ちょこちょこと舞台写真を加工して素材づくりをしている。
この期間に、やれることをやろうと思ってやっているけれど、それほどペースは上がらない。
ペースが上がるのは、恐らく、素材が出そろってからだろうか。
どうしても時間が空くと何かやれることがあるはずだと考えてしまう。
それで、自分でやることを探して手を付け始める。
一歩ずつでもいいから前に進まないと気が済まないのだ。
その一歩がどこに繋がっているかどうかではない。
とにかく、今いる場所からは、少しでも前に進む。
大抵のことがあって、反省するとき。
うちの連中は、まず、自分のどこが悪かったか考えるようにしている。
最初から人のせいにしてしまっては、何にも前に進めないからだ。
自分のここが良くなかった、自分はここが出来ていなかった。
それから、全体のことを考える。
監督もそれは同じで、反省会では時々自分の反省点もポロリとこぼす。
全体の反省会だから、たくさんは口にしないのだけれど。
多分、その監督の姿勢があるから、そうするのが当たり前になっている。
結局、いつも時間の使い方になるのだけれど。
モノづくりというのは、なんというか、計算が立たない。
例えばまとまった時間があったとして、その間に、台本を書いてくれと頼んでも、そんなに簡単じゃない。
時間があれば、あるだけ考えてしまうし、実際にペンを握ったまま一文字も書かないなんてこともある。
逆に、締め切りに追われて、一日で原稿用紙何十枚もかけてしまうこともある。
ペンが乗るなんて言葉があるけれど、乗れば早いし、乗らなければ遅い。
舞台の台本だと面白いもので、書いている期間の稽古が良いと、台本の進みが良かったりする。
役者の芝居が良いと、その先のイメージが進みやすいのだろうと思う。
そして、その続きの芝居を観たいという欲求だって出てくる。
もちろん、進みが早いほど、後から改定が増えるというデメリットもあるのだけれど。
逆に、役者が役作りに悩んでいたりすると、台本の進みも遅くなって行ったりする。
役者が苦しむのと同じように、ペンも迷うのだと思う。
だから、計算しようと思っても出来ない。
もちろん、必ず、〆切は存在する。
いつまでに仕上げなくてはいけないというゴールが存在している。
計算できないままゴールに向かっていく。
それは、対応していくしかない。
だから、時間の使い方こそ、大事になってくる。
計算できないからこそ、計算できるところを大事にしないとだ。
ペースが上がるまではじっと我慢だ。
今は、ちょっとずつ、前に進もう。
多分、ぼぉっとしているような時間帯も含めて、無駄になるような時間はない。
じっくりと進む日も、駆け抜ける日も。
面白くなるのは、もうちょっと先さ。
雨の夏休み。