映画一本を製作するのは大変な時間と労力がかかることがわかって。
考えれば考えるほど、映画製作はそこに情熱や思いがなければ出来ないという結論になった。
どんな映画だって、製作者は思い入れを強く持っているし、情熱を注いでいるはずだ。
例え量産している監督だとしても、例え漫画原作などだとしても。
ある有名な映画評論家が、今乗りに乗っている監督を痛烈に批判していた。
その監督の作品の何が悪いかと言えば、映画に対する愛情を感じないからだと断じていた。
そうなのかもしれないとも思う。
けれど、実際その監督は売れっ子だ。
仕事が途切れることはないし、興行成績だって残している。
賞レースにはなかったことのようにされているけれど、結果を残している。
そんな時、映画は興行成績じゃない!と言いたくなってしまう。
自分だってたくさんの人に観て欲しいけれど、誰かの特別な一本になれたらという思いが強い。
人数よりも深さを求める自分が確かに存在している。
それでも、それを口にしちゃいけないんじゃないかなぁって思っている。
実際、それだけたくさんの人が観に行くのだから。
もちろんカジュアルで記憶に残らないような消費する映画の可能性だってあるさ。
あるけれど、そういう映画があって映画会社は持っている。
例えばポケモンの映画を映画じゃないと断じることが出来る映画人なんかいてはいけないと思う。
映画評論家であればそこで嫌いだと蓋をすることは仕事放棄に近いんじゃないだろうか?
何故その映画がヒットして、自分の愛する映画がそこまでのヒットに届かないのか分析するのが仕事だと思う。
そういう時に便利な「一般大衆」という言葉を使って説明したくなるのは、もう分析にならない。
そしてどんな映画でも製作者には間違いなく思い入れがあるんだってことは忘れちゃいけない。
例えば映画が好きではなくても、別の思い入れがあるのかもしれない。
自分が大好きなものを否定されたら誰だって気分は良くないはずで。
その大好きなものを一つに固定してそこから批評するのはそんなに素晴らしいことじゃないなと思う。
Twitterで質問箱というのを設置しているのだけれど。
匿名で毎日なんらかの質問が届く。
誰かが書いてくれているのもあれば、ランダムでどこかから届くものもあるようだ。
そんな質問で「芸能人と付き合いたいですか?」という質問が届いた。
ちょっとあっけにとられた。
・・・というのも、古い時代の人間と言われてしまうかもしれないけれど。
芸能の世界に生きる人は下賤の人という根本的な考え方が染み付いているからだ。
ヨーロッパでは舞台に立つ人はどんな人でも尊敬されるし、サーと呼ばれる。
それはヨーロッパの演劇文化がそもそも貴族文化から派生したものだからだ。
シェイクスピアは貴族文化から生まれた劇だ。
日本の演劇はそうじゃない。
河原者と呼ばれ社会のシステムからはみ出た身分制度の最下層の人がやっていたのが演劇だ。
旅一座の美少年俳優は土地の権力者に体を売って地方を回っていた。
そんなのほんの少し前まで普通にあった話だ。
芸人になるというのは、身を持ち崩すという意味がある時期まで含まれていた。
大阪の子供たちが勉強しないと、吉本にやるよ!と言われたのに似ているかもしれない。
関東にいた自分だって、芸能人をそこまですごいとは教わらなかった。
スターはいたけれど、決して上の人という感覚ではなかった。
呼び捨てだったよ。芸能人なんて。
でもどうやら現代はそうでもないのかもしれない。
芸能人というのは上級の存在として認識されているのかもしれない。
思えばお笑い芸人はそこをついたんだろう。
テレビでいじられて、視聴者に呼び捨てにされて。
そういう場所にいたはずの芸能人がいなくなったからこそ全盛になった。
大阪の子供たちはお金を払って芸人になりたがるようになった。
「芸能人と付き合いたいですか?」なんて質問が来るわけだよ。
自分にはそういう観念がこびりついているからか。
役者をやっているという事は、えばれることじゃないなぁと常に思っている。
少なからず社会の中で何一つ建設的ではない存在だぞと自分に言い聞かせている。
その上で役者ってそれでも必要なんだぜって思っているってことだ。
社会貢献している全ての大人と比較すれば、自分なんかどうしょうもない存在だ。
一流芸能人みたいな言葉を聞くと、なんだかなぁと思う自分がいたりする。
格付けのバラエティはその分、司会の二人が実は一番そういうことを馬鹿にしているから成立しているのだと思う。
それ以外の・・・一流芸能人のお宅拝見!みたいなのは、大抵げんなりする。
自分も蓋をしているのかなぁ?なんて考える。
一生懸命仕事をしている人をどこか馬鹿にしてはいないかなぁなんて心配になる。
まぁ、評論家じゃないのだからそこを考えるのが仕事というわけではないのだけれど。
ただちゃんと観ようと思う。
そこにどんな思いが込められているのか。
そこにどれだけの思い入れがあるのか。
セブンガールズという映画ではそれこそが大事なのだと思い知ることになった。
それ以上に大事なことなんてないのかもしれない。
映画がかかれば、その世界に入っていく。
暗転してスクリーンに火が灯る。
映し出された映像を観ているうちにどんどん引き込まれていく。
セブンガールズを観ているうちに終戦直後の世界に入っていく。
物語がある。
役者の表現がある。
スタッフワークがあって意図がある。
全てが終わってその世界から一歩出た時に。
自分の中に何が残っているだろう?
その重要な一つが製作者の思い入れなんじゃないだろうか?
得てしてこねくって、分析する人ほど、そういう大事なことを見落としてしまうのかなぁなんて思う。
そして実はその思い入れにこそ、格が存在しない。
映画愛に溢れた作品を上の格であると断じた瞬間にそれはもう偏見になるんじゃないだろうか?
全ての表現を同じ地平線に並べて、例えば映画愛を感じなくても、別の思い入れを探せばいいのに。
だって表現に格式なんてないんだから。
必要以上に上には見ない。
ミーハーになっちゃ、何もわからなくなる。
でも必要以上に下にも見ない。
そんなことをすれば小さな世界に閉じこもることになる。
同じ平野で考えないと。
自分はいつもそう言い聞かせている。
映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
2019/5/18~24
横浜 シネマ・ジャックアンドベティ:http://www.jackandbetty.net/cinema/detail/1928/
2019/4/30 18時
アルティカセブン 映画「セブンガールズ」応援感謝祭 http://sevengirls.info/2019/04/fanfes/
■SNS
Twitter:https://twitter.com/7girlsmovie
紹介記事
■girlswalkerhttps://girlswalker.com/archives/180503/
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