2020年08月10日

公開87日目

先週の劇団オフィシャルBLOGにも書いたことだけれど。
今回の上映スケジュールを別府ブルーバード劇場さまから聞いた日からこの日に行きたいと思っていた。
飛行機で長崎空港、爆心地公園で手を合わせて、長崎駅前から別府までバス移動。
それでも上映終了時刻に間に合う計算だった。
そこまで調べ上げてあって、そうしたいとずっと願っていた。
別府から大分空港まではバスに乗るのだけれど、実はそのバス停に長崎行があることを目にしていた。
ちょっと驚いたのだけれど、そんな便があること自体が、定められたことのように感じていた。

僕にとって長崎という場所は本当はいつかゆっくりと訪ねなくてはいけない場所だ。
坂本龍馬を演じた僕は、いつか高知の桂浜と、長崎の亀山社中に立ち寄ると決めている。
大阪のシアターセブンでの上映時の舞台挨拶前に神戸海軍操練所や楠木神社に立ち寄ったのもそこからだ。
京都の近江屋や墓前にはすでに行っているけれど、今もって、日々の喧騒に言い訳をして果たせていない。
お元やグラバーや長次郎に会いに行かなくてはいけないとずっと思ったままだ。
映画「セブンガールズ」を製作したことで、長崎にはもう一つ行かなくてはいけない理由が出来た。
今回もし行けたらという予定は、ほんの少しの時間だったけれど、またしても果たせなかった。
貧しく、時間がない僕は、何もできないまま時間ばかりが過ぎていくような気がしてふと厭になる。
いつか、いつかは、いつなのだろう。
のんびり生きてちゃいけない。

明日、初めて映画を観る方もいるかもしれないから。
あまり多くの事は書かないけれど、映画「セブンガールズ」にとって8月9日に上映が出来る事は大事なことだった。
去年の上映期間中にもそれは書いたことだと思う。
その日に上映してくださることを知った時にどんなことを思ったかここに書ききれない。
きっと今日ご覧いただいた皆様には伝わると思う。
今日上映される意味。特別な上映であること。
もちろん最後のビデオレターも。

都心部ではこんな日におかしなことが起きたらしい。
それを目にしてもすべてスルーすることに決めた。
恐らくは1000人に1人にも賛同を得られないような活動。
それをわざわざSNSで批判すれば、それだけ広がって参加者が増えるだけの炎上商法。
クソダサイやつらのバカバカしい戦法にのるほどあわれではない。
批判的な行動をして、わずかな賛同者を増やすようなやり方が最近増えた。
どんな考えを持ってもいいし、どんな主張をしてもいいけれど。
それを人に押し付けたり、それを強制する要素があると僕はそっぽを向く。
ただそっぽを向きながら同時に思うことがある。
本当に伝えたいメッセージも、こういう炎上商法と同じレベルに見られてしまうのかもしれないと。
それは本当に嫌なことだ。
くだらない批判が、大事な意見を隠してしまう。
僕は今日という日にそれをやるということに強い強い嫌悪感だけを残した。

本当ならそれを別府で知ったのかもしれないんだよな。
当初の計画では、明日の最終日も滞在している予定だったのだ。
遠い別府の地で知ればまた違った感覚だったのだろうか。
それとも、台風5号の進路に冷や冷やして気付かなかったかもしれない。
九州上陸はなさそうだけれど、大気は荒れるだろうから。

もう25年も前になる。
僕は初めて台本を書いて役者を集めて自分で演出をして、舞台を創った。
その時の作品のテーマの一つが「情報化社会」だった。
メタファーとして、舞台から客席からありとあらゆる場所に細かい電線をばらまいた。
思えばあの頃はまだ携帯電話も普及していないし、インターネットも普及していなかった。
台本を書いたのだって、東芝RUPOというワープロ専門機だったのだから。
まだまだメディアはテレビと紙媒体が最強だった時代に、そんなテーマだった。
今はもう情報化社会なんて言葉が出ないぐらい、この世界は情報そのもので構築されつつある。
僕はそのことを感じながら、もっともアナログである舞台演劇という場所に立ち続けると思っていた。
まさかと思っていたけれどこのコロナ禍で演劇やライブまで情報化されつつある。
生配信であればライブだなんて僕はまやかしだと思っているのだけれど。
皮膚に感じる手触りや、痛みが、情報化される時に切り捨てられていくことが心苦しい。

戦争の記憶もアーカイブ化されているのだと今日は何度も思った。
伝えていくことが大事なのだというメッセージは正しい。
今日上がったさまざまな証言は確かに心に残った。
けれど、多くの情報の一つになってしまうのではないかと同時に思った。
明日を過ぎれば、もう原爆のことなんて忘れて生活を始める。
近隣諸国が核実験をしたら、それはそれで別の事を思う。
そうやってすべてがアーカイブ化されている。
それはもちろん生きる知恵の一つだから否定するようなものでも何でもないのだけれど。
そうではなくて、体験であったり、体感であったり、やはりただ知るだけではなくて、心が動くことが大事だと思う。
心を揺さぶられてこそ、情報はただの情報ではなくなる。
脳だけで記憶してもそれは情報に過ぎない。
身体で記憶することは同時に自分以外の誰かの想いまで記憶することなのではないかと思う。
レバノンの爆発事故の映像を観て、すげーなんて言葉でスルーしてしまいそうになる自分がいかに情報化社会に埋もれ始めてるのか自覚する。

ネットニュースもフェイクニュースも、フィクションも。
一つの情報になっていきそうで苦しくなる。
大昔に、これからの芸能は消費されていくなんて言葉を目にしたけれど。
もうとっくにそういう時代になった。
軽くて、口当たりが良くて、消費しやすいものがうけるのかもしれない。
でも、どうだろう?
僕は生きていると実感できるほどの体感を強く望んでいる。

セブンガールズが誰かにとって特別な一本になりますように。
僕は、そうパンフレットのあとがきに書いた。
消費されていく作品が悪いとも思わないけれど。
この映画を観ることが一つの体験になるとしたら、それしかないように思う。

8月9日。
この映画にとっては特別な日。
そしてこの映画は創られた物語。
フィクション。
それでも、強い強い体験になると信じるしかない。

今日も情報の上でくるくると踊り続けるザマを見た。
横目でそれを見ながら、やれやれとつぶやく。
僕はアンテナを降ろさない。
この情報化社会の中で、あらゆる情報を受信しながら。
それでも、そこでは踊らないよと、自分に言い聞かせて進もうと思う。

明日は別府ブルーバード劇場最終日。
誰かがきっと体験してくれる。
貧しさの中で、飢えの中で、それでも明日を信じて生き抜いた女たちを。


posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:09| Comment(0) | 夢の彼方に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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