終戦記念日。
記念なんだろうか?とずっと思っているけれど。
どういうわけか、終戦記念日がお盆の真っ最中というのも、何かある気がする。
お盆は、亡くなった霊魂が帰ってくる期間。
日本に帰ってこれなかった人たちを含めて、帰ってこれるのだから。
日本の歴史上、もっとも人が死んだ数年がこの日に終わったのは偶然じゃないのかもしれない。
それまでのお盆と、それからのお盆は、きっと大きく変わったはずだ。
最近また「平和ボケ」という言葉を目にするようになった。
日本人は長く続く平和で、ぼけているというような意味なのだろうけれど。
おいらは、この言葉が、大っ嫌いだ。
なぜなら、もちろん戦時中のストレスがひどいのは理解しているけれど。
現代人だって、殆どの人がなんらかのものと戦って生きているからだ。
そんなに、ぼけっとなんかしていられないよ。
誰だって、あくせくしてる。
ぼけているなんて、なんて言い草だよって思う。
だから、ちゃんと学ぼうとは思う。
戦時中のことも。
なぜ、あの戦争が起きたのかも。
それも、あまり偏った方向にならないようにしようと思っている。
左も右も、戦争観が偏りすぎていて、おいらはとても好きになれない。
祭日に国旗を飾り、元軍人であり、天皇家の写真を飾った祖父が「戦争は良くないよ」と言っていた。
なんというか、そういう思想に関係ない所で、矛盾していそうな意見ほど大事にしている。
学ばなければ、平和ボケと言われても仕方ないとまでは思わないけれど。
少なくても自分は学びたいなぁと思う。
演劇や音楽や映画が、世界平和を実現するという黒澤明さんの言葉を前に書いたけれど。
それを、わりと、おいらは信じている。とても信じている。
文化芸術は、戦争の反対側にあるものだ。
もちろん、プロパガンダに利用されてきた歴史があるのだけれど。
そして、弾圧されてきた歴史もあるのだけれど。
おいらが一番恐れているのが、大衆の持つ無意識的な空気だ。
別に誰かに納得してもらいたいわけでも何でもないけれど。
自分なりに学んで、色々な資料や当時の証言、年寄りの話を聞いてきて、戦争の原因はこれだと思っていることがある。
戦争の原因は、やっぱり、日本国民の総意だ。
軍部の暴走だとか、マスコミの扇動だとか、全部ごまかしだと思っている。
開国後、日清日露という初の近代戦争で外国に勝利し、ましてや、ロシアというヨーロッパ最強艦隊に勝利して。
そのまま敗北も知らずに、国連での不平等な扱いを受けた日本人は、間違いなく、叩け!と言っていた。
新聞の扇動だなんて言うけれど、今のマスコミと同じように売れる記事を書いていたのだから。
むしろ軍人の中にも冷静に戦争はするべきじゃないと意見する人が何人もいた。
でも、日本国民は、欧米による植民地化政策も、有色人種への差別も、許さなかった。
そして、日本は強いと本気で信じていた。
だから、自分はそういう無意識や空気に流されたくないと、思って生きてきた。
特に、政治的な宣伝、政局を操るようなスキャンダル、そういうものは、大嫌いだ。
雰囲気で、あいつは悪い、こいつはダメだと、今も大衆の空気を操ろうとするやつらがいる。
それが、どういうものに繋がるのかなんて、ちゃんと考えていない。
今、日本の周辺諸国で、きな臭い空気が流れている。
マスコミも連日、様々な想定を放送している。
おいらは、危ないぞ、危ないぞと思って見ている。
誰かが、ちょっと、北を叩けと言う風を流したら、そういう空気になってもおかしくないから。
だから、バカみたいなバラエティ番組だとか。
どうしょうもないお笑い芸人だとか。
何を言ってるんだかわからないような歌だとか。
安っぽいラブロマンスドラマだとかでさえ。
おいらは、そういう空気を霧散させてしまう力を持っていると思っている。
だって、楽しめなくなるなんて嫌だもんな。
もちろん、本物の作品であればあるほど、力がある。
心を動かされるような作品に、誰だって出会いたいんだから。
終戦記念日。
ちゃんと学んだうえで。
エンターテイメントに、どっぷりとつかっちゃえばいいと思うよ。
それは、まるっきり、平和ボケでも何でもないことだ。
クソダサくて、クソつまらない、戦争を馬鹿にする、最高の式典だ。
破壊を蔑み、創造を愛することだ。