすでに矛盾があった。
去年解散したSMAPを観ていても同じだなぁと感じた。
解散してほしくない、仲良しであってほしい、たくさんのファンが口々に残していたけれど。
同時に、自由になってほしい、縛られないでほしいと、思う人が増えていった。
恐らくはファンにとって想定外の解散話だったのだろうけれど。
自分の思うがままになってほしいなんていうのは、人形の世界であって。
憧憬の世界では、思うままにならないからこその、アイドルなのだ。

面白いなぁと感じるのは、時にアーティストはそこに苦しんでしまうことだ。
たくさんの応援されている人の願いに応えなくてはならないと思うあまり、自分を縛り付けて。
縛りすぎてしまって、身動きが取れなくなってしまったアーティストがどれだけいるだろう?
自分の表現を目指せばよかったのに、どこか応援してくださる人に迎合していってしまうのだ。
アイドルという枷、ロックスターという枷、俳優という枷。スタイルという枷。キャラクターという枷。
一度ついてしまうと、なかなか、自分で外すことが出来ない縛りになっていく。
期待に応えなければ・・・という純粋な思いのはずなのに、表現を狭くしていってしまう。

だから、このプロジェクトは。
応援してくださった、支援してくださった全ての人たちの思いを背負いながら。
その期待に応えようとしてはいけない。
その期待を越えるというか・・・想像もできないような場所まで自由に羽ばたくべきだ。
はるかかなたを目指すべきだ。
やきもきするようなことも含めて、どんどん前に進んでしまっていいのだと、もう一度、自分に言い聞かす。
そして、裸のままでいないといけないのだと思う。
スタイルも、キャラクターも、何もまとわずに、裸の自分のまま、このBLOGでの報告を続けるべきなのだと。

エントリーすることも。
落選したことだって。
そりゃ、通常じゃ誰も書かないことだとしても。
おいらは、ここに記録し続けていいのだと思っている。
嬉しかったり、悔しかったりしたことも、今まで通り、全部、書いていいのだと思っている。
そうやって、共有していくことこそ、この映画が公開するときに必要な工程なのだ。

俳優が。
地道にちまちまと、パンナーを振り分け続けている。
そんなこと、書くやついないか。と、ちょっと笑えてきた。
まぁ、かっこうをつけるだけのものも、元々持っていないだけなのかもしれないけれど。
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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:15| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする