小学校の国語の時間に確か、最初に起承転結という言葉を習った。
いわゆる物語を創作する際の基本のようなもので。
物語が始まり、状況が分かり、物語が動き、結末に続く。
そういう4部構成をさす。
漢詩の構成からと聞いたことがある。
実は日本には、もう一つ、同じような言葉がある。
序破急と言われる。
序章があって、秩序が破れて、急展開する。
どちらかと言えば、和楽などの音楽の世界の構成らしい。
世界が、はじまりと終わりでまるで変ってしまう流れだ。
面白いなぁと思うのは、小説では起承転結が多いのだけれど。
映像では、実は序破急が多いことだ。
ハリウッドのあるアメリカでは、シナリオ研究が盛んなのだけれど。
シナリオの神様みたいな人が、三部構成の伝説的な教本を書いているらしい。
そうやって見ると、ハリウッド映画の三部構成はすぐに思いつくんじゃないだろうか?
アメリカンヒーローものだって、スペースオペラだって、三部構成を軸にしている。
もちろん、映画には、物語の希薄なものもあるし、ドキュメンタリーもある。
だから、全ての作品がこれに倣っているわけではないけれど。
ただ、基本がある。
そして、基本が、作品を安定させるし、わかりやすくする。
少年がいじめられて始まる物語のラストは、やはり、こうでなきゃいけないというのがあるのだ。
セブンガールズは起承転結とは少し違う。
どちらかと言えば、序破急に近い。
実は、監督の描く作品群の中では珍しい。
監督が書く台本は、起承転結が、骨組みとしてしっかり組み込まれている。
物語の骨格をしっかりして、その中で、自由にあちこちに飛ぶ。
骨格がしっかりしているからこそ、好きなように様々な場所に展開できる。
おいらは、物語を運ぶ役割を演じることが最近増えていて。
とても、構造に近い場所で芝居をしているなぁと感じているのだけれど。
監督が、ここ数年、物語の構造を役者に説明することも増えてきた。
その中で、起承転結の話もたびたび出てくるようになった。
スピード感をそこから変えていかなくちゃいけない場合など、演出で口にするのだ。
それは、運ぶ役割の役者一人じゃどうにもならない。
出演者全員が、展開を知っていて、流れを理解した時に生まれるパワーを求めているのだと思う。
エピソードに力を入れすぎて、全体の構造を忘れてしまうとバランスを失う。
なんの話だか、観客側に伝わりづらくなる。
そういうことが、起きるのは、実はよくある話。
役者は、その役の主観を生きているから、どうしても目の前のエピソードに力を入れてしまう。
でも結果、全体の構造では、あくまでもエピソードに過ぎない。
クライマックスの前に、クライマックス的なことをしてしまうと、淀みが出来る。
だから、主観を生きる役者も、構造を知っていくことは大事なことだ。
どういう展開になるか、まったく予想もつかないのに。
後から思えば、しっかりと、骨組みがあった。
そういう作品に出会うと、嬉しくなる。
最初のシーンから最後のシーンまで、全てが頭の中で繋がっていく。
恐らく、人間が発明して、長く続くシステムだ。
それこそ、漢詩からなのだから。
普遍的なものなんて信じないけれど。
進化し続けながら、それでも、偉大な力を今も持っている。
感情を揺さぶるような作品には理由が必ずあるのだ。