「パンパン小屋の女たち」と題したPVを公開している。
現在、全10回中の3編まで公開している。
監督と映画の編集をしている時は、自分の体内時計に合わせての編集だった。
芝居のリズム、カットのリズム、撮影のリズム、そういうものから自然と編集点が見えてくる。
ざっと、1度目の編集を終えて、時間を空けて、また編集をしていく。
前後のシーンとの関係性も含めて、繋ぎをコマ単位まで拘っていく。
だから、最初から、時間が決まっていたわけではない。
編集した結果、このシーンはこの尺になった・・・というやり方だった。
PVは、まったくその逆のやり方で製作している。
ちょっとした監督からの依頼の編集があって、その経験が少し役に立った。
とにかく、最初に、タイムラインを30秒に限定してしまう。
その中でどこまで人物像を表現できるのかということをやっている。
だからもっとこれも入れたいなぁ・・・というのもあったりもする。
だからと言って、ゴールを決めずに編集すれば、破綻するのは目に見えている。
それに、人物紹介で、役によって時間が違うのは気持ち悪いなぁと思っていた。
最初の道絵編で、おおよその流れが出来た。
タイトルから、いくつかのカットが入って、映像とお知らせがクロスフェードしていく。
最後は、それまでの映像では見えなかったような部分が浮かんでくるような声だけになる。
そして、最後に、その登場人物の印象になるようなテロップを声にクロスして浮かばせる。
テロップは、監督が書いたセリフの中の一節を、更に短くしたものにしている。
人物像を表すようなセリフはたくさんあって、どれを選んでも素敵なのだけれど。
あえて、そこを引っ張ってくるんだ・・・というセリフを探し出す。
毎回、全148分の映像の中から探すのは大変だけれど、カットもセリフも、記憶されているものが多い。
30秒という短い映像と言えば、CMであるとか、テレビドラマの最後に流れる次回予告だ。
実は、映像編集の中でももっとも厳しい世界なのかもしれないなと思う。
実際、テレビドラマの予告編は、そのドラマの人気度を左右するほど大事なものと言われている。
どこまで出すか、どこで引くか、次回を観たくなるには何を見せるべきか。
安易に予告を創らずに、ドラマのラストシーンだけで、次回へ期待させる場合もある。
CMは、恐らくコマ単価がもっとも高額な映像だ。
コマ単位でCG処理するほど、膨大な予算と時間がかかっている。
CMクリエイターは、最先端のセンスを持ったカリスマたちだ。
その商品のイメージ、そして印象に残すこと、そういうものをどうやって創るのか。
映画とは真逆の思想で製作されていると言ってもいい。
尺が先の編集とは、きっとそういう事なのだと思う。
今回の人物紹介については、尺を決めて、音先行で編集していた。
小節の切り替わりでカットを変えてみたり、曲の盛り上がりとセリフのクロスを意識したり。
音ありきで、音楽のPVのようにカットの編集点を見つけていった。
音楽にはリズムがあり、展開があり、波があるから、そこに委ねて映像を重ねていく。
それだけで、PVになっていくぞという確信があったからだ。
音楽の吉田トオルさんは、なんとほぼ娼婦全員のテーマ曲を書いてくださった。
だからこそ、一人一人のテーマ曲に乗せれば、それが人物紹介になるだろうと思っていた。
結果的に、その人物を演じていた役者たちも感動して、そのリズムまで感じてくれた。
ただ・・・そこでは終わらない。
音ありきではなくて、映像ありきにしようという提案を吉田トオルさんから頂いた。
それは、どんどん更新していくスケジュールを考えるとかなり厳しい提案でもあった。
映像を提出して、音をやりとりしてとやっていたら、SNSの持つスピード感を表現できなくなるかもしれない。
次を楽しみにしている、そろそろ更新されるかな・・・という引きも含めたPV更新をしている。
そうなると、前倒しで、来週再来週の分まで編集していないとかなり厳しくなっていく。
それでも、とても理解できる提案だった。
音に映像を当てたものを観て、更に音を映像に当てなおす。
たったそれだけでクオリティが上がるというのはわかっていたことだからだ。
だから、思い切って、前倒しのスケジュールになるように、無理をしてみた。
一気に、先の先の先のぐらいまで、進めた。
これでまた、30秒の世界が濃く濃くなっていく。
たった30秒。
されど30秒。
遅いテンポの曲であれば、4小節入らないことだってある。
リフレインが面白い曲なのに、1回しで終わってしまう場合もある。
それでも、そこにどこまで、何かを上乗せできるのかだ。
何を残せるかだ。
さあ、切り替えて、今は別の作業に移らなくては。