2018年04月17日

覚悟の一歩

5月の舞台「カクシゴト」の初日まで一か月となった。
時間で言えばまだまだあるような気もするけれど。
稽古回数を考えると、これからの時間が大事だ。
もちろん、そこまで考えて、前倒しで進んできたけれど。

作品の稽古と仕上げとは別に準備に入らないとだ。
公演初日に、映画「セブンガールズ」の情報の一部を開示する予定だ。
その為の準備までも残り一か月だという事だ。
焦っても仕方がないけれど、じっくりと手を入れていかないとだ。
印刷物、WEB、SNS・・・。
一つ一つ考えていかないといけない。

そう考えると5月は大事な公演。
ここで何をするのか、何が見えるのか。
それは、そのまま未来に直結する。
そういう作品にしたし、そういう稽古をしている。

映画でも舞台でも同じ。
お客様に何かをプレゼントしなくてはいけない。
何かを持って帰ってもらわなくてはいけない。
心が動くという体験をしてもらわなくてはいけない。
そうじゃなければ、自己満足になってしまう。
常にお客様の方向を観ているというのは、一つの保証だ。
この人たちは裏切らないという保証だ。

作品の面白さ、役者の個性や演技、メッセージ。
そのどれでもいいのだと思う。
そのどこにクオリティを求めるのかという部分も含めて。

いつも監督に寄っかかっている自分がいる。
作品の評価は常に監督の責任になる。
台本を書いてくれ、演出をしてくれ、やってくれ、やってほしい。
でも実際にそれを公開すれば、その作品に対する評価は全て監督に向かっていく。
役者は、役者としての評価や、なんだったら演技じゃない部分も、評価されることだってある。
けれど、作家、演出家、映画監督は違う。
作品以外の評価を受けることはない。
良い評価ばかりならまだしも、それだけではない。

今回の舞台でそういうものを断ち切った。
本当は、監督が作品を書かなくてもいいとまで思っていた。
今は、映画の公開前だから、映画の評価が待っているから。
寄っかからない。
作品に対する評価を・・・たとえどんな評価だとしても・・・受ける。
そこを越えてから、映画公開に立ち向かえることが出来るのは良かった。
経験はあるけれど、それを体感しない事には、製作や編集までした自分として映画公開に立ち向かえない。
その全ての責任を監督に寄っかかって、映画公開なんて無責任なことはしたくない。
自分の評価として、映画の評価を受ける覚悟をしておこうと思っている。
もちろん、監督の作品だし、皆の作品だけれど。
精神的に、そういう覚悟だけはしたい。

過去に舞台作品を発表した時も。
バンドでCDを出したり、ライブをした時も。
ショートフィルムを創った時も。
同じように、自分で責任を背負った。
本当にね。100人に褒められても、一人の言葉で深く傷つくことだってあるんだ。
それは、役者という立場だけではそこまでの傷にならない。
批判的な言葉でも全然傷つかないことがあるのに、褒められた言葉の中の一節に傷ついたりさ。
でもきっと、それが作品を自分に重ねている証拠なのだと思う。

お笑い芸人がさ。
営業に行って、すべって、帰りの電車でずっと吐きそうだったって笑って言ってるけれど。
あれ、本当に吐きそうで、本当にしんどくて、本当に傷ついてるんだよ。
笑わせる仕事と言う中で、ネタを作って練習して人生をかけて挑んでいる。
その傷つき方は、なんというか、自分が全否定されているのと変わらない重さだ。
それはきっと、作品に対する責任と同じものだ。

5月の公演は、おいらにとって、覚悟の一歩なのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:42| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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