稽古に行く前に連絡を取る。
先週、ラジオドラマを用意してくれた役者に今週って何かあるかどうか。
ないと聞いて、すぐにネット検索して、とあるテキストを出力して稽古に向かう。
稽古場につくと監督がいなかった。
連絡はしてるけど、返信がないという。
おいらは、そういうのはなんだかやたらに心配になってしまう性分。
なんの返信もないと、何か起きているのかもしれないと考えてしまう。
まぁ、ただの連絡であればいいけれど、来るはずの時間にいなくて連絡がないとなるとそうなる。
すぐに連絡してみてと言ってみると、案の定、体調を崩していた。
ちゃんと食べて、養生してくれたらいいけれど・・・。
監督がいないから、じゃあ、帰ろうかとはならない。
テキストを人数分コピーして配る。
今週のお題は、落語。
短めのをいくつかピックアップして、ただの小噺ではなくて、もう一つ何か乗ってるものをみつけた。
なんと、艶噺。色っぽいシーンがある落語で「目薬」というお題目を選んだ。
いわゆる下ネタだ。
落語に詳しい人であれば、知っているかもしれない。
何ともバカバカしいけれど、演じ方で色っぽくもなるし、大馬鹿な話にもなる。
もちろん、本来なら落語は、覚えて、アレンジして、自分の物にしてから演じるものだ。
そして、ベテランの噺家さんでも、古典落語を自分の持ちネタにするにはとても時間がかかるもの。
それを、テキストを読みながら演じるのだから、当然、表現力は格段に落ちる。
表情で演じたり、体を揺らしてみたり、そういうことも、まだ組み立てに入れられない。
それでも、これは、難しいだろうなぁと、予感していた。
そして、色々な稽古を経験してきたけれど、おいらにとっても落語は初体験だった。
ただ、予想以上にこの「目薬」というネタが面白かった。
誰がやっても、面白い箇所が出てくる。
艶っぽい部分が得意だったり、ばかばかしいところや、対話が得意だったり、つっこみがうまかったり。
元々持っているテクニックで、面白い箇所が出てくる。
もちろん、やってみると、演じた人間は全員、ちょっと苦虫を嚙み潰したような顔になる。
全然、自分が思った通りには出来ないのだ。
それでも、人のを聞いていられる。
なんだったら、ラジオドラマよりもよほど、聞いている分には面白い。
古典落語が、とても、完成された文化である証拠だ。
現代演劇のシナリオで、ここまで完成されたものって、実はないんじゃないかと思えるほどだった。
古典落語で稽古するというのは、実は、ポピュラーだし、最近になって再度、評価されていると思う。
タイガー&ドラゴンというドラマであったり、深夜アニメで落語を題材にした作品があったり。
役者や声優が、落語に挑戦するような場面が、増えてきたというのもある。
ビートたけしさんが、特番で落語を披露したというのもある。
松本人志さんが、実は、毎晩、落語を聞いて寝ているという逸話も最近出てきたし。
ワンピースの作家、尾田栄一郎先生の原点は、少年時代にはまりまくっていた落語なのだという逸話もある。
超の付く一流の人たちが、落語で稽古をしたり、学んだりしているというのはとても大きい。
実は俳優でも、芸人でも、古典落語をやることで、稽古をしているという人は意外に多いのだ。
枕があって、前振りがあって、落としがある。
わかりやすい構造の中で、どこをどう魅力的に演じていくのかという難しさが、あらゆる表現の本質に繋がっている。
一番問題があるとすれば、そこに正解はないという事だ。
どれもが正解であり、どれもが間違いである。
しかも、今日は、完全な客観を持った演出家が不在。
それでは、やる意味があるのだろうか?と思う人も多いのかもしれない。
正直、それをやる意味があるかないかは、全くわからないというのが実感。
なぜなら、そんな中、皆で落語をやって、自分が出来ないところ、他の人の面白い所、それを体感することは。
結局、それを血肉に出来るのは、それぞれに委ねられているからだ。
これは、誰かに教わったり教えたりすることではない。
自分で、学ぶことだし、自分で感じるしかない。
問題点に気付く人もいれば、良かった点だけ見る人もいるし、もしかしたら、ただやっただけの人もいるかもしれない。
だから、やる意味があったのかどうかの結果は、わからないが正解なのだと思う。
結局、必要な人が必要な経験をしているかどうかは、それぞれ次第だからだ。
・・・劇団員の中には、家でもう一回自分でやってみようという役者もいたから、それは確実にプラスだと思うけれど。
ただ、もし今日の落語で何かを掴むことが出来たのなら、間違いなくそれは財産になる。
今すぐ花開かないでも、きっと財産になる。
正解がない中、自分で、正解を探すという経験は、そのまま芝居の血肉になる。
少ない人数で呑む。
芝居の話。
夢のある話。
夢ではなくて、現実の目の前の役者として足りないものの話。
誰それの落語はどうだったという話。
これがプラスであるかどうかではない。
これもプラスに出来るかどうかだ。
外に出ると、ほぼほぼの満月。
本当は明日の深夜かな?
月食があるとかないとか。
特別な満月の日なら、ちょっと楽しみだな。
まだ少しだけ、自分の頭の中でくすぶり続けている落語。
自分の技術的に足りない部分、リズム、パワー。
誰かに褒められたところで、結局反省点ばかりが、後を引く。
いくつになっても、うまくなりたいと願い続ける。