マスターを持って、ケイズシネマに向かう。
あいにくの雨の中だったけれど、劇場までの夜の道を写真に収めていく。
配給の担当さんと待ち合わせをして、ケイズシネマに入る。
その日に上映される映画を待つ人が劇場外にもいて。
中に入るとロビーにもたくさんのお客様がいらっしゃった。
どこかで感じたことがある空気感。
ロビーの様子を写真撮影しながら、感じていた。
当日の舞台挨拶の際の導線を確認する。
舞台挨拶は2種類ある。
上映前と上映後の舞台挨拶。
今回のイベントは全て上映後にさせていただいた。
映画を体感された方々とお会いした方が良いと思うから。
導線案内でケイズシネマの客席内に入る。
これから上映する映画を仮でスクリーンに映している中。
とても美しい劇場。お客様が据わるシートまで美しい。
シートの色もデザイン感がある。
かつての昭和館とはまるで違う現代的な映画館。
ケイズシネマの空気感は、良く知っているそれだった。
昔、中野の武蔵野館という映画館で演劇を観たことがあるけれど、あの時の違和感が消えていく。
映画館で演劇だなぁとつくづく思ったのは距離感だ。
映画館は客席との距離感があって、演劇をやると違和感が残った。
スクリーンとは崇高なもので、手が届かないものだというイメージが強烈だった。
そのせいなのか、どうしても、演劇と言う生の表現の距離感とそぐわなかったのだった。
自分がまだ若くて、スクリーンにそういうイメージを持ちすぎていただけではないと思う。
ケイズシネマから公開開始した多くの作品が今、話題になっている。
あのカメラを止めるな!もそうだし、現在上映されている映画でもそうだ。
その理由の一端が会場に入ってすぐにわかった。
これは、映画館の距離感じゃない。もちろんテレビの距離感とも違う。
ここはLIVEを感じる。
空間に対するスクリーンの大きさの比率なんだろうか?あるいは空間の高さなのだろうか?
とにかく、勝手知ったる小劇場と呼ばれる空間と似た距離感を感じるのだ。
もしかしたら、羅紗の赤い幕がないからかもしれない。
映画館と言えばシートも幕も、羅紗の赤という強いイメージがある。
あれはつまり、豪華さを演出する。開けた文化の象徴でもある。
現在のシネコンでも、シートは赤という会場は多いと思う。
けれど、本来暗闇の中で、光の芸術である映画を楽しむのであればそれは、あまり適していると言えない。
光の反射をする素材はなるべく控えた方が、スクリーンに光が集中するのだから。
黒い幕、黒を基調とした椅子、黒い壁、全てが機能美になっている。
ライブハウスでも、小劇場でも、感じる作品を見せるためのスペースなのだ。
ああ、この会場で公開した映画が話題になるのは、こういう細かい工夫に答えがあるぞと思った。
ロビーの工夫も素晴らしかった。
階段からもエレベーターからも一つの受付で対応できる。
その受付に立てば、ロビー全体が見渡せるようになっている。
ロビーは広い空間ではないけれど、座って話せるし、向かい合って顔を見て話せるように置いてある。
ケイズシネマで上映する作品のポスターたちがメインとなる場所に整然と張られていて。
そのポスターには、全て額縁までついている。
飾られた絵にも額縁がついているから、全体としての統一感も出ている。
様々な映画のチラシも雑然とならないように工夫がされていた。
「居心地のいい映画館」を目指しているというのは、どこをみてもすぐにわかった。
例の映画泥棒のポスターの位置だけでも、それが伝わってきた。
当日の段取り、物販の話、当日のディスプレイについて。
いくつかを話してから外に出て、加藤プロデューサーと合流。
新宿の老舗の喫茶店に移動して、打ち合わせをする。
素晴らしいニュースがあって、興奮したまま皆にメールをしておく。
打ち合わせで、配給担当さんに色々と話を伺う。
セブンガールズをもう一度スクリーンで観たいと口にしてくださったとき。
実はそれが嬉しくて嬉しくて、素晴らしいニュースどころじゃなくなっていた。
もちろん仕事なのだろうけれど、そこに愛がある。作品に思いがある。
それが何よりも嬉しくなってしまう自分。
宣伝方法について、僭越ながら自分なりに考えていることも口にする。
そんな大それたことでもないと思うのに、すごく真剣に聞いてくださった。
億という単位の金額が飛び交う映画業界で仕事をしている方々にとって。
この小さな小さな映画のやり方をどんなふうに感じただろう。
かと言って、かっこつけたり気取ったりしてもしょうがない。
等身大で進む素朴な方法論。
何かを起こそう。
奇跡の始まりにしよう。
あと一週間になった。
すでに映画館には上映するマスターデータがある。