稽古日。
稽古場に入ると、少し議論が白熱していた。
真剣に取り組んでいる。
良い方向になればよい。
それだけだ。
自分の班の一人が、風邪で休んだ。
熱が出たけれど、インフルエンザではなかったようだ。
ものすごい大ブームになっている。
奇跡的に劇団員では、まだ一人しかかかっていない。
でも、真冬は、それ以外でも風邪をひくこともある。
要注意だ。
人数が少ない作品で一人欠員が出ると、どこの稽古をするか悩むことになる。
少し考えて、自分が代役をさせてもらった。
ちゃんと代役をするというよりも、内側の空気感を感じておきたかったからだ。
やはり、客観と主観は、余りにも開きがあった。
そうか、あの空気の中での芝居をしているのか。
空気の流れが変わるのは、ここからなんだなとか、感じながら演じてみた。
自分なら、どうやって裏を創って、ここに存在できるのか。
違う角度から感じただけで、幅が出来た。
他の役者たちがどう思ったかは、また別の話だ。
本役じゃなかったし、感触も違うだろうから、違和感ばかりだっただろう。
最後の班の稽古の見学。
台本は半分ぐらいあるけれど、キャスティングはしていない。
だから、全員で新しい台本の部分を、かわるがわる演じていく。
いつものうちの稽古のやり方だ。
ただし、人数が少ないから、回転数はいつもよりもずっと早い。
いつもと同じやり方でも、いつもと違ったことを出来ている。
まして、ピンポイントで細かい部分を重点的に稽古できる。
本公演とは違う、企画公演ならではの稽古だ。
そろそろ詳細を出していきたいとことだけれど・・・。
そういう時間的制約で、急がせるのは余り良くない。
企画的にも良くないし、急いでしまって不安点を残すのでは、趣旨に沿っていない。
もちろん、その上で面白い作品が並べばそれが一番だ。
決めるという意識は持っていてほしいけれど、〆切の意識はいらない。
稽古がこの形になってから、実は2か月経過している。
1月も終わるのだから。
その間に何が生まれてきたのかだ。
稽古場を出て、少し監督と話す。
本公演ではない分、監督の負担はいつもより少ない。
仕事の幅を増やしてみたり、別の書き物をしてみたり、してくださればいいと思っている。
企画が固まれば、本公演のことも考え始めなければいけないのだ。
芝居はやってみると、自分の体が想像以上に不自由だと気付く。
例えばダンスをしていたような肉体のプロフェッショナルでさえ、芝居をすると動けなくなる。
不自然になってしまったり、妙に決めてしまったり、違和感だらけになってしまったり。
本当は、一歩前に出たいだけなのに、その一歩が出ない時もある。
意識下にあるはずの肉体が、無意識化のクセに支配されている瞬間もある。
自由になると思い込んでしまわないように。
想像できないようなことがいつ起きてもおかしくないと、知るように。
呑まずに帰宅。
今日の月は、まるで、昔飼っていた黒猫の目のようだった。
寒い冬空は、妙に月が輝く。
まるで、泥の中にいるほど、希望が輝いているかのように。
黒猫のキンちゃん。
お空から、何を覗いているの?