お伺いした先の現場の喫煙所で、監督と話している時に聞かれた。
・・・例の映画は、出来たの?
その予算額を聞いて、すごいなぁと言っていて。
カメラは何を使ったの?なんて聞かれたりもした。
そこにいたもう一人の演出部のスタッフさんも、驚いていた。
でも、きっと、実際の映像を観たらもっと驚くんだろうなぁって思った。
カメラも、一眼レフカメラだと思っていたようで、シネマカメラの型番を言ったら、あっ!って顔をしていた。
それはそうだ。その予算では、ちゃんと映画の器材で映画を撮影できるはずがないのだから。
むしろ、自分でちょっと撮影して編集してというのは、経験しているはずだし、そこをイメージするはずで。
それはそうだよなぁなんて、おいらも思っていた。
それはもちろん、撮影前に、スタッフさんが不可能と言っていて。
撮影後に、スタッフさんが、すごいことをやったよと言ってくれたぐらいで。
映画関係者ほど、信じられない話なんだよと言われたことを、思い出した。
その現場には数十人のスタッフさんが動き回っていて。
例えば、その日の撮影だけで、おいらたちの予算であれば、なくなってしまうような規模だ。
だから、きっと、そこにいる人ほど信じられないことをやったのだと改めて思った。
どうしたって自分は俳優だし、作品の本質を観て欲しいと願ってしまうところがあるのだけれど。
やはり、この撮影はすごいということは、大きなこの作品のポイントなんだなぁとつくづく思った。
実際、初号試写を兼ねた打ち上げの場でスタッフさんと話した時も、そんな話が何度も出た。
よその現場で話すと、誰も信じないなんて言われたりもした。
ただ同時に感じていた。
規模の大小はあるけれど。
映画の世界で生きる人は変わらない。
現場で動き回るスタッフさんの動きを見て、そのキビキビした動き。
作品に根差した、矛盾の生まれない世界観の把握。
時間帯や、時代感、アングル、シーン、前のシーンとのつながり。
その全てを頭に入れて、フレキシブルに対応していく姿。
そう、この感じだ。
この感じが、映画なんだと、つくづく思った。
アングルを変えるだけで、撮影は止まる。
カメラを移動して、見えてはいけないものを隠して、見えなきゃいけないものを足して、照明を調整する。
その時に一斉に動き出す、あのスタッフさんの動き。
湯気がなくならないように、全てのカップに、サランラップをしていく動き。
その一つ一つが、まるで一体の生物のようで、その生物の正体こそ、映画だと思う。
チームなのだ。
俳優は特別じゃない。
俳優もやっぱり、そのチームの一部なのだとおいらは思う。
自分が写っているかどうかじゃないし、作品の一部になれるかどうかなのだ。
普段、劇団と言うチームで動いている。
公演のスタッフさんも、大抵は顔なじみのあるスタッフだ。
だから、チームというのは強く意識するし、理解しているつもりだ。
劇団だと予算上、照明も音響も大道具も手伝ったりもするから、より近い関係かもしれない。
でも、映画と言うチームを感じて、また考え方が少しずつ変わってきている。
映画とは編集された映像、監督の世界観、それだけで評価されているような気がするけれど。
そうじゃなくて、チームそのものの評価なのだと思う。
たとえ、VFXやらCGを入れても、絶対に現場の空気は映像に残る。
尊敬した。
全てのスタッフさんを。
例え助手であったり、怒られてばかりの人でも。
撮影中、面白いことがあって、笑いが起きた。
その瞬間、一体感を感じた。
その心地よい一体感は、セブンガールズの現場でも何度も感じたアレだった。