2年前の2月21日。
夢が現実になった。
翌22日は、クラウドファンディングの最終日で、達成しているにもかかわらず、伸び続けた。
あれからまだ2年しか経過していないなんて、とても信じられない。
あの日を忘れてはいけない。
あの日から、公開のその日まで、このBLOGも延長されたのだ。
信じられないニュースが飛び込んできた。
大杉漣さんの訃報は、小さくない衝撃だった。
父と同じ急性心不全。急逝。
大杉さんは、憧れの伝説の劇団に所属していた俳優だ。
転形劇場。
年の離れた先輩たちは、みんな、伝説のように「小町風伝」や「水の駅」について話した。
主宰の太田省吾さんにお会いする機会があった時は、思い切って自分から話をした。
役者の持つエロスって、一体、なんだと思っているんですか?と聞きに行ったのを覚えている。
10代のクソガキに、丁寧に答えてくださった。
その後、更地という舞台に行った時に覚えていてくださったので、感激した。
その瞬間から、転形劇場は、もう観ることのできない憧れの劇団になった。
劇団解散後に、プロデュースで上演された「水の駅」を観劇した時は、震えるほど感動した。
大杉さんはその転形劇場に所属されていた俳優さんで。
たたずまいだけで、北野映画に選ばれたという俳優さんだった。
師匠の舞台の客席に大杉さんの後姿を見つけた時は、ドキドキした。
頭の中で、そんなことを思い出しながら、連絡を取り合っていた。
今日、次回の舞台の告知をする予定だった。
3つの中編を同時に上演する企画公演。
それも、それぞれの作品の、作・演出が違う。
だから、それぞれの作家に、タイトルやあらすじの情報の確認が必要だった。
監督と自分ともう一人が、作家と演出家もやることになった。
もちろん、監督は何年もやっている大先輩だから、あらすじのチェックなんかもしてもらった。
その上で、それぞれの作家が、自分であらすじとタイトルを決めた。
連絡している途中で、日本がスケートで2つ目の金メダルを獲得した。
仲間どおしで、涙を流している姿を見て、頭がじいんとした。
二人との情報確認が終わってから、告知作業に入った。
次回公演 20周年記念企画「カクシゴト」
内容の詳細までを発表することが出来た。
告知も終わって。
さぁ、このBLOGを書こうと思ったけれど。
考え直して、録画しておいた、大杉さんの出演するバイプレーヤーズを視聴する。
あらゆる役を演じてきた大杉さんが最後に演じたのが、大杉漣という役だなんて、出来すぎている。
その共演者に看取られたなんて、なんだか、まだやっぱり信じられない。
いつか、共演して、あの日話しかけられなかったことや、太田さんや師匠の話をしてみたかったのに。
病院で仲間に囲まれていた大杉さんと。
金メダルを獲得した選手たちが、仲間同士で手を取り合っていた姿と。
たった2年前、夢が現実になって、全員で映画製作をスタートした記憶が。
不思議なほど、重なっていく。
人は一人で生まれることは出来ないし、一人でいなくなることなんか出来ない。
そりゃ、誰だって、孤独な部分は持っているけれど。
色々な人との関係性の中で、どんなに逃げたって、記憶まで消すことは出来ない。
明けて今日は、テレビドラマが放映される。
おいらも含めた劇団員が普通に、仲間として登場している。
役だから虚構の仲間だけれど、実際に本当の仲間でもある。
2月22日。
おいらたちは、おいらたちだけじゃなくて。
たくさんのたくさんの仲間がいることを知った日だ。
200人を超える人たちから支援を受けて、映画製作を始めた日だ。
舞台の告知を始める日はその日にしたかった。
偶然、同じ日になったドラマ放映の日にしたかった。
仲間に囲まれていると、強く思った日にするべきだと思った。