2015年11月04日

夢のはじまり

ほんの2週間と少し前。
劇団前方公演墳の代表作「セブンガールズ」の4度目の再演が千秋楽を迎えた。
耳に残る、空から降ってくるようなあのカーテンコールの拍手。
たくさんのお客様の、あの表情。

公演が終わって、おいらは考えていた。
このまま次の公演に進むだけでは何かが足りない。
まだまだ他にやれることが、やるべきことがあるはずだ。
何か忘れ物をしてしまったような、そんな歯がゆさを覚える。

終戦直後。連合軍による占領直下。
パンパンと呼ばれた娼婦たちの物語。
「セブンガールズ」
彼女たちは、歌い、舞い、笑い、泣いた。
まるで夢か幻のように、あっという間に通り過ぎていった。

劇団前方公演墳という劇団が旗揚げをしてから17年の歳月が経った。
いくつもの作品が生まれて、再演を重ねた作品ももちろんある。
けれどこの「セブンガールズ」は特別にお客様に愛された作品だと感じる。
この作品をもっとたくさんの人に届けたい。
この作品をもっとたくさんの人に観てほしい。
そんなことを思っていた時に、突然、思いついた。

「セブンガールズ」を劇場用映画化するべきだ。

笑われるかもしれない。
何を言ってるんだ?と言われるかもしれない。
それがそんなに簡単なことじゃないことは誰にだってわかる。
でも自主映画では意味がない。
自主映画では、やはり、今の劇団のファンに観てもらうだけになるからだ。
そうではなくて、今、現代に生きる人々に観てほしい。
そう思うなら、やはり、劇場用長編映画しかないと思った。

今日まで様々なことをやってきた。
舞台はもちろん、音楽活動や、ショートフィルム、お笑いライブ。
本当に数え上げると一体いくつになるだろう?
でも、その全ての活動を足しても足りないぐらい、これが大変だとわかってる。

それでも、やるべきだ。
そう思った。
なぜなら、おいらたちは、たくさんのたくさんの人たちに恩返しをしなくちゃいけないからだ。
劇団を応援してくれるお客様はもちろんだ。
10年以上応援してくれる人だって、中には亡くなったファンだっている。
或いは、劇団員の家族だ。
いつまでも、舞台に立つおいらたちを応援してくれる。
そして、辞めていった劇団員たちにもだ。
今でも劇団を気にしてくれている、かつての仲間たち。
それから、今まで支え続けてくれた多くのスタッフさん。
様々な活動の中で出会ってきた、多くのプロフェッショナルの方々。
そういう全ての人においらたちは恩返しをしなくちゃいけないんだ。
今まで応援して、応援し続けて、本当に良かった。
そう言ってもらえるようにしなくちゃいけない。

まだ、ひとりぼっちだ。

一人で何ができるわけでもない。
今までだって、これからだって、たくさんの人に協力してもらって初めておいらは何かを成してきた。
きっとそれは、今回も変わらない。

夢のような話だ。
夢なのかもしれない。
今、この時から、夢を現実にするために色々と調べなくちゃいけない。
必死で走り回らなくてはいけない。

絶対に出来る。
絶対に出来ると信じている。
世界の片隅から名作が生まれる。

父の命日に。
墓参して願った。
父に出来なかった恩返しを、必ずしようと、願った。


小野寺隆一
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 23:33| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

はじめの一歩

アルゴ・プロジェクトというのをご存じだろうか?
もう20年以上も前、単館上映館なんてなかった時代。
何人かの映画プロデューサーが集まって組んだプロジェクトだ。
当時、どこの映画会社に属するわけでもなく、自ら映画館を新宿と大阪に持って。
新進気鋭の監督たちが、自由に、撮りたい作品を発表していった。

おいらは、その新宿のシネマアルゴによく映画を観に行った。
なんとなく、そこが好きだった。
他の上映館とは違った作品がそこでは上映されていた。
ノーライフキングや、櫻の園、ナンミン・ロード、ザ・中学教師…etc
思い出せば、やっぱ名作ばっかだったなぁとつくづく思う。
ちなみに、「渋滞」という映画はおいら個人の邦画の中でも1位の作品だ。
一人で映画館でボロボロ泣いたのをよく覚えている。

「12人の優しい日本人」もその劇場で観た。
岸田戯曲賞をとった作品であり、当時人気に火がついていた東京サンシャインボーイズという劇団の作品だった。
既に舞台を始めていたおいらには、観ない理由がなかった。
そう、今、新作映画のプロモーションで毎週のように顔を見る三谷幸喜さんの作品だった。
監督は、中原俊さんだった。
あの頃、まさか誰が三谷幸喜がここまでの映画監督になるだなんて思っただろう?
やっぱり猫が好きの台本はもう書いていたと思うけど、ドラマ台本はまだだったと思う。
小さな小さな映画館。
そこから、三谷幸喜さんは映画人生をスタートさせた。

セブンガールズの映画化を考えて。
じゃあ、やってやるぜ!と勝手に出来るわけがない。
セブンガールズという作品には作家がいる。
デビッド・宮原だ。

この映画化実行委員会を思いついて。
すぐにデビッド・宮原に確認した。
当然、映画化するとなれば、脚本・監督はデビッド・宮原になるからだ。

雑誌のエッセイに始まり。
劇団の座付き作家兼演出家を重ね。
週刊モーニングにて漫画原作での連載。
今は、映像にも手を伸ばしていて、ショートフィルムなら、
「ラブストーリーに罪はない」
「スプリットの恋」
と、既に2本の作品を発表している。
連続ドラマ「泣きめし今日子」も、続編「泣きめし今日子2」まで全て監督・脚本を担っている。
作家として、次は長編映画かそれとも小説か?という段階だと思う。

当然、長編映画の話もある。
まだ発表も出来ないような企画段階のものも含めれば、いくつか聞いている。
少なくても、デビッド・宮原で映画を製作したい!と言ってくださる人がいる。
長く一緒にいる劇団員たちも、デビッド・宮原の描く物語をスクリーンで観たいと願ってる。
そんな話の中で、いつだったか聞いた話がある。
まず低予算で長編映画を一本やってみないか?と言われたという話だ。
アルゴの時代と違って、今は単館上映館が増え、全国ロードショーなどではない映画が増えている。
低予算映画と呼ばれる映画もどんどん増えていて、クオリティもどんどん上がっている。
そしてそういう映画が、日本だけではなくて、国外でも評価されるようになってきた。
「低予算映画」それが、今回のキーワードだ。

そんな段階のデビッド・宮原にこの話を持っていった時に。
そんなの大変じゃん。やらないよ。
…そう言われるんじゃないかなぁと、ドキドキしてた。
そう言われても何にもおかしくない。
実際に、映画の話だってあるし、テレビの仕事をしているし。
実現するかどうかもわからないような話、通用しない可能性の方が高い。
そして、そう言われてしまえば、その瞬間にこの企画自体が終わってしまう。

もらった言葉は。
「やれるだけ、やってみな」
そんな言葉だった。

おいらは思っている。
デビッド・宮原はあの時の三谷幸喜だ。
まだ一部の人間しか発見していないオモシロ作家だ。
世間様がただ知らないだけ。
だから、やって欲しい。撮ってほしい。
そういう人が周りにやってくる。
そのデビッド・宮原の最高傑作の一つが「セブンガールズ」だ。

もちろん、まだまだ困難な壁が次々にやってくるのはわかっている。
やれるだけ、やってみな。
どこまでを想定した「やれるだけ」なのかはわからない。
でも、役者としてのおいらは、いつもデビッド・宮原の想定を超えようと歩んできたつもりだ。
だから、今回もあっけらかんと、当たり前に、想定を超えていこうと思ってる。

おいらの、やれるだけはどこまで続くだろう?

最初の壁は超えた。
作家兼監督の承認をもらった。

確実な一歩だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 23:08| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月06日

夢は現実と共に翔ける 上

丸二日前に、Facebookページと、Twitterアカウントを設置した。
あっという間にFacebookでは、70近い「いいね!」を。
Twitterでは、20を超えるフォロワー数になった。
応援してくださる方々がいる。それだけで、大きな励みになる。
応援ありがとうございます。
PC版のこのBLOGにも二つのSNSのリンクを設置しました。
是非、少しでもお気持ちのある方は、いいね!やフォローをお願いいたします。

大きすぎる夢。

そう劇団員がこの実行委員会の開始を見て、つぶやいていた。
全くその通りだ。
夢のような話なのは間違いない。
本当に映画化なんて出来るのか?
半信半疑の人が大勢いるのは仕方がない。

夢ばっかり見て、現実を見なさい。

そんなことを今まで何度言われてきただろう。
舞台で役者を続けているだけで、まるで現実から乖離しているかのように言われ続けてきた。
おいらは、そのことにいつも小さな違和感を感じていた。
まるで、夢の反意語が現実かのような言われ方だ。
それは、まったく間違っている。
夢の反意語があるとすればそれは、絶望だ。
望みが全て絶たれた状態こそ、夢の反対側の位置にあるモノだ。

夢を夢のままで終わらせないためには、現実をしっかりと把握することが大事だ。
現実を進めていくためには、夢は大きな大きな力になる。
夢があるからこそ、目の前にある大きな現実に立ち向かえるのだ。
逆に、なんの夢のないまま現実を生きることの方がおいらには理解できない。
どんな小さな夢だって良い。家族だって、海外旅行だって良い。
なんにもないまま、人が生きていくことの方が圧倒的に困難だ。
つまり、大きすぎる夢とは、大きすぎる現実と戦うということだ。

通常、映画のプロデュースではあまり触れないことを書く。
映画とは、夢を売るものであり、その裏側の現実なんて、物語には不要だ。
だから、あまり現実に触れている文章は少ない。
けれど今回のプロジェクトにおいては触れないわけにはいかない。
この大きすぎる夢には、同じように大きすぎる現実が横たわっている。

それは予算だ。
いきなりお金の話だ。
映画は金がかかる。
何度も言われてきたことだ。
有名な俳優が自分で映画をプロデュースして破産したなんてよく聞く話だ。
お金をどうするのか?
これが一番の問題で、一番の現実だ。

劇団に貯金など殆どない。
十年以上前から物価が変わっているのにチケット代を上げていない。
消費税が上がっても、劇場代が上がっても、そこだけは頑張ってきた。
現実的に満員でもカツカツな時だってある。
どこも手を抜くことが出来ないから、クオリティを下げないように注意する。
そうすると、やはり、いつも予算ギリギリまで公演に注ぎ込む。
様々な工夫をして、なんとか公演を続けられる状態だ。
映画に劇団から予算をかけることはほぼ不可能だ。

だとすれば、映画製作など無理だということになってしまう。
お金もないのに、ただ作りたいと言うのでは、子供がごねているのと変わらない。
まずは、その高すぎる壁がおいらの前には待っている。
その壁をどうやって乗り越えるのか。
どうしょうもない現実だけれど、夢がおいらを後押ししている。
そして、そこに小さな光をみつけたからこそ、この実行委員会を立ち上げた。

小さな光とは、時代の流れだ。
時代の流れは、この映画化実行委員会を現実に変えることが出来る力を持ってた。
3つの変化だ。

一つはデジタル化だ。
音楽もそうだったように動画の世界にもデジタル化が進んでいる。
映画はフィルムではなく、ハードディスクにデジタルデータを記録するようになった。
フィルムではないから現像は必要ないし、無駄なカットを撮影しても無駄な予算にならない。
容量があれば、無制限に撮影することすら可能になった。
その上、編集がまったく変わってしまった。
かつてはテープを走らせるリニア編集という方法が行われていた。
でも今は、ワークステーションの中でコピー&ペーストするノンリニア編集となった。
デジタル化は圧倒的に時間を短縮し、同時に、コストを下げた。
無論、プロ用のカメラや編集機は個人用に比べれば今でも圧倒的に高価だ。
それでも昔に比べれば、プロのスタッフの機材も驚くほど安くなっている。
つまり、映画製作にかかる予算は、かつてに比べれば低く済むようになっている。

もう一つが単館上映館が増えたことだ。
昔、映画監督を志す若者が手にしたのが8mmカメラであったり、16mmカメラだった。
おいらの従兄弟も映画監督を目指していて、8mmカメラが部屋にあったのを覚えている。
それが更にビデオの時代になり、デジタルの時代になって、ノンリニア編集の時代になった。
プロ用の機材と、個人用の機材の性能差が少なくなってきた。
若い映画監督が自分の作品を作りやすい状況になったということだ。
たくさんの邦画が生まれる。たくさんの映画祭が生まれる。
それと、時を同じくして単館上映館がどんどん増えてきた。
作品が増えれば、観客だって増える。当然、上映館だって増えていく。
映画会社の運営する映画館ではない上映館が大きな町には必ずあるような状況になった。
そしてそういう映画が、海外進出して大きな評価を得る時代になった。
大作以外の映画が、今は普通にある。そういう時代になった。

最後の一つがインフラだ。
ここ数年で通信インフラは、圧倒的なスピードを獲得した。
今年、海外最大動画サイトのNetflixが上陸と話題になった。
Youtubeやニコニコ動画をはじめとする動画サイトも人気を誇る。
通信インフラが未成熟だった頃は、音楽のダウンロードまでだった。
それが今では、電車の中でスマートフォンで映画を見る時代がやってきている。
ケーブルテレビや光ケーブル、CS、BS。
映像を見るためのメディアがどんどん増えている。
当たり前だけれど、映像コンテンツが圧倒的に不足していると言われているのが現代だ。
企業もネット上での動画コンテンツの必要性をここ2年ぐらいで本気で考えている。
WEBドラマなどが増えてきたのは、そういう事情がある。
SNSという新たなメディアの拡がりと共に、映像コンテンツに注目が集まっている。

この3つの変化は光になる。
希望の光だ。
大きなお金という現実を乗り越えることができるヒントが絶対にある。
そう確信したからこそ、この夢はスタートしたんだ。

夢は夢で終わるものではない。
夢は現実と共に翔けるんだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 23:43| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月07日

夢は現実と共に翔ける 下

本気で夢と対峙するなら、現実を直視しなくてはいけない。
目の前の大きな現実をどうやって乗り越えていくのか。
検証による検証が必要だ。
予算が組めるのか組めないのか。
まずそこから手を付けないといけない。

昨日のBLOGに書いたように、動画製作の世界は変わり続けていた。
製作時間の短縮と、コストが下がったことで、邦画はある面で勢いを取り戻している。
それは例えば劇団四季に対する、小劇場界とよく似ていると思う。
大作映画はもちろんあって、でもそれだけじゃなくて、小さなプロダクトもたくさんある。
それが、当たり前になってきた。

だったら映画じゃなくても、舞台を続ければいいんじゃないかという意見もあると思う。
映画には映画の、舞台には舞台の良さがある。
映画の良いところは何といっても、記録されたものだから何度でも再生できることだ。
例えば世界の映画祭への出展と、世界の演劇祭への参加では天と地の差がある。
或いは、話題になってから、面白いと言われてからのリバイバル上演でも差が出る。
舞台の良さがその場限りの刹那的表現だとすれば、映画はその逆の良さを持っている。
映画では試写会を開いて、口コミでの宣伝ができる。
演劇では幕があくまで、どんな舞台か知ることはできない。
同じ芝居でも、ソフトになった時の展開が全く違う。
だから、やる意義がある。セブンガールズという物語をもっと多くの人に届けることができる。

低予算で映画を作成する。
それは劇団の公演ととても似ている活動だと思う。
自主映画をサークル演劇だとすれば、低予算映画は映画界の劇団に近い。
そして、その低予算での製作が可能だということが今回の大きなメリットだと思う。
監督はいる。台本も改訂が必要とは言えある。それだけじゃない。
衣装もそろっている。稽古も演出もしているから撮影期間を短くできる。
一番コストがかかるキャストの出演料も、役者が揃っている。
17年の時間をかけて築いてきた信頼関係で、多くのプロスタッフに囲まれている。
だとすれば、劇場用映画にするために必要なもの・・・
プロの撮影スタッフ、プロの照明、プロの録音スタッフ、映画仕様の編集、そして、プロのセット。
そこに予算を集中できる。
今ある低予算映画よりも更にクオリティを上げたり、予算を削ることが可能ということだ。
劇団という形態が、小規模映画と似ているが故に相性がとても良い。

具体的に予算がどれだけ必要なのか。
セブンガールズを観劇してくれた映画プロデューサーに確認を取った。
監督も台本も役者も衣装も揃っていて、撮影期間も短く済む。
良い条件は揃ってるわけで、この条件でどのぐらいの費用が掛かるのかと。
もちろん、ピンキリだけど、宣伝費や上映にかかる経費も含めれば、
300~400万円ということだった。
自主映画ならもっと安く済むかもしれないけれど、劇場用ならそうなるとの事だった。

とても驚いた。
かつての映画の世界であればありえない予算だ。
いや、優秀なプロデューサだからこそ実現できる予算だとしてもだ。
劇団前方公演墳の東京芸術劇場の頃の製作費よりも低い。
とても信じられない。
他にも色々提案してくれたのだけれど、それは後日書く。

ただし、舞台と違うことがある。
舞台はチケット収入がある。
極端に言えば、チケット発売日の翌日から収入が入る。
そのまま製作費に予算として使える。
もちろん、そんな自転車操業じゃ、危なっかしくてマズいのだけれど。
とは言え、制作中に必要な経費が大きく違う。
映画は撮影して編集して、試写会をして、上映館が決まって、そこからしか収入が入らない。
つまり、撮影前に、この経費が必要になってくるということだ。

とは言え。
目標となる予算が決まった。
この予算を集めるために。

明日、劇団員のコンセンサスを取る。

きっときっと。
夢が現実の後押しをしてくれるだろう。
そう信じている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 22:00| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月08日

夢の話をしようか

劇団員に映画化実行委員会について説明した。
今、決まっていること、わかっていること、全て説明した。
中にはピンと来ていない劇団員もいるにはいた。
けれど、多くの劇団員の目の色が変わった。

劇団前方公演墳の俳優たちは、元々、様々な目的を持っていた。
旗揚げ当初は、歌手を夢見ていた劇団員や、アイドルを夢見ていた劇団員もいる。
公演を重ねるごとに舞台の魅力に取りつかれて、のめり込んでいった。
今は舞台が大好きで、この劇団をどうやってもっともっと前に進めようと考えている。
でも元々舞台俳優になりたかった劇団員なんて数える程度しかいないのだ。
殆どの劇団員は、映画俳優になりたくて、何をしていいかわからなくて。
そこにこの劇団という道があっただけだ。

織田稚成が言った。
「俺、すっかり忘れてたよ。
 今日も映画を観てから稽古に来たのに。
 俺、映画俳優になりたかったんだった。」

そんなことを言っていたけれど、忘れているはずがないんだ。
自分の中にちゃんと残っているから、映画だって観に行く。
心のどこかで、続けていれば映画に出ることもあるかもしれない。そんな期待をしているはずだ。
織田は、久々にときめいたそうだ。
映画を作ろうぜ。
その壮大な計画に物怖じするよりも先に、まずときめいた。

もちろん、半分冗談のレベルだけれど。
金子透は、カンヌ助演男優賞取っちゃうかも!なんて言い出す。
やろうよ、それ、やろうよ。別に挑戦してもなんの損もないじゃん!
そう言う。

上田奈々は、小さな声で。
やろう。それ、やろう。やるしかない。それしかない。
・・・と、何度も何度もつぶやく。

中野圭は言う。
「別に今回の自分の役になんかなれないかもしれないけど。
 そんなの関係ないでしょ。それ、やれたら、本当、すごいでしょ。」
そう言う。


映画に出たい。


そんな夢を持っている人は恐らくこの世の中に何万人といると思う。
でも実際に映像作家をやっている主催の劇団に所属していて。
この人の脚本を一番最高に演じることが出来るのは自分たちだと信じていて。
それで、舞台を続けている。
17年以上も、毎週毎週日曜に集まっている。
そんな人たちは、そんなにいない。
作り上げてきた濃密な空気を、スクリーンに投影できる。
そんなメンバーは、ここにしかいない。

おいら、ひとりぼっちの夢の話をした。
こんなことをやろうと思ってるんだって話した。
そのためには、こんなに大変だけど。
もし、実現すればこんなに面白いんだぜって話した。

青臭い。
十代の会話のようだ。

ひとりぼっちの夢ではなくなった。
一瞬でなくなった。
十年以上一緒にいる仲間たちが、自分の事として、やりたいと立ち上がった。
これ以上の味方はいない。
・・・いや、もっといるか。
いつも応援してくれるお客様たちもいる。
たくさんの人の夢に変わった。

泣いても良かったかもしれない。
一緒にやろうと言ってくれた人がいたんだから。
正直、それぐらい感動していたんだ。
一緒にやるという言葉に感動してしまったんだ。
それでも、まだまだ涙を流す時じゃない。
それは、もっともっと先の話。

このBLOGはカテゴリー分けしてある。
今はまだ序章。
大勢の夢になったこの先。
もうすぐ、序章は終わる。

おいらたちは、日本の小さな劇団だけど。
世界にチャレンジしようとしている。

夢だけど。
夢じゃない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 22:00| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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