稽古日
稽古場に集まって稽古をする。
ずっとずっと続く。
久々に台本を手にしての稽古。
と言っても新しい台本があるわけじゃない。
公開前に上演したオムニバス公演の監督の台本だ。
映画公開前という事もあって自分と金子透と監督の3人が作演出を分けて役者も分けての3作品の上演だった。
だから稽古はともかく、本番では演じていない役。
実際には、稽古の割り振りまでは全員が稽古した台本だったけれど。
それでも本番前に演出や改訂が入っていて、それ以降は本役以外は演じていない。
そして3つに分けたこともあって、二人芝居のシーンが多かったこともある。
それぞれに演じていく。
正直に観てそれほど内容のある芝居になっていなかったと思う。
とにかく演じてみるという場所の中で演じているなぁという感覚。
皆が稽古したくてうずうずしていたんじゃないかとも思っていたけれどそういう感じでもなかった。
それはそれで必要な通過儀礼というか時期なのかもしれない。
自分なりに、とにかくまず稽古をして、その先を想像するという方向に向かう。
いつだって建設的に前に進まなくては面白い事なんか何も起きない。
うちは休まないのだ。
基本的に月に4度の稽古が必ずある。
舞台公演予定が決まって台本があれば別だけれど、それがない時期も稽古はある。
そんな時は基礎鍛錬をしたり、必要な作業をしたり、課題を見つけて取り組んだりする。
カメラを構えて撮影してみたりもする。
そうやっていつ何があっても役者脳であり続けるようにしている。
今の自分たちに出来ることは何か?は、少なくとも大事な命題の一つ。
次の舞台の台本が出てくるのはまだ先だろうし、もちろん次の映画製作などはまったくの未定。
だとしたら基礎鍛錬なのか、あるいは別の何かを企画していくべきなのか。
やると決めたら、本気で取り組んでいくとは言え、それまではしっかりと現状を把握する。
今はまるでエアポケットにはまっているような時期なのだ。
向かうべき作品がないまま、それでも向かう場所を想定していかなくちゃいけない。
目に炎が灯るために必要なピースがいくつか足りていない。
稽古中、ぐるぐる頭の中が回っていった。
でも多分そのエアポケットは正しいぞと。
編集が終わった後もまるでエアポケットのような時期だったかもしれない。
まず最初にしたのが、音楽の吉田トオルさんに編集後の映像を送ることだった。
カット編集をしただけでは作品は完成しない。
そこに音楽が乗って、映像の色味の調整をして、整音をして。
そうやって映画は出来上がっていく。
トオルさんは、撮影前にロケ地を訪問してくれて、撮影中も見学に来て。
いや、それどころか撮影よりも前の段階で既に出来ていた曲もあって。
過去の舞台の音源の数倍の曲数を用意してくださった。
多分、音楽の乗っていないセブンガールズを観たのは、監督とトオルさんとおいらだけだ。
その日からは吉田トオルさんとのやり取りの毎日だった。
毎日タイムコードと一緒に楽曲が届く。
楽曲を映像に合わせて書き出したものをトオルさんに返す。
それに更に直しが入ったり、新しい楽曲が届く。
トオルさんのスケジュールが空いている日はお互い深夜までやりとりをした。
メール、メッセンジャー、電話、その往復。
音楽が届けばなるべくその日のうちに映像を返すようにしていった。
監督に会える日は音がはまった映像を確認してもらった。
音楽制作のアプリケーションと、映像製作のアプリケーションは別のソフトだから。
最終的にコマ数で合わせてもなお微妙にずれることもあった。
トオルさんが映画の音を創るのは何度かあったはずだけれど。
こんなに何往復もしたことはなかったんじゃないかと思う。
かつて劇団でショートフィルム企画を立てた時に自分の映像に音楽を付けてくれたけれど。
あの時の音源も一発でOKだった。
それぐらい微妙なタイミングだったし、映像とのシンクロ率が高い音楽だった。
実は自分は少し逆のことも考えていた。
トオルさんから先に何曲かもらって、その曲に合わせて編集するということも出来るからだ。
もちろん、それにしたって後から音楽を再度変更することは可能なわけで。
最近で言えば「君の名は」が音楽に合わせてのカット編集だったことが有名だ。
監督は音楽畑にいた人だから面白い編集が生まれる可能性もある。
でもそれは結果的には叶わなかった。
監督にとっては束の間のエアポケットだったはずだ。
全体像が見えるまで監督から細かい指示はなかった。
その代わり、音が全てはまってから、もう一度監督と一緒に編集に入った。
その全体像を観てもらって、触ってもらった。
映像のタイミングをいじるよりも、むしり音出しのキッカケのアイデアなどが多く出た。
もちろんそれをまたトオルさんに返して、確認してもらった。
いや、3人一緒にやれば早いんじゃないの!?という本音は心にしまい込んで。
二人の秘かなキャッチボールを淡々と自分なりに昇華していった。
お互いがお互いのアイデアを咀嚼する時間まで共にするとは思いもしなかった。
音楽がはまれば、明らかに映画は完成に近づく。
過熱した編集のやり取りがあって、その後の音楽の時間があった。
あとは、整音と色で通常は完成するのかもしれない。
でもその前にもう一つやるべきことがあった。
その段階まで来てからプロデューサーに観てもらうことにした。
まず間違いなく映画は第三者の意見を聞いた方が良いと思う。
それを参考にするもしないも含めてだ。
色味の調整や整音をしてからでは、編集範囲が限定されてしまう。
その前に、意見があったらもらうべきだと思っていた。
ゼロ号。
まだ誰も知らないセブンガールズという作品。
それを見る人がもう一人増える日だった。
初めての感想を誰かからもらう日だった。
一つのことが終わって、その次に向かう準備の前の時。
ん?あとは何をすればいいんだっけ?
そんなエアポケットにはまる時がある。
わたしは何をすればいいの?僕は何をすればいいの?
実際に、この編集の時期、出演者たちに出来ることは殆どなかった。
音楽をつけている間は、監督にすら待ってもらうしか出来なかった。
自分はそんな時間帯って意外に重要なんじゃないかって思っている。
かく言う自分は全然休みなく淀みなく進んではいるのだけれど。
そこで慌てて動き出してしまえば、一歩間違えると軸となる魂のないものになることだってある。
すぽんと何か空気が抜けてしまったような状態になった時に。
ゆっくりと深呼吸をしてみることだって大事だ。
そこで自然と産まれてくる何かを上手に掬い取るからこそ、次に走り出すことが出来る。
音楽が揃うまで待っていた監督はそこから一気に仕上げに入った。
その間に思いついたこともいくつかあった。
多分、今日の稽古でどこか中身のない芝居だなぁと感じたのは正解なんだと思う。
人間の進む道は入りくんでいる。
ふと立ち止まることもあれば、路地裏のような場所にたたずむ日だってある。
今、セブンガールズの上映期間が終わって、再上映を祈って。
稽古を再開して、そこに役者の本能だとか、あるいはやっぱり魂のようなものだとか。
今、ベクトルが定まっていないからこそ、次なる指標を掲げることが出来るのだ。
それがわかるからこそ、やっぱり稽古をするべきだ。
しゅわしゅわと脳内で泡立つモノがある。
それが具現化するのはいつのことだろう?
そう遠い日の話じゃない。
自分はいつだって建設していく。
今日感じたことは、かつてどこかで感じた何かのはずだから。
映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
上映期間終了 皆様ご来場ありがとうございました。
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紹介記事
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