朝の準備から、場当たり稽古が始まった。
休憩時間以外は張り詰める時間。
自分の書いた作品もあるけれど、全作品のことが既に頭に入っている。
自然と、他の作品のセリフも口から出る。
今日は、3作品全ての作品について細かい所まで考えながらの稽古だった。
そして、全体の流れも。
場当たり稽古というのは、いわゆるテクニカルな練習。
暗転中の移動、照明のキッカケ、音響のキッカケ、出はけ、道具のセット。
劇場に到着すると同時に、段取りが数倍に膨れ上がる。
全ての段取りを体に叩き込んでいく。
もちろん、役者と違って、メモを観ることが出来るキッカケもあるけれど。
今や、台本はメモだらけになってしまった。
監督から貴重な意見も、もらった。
特に自分の目で確認できない自分のシーンについて。
そして、自分が演じる役についても。
多くの言葉と言うよりも、ピンポイントの言葉をいくつか。
もちろん、すぐに修正をした。
その場ですぐに変えられることの、素晴らしさが染みる。
自分の作品なんだから、何を言われても、これでいい!となる人もいるのかな。
そのぐらいじゃないと、作品なんか作れないという意見もあると思う。
でも、そうじゃない。
とっくに自分の世界観は創ってあるし、この何か月の稽古が裏切ることは絶対にない。
そこをちゃんと理解した上で、ピンポイントの言葉を言ってくれているのが伝わる。
そこを変えた程度でブレるような作品じゃないと、自分で思っているからこそ、すんなり修正できる。
ありがたいなぁと感じる。
そこの理解がない言葉であれば、多分、あっさり突っぱねてしまう自分がいる。
それは、解釈が違うなと思えば、変えない。
でも、監督の言葉は、これをやるならという前提に立った言葉だった。
なんと、ありがたいことか。
音楽で、照明で、芝居を変えて良い。
軸がぶれなければむしろ、どんどん取り入れていく。
客観的な意見で、編集を一緒に直したこともあった。
音楽が重なって、それならと変わったところもあった。
その時間は肌に入っている。
自分の世界観をきちんと創っても、監督が持つ時間間隔や、人間の機微を絶対に無視しない部分。
そういう所は、結局、徹底的に監督と同じように稽古してきたんだよなぁと、ふと我に返る。
場当たり中に音楽のトオルさんがやってきて、色々、音の部分でもアドヴァイス。
やれたらで・・・っていう部分も全部やる。結局やる。
もうそこはやるしかない。
なぜなら、それで、芝居が少しでも良くなるのであればという思いがあるからだ。
それで、少しでもお客様が喜んでくれるならと言う思いがあるからだ。
おいらたちは、今日まで、ずっと小さな劇場で、目の前のお客様に少しでも届けようと必死になってきた。
その「少し」は、もう誰も気づかないようなものまで含めて、どんどん重ねてきた。
映画を創ったのだって、同じことだ。
観てくれる人に何をプレゼント出来るのか、そこばかり考えてきた。
いや、そこを真剣に考えることこそ、20年間のスタイルであり、イズムであり、軸だ。
そこから、外れることなんか出来っこない。
明日。
舞台「カクシゴト」が開幕する。
そして、映画「セブンガールズ」の情報が解禁になる。
それは、一人でも多くの人たちに、少しでも喜んでもらうためだけに始まる。
今、トオルさんから連絡が来た。
完成しているPVの音を差し替えたいとの意見。
明日は、舞台初日だけれど。
うん。
もうそこはやるしかない。
朝一で、やるかと覚悟を決める。
今、音の再MIXを始めているトオルさんがいる。
誰のためでもない。
観てくださる皆様に喜んでいただくためだけだ。