この「セブンガールズ」という映画企画の中で強く感じたことがある。
それはまるで、運命だったんじゃないかという大きな流れを感じたことだ。
劇団の活動の中で出会ってきた多くの人たちとの繋がりの中でこの映画は生まれた。
予算はそれこそ、劇団と出会ってくださった多くの人たちの支援で集まったものだし。
監督が連載をした漫画をきっかけに知り合ったプロデューサーさんとの出会いも大きかった。
「泣きめし今日子」という連続ドラマで出会ったスタッフさんたちも繋がっていった。
そもそも、その繋がりを思えば、遥か昔のCMにまで遡る。
もちろん、音楽監督、美術、MAと、劇団活動でも仕事をしてきた。
出会いが一つ一つ繋がって、全てが整っていったのだとつくづく思う。
全ての出会いがあったからこそ、とても難しいと思われた企画を実現できた。
ただ、これがゴールかと言われるとそれも違うように思う。
大きな流れは、繋がって、やがて一つの形になるけれど。
そこで、何かが終わるわけではなくて、新しい流れを生んでいく。
明らかに一つの到達点であり、一見すればゴールのようにも思えるけれど。
幾つもの伏流が重なって、大きな川が生まれたという感覚に近い。
その奔流は、むしろ、止めることの方が難しいのではないかって思っている。
そういう大きな流れを感じて、それが止まらないようにするという感覚があって。
その為には、今、何が必要で、何が足りなくて、ということを考えるようにしている。
出会いは、本当に重要だと思う。
特に十代での出会いは、その後の多くを決定する。
舞台を観に行って、その演出家の出自を聞いて、深く納得することがある。
ああ、この演出家は、あそこ出身なのか・・と納得してしまう。
十代で、どんな芝居を目にして、どんな感動をしてきたのかという事は。
その後の表現活動に、強い影響を残していく。
監督もきっとそうで、十代で出会ったいくつかの表現が今も強く影響しているはずだ。
なんとなく、今年2018年に新しく誰かと出会うだろうなという予感がある。
この年になれば、強烈に影響する誰かと出会う機会もぐっと減ってくるはずなのだけれど。
去年、一昨年と、素晴らしい出会いがあって、素晴らしい体験をさせていただいた。
この流れが途切れるとどうしても思えない。
強烈にこの人と何かをやりたいと思えるような、そんな出会いがあるような気がしている。
或いはすでに出会っている人と、強烈な結びつきが生まれるとか。
そういうことが、きっと、今年は待っているんじゃないかと、予感している。
自分ひとりで出来る事なんて簡単に書けば書けるけれど。
それは、実は限界までやって、更に限界の先を見ようとした人間にしか言えないことだ。
どこまで自分だけで何かが出来るのか。
それを突き詰めて、突き詰めて、それでも、自分だけじゃ出来ないことが幾つもある。
その先は、出会いしかない。
出会いは、必然のように思えるけれど、偶然だ。
頑張ったからこそ出会える人もいるけれど、出会えない可能性の方が高い。
どんな出会いだって、実は偶然で、でも必然のように思えるだけの根拠も必要だ。
そんな素敵で、必然のような偶然の出会いが、きっと今年はある。
なぜか、確信に近いぐらいの気持ちでその予感がしている。
夢だった映画化。
それが現実化している。
今、必要なのはきっと次の夢だ。
その夢を胸に秘めて、またひた走る。
夢からしか生まれない次の夢だ。
自分や、劇団や、監督や。
確実に出来ることが増えている。
スキルを増やしている。
観ることのできる世界を拡げている。
それは、同時に夢だった世界の更に外側の夢の世界に手をかけられるという意味を持っている。
だから、何かをやり遂げたような顔をしたくない。
映画は完成したし、公開を迎えるけれど。
ゴールだなんて顔をしたくない。
どこかに辿り着いたのだとしても、まるで、そこがスタート地点かのように。
じっと、前を観る自分でありたい。
その先があるよ。
少なくても、まだ誰にも言えないレベルでも、夢を持つのだ。
ゴールは近い。
それなのに。
ゴールではないという意識を持つ。
いくつもの出会いという奇跡がこの映画を生んだのだとすれば。
その出会いは、これからも続いていく関係になっていくのだから。
今はまだ心に秘めておく。
自分のこれから進んでいく目標は。