その初日が終わった。
遠く関東から、ああ、今、上映が始まったなと思いを馳せる。
ロビーに飾られた花を見て、ああとため息が出る。
またセブンガールズが誰かと出会えているといいなぁと思う。
新型コロナウイルスの蔓延はどの業界よりも早くエンターテイメント業界に直撃した。
そして恐らくは、一番最後までその影響が残るだろうと言われている。
人が集まって同じ時間を共有する事は古来から続いてきた人間の持つ社会性そのものだ。
コンクリートに囲まれて、健康食かなにかを食べて、ネットニュースを読んで世界を知ることなんかできない。
たった一人の人間を理解することだって困難なのに、自分の事すらちゃんと理解できないのに。
人と経験を共有することまで断たれてしまえば、きっと人は社会性を失い悪い方向に向かっていくだろう。
人は人の温かみを知っているからこそ、ようやく封建的な社会を通り過ぎ、今の時代を迎えたのだから。
液晶モニターに映るそこには体温が通っていないのだから。
世界を知った気になっている人たちが溢れて、簡単に個人も人種も他国も攻撃してしまう。
反対側にいるものを汚い言葉でなじり、狭いムラの中で自分は利口だと鼻息を荒くする。
コロナ禍以降、それは加速しているように思えてならない。
感染症の蔓延がどんなに直撃しようとも、そこに人の体温を感じることのできる何かを絶やしてはいけないと思う。
自分の反対側にいる人間にも家族がいて、体温があって、相互理解を求めるべきだとわからなくなるからだ。
多くの作家たちがコロナ以前に書き始めた作品をコロナ禍後に書き直したのだという。
現実がフィクションを越えるような事態に、コロナ以前に書いたものをそのまま出すことは表現者としての死だと自覚した。
世界が変われば表現は変わっていく。
確かにどこかそれが起きる前の作品からリアリティが喪失している。
今という現実の中で、折角書いたそれまでの原稿を破り捨て、新しい時代に向かってペンを走らせる。
それを僕は祈りだと思う。
今も多くの表現者たちが変わってしまった世界の中で、これからの明るい方向を探している。
それを僕は願いだと思う。
映画館も様々な制約の中で、上映を重ねている。
多くのミニシアターがこの8月の中旬に戦争映画特集を組んでいる。
お声がけいただいた時はまさに緊急事態宣言の真っ最中。ステイホーム期間だった。
まったく先が見えない状況。県外移動などはとてもじゃないけれど想像も出来なかった。
あの日々、僕はただただ頭に来ていた。
正体不明のウイルス。
学者たちの提言に従うことしか出来ない自分の情けなさ。
身体の事を気にしながら、心が病んでいっていると感じながら。
その心のためにある演劇も映画も止められていることへの違和感。
僕はただただ頭に来ていた。
ふざけんなよ。ふざけんなよと思っていた。
そして別府に行くと心に決めていた。
特別な時期に上映をしてくださることを決めてくださったことに感動していた。
いや、正直に言えば今も頭に来ている。
誰かにとか何かにではなく。
継続してずっと頭に来ている。
自分になのだろうか?
それすらまったくわからないけれど。
先月から再び感染者が増えてきた。
あの頃よりも多い感染者数。
けれどあの頃よりも緩和された規制。
一縷の望みをかけていたけれど、またしてもあの「不要不急」なんて言葉を耳にする日までやって来た。
何で誰かに不要不急を決められなくちゃいけないんだろう?
僕にとっての必要は、あなたにとっての不要なんてことは普通の事だ。
あなたたちが大事にしているそのプライドは僕にとってはクソ以下のものなんだぜ。
個人的なことなのに、さも社会的なことのように発言しやがって。
別に大分県に関東から向かうことは禁じられていない。
実際に飛行機だってホテルだってある。
あちこちの観光協会はむしろ来て欲しいと手を挙げている。
だから実は今も行けるかどうか検討している。
ただどうしても、やめておきなという声が僕の周りで溢れている。
別府の館長のことを思ったり、母のことを思ったり。
何もできない自分がもどかしくて、心が張り裂けてしまうよ。
冷静に、自分に言い聞かせる。
何が正しいのだろう?
そのまま何もできないのが嫌だった。
先方からビデオレターを撮影できないかと連絡があったのはもう直前だった。
翌日には撮影して、データを送付しなくてはいけない厳しいスケジュール。
それでも何かできることを探していた僕は即答で送ると回答した。
大分県出身の堀川果奈と僕のメッセージを希望していただいたけれど、結局、堀川だけにした。
堀川こそ本当は大分に帰りたいはずだ。
実家があり、母親の新盆でもある。
それでも自分が感染していたらと考えて自粛している。
コロナのそばには「死」という言葉があって。
死生観が揺れている時期にある人ほど、心に大きなダメージを追う。
堀川は実は仲間の中でも、極度にコロナに不安を抱えている一人で稽古場でもゴーグルまで付けて稽古をしている。
部屋を出ることすら本当は怖いだろうと思ったから、堀川の家のそばでの撮影、それも外で出来るように手配した。
一番怖くないように手配して、距離をとって会話しながら撮影をした。
4日分、それぞれの日程でそれぞれの日にテーマを創って話してもらった。
その日来た人だけが見れるし、その後ネットでの公開などもしないつもり。
その日のためだけの動画を夜間に撮影して、深夜に編集して送信した。
最後に撮影したSNSでの告知用の動画を編集している時に気が付いた。
カメラの前ではマスクを外している堀川が。
告知動画のラストのラストに、カメラに向かって近寄って話していた。
僕はカメラのこちら側でマスクをして撮影していたのだけれど。
あんなにコロナに不安を抱えている堀川がマスクを外して近寄っているのは初めて見た。
そのカメラのこちら側には僕がいたのに。
それだけ安心して撮影できたのだったすれば良かったと思う。
まぁ、小野寺さんにだったらいっか的なことかもしれないけれど。
いや、きっと別府への想いが一瞬、コロナを忘れさせたのかもしれない。
湯煙がどこからでも見える街。
映画館の歴史が見えるロビー。
どの店に入っても笑顔に出会える暖かい人たち。
独特な暗がりに光るスクリーン。
きっと撮影しながら、別府ブルーバード劇場を思っていた。
想うだけでいいのかな。
祈るだけでいいのかな。
願うだけでいいのかな。
まだ心が悩んでいる。
三連休が始まる。
本当だったら夏休みの真っ最中。
レジャー施設はどこも人が溢れてこぼれてしまう日々。
湘南の海が芋洗いだ、汚い海だと、毎年のように報道される日々。
それが今年はない。
冷房が効いていて涼しい映画館も、例年ほどは人がいない。
けれど行くと想像以上に安心してスクリーンの世界に没頭できることがわかるよ。
そしてそれは心の中にほつれていた何かをきっとほどいてくれるよ。
たった一人でもまた誰かに会えますように。
大分が遠い皆様も。
時間が空いていたら、ふらりと近所の映画館に行ってくれたら嬉しいなぁ。
スクリーンの向こう側の世界は繋がっているのだから。
ふと夜風に乗って。
あの女たちの歌声がきっと聞こえるよ。