2017年12月04日

発見と反復

稽古日。20周年の企画概要が決まってから初の稽古。
企画に向けての稽古が動き出すのは少し先。
その隙間に当たる期間。

多分、初めてのことをやった。
長編を丸々読み合わせ立ち稽古。
何かの芝居の一部分であるとかはある。
劇団の作品は、長編の場合、作品が最初に用意されたことはない。
だから、たぶん、これは初の体験だった。

芝居の不思議さを感じる。
初めは作家の頭の中にあったものが、活字になって。
その活字がもう一度俳優の肉体を通して、言語化していく。
戯曲や台本は、書き言葉じゃなくて、話し言葉で書かれているとは言え。
瞬間から、それは芝居に生まれ変わっていく。
作家の意図通りの箇所と、そうではない箇所とがあったとしても。
どちらにしても、芝居に見えていく。

いくつか、ああ、こんな感じになるんだ、と感心した。
俳優の持つ魅力っていうのは、やっぱりあって。
その魅力でしか生まれないものがある。
色っぽさもそういう中にしか生まれない。
文字では限界がある世界がその先に広がっていく。

それに長年やっている同士だから、自然と息があっていったりする。
全員同時にわあ!と驚くなんてことは、相談しなくても自然にやる。
緊張感を創るシーンでは、全員で空気を創る。
そういう血の通った芝居に生まれ変わっていくのは、観ていて、感動すら覚えた。

余り気付いていなかった発見もあった。
作品の中に歌うシーンがあるのだけれど、メロディがない。
だから、詩の朗読になった。
朗読というのは俳優にとって一つのスキルだ。
最近では、リーディング公演なんて言って、朗読劇の公演も多くなった。
実は、おいらは朗読劇をはるか20年以上前に観に行って、それからもう行っていない。
俳優のスキルだけれど、これは稽古であって公演じゃないなと、思ったからだ。
その朗読は、外国の演出家で有名な俳優二人の朗読だったのだけれど。
自分の周囲で、もっと朗読がうまい人が何人もいた。
この程度で、公演にするなんてと思って、それ以来足が遠のいた。
実はそれぐらい自分にとっては、朗読は俳優にとって重要な基礎だと思っている。
出来るのが当たり前で、その上で、どうやって朗読していくか、組み立てていくか、最高の訓練になる。
それが、今日の詩の朗読がとっても素晴らしかった。
組み立てもあって、感情の起伏のコントロールもあって、強調などのテクニック、発声まで揃っていた。
ああ、ここを出来るのか。詩の朗読をこんなに出来るんだと、すごい発見だった。
稽古場で朗読をすることなんて、ほとんどないから、初めてに近い状態で、観たからかもしれない。
素晴らしいなぁと、少し感動した。
これぞ、活字が肉体を通して芝居に変化していくことそのものだと思った。

今までにないことをすれば、それだけ新しい発見がある。
普段見過ごしていたことに気付くこともある。
だから、新鮮なことばかりしたくなる。
けれど、飽きてしまうような繰り返しもやはり稽古だ。
どちらもバランスよく続けていかないと結局、なんの力にもならない。

さて。
企画に向けての稽古までにまだやることはある。
新しい事。いつもの事。
二つを同時に駆け抜けていくのだ。

新しい一歩も、やがて、繰り返す一歩になるように。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:25| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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