女性が男性に告白する。
その言葉が意味を持った時代はもうはるか昔だ。
今となっては、そんな言葉は、別に何の意味も持たない。
男の3歩後ろを歩いて・・・なんて時代ではとっくにない。
今や、ただ、「告白する」という言葉と大きな違いはない。
告白なんて、男女問わず、誰にとってもイベントだ。
「女性が」が特別な意味を持たなくなっているとは言え。
実は、ヴァレンタインデーに告白する人が減っているという記事があった。
なんて当たり前のことを書くのだろうと思った。
今の時代、女から告白したところで、それは普通のことなのだから。
ヴァレンタインまでに彼氏を作っておくなんていう不思議なことだって起きてるはずだ。
お菓子屋の陰謀だなんて、毎年思う部分もあるけれど。
まぁ、そんなに悪い日でもないのかなとも思う。
いずれ、意味は変容していく。
社会が変化すれば、やはり、全ての意味が相対的に変わらざるを得ない。
例えば、明治時代にヴァレンタインがあっても流行らなかったんじゃないだろうか?
そんな破廉恥なことをしても男性に嫌われる!と言って。
女性が積極的になったとか。肉食だとか。
男性が消極的になったとか、草食だとか。
正直言うと、ダサい話だなぁと思う。
女性が、男性が、と限定して話している時点で、すでに時代的にはずれている。
積極的な奴も、消極的な奴も、性別関係なくいる。
本来、そういうバランスがあるのだから、それまでがおかしかったと考えた方がいい。
そういうことって、実は世の中に溢れまくっている。
そもそも、不自然なこと、不公平なこと。
それが、時代が進んで、不自然でなくなり、不公平でなくなっただけなのに。
余計に変わった!と強調したり、昔は良かった!と宣伝したりする。
なんというか、そういう感覚を自分すら持ちそうになることがあって、厭になる。
時代は良い方向にしか向かっていないのだから。
江戸時代のすばらしさなんか、いくら宣伝しても、意味がない。
厳格な身分制度の中で暮らしていた前提を忘れているからだ。
文字を読めない人だってたくさんいたという前提を忘れているからだ。
自分の少年の頃を思えば、確かに美しかったような思い出が山のように残っている。
でも、今、ちゃんと冷静に考えれば、日本は近代化の過渡期にあったんじゃないかって思える。
今よりもずっとテレビは自由だった!とかよく耳にするけれど。
逆を言えば、いまよりもずっとテレビは、異常な場所だったともいえる。
不自由になったのは、それまでに自由にやっていたことで、やりすぎな部分があったからだ。
今のテレビが詰まらないんじゃなくて、今はテレビよりも面白いことがたくさんあるだけだ。
配信動画が、ここまで普及すれば、むしろテレビはリファレンスなのだから。
当然、変化が必要になる。
時代が・・・ではなくて、当たり前に進化しているだけだと思う。
なんと。
からっぽの言葉だろう?
「女性が男性に告白する。」
その為の日があったなんて。
かわいい勝負。
女の子勝負。
ファッションの一つ。
イベントとして。
ヴァレンタインはその程度の日になった。
男女平等なら、男性が女性に告白する日も必要だって?
考えてみれば、ホワイトデーは、無理にバランスを取ろうとした日なのかもしれない。
でも、そんな日ならいらない。
余計なお世話。
せずにはいられなければ、そんな日がなくてもするさ。
しないでおこうと思えば、一生胸の中にしまっておけるさ。
余計なんだよな。
そんなこと言いつつも。
おいらは男なんだから・・・。
と、いつも考えてしまう自分がいる。
男らしさってのも、とっくに時代に変化させられているのだけれど。
まぁ、今の時代における男らしさとは?って思えばいいか。
頭が痛くなってくる。
チョコレートをパクリ。
糖分を脳内に送るのさ。