5月の舞台「カクシゴト」の初日まで一か月となった。
時間で言えばまだまだあるような気もするけれど。
稽古回数を考えると、これからの時間が大事だ。
もちろん、そこまで考えて、前倒しで進んできたけれど。
作品の稽古と仕上げとは別に準備に入らないとだ。
公演初日に、映画「セブンガールズ」の情報の一部を開示する予定だ。
その為の準備までも残り一か月だという事だ。
焦っても仕方がないけれど、じっくりと手を入れていかないとだ。
印刷物、WEB、SNS・・・。
一つ一つ考えていかないといけない。
そう考えると5月は大事な公演。
ここで何をするのか、何が見えるのか。
それは、そのまま未来に直結する。
そういう作品にしたし、そういう稽古をしている。
映画でも舞台でも同じ。
お客様に何かをプレゼントしなくてはいけない。
何かを持って帰ってもらわなくてはいけない。
心が動くという体験をしてもらわなくてはいけない。
そうじゃなければ、自己満足になってしまう。
常にお客様の方向を観ているというのは、一つの保証だ。
この人たちは裏切らないという保証だ。
作品の面白さ、役者の個性や演技、メッセージ。
そのどれでもいいのだと思う。
そのどこにクオリティを求めるのかという部分も含めて。
いつも監督に寄っかかっている自分がいる。
作品の評価は常に監督の責任になる。
台本を書いてくれ、演出をしてくれ、やってくれ、やってほしい。
でも実際にそれを公開すれば、その作品に対する評価は全て監督に向かっていく。
役者は、役者としての評価や、なんだったら演技じゃない部分も、評価されることだってある。
けれど、作家、演出家、映画監督は違う。
作品以外の評価を受けることはない。
良い評価ばかりならまだしも、それだけではない。
今回の舞台でそういうものを断ち切った。
本当は、監督が作品を書かなくてもいいとまで思っていた。
今は、映画の公開前だから、映画の評価が待っているから。
寄っかからない。
作品に対する評価を・・・たとえどんな評価だとしても・・・受ける。
そこを越えてから、映画公開に立ち向かえることが出来るのは良かった。
経験はあるけれど、それを体感しない事には、製作や編集までした自分として映画公開に立ち向かえない。
その全ての責任を監督に寄っかかって、映画公開なんて無責任なことはしたくない。
自分の評価として、映画の評価を受ける覚悟をしておこうと思っている。
もちろん、監督の作品だし、皆の作品だけれど。
精神的に、そういう覚悟だけはしたい。
過去に舞台作品を発表した時も。
バンドでCDを出したり、ライブをした時も。
ショートフィルムを創った時も。
同じように、自分で責任を背負った。
本当にね。100人に褒められても、一人の言葉で深く傷つくことだってあるんだ。
それは、役者という立場だけではそこまでの傷にならない。
批判的な言葉でも全然傷つかないことがあるのに、褒められた言葉の中の一節に傷ついたりさ。
でもきっと、それが作品を自分に重ねている証拠なのだと思う。
お笑い芸人がさ。
営業に行って、すべって、帰りの電車でずっと吐きそうだったって笑って言ってるけれど。
あれ、本当に吐きそうで、本当にしんどくて、本当に傷ついてるんだよ。
笑わせる仕事と言う中で、ネタを作って練習して人生をかけて挑んでいる。
その傷つき方は、なんというか、自分が全否定されているのと変わらない重さだ。
それはきっと、作品に対する責任と同じものだ。
5月の公演は、おいらにとって、覚悟の一歩なのだ。