2017年12月23日

一陽来復

冬至。
またの名を一陽来復というのはご存じだろうか?
科学が発展するはるか前、天文学というのは生きる術だった。
小さい集落の小高い山などに今も神社などが残っているのは、この天文の観測も意味すると聞いたことがある。
神社仏閣は、季節を知らせ、時刻を知らせる鐘を鳴らす、生活に根差した機能的配置だった。
農業をするのも、狩猟をするのも、或いは木の実をとったりするのも。
全て、季節、時刻、そういう大事な情報が必要だった。
古来から人は星の動きを読み、太陽や月の動きを読み、季節を知った。
時計がない遥か大昔から、一年で最も日照時間の少ない日を知っていた。
それが冬至だ。

長い夜が終わって、この日から少しずつ陽の光が増えていく。
それを、一陽来復と呼んだ。
占いの易で有名な陰陽述などから来た言葉とも聞く。
陽の光が増えていくこと、夜が終わることは縁起が良いとされた。
ゆず湯のゆずは、融通から来ているのだそうだ。
かぼちゃは、太陽の光の色だとか何とか。
ちゃんと調べたわけでもないのだけれど。
冬至に祈ることは、金運が上がることで、商売の融通が利くようになると言われたらしい。

子供の頃から、おいらの実家の柱には、なんだかよくわからないオフダのようなものが貼ってあった。
それも、天井ギリギリの高さに、毎年、位置を変えていた。
紙をくるりと丸めた円筒形のオフダのようなもので。
そこには、漢字四文字で、「一陽来復」と書かれていた。
一の字が、異様に太くて、なんだか、ありがたい感じを演出していた。
子供の頃はいつの間にか貼ってあったり、いつの間にか移動したりしていて。
まぁ、神棚のようなものだとなんとなく思っていた。

都内で育った人は、目にしたことがあるんじゃないだろうか?
家に貼ってある人も結構いると思う。
・・・というか、江戸っ子しか知らない風習なのかもしれない。
母親が渋谷区に住んでいたから、叔母と一緒に受取りに行っていた、冬至守りなのだそうだ。
それを知ったのは、大人になってからだ。
でも実はつい最近まで神社だったら、色々なところでもらえるものだと思い込んでいた。
冬至の日から節分までの間、新宿は早稲田にある、穴八幡宮だけで配っているものなんだそうだ。
だとすれば、我が家に貼ってあったのは、誰かが毎年お参りに行っていたことになると気付いた。
そんなことなんにも知らなかった。
いつか聞こう聞こうと思いながら、ずっと聞かないままだった。
それから、そのうち、自分でも穴八幡宮にお参りに、いつか行ってみたいなぁと思ってた。

時節の終わりに、恵方に向かって、なるべく天井に近い高い所に貼る。
だから、冬至か大晦日か節分の、その日の最後にしか貼ってはいけないのだそうだ。
子供の頃は、もう寝ている時間なのだから、知らなかったわけだ。

これを貼っておけば、金運が良くなる。運が向く。
長い夜が終わって、陽が射してくるということだ。
転じて。
長く苦労したことが、報われるという意味もあるらしい。
そんなことを聞くと、ああ、自分の部屋にも貼りたいなぁなんて思うようになった。

そう思うと、冬至も悪くない。
一陽来復だなんて、すごく良い言葉だなぁって思う。
昔から、毎年毎年、思っていたのだ。
さぁ、陽の光が増えていくよと。
生活の中で、自分たちの生活も明るくなっていくよと。

お守りは手元にないけれど。
今年の恵方に向かって、そっと目を閉じてみた。
一陽来復。
小さく呟いた。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:08| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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