シンク周りの掃除をしようと思って中性洗剤を買いに行く。
いつもなら自転車で、すっと行くのだけれど、やけに空気が冷たいし歩いてみる。
いつもとは違う風景をなんとなく眺めたいなぁと思ったから。
足が変われば風景が変わる。
高さもスピードも、視点を変えていく。
夜になると、零下になる日が増えてきた。
昨日の夜、煙草を買いにコンビニまで歩いていてふと見上げたら見事な半月。
はぁ。と思ったら、吐く息が真っ白だった。
今日の昼間にも、半月が見えて、昼に観る月は、それはそれで美しかった。
時に意図的に視点を変えてみるようなことをする。
年も暮れて、今年もあとわずかだけれど。
坦々と、年が暮れていくのを待っているだけでもない。
なんとなく、周囲の空気を、世界の模様を眺めている。
国際的に大問題が発生しているのに、テレビでは国技の事ばかり放送している。
何とも言えないこの感じ。
今年も、結婚や離婚などなど芸能人は年末に駆け込みでしていく。
過激な報道が、年末スケジュールだと、余りされないのだそうだ。
日本の年末年始は、何かを少しだけ、ゆったりさせるのかもしれない。
自分の部屋の一部をピカピカにしたから。
明日は実家に行って高い所の作業や力仕事を手伝うことになっている。
大した作業量でもないけれど。
年の暮れにはそういうことが少しずつある。
日本人の年末年始は、なんだか、気持ちはのんびりしているのに。
よくよく考えると、少し忙しいような気もする。
大掃除をして、年越しそばを食べて、除夜の鐘に行って、初詣に行って、おとそを飲んで、おせちを食べて。
お雑煮も食べてから、年始のあいさつに回ったり。
ちゃんとやろうと思ったら、なんだか、やることが詰め込まれている。
子供の頃は、おじいちゃんの挨拶回りににもついていったし。
母親は、大掃除から、おせちづくりやら、大変だっただろうなぁ。
それでも、どこか、のんびりしているように思えるのはなんでなのだろう?
勤勉なのにのんびりしているのが、なんとも、日本人らしい。
多分だけれど。
ただただ「めでたい」という一言が全てに影響しているように思える。
正月はめでたい。
その一点で、全てがポジティブに思える。
顔を合わせれば、おめでとうございます。なのだから。
数え年で年齢を数えていた時は、日本人は正月に1歳全員が歳を重ねた。
元旦は地獄の道の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
なんて、いつのまにか、ニヤニヤしながら諳んじる。
それでも、やっぱり、めでたい気がしてしまう。
もう、体にそれが染み付いてしまっている。
お年玉の呪いかもしれない。
今年はどんな年末年始になるだろう?
「おもち、何枚にする?」
そんな声が聞こえてくる。
数の子をかじって、かまぼこをかじって。
「3枚!」
なんて、答える。
そんなイメージが、頭の中に浮かび始めている。
もう正月気分かよ。
やり残していることはないか?
もう一度、自分の胸に聞いてみる。