冬季五輪も終わろうとしている。
出場している選手たちは、ここにこれたことを誇りにすると発言する。
凄い経験をしたのだと口にする。
スポーツには、勝敗がある。
厳しい世界だ。
五輪選手は、全員、誰かの夢を食らって、そこに辿り着いている。
五輪に出たいという夢。
家族に幸せになってほしいという夢。
怪我さえなければ、天才と呼ばれていた人の夢。
運がなかっただけの人の夢。
たくさんの夢。
それを抱えた選手たちの夢を、勝敗の中で食らい続ける。
そして、選手は、五輪でメダルの夢を食われる。
メダルが欲しかったという言葉すら口に出来ないほど、残酷に食われる。
人の夢を食い続けたものの頂点が、あの金メダルだ。
初めは同級生の夢だったかもしれない。
それが地域のライバルたちの夢になって、全国の夢になる。
ついには、世界中の夢を食らいつくす。
けれど。
一方向ではない。
夢で満腹になったものは、まるで、そのお返しをするかのように。
たくさんの夢を世界中にばらまく。
勝利の涙で。
勝利の笑顔で。
世界中の子供たちに、夢を配る。
還元されていく。
そしてまた、その夢を抱いた世界中の中のたった一人が、もう一度、その夢を食らいつくしていく。
その時に光る。
かつて、夢を食われた人が、かつて夢でいっぱいであった自分にもう一度出会う。
重ねていく。
悔しかった涙を思い出し、苦しかった練習を思い出し、笑いあった仲間を思い出す。
かつて夢を持っていた自分を思い出す。
勝利の喜びを思い出す。
そこからなんじゃないか。
そこからが、本当に、生きていくことなんじゃないか。
その大事な光を、自分の中で、どんな風に抱えてみるか。
そこが、勝敗を越えた、スタートなんじゃないだろうか。
なぜならば、人生に勝敗なんてないからだ。
勝ち組だの、負け組だの、口にする連中は、まだまだわかってない。
小さな勝ち負けはあっても、結局、芝居をしていると勝敗なんてない場所だと感じる。
それでも、夢を食われたりする。失ったりする。
若い才能に触れた時に、かつての自分を思い出したりする。
勝敗を越えたところで、大事な光を探し続けてきたからこそ、感じる。
夢はあなたのものじゃない。
還元する、ぐるぐる回る。
いつかの自分が夢を持った日のように。
いつか誰かが繋がって繋がって夢を持つ。
少女がだぶだぶの柔道着を着て、歩いていた。
2月に寒いだろうなぁなんて思っていたけれど。
げらげらと笑っていた。
今、君がみている夢は、いつかの誰かの夢なんだよ。
そして、今、君がみている夢は、未来の誰かの夢になるんだよ。
そんな風に思える自分がいる。
大丈夫。
きっと素晴らしい未来が待ってる。
素晴らしい未来は、勝利じゃない。
もっともっと、素晴らしい光り輝くものだ。
誰とも比較されない、たった一つのものだ。
いつだって、ここからだ。
何色だっていいさ。
真っ赤っかでもいいさ。