なんというか、なんというか。
記憶に刻まれるだろうなぁという日になった。
ちょっと飛び上がってしまうような連絡があった。
まだまだなんにもわからないけれど。
その連絡が本当になったら素敵だなぁ・・・。
ふと、大杉漣さんの話が頭をよぎる。
なんだか、嘘みたいな話だ。
「また来てマチ子の、恋はもうたくさんよ」が放映される。
地上波デジタルに乗って、家のテレビまでこの映像が届いているのか。
映像を扱っていると、そのデータ量に四苦八苦するものだけれど。
こんな風に、電波に乗って一斉に、たくさんのテレビに発信している。
不思議なことだけれど、パソコンで見る映像と、テレビで観る映像は少しだけ違う。
いや、映像の感触というか、そういうものが違う。
PCのモニタは、精細だし、余計な色調整が入らない。
スピーカーも全然違うものだ。
でも、そういう物理的なことじゃなくて、共有感覚みたいなものがある。
自分ひとりで観ていたとしても、同じ時間にどこかで誰かが観ている。
そういう感覚って、たぶん、テレビだけのものだ。
時間共有のすごさを、ひしひしと感じる。
これは、すごいことなんだなぁ。
普段、テレビを観ていても感じなかったことだ。
Twitterで、その共有感覚を更に強くする。
番組タイトルのハッシュタグがあったからクリックしてみると、たくさんの感想が出てきた。
舞台のアンケートでもなんでも、基本的に、感想を大きく気にすることはない。
それは、人によるらしいのだけれど、おいらは、芝居を始めた当初からそうだった。
批判的なものも好意的なものも、そのまま読んで、そのまま受け取って、どちらにも影響されない。
Tweetだと、すごく短い一言なんかの感想ばかりで、まるで情報の洪水みたいだった。
あの撮影の日、一緒に共演された方が、わざわざ四町神と役名まで書いていてくださったりして。
なんともいえず、ほっこりとした気持ちになった。
なんというか、飛び込んできた連絡が今日というのも偶然じゃない気がしている。
・・・というか、このBLOGにも書いたかもしれないけれど。
ずっと、予感があって。
その予感の第一弾だぞ、これは!という感覚がある。
全てのことが繋がっていって、一つの流れになっていく。
その流れのはじまりにいるんじゃないかという、漠然とした感覚。
だから、さぼれない。
浮かれない。
やるべきことを、やれることを。
一つずつ、やっていく。
足りていない準備がないか、確認しながら。
そうやって、丁寧に積み重ねていけば、流れに乗れると何度も何度も学んできた。
セブンガールズの映画化で動き始めてから、大きく大きく、何かが動いている。
それはそこにいると見えない。
自分もそこにいるから。
船に乗ってしまえば、揺れるばかりで進んでいることがわからないように。
時々、体にかかる重力を感じては、ああ、進んでいるんだなと感じるような。
そういう感覚だ。
きっと、どこまで行っても、色々なことを思い、色々なことで悩む。
それでも、今よりもずっと良い場所に、いつの間にか行ける。
真面目に芝居のことばかり考える。
それでいい。