2017年08月07日

全ての個性がさらけ出された

稽古に行く前に連絡を取る。
先週、ラジオドラマを用意してくれた役者に今週って何かあるかどうか。
ないと聞いて、すぐにネット検索して、とあるテキストを出力して稽古に向かう。

稽古場につくと監督がいなかった。
連絡はしてるけど、返信がないという。
おいらは、そういうのはなんだかやたらに心配になってしまう性分。
なんの返信もないと、何か起きているのかもしれないと考えてしまう。
まぁ、ただの連絡であればいいけれど、来るはずの時間にいなくて連絡がないとなるとそうなる。
すぐに連絡してみてと言ってみると、案の定、体調を崩していた。
ちゃんと食べて、養生してくれたらいいけれど・・・。

監督がいないから、じゃあ、帰ろうかとはならない。
テキストを人数分コピーして配る。
今週のお題は、落語。
短めのをいくつかピックアップして、ただの小噺ではなくて、もう一つ何か乗ってるものをみつけた。
なんと、艶噺。色っぽいシーンがある落語で「目薬」というお題目を選んだ。
いわゆる下ネタだ。
落語に詳しい人であれば、知っているかもしれない。
何ともバカバカしいけれど、演じ方で色っぽくもなるし、大馬鹿な話にもなる。

もちろん、本来なら落語は、覚えて、アレンジして、自分の物にしてから演じるものだ。
そして、ベテランの噺家さんでも、古典落語を自分の持ちネタにするにはとても時間がかかるもの。
それを、テキストを読みながら演じるのだから、当然、表現力は格段に落ちる。
表情で演じたり、体を揺らしてみたり、そういうことも、まだ組み立てに入れられない。
それでも、これは、難しいだろうなぁと、予感していた。
そして、色々な稽古を経験してきたけれど、おいらにとっても落語は初体験だった。

ただ、予想以上にこの「目薬」というネタが面白かった。
誰がやっても、面白い箇所が出てくる。
艶っぽい部分が得意だったり、ばかばかしいところや、対話が得意だったり、つっこみがうまかったり。
元々持っているテクニックで、面白い箇所が出てくる。
もちろん、やってみると、演じた人間は全員、ちょっと苦虫を嚙み潰したような顔になる。
全然、自分が思った通りには出来ないのだ。
それでも、人のを聞いていられる。
なんだったら、ラジオドラマよりもよほど、聞いている分には面白い。
古典落語が、とても、完成された文化である証拠だ。
現代演劇のシナリオで、ここまで完成されたものって、実はないんじゃないかと思えるほどだった。

古典落語で稽古するというのは、実は、ポピュラーだし、最近になって再度、評価されていると思う。
タイガー&ドラゴンというドラマであったり、深夜アニメで落語を題材にした作品があったり。
役者や声優が、落語に挑戦するような場面が、増えてきたというのもある。
ビートたけしさんが、特番で落語を披露したというのもある。
松本人志さんが、実は、毎晩、落語を聞いて寝ているという逸話も最近出てきたし。
ワンピースの作家、尾田栄一郎先生の原点は、少年時代にはまりまくっていた落語なのだという逸話もある。
超の付く一流の人たちが、落語で稽古をしたり、学んだりしているというのはとても大きい。
実は俳優でも、芸人でも、古典落語をやることで、稽古をしているという人は意外に多いのだ。
枕があって、前振りがあって、落としがある。
わかりやすい構造の中で、どこをどう魅力的に演じていくのかという難しさが、あらゆる表現の本質に繋がっている。

一番問題があるとすれば、そこに正解はないという事だ。
どれもが正解であり、どれもが間違いである。
しかも、今日は、完全な客観を持った演出家が不在。
それでは、やる意味があるのだろうか?と思う人も多いのかもしれない。
正直、それをやる意味があるかないかは、全くわからないというのが実感。
なぜなら、そんな中、皆で落語をやって、自分が出来ないところ、他の人の面白い所、それを体感することは。
結局、それを血肉に出来るのは、それぞれに委ねられているからだ。
これは、誰かに教わったり教えたりすることではない。
自分で、学ぶことだし、自分で感じるしかない。
問題点に気付く人もいれば、良かった点だけ見る人もいるし、もしかしたら、ただやっただけの人もいるかもしれない。
だから、やる意味があったのかどうかの結果は、わからないが正解なのだと思う。
結局、必要な人が必要な経験をしているかどうかは、それぞれ次第だからだ。
・・・劇団員の中には、家でもう一回自分でやってみようという役者もいたから、それは確実にプラスだと思うけれど。
ただ、もし今日の落語で何かを掴むことが出来たのなら、間違いなくそれは財産になる。
今すぐ花開かないでも、きっと財産になる。
正解がない中、自分で、正解を探すという経験は、そのまま芝居の血肉になる。

少ない人数で呑む。
芝居の話。
夢のある話。
夢ではなくて、現実の目の前の役者として足りないものの話。
誰それの落語はどうだったという話。
これがプラスであるかどうかではない。
これもプラスに出来るかどうかだ。

外に出ると、ほぼほぼの満月。
本当は明日の深夜かな?
月食があるとかないとか。
特別な満月の日なら、ちょっと楽しみだな。

まだ少しだけ、自分の頭の中でくすぶり続けている落語。
自分の技術的に足りない部分、リズム、パワー。
誰かに褒められたところで、結局反省点ばかりが、後を引く。
いくつになっても、うまくなりたいと願い続ける。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:38| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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