朝から吉祥寺に向かう。
電車を降りると声をかけていただいた。
新型コロナウイルスのこともあってお客様との接触を避けなくてはいけないこともあって軽く挨拶だけ。
なんだか申し訳ない気持ちになりながら、吉祥寺プラザに向かった。
電車を降りると声をかけていただいた。
新型コロナウイルスのこともあってお客様との接触を避けなくてはいけないこともあって軽く挨拶だけ。
なんだか申し訳ない気持ちになりながら、吉祥寺プラザに向かった。
打ち合わせ前に、武蔵野八幡宮で本日の上映の成功を祈る。
まだ早い時間なのに見たことのあるお客様が八幡宮の写真を撮影されていた。
まだ早い時間なのに見たことのあるお客様が八幡宮の写真を撮影されていた。
そっと八幡宮を離れて、待ち合わせの時間まで街をぶらぶらとする。
事前打ち合わせの時間になってからもう一度吉祥寺プラザに。
映画館に入った瞬間から懐かしい空気に包まれていく。
いつか、どこかで行ったことのある映画館の雰囲気。
階段の感じ、床の感じ、受付の感じ。
間違いなくこんな映画館がかつてはたくさんあった。
階段の感じ、床の感じ、受付の感じ。
間違いなくこんな映画館がかつてはたくさんあった。
支配人さんと打ち合わせをする。
登壇するメンバーの導線の確認などまで。
とても丁寧に支配人さんがご説明してくださった。
その時に、懐かしい映画館の話をしたら、よく言われるんですよとおっしゃって。
すぐに僕の住んでいる地域の映画館の名前が出てきた。
その時に、懐かしい映画館の話をしたら、よく言われるんですよとおっしゃって。
すぐに僕の住んでいる地域の映画館の名前が出てきた。
小野寺さんの年齢もなんとなくわかりましたと。
とてもスマートで、回転の速い方だった。
正面入り口とは別の入口のそばに集合をする。
徐々に集まる。
流れを説明していく。
何人かが遅れていることがわかって、ロビーで待つことになった。
劇場からあの音楽が聴こえてくる。
実は今、毎日、セブンガールズの映像ファイルを開いているから懐かしさはなかった。
ただスクリーンから、再び音が聴こえてくるということだけに痺れていく。
遅れてきたメンバーに段取りを説明して自分も映画館の座席に着席した。
後ろから観たりしたこともあったけれど、お客様と一緒に観ているというのは初だった。
思えば、試写会すら僕はロビーや楽屋で何かをしていなくてはいけなかった。
映画館の座席に腰を下ろしたなんていう記憶がない。
周囲から感じるお客様の気配、笑い声、すすり泣く声、寝息まで。
何もかもを感じながらセブンガールズを観ていた。
周囲から感じるお客様の気配、笑い声、すすり泣く声、寝息まで。
何もかもを感じながらセブンガールズを観ていた。
こんな貴重な時間はないなぁと思う。
感染拡大の中、75人もの予約が入った。
新型コロナウイルスがなかったら100人だって越えていたのかもしれない。
来場してくださった皆様への感謝と同時に、来場を断念せざるを得なかった方がいることを思う。
来場してくださった皆様への感謝と同時に、来場を断念せざるを得なかった方がいることを思う。
この映画館に今、いるのは75人だけではないのだ。
舞台挨拶に来れなかった出演者も含めて、たくさんの人がここにいるのだから。
スクリーンの中の登場人物たちは終戦直後の時代を必死に生きている。
きっと僕たちも、今、疫病禍の中を必死に生きなくちゃいけない。
きっと僕たちも、今、疫病禍の中を必死に生きなくちゃいけない。
町医者の寺庵が検査を口にするたびに、依然と少しだけ意味が変わっていることに気付く。
クライマックスの意味、雑魚寝の意味。絆の意味。
映画は変わらないけれど、今の状況の中で心が変わっていることに気付きながら。
目に映る全てのセットに思い入れがある。
あれも作った、あの柱を立てた、あの洗濯物を創った、この小部屋はこうだった。
あれも作った、あの柱を立てた、あの洗濯物を創った、この小部屋はこうだった。
懐かしいというよりも、まるで昨日のことのように思い出す。
どのシーンも、カット割りも繋がりも全部、頭の中に残ったままだった。
え?ここってこうだっけ?みたいなところは一つもなかった。
僕の心の中では今も生々しくあの日々が残っている。
多分、一生消えることはない。
エンドクレジットが流れ始めた。
一人一人のスタッフさんの名前。
協力に並んだ名前。
どうしても載せたくて、掲載した元劇団員たちの名前。
そしてクラウドファンディグに参加してくださった皆様の名前。
全ての名前がこの映画を完成させてくださった。
上映の最後、拍手が響く。
あの初上映の日を思い出す。
あの日からずっといただいている暖かい拍手。
あの日からずっといただいている暖かい拍手。
舞台挨拶に立つ。
支配人さんが名前を読んでくださるとき、マイクだと思ったら生声だった。
話をすることはできない。
話をすることはできない。
マスクはそれぞれ自主的な判断でいいよと伝えていたけれど。
皆がマスクをつけたままだった。
写真を撮影してくださる方にはマスクはきっと邪魔だったはずで。
ただマスクは取ろうと提案することは、ある種の強制になってしまうから出来なかった。
今もそれだけは少し悔いが残るけれど、たくさんの拍手をいただいたことが救いだった。
終わって退場する。
ロビーでのお見送りも出来ない。
一旦、外した場所で、仲間たちが話している。
久々に観たら感動したよ、泣けてきたよという声。
そうだ。
皆はきっとそうやって楽しめる。
撮影終了から試写会までの編集期間は知らないのだから。
その間に2回も舞台公演をやってさえいる。公開直後の舞台の稽古もあった。
監督と僕だけは、きっと同じように楽しむことはできないのかもしれない。
でもそんな感動したという声がやけに嬉しかった。
不思議な気分だ。
懐かしさを微塵も感じないのに。
僕たちは凄いことをやり遂げたのだなぁと改めて思った。
本当に未経験から映画の製作をやり遂げたのだから。
セットも、芝居も、編集も、全部が手作りで、全部を自分たちでやってきた。
そのままかっこつけずにスクリーンに残ってた。
これは誇りだ。
セブンガールズ映画化実行委員会と称して企画を立ち上げたあの日からの。
帰宅して、不思議なことだけれど再びセブンガールズの編集ファイルを開く。
なんとか明日中には今やっているデータ製作を終えたいのだけれど。
もうこんなことは二度と出来ないと思わせるだけの作品だった。
信じられないような奇跡が重なってこの映画は出来上がった。
不可能と言われた中でセブンガールズを製作して、もう一度、不可能だと言われている。
でもさ。思うんだ。
お客様は何度だって上映して欲しいと言ってくださる。
こんなにも愛してくださる作品に育ってきた。
上映を繰り返せればそれでいいのかもしれない。
ただ、僕たちは役者で。
どんどんセブンガールズが懐かしくなっていく。
撮影した日からもう4年。
新しい作品に挑まなくてはいけないし、もっと愛されるような作品を発表しなくちゃいけない。
繰り返していくほど、僕たちは過去に生きることになってしまう。
そうじゃなければ、セブンガールズは思い出になってしまう。
思い出じゃないさ。
セブンガールズだって過程なんだ。
次はいつ上映が出来るだろうか?
予定はない。
予定を創るには動き続けないといけない。
発信し続けなくちゃいけない。
きっと止まっている暇なんかない。
そして、もっともっと、愛してもらえるように育たなくてはいけない。
もう一度初心に帰って。
セブンガールズの企画を立てた時のクラファンのページを読んだ。
どうやら、あんまり変わっていなかった。
それほど、大きく成長しているわけではない。
姿勢はいつだって前のめりさ。
何度だって奇跡を起こしてやる。
ご来場ありがとうございました。
まだまだこの旅は続きます。
次にどんな形でお会いできるのかわからないけれど。
果てなどなく続いていくんだって思っています。
奇跡は始まったばかりなんだって信じて進んでいくのだ。