隣のパンパン
撮影は朝集合すると、突然始まった。
驚くほど、じゃあ、やりまーす!で、いきなり始まったのを覚えている。
早めに集まってメイクや衣装をつけて。
オーディションで集まってもらった人の衣装を配ったりして。
気付くと、もう、スタッフさんは準備を終えて始められる状態だった。
実際、最初のシーンのカメラテストを終えて、本番に入ってから、
「え?はじまってるの?」と何人かに聞かれたぐらい、それは突然始まったのだ。
セットのあちこちに、その日に撮影するシーンが張り出されていた。
D/Nというのが、よくシーン表に書かれている。
Dはデイ、Nはナイト、いわゆるどの時間帯化を簡潔に書いてある。
セブンガールズは、夜も昼もシーンがある。
同時進行で一日に起きた出来事なら順番に撮影できそうだけれど、そうもいかない。
だから、シーンは飛ばし飛ばしで、どんどん、別のシーンへと飛んでいく。
特にセットの構造上で言えば、この玄関だった。
見ての通り、今の扉の玄関とは違って、そのまま太陽光が入る引き戸だ。
戸袋部分にも大きな窓がある。
だから、実は、夜間の部屋の中のシーンであれば昼間も撮影しようと話していたのだけれど。
なるべくそれも避けようという事になった。
どうしても、玄関から入る太陽光が、昼間の雰囲気を作ってしまうからだ。
奥の部屋のセットはまだしも、手前の部屋は、特殊なシーン以外は照明作りが厳しかった。
まだ、夜間を照明で昼間っぽくする方が楽な方だった。
日本人は今でも、自分の家のことをウチという。
それどころか、所属する団体のことをウチということもある。
最近の若い子は、自分のことをウチと呼んだりもするようだ。
イエでも、ダンタイメイでも、ワタシでもなく、ウチ。
このウチとは、いわゆる、ウチとソトから来ている。
日本人の精神の中に、それは刷り込まれている。
村のウチとソト。神社の結界。本音と建て前。内弁慶と外面。
ありとあらゆる日本文化に、ウチとソトの概念が見つかる。
この玄関は、まさに、この映画における、ウチとソトの境界線になった。
それは、撮影でもそうだったし、作品の持つ意味においても、そうなった。
女たちはウチにいて、男たちはソトからやってきて、誰かがソトに出ていった。
それはまるで、心の内側と外側で起きることとリンクしているかのように。
舞台版ではなかったウチとソトの概念が、映画を重層的なものにした。
世界に繋がるソトと、世界が閉じているウチ。
完全に順調にスタートした。
昼休憩を終えた時点で、D予定のシーンの残りの数がわずかだったのだ。
助監督から、呼び出されて、どのシーンが出来るか確認される。
次の日の予定表を取り出して、メイクチェンジなどが少ないシーンをチョイスしていく。
じゃあ、そこまでやっちゃいましょうという言葉を聞いて、すぐに全員に伝えていく。
スケジュール変更、このシーンの後に、ここまでやりたいでーす!
当然、衣装や小道具、メイクまで、自分たちで把握して、調整していく。
それを見て、助監督が、心からすごいことだ!と、おいらと監督に言ってきた。
予定外のシーンをやると言って、なんの躊躇もなく、スケジュール変更できるなんてあり得ないという。
通常なら出来ないという役者が出たり、衣装がないとか、メイクさんから無理と言われたり。
スケジュール変更なんて簡単なことじゃないんですよと教えてくださる。
そして、それよりも何よりも、予定表にないシーンの芝居を、ヨーイドンでやれる役者に感動していた。
スタッフさんは、この期間で撮影しきれるわけがないと誰もが思っていた。
それが、この初日で風向きが変わった。
ひょっとしたら、こいつら、撮影しきっちゃうんじゃないか?という雰囲気が流れた。
撮影初日の緊張もあってNGもあったけれど、翌日からはNGも減っていく。
監督の指示も、一言で理解していく。
セットチェンジになれば、男たちが走ってきてあっという間に、壁を取り付け、家具を動かしていく。
何も言わなくても、次に撮影するシーンの役者が待機している。
きっかけがつかめない距離なら役者同士で連携して、合図を出し合っていく。
本来、時間がかかるような部分が、すんなりと進んでいくのだ。
そんなのを観ていたからだろうか?
この日の撮影の橋本さんがカメラを持って走っているのを見かけた。
照明さんも、ものすごいスピードでセッティングし始めた。
あっという間に、デビ組というファミリーが出来上がっていった。
全員が、このテンポで進めるというのを理解して、動き始めた。
それは、圧巻だった。
役者が衣装のままインパクトドライバーでセットを動かし、スタッフさんが照明を組み替え、三脚を移動する。
その間に、次の出番の役者は衣装などの準備はすませておいて。
セッティングが終わり次第、スタッフさんに芝居を見せる。
それも、ほとんどが5分を越える長い芝居だ。映像では考えられないような長回しの連続なのだ。
初日の最後に撮影したシーンは、自分のシーンだった。
色々な仕事をしたり、話し合ったりしたのに。
気付けば自分は、役者として集中していた。
相手役の顔を見たら、自然と心が動き始めた。
そのシーンを撮影している頃にはもう他の役者は誰もいなくなっていた。
スタッフさんと監督と、役者二人だけ。
シーンが終わって、役の気持ちから自分の気持ちに戻って、我に返った時。
心から、スタッフさん全員に、ありがとうございましたと言っている自分がいた。
すでに、座組をウチと感じているおいらはそこにいた。