2018年05月16日

前夜

朝の準備から、場当たり稽古が始まった。
休憩時間以外は張り詰める時間。
自分の書いた作品もあるけれど、全作品のことが既に頭に入っている。
自然と、他の作品のセリフも口から出る。
今日は、3作品全ての作品について細かい所まで考えながらの稽古だった。
そして、全体の流れも。

場当たり稽古というのは、いわゆるテクニカルな練習。
暗転中の移動、照明のキッカケ、音響のキッカケ、出はけ、道具のセット。
劇場に到着すると同時に、段取りが数倍に膨れ上がる。
全ての段取りを体に叩き込んでいく。
もちろん、役者と違って、メモを観ることが出来るキッカケもあるけれど。
今や、台本はメモだらけになってしまった。

監督から貴重な意見も、もらった。
特に自分の目で確認できない自分のシーンについて。
そして、自分が演じる役についても。
多くの言葉と言うよりも、ピンポイントの言葉をいくつか。
もちろん、すぐに修正をした。
その場ですぐに変えられることの、素晴らしさが染みる。

自分の作品なんだから、何を言われても、これでいい!となる人もいるのかな。
そのぐらいじゃないと、作品なんか作れないという意見もあると思う。
でも、そうじゃない。
とっくに自分の世界観は創ってあるし、この何か月の稽古が裏切ることは絶対にない。
そこをちゃんと理解した上で、ピンポイントの言葉を言ってくれているのが伝わる。
そこを変えた程度でブレるような作品じゃないと、自分で思っているからこそ、すんなり修正できる。
ありがたいなぁと感じる。
そこの理解がない言葉であれば、多分、あっさり突っぱねてしまう自分がいる。
それは、解釈が違うなと思えば、変えない。
でも、監督の言葉は、これをやるならという前提に立った言葉だった。
なんと、ありがたいことか。

音楽で、照明で、芝居を変えて良い。
軸がぶれなければむしろ、どんどん取り入れていく。
客観的な意見で、編集を一緒に直したこともあった。
音楽が重なって、それならと変わったところもあった。
その時間は肌に入っている。
自分の世界観をきちんと創っても、監督が持つ時間間隔や、人間の機微を絶対に無視しない部分。
そういう所は、結局、徹底的に監督と同じように稽古してきたんだよなぁと、ふと我に返る。

場当たり中に音楽のトオルさんがやってきて、色々、音の部分でもアドヴァイス。
やれたらで・・・っていう部分も全部やる。結局やる。
もうそこはやるしかない。
なぜなら、それで、芝居が少しでも良くなるのであればという思いがあるからだ。
それで、少しでもお客様が喜んでくれるならと言う思いがあるからだ。

おいらたちは、今日まで、ずっと小さな劇場で、目の前のお客様に少しでも届けようと必死になってきた。
その「少し」は、もう誰も気づかないようなものまで含めて、どんどん重ねてきた。
映画を創ったのだって、同じことだ。
観てくれる人に何をプレゼント出来るのか、そこばかり考えてきた。
いや、そこを真剣に考えることこそ、20年間のスタイルであり、イズムであり、軸だ。
そこから、外れることなんか出来っこない。

明日。
舞台「カクシゴト」が開幕する。
そして、映画「セブンガールズ」の情報が解禁になる。
それは、一人でも多くの人たちに、少しでも喜んでもらうためだけに始まる。

今、トオルさんから連絡が来た。
完成しているPVの音を差し替えたいとの意見。
明日は、舞台初日だけれど。
うん。
もうそこはやるしかない。
朝一で、やるかと覚悟を決める。
今、音の再MIXを始めているトオルさんがいる。

誰のためでもない。
観てくださる皆様に喜んでいただくためだけだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:01| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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