2019年01月03日

神という名の第三者

セブンガールズの企画を立てた最初の正月に行った神社に向かう。
去年のお神籤とお守りをお炊き上げに出す。
真新しいお神籤とお守りを手にして、今年も絵馬を書いた。
このお守りは一年中肌身離さず首にかけている。
自分はそれほど信心深いわけでもないけれど、セブンガールズに関してだけは別。
手を合わせる場所では必ず手を合わせるようにしてきた。
そして、心から願ってきている。
正月の挨拶、上映館の鎮守様、土地土地に残る碑文。
後悔するようなことだけは厭だから。
出来ることは全てしたいから。

前は遠めの駅で降りて、長い道を散歩してから参拝した。
土地の空気を感じて、土地の匂いを嗅いで、土地に眠る歴史を知って。
去年からは一番近い駅から歩くようになった。
なんとなくすでに土地勘までわかるようになった頃合いを見てから。
それでも、少しいつもと違う道を歩いてみたり、看板があれば読んでみたりする。
去年までは正月でも空いていた肉屋さんが締まっていた。
年々、変化はしている。

帰りもいつも長い距離を歩いてみたりしていたのだけれど。
今年はまっすぐ新宿に出た。
K'sシネマの近くまで行った。
2018年、ここで公開したんだなぁと一息ついた。
新たな年を迎えるにあたって、この景色にもう一度触れたかった。

いくつか買い物をしてからHUBに入って、生ビールとフィッシュ&チップスをオーダーする。
正月早々一人でビールを飲んでいる人なんか自分ぐらいしかいなかった。
今日、監督に連絡したこと。
結果的に、出演者にも連絡することにした件についても、再考する。
一人で生ビールを傾けながら、海外のビネガーをポテトに振りかけながら。
改めて、セブンガールズは小さい映画なんだなぁと、ため息をつく。

2018年度の興行収入ランキングが発表されていた。
第一位は劇場版コードブルー。
言われてみれば誰もが納得する答えだ。
3月には、DVDやBlu-rayが発売されて、恐らく年末までにテレビでの放送もあるだろう。
繰り返されたテレビドラマと、その再放送。
そして強大なテレビ局をバックにしたプロモーション。
興行収入だけで90億円、そこから二次使用、三次使用とまだまだ拡大していく。
最終的にはテレビ放送も含めれば、きっとほとんどの人が観たことがある作品になる。
別の世界の話かもしれないけれど。
それを知っているべきだし、それが何なのかを考えるべきだ。
最初からそうなるために創られて、そうなるためにプロモーションを重ねて、実際にそうなった作品。
そして、その経済効果が多くの映画関連会社、映画関連スタッフの生活を支えている事実。
出演者たちの動員力と、徹底的なマーケティング。
何よりも忘れてはいけないのは、そういうヒット映画が、赤字だった映画もそのスタッフもまるごと支えている事。
ヒット作品がなければ、挑戦的な映画も、実験的な映画も、若手に任せる映画もあり得ない。
映画館だって。

自分たちはヒット作品があるから、創らせてもらった映画なわけじゃない。
それどころか、撮影前に応援してくださる映画関連とは関係のない皆様のご支援で映画化に辿り着いた。
だから特別何かしがらみがあるわけではなさそうだし、別の世界だと割り切ることが出来るかもしれない。
でも、本当にそうなのかな?
セットに使ったパネルの一部は大きな映画の廃材を頂いたものだったし。
お願いしたスタッフさんだって、大きな映画の恩恵をどこかで受けているかもしれない。
美術の杉本亮さんは、大小さまざまな映画に取り組んでいる。
企画時に相談させていただいて、現在配給していただいているSDPだって、大きなプロジェクトに関わっている。
大ヒット映画がなければ映画界全体が落ち込んでいってしまうのだから関係ないわけがない。

かつて演劇の世界では地下演劇と言うものが生まれた。
アンダーグラウンド、いわゆるアングラは、当時メジャーであった新劇に対するカウンターカルチャーだった。
では今のミニシアターで上映するような作品は、メジャー映画へのカウンターカルチャーなのだろうか?と考える。
実は現代においては既に、カウンターカルチャーは成立しないと自分は2000年頃から思っている。
セオリーがあるから、カウンターカルチャーがある。
けれど、全ての文化において、セオリーは崩れていって、メジャーとは何だ?というテーマが出てきた。
音楽の世界だってそうだったし、映画だって、演劇だって、そうだった。
いわゆる情報化されている社会では、地下も地上もなく、文化の多様化に突入していった。
情報化されてしまえば全ては等価になる。
サブカルチャーとはそもそもメインとなるカルチャーがあるから成立するというのに。
すでに、「サブカル」という名前のメインが出来ているような世の中になった。
大人計画なんていうサブカルの王者のような劇団の作家がNHKで脚本を書く時代になったのだから。

ミニシアターも実は同じなんだろうなぁと思っている。
メジャー映画に対するアンチテーゼでもなく、カウンターカルチャーでもない。
恐らくかつての単館映画ファンと今のミニシアターファンは少しだけ違う部分がある。
それは、今のミニシアターファンは、等価でメジャー映画を楽しむことも出来るという事だ。
昔の映画ファンは、例えばフランス映画ファンはハリウッドを認めようとしなかった。
けれども、今のファンは違って、良いものは良い、面白いものは面白いと、同じように観てくださる。
ボーダーレスな時代に突入してから、全ての文化で起きていることだ。
だから、セブンガールズは、メジャー映画とも等価で比較されると思った方が良い。
現代なら、これも面白いねと、普通に受け入れられるのだから。
若い映画監督ほど、メジャーな映画に対する敵対心のようなものを持っていないはずだ。

そういえば、コードブルー面白かったよ!という声を聞いたことがない。
それは、面白くなかったという意味ではないのだと思う。
普通に、当たり前に文化として消費しているということだ。
今週どこか行く?コードブルーでも行こうか?そういうサイクルの中にある。
恐らく「カメラを止めるな!」もそこに入って、あっさりと受け入れられたはずだ。
誰が見ても楽しめるようになっている。
マニアックな作品もあるし、ニッチな層に向けた作品もある。名画だって、海外マイナー作品だってある。
けれど、全ての文化は同じように消費されているのだという事を忘れちゃいけないのだと思う。
20世紀の終わりには、村上龍がそれを感じて小説にしていたのだから、もう当然のことなのだ。

今、自分がやっていることはそういう消費される文化とは真逆のことをやっている。
映画に来た体験を、忘れられぬ一日、特別な一日、そして特別な一本にならないか。
そういうことを積み重ねている。
そこから生まれるエネルギーの強さを知っているから。
今は、あまり見なくなったエネルギーになるから。
誰もが観ている当たり前の一本、消費される文化まで進みたいのであれば、そこは外せないから。

例えばキムチはどうだったのだろう?
かつては異国の漬物で辛いものだったはずだ。
我が家でも毎日食卓にあるものではなかった。
それが、いつの間にか、冷蔵庫には常にあるぐらいのメジャーな食べ物になった。
チーズだってそうだし、ピザだってそうだし、電化製品だってそうだ。スマフォだって。
同じなのだ。
初期の感動と、やがて誰もが手に取るようになる流れは全て共通したものがあるはずだ。

真新しいお守りを首にかけて。
生ビールの余韻を楽しみながら帰り道に考える。
セブンガールズは、誰もが知っていて、それぞれ意見があるような作品になれる。
けれど、そこに至るには足りないものが多すぎる。
自分にはあと何が出来るだろう?
社会現象学であったり、マーケティングを学んでいる人にはきっと笑われる程度の知識しかない。
それでも、考えるのだ。実行するのだ。

神様にお願いしているのはきっと、そんな自分の姿勢を支えてくれる小さな力だ。
大丈夫、自分は冷静に、けれど熱く、今も前に進んでいると確認させてくれる第三者の視点だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:58| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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