2019年02月28日

星が少しだけでも

終戦直後のパンパンと呼ばれた街娼たちは極めて一般的な女性たちだった。
比較的学歴が高かったという証言もあるようだ。
多くは赤線、青線が出来る頃には戦地から家族や夫が帰還して日常に戻っていったという。
そしてその殆んどはその間どのようにその日一日を生きてきたのか口を閉ざした。
現在証言として残っているのは、その後プロの娼婦になった人の証言や当時のアメリカ兵、客だった人の証言ばかりだ。
墓場まで戦後のごたごたについては口にしないで持っていった人がたくさんいる。
だからセブンガールズは現代に繋がっている。
そう自分は書いた。
自分の知っているおばあさんがそうだったとしてもおかしくはない。
そういうリアリティのある話なんだと書いた。

けれどもう一方でセブンガールズは現代に繋がっている。
実はそこに目をつぶっていいのかなぁという思いはある。
今の日本で普通に生きていればそこまで意識しないだけで現実はそうじゃない。
本当に現代まで繋がっているんだぜっていうことがある。

世界中に多国籍軍や在留米軍が存在している国が今もある。
そして内戦が続いて貧しい国が山のようにある。
本当は目をつぶっちゃいけない事。
ただこれを書くと映画のイメージまで暗くなってしまうんじゃないかという危惧があるだけだ。
セブンガールズはそういう境遇にありながら、その境遇についての映画ではない。
ある意味そんな究極の社会状況の中で、強く生きたその姿を描いている。
観た人はテーマの重さに比較して、明るい作品だったと感想を書いてくださる。
そういう作品だから、あまりそこには触れないようにしている。
それはお客様の中でふと思い出したり、ふと考える場所でいいじゃないかという思いがあるからだ。

終戦から70年以上経過したと書いているけれど。
去年が小笠原諸島の日本復帰50周年だった。
そして沖縄の復帰はその4年後。
実はほぼ自分の生まれた年の頃にアメリカ領土ではなくなった。
50年ではまだまだパンパンという仕事は生々しいはずだ。
現実に今、生きている人と直接関係していることがたくさんあるからだ。

新宿二丁目などの男娼が生まれた背景もある。

そこまでは自分の中で意識をしてこのBLOGを書いてきたし、忘れることはなかった。
セブンガールズが誰かを傷つけてしまうような作品であって欲しくなかったから。
けれど自分の中で失念していることがまだあるんだなぁと思い知らされた。

横浜 シネマ・ジャックアンドベティでの上映が決まってから黄金町の歴史も見るようにしていたのだけれど。
足を運んで、そして知るほどに、ああ、これもいわゆるパンパンの系譜なのかと脱力する思いだった。

青線・・・と書いても、一瞬分からない人も多いと思う。
赤線なら聞いたことがあって、なんとなく青線もあったぐらいだろうか?
赤線とはいわゆる売春を認可された地区に警察が赤い線で囲った地域の事だ。
青線は売春が認可されていない地区で街娼や、未認可店舗が集まっていて警察が青い線で囲った地域の事。
売春防止法が出来ると同時に青線も赤線も全てが法律に触れることになったわけだけれど。
それまでは売春は認可された商売だった。
日本の場合、伝統的な遊郭があってそれに近いのが赤線。
それとは別に、夜鷹など呼ばれた街娼がいるような地域が青線だった。
歴史的な背景もあって、今であれば女性蔑視、性差別と叩かれてしまうけれど、少し認識も違ったと思う。
もう少し当時は社会的には受け入れられていた。
海外では今も売春が認可されている地域を持つ国もあるのだからそれに近いのかもしれない。

横浜黄金町界隈はいわゆるその青線だった。
特殊飲食店街というのが赤線の正式名称で認可された地域だったわけだけれど。
未認可のまま、街娼が集まり、私娼窟が出来上がっていった。
知っている人も多いと思うけれど黄金町界隈は2000年代までこの未認可店舗が売春営業をしていた。
ほぼ終戦直後のパンパンたちの仕事と同じ仕事内容だ。
もちろん、普通の主婦や学生がそこで働いていたかはわからないけれど。
明らかに終戦直後のパンパンという文化がすぐそこまで続いていた。

それで自分が知ったことは黄金町界隈の売春営業は1980年代後半から殆ど外国人娼婦になったという事だ。

この外国人娼婦の全てをプロの娼婦とは言えないんじゃないだろうか?
国にいる家族に仕事の内容を本当に伝えているだろうか?
自分の国でも同じ仕事が出来るだろうか?
日本人女性が米兵に体を売ることと、外国人女性が日本人に体を売ること。
そこに大きな差なんかないんじゃないだろうか?
ああそうか。
日本人は豊かになった。平和になった。
その瞬間からパンパンという存在は別の存在になっていたのか。
そんなことに今更ながら気づいた。
海外の戦地にいる娼婦どころか、この日本にいた。

それから急に自分の中で震えた。
日本は豊かになったし、先進国の中でもスラムの少ない国だけれど。
スラムがなくなっているわけではない。
今でも、男だったらヤクザに、女だったら風俗で働く未来しか見えないような街がある。
貧しく、家族も借金を抱え、近所には同じ境遇の人も多く、薬物が横行して暴力団も出入りしている。
そんな街が今の日本にも確かにある。
余程強固な意志で学業に励まない限り子供の頃から目の前にその社会が広がっている街が。

自分の中で売買春をしている人に対してそこまで悪く思っているわけではない。
風俗で働いたって、それが幸せになるのであれば別に良いと思う。
買春をしている男性にしたって女性蔑視や性差別なんかしているわけがないと思う。
それは個別の問題であり売買春とは別の問題のはずだ。
そういう男性が集まりやすいことはあっても、女性蔑視は日常の中にこそ紛れているものだ。
ある意味では風俗産業が誰かにとっての救済になっているという側面だって見逃しちゃいけないと思う。
そこを完全に叩いてしまえば、生きていくために様々な犯罪が地下に潜っていくだけなのだから。
それは男性も女性もだ。買春も売春もだ。
人間と性と性産業について安易に発言は出来ないと思う。

ただ。
現代に繋がっている・・・なんて甘い発言かもしれないと思った。
現代にもあることなのだから。
貧しさに一時期風俗産業にいたけれど誰にも言っていない女性は普通に存在するのだから。
今も街角に立つ外国人娼婦がいるのだから。

観てくださる皆様にはただただ楽しんで頂けたらと思っている。
そこまで考える必要もないし、観た後に何かを感じるのであればそれはそれで素晴らしいことで。
ただ作品を提出している自分はそれではいけない、それでは甘いと感じた。
もちろん監督が作ったセブンガールズが、そんな境遇の方を傷つけるような作品とは思っていないけれど。
それでも、知っておくことがいかに大事なことかと思い直した。

横浜で上映する。
黄金町で上映する。
別にそこを重く考えるわけではなく。
それを知る。
その街を知る。
その上で自分の中でセブンガールズという作品についてもう一度考えようと思った。

誰かの。
どこかの誰かの。
力になれる作品になるといいなぁ。
強く生きる一歩を踏み出すきっかけになるような作品であれば。
誰かにとっての特別な一本になれたらと願ったけれど。
もう一度願おうと思う。

ガス灯もなくなった瓦礫の街で娼婦が空を見上げる。
終戦直後の日本には星がいっぱいあった。
星たちに一体いくつの願い事をしただろう?
今もその願い事を聞いているのは、少なくなった星たちだけだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:07| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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